拾参

 ――その事件は事のあらましが複雑だったためか、尾ひれのついた噂話があちらこちらを駆け巡った。

 曰く、吉原一の花魁と美貌の商人が落ちた悲恋の話。

 曰く、悪徳楼主に騙された哀れな買われ子がいつしか男を一人たぶらかした話。

 人の噂も七十五日とは言ったもので、季節がひとつ移り変わる頃には、ただひっそりと遊女たちの間で流れる御伽噺のようなものになっていった。

「――誰も、本当のことは知らない。これでいいんでしょうかねェ」

 ひょろりと背の高い男が一人、美しいかんばせの花魁に酌をされながらそうごちた。

「いいんでありんしょう。鈴蘭姐さまが、最期まで想いを貫いた御方として語られるのであれば、わっちは何も思うところはありんせん」

「違いねえや」

 花魁は目を伏せた。

「わっちにとっての鈴蘭姐さまは、いつだってとても優しくて、敬愛するにふさわしい御方でありんした。そのほかのことなど、わっちにはもう、どうだっていいことでありんす」

「俺は――竜胆の旦那が鈴蘭太夫と出会ってなきゃあ、いつか俺にも振り向いてくれてたんじゃねえかって、おもっちまわあ」

「それは主の勝手でありんす」

「ひっでえ!」

かたばみの紋を背負った男がからりと笑いながら、酒を呷る。

 白雪の打掛を着た花魁は、その様子にほ、と息を吐いた。

 吉原の夜は今日も更け、江戸の町には朝が来る。

 心中紛いのふたりのことなど、誰も知らない振りをして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鈴蘭と竜胆 @hyuga72mikan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ