ゼムル

@Lian56

第1話

ゼムル



 かつてこの世界は、青い肌と、瞳のない金の目を持つ“神人”のものだった。神人は「魔法」により異界の存在と交信し、彼らをこの世界に呼びだすことで強大な魔力を手にし、高い文化を築き上げていた。人類は神人の奴隷としてその歴史の第一歩を刻んだ。人は神人の元で完璧に管理され、平和で幸福な時間を過ごしていた。

 神人はまさに神のごとき力を持っていた。翼を持つ生きている船、強大な力を持つ精霊、火を吐き鉄の皮膚を持つドラゴン……様々な存在を意のままに使役した。その力は厳寒の地に常春の地域を作り出し、空を飛ぶ空中都市を築き上げた。自然を超え、全てを自分たちの好みに合うように世界を変革した。彼らの生み出す世界は、繊細で、優雅で、そして美しかった。どんな優れた絵師でも描けない夢のように美しい世界、それが神人達が作り上げた世界だった。

 しかし、ある時神人は突然姿を消し、神人の庇護を失った人類はこの地上にとり残された。制御を失った施設、呪縛から解き放たれた獣、全てを飲み込む荒々しい自然現象……無秩序な混沌が人間達を襲った。それでも人間達は滅ばなかった。人々は生き残るため神人の遺跡に分け入り、彼等の技術を奪い、模倣することで文明を作り出していった。魔法の力を持たない人類は、神人が持っていた高度な文化のほとんどを受け継ぐことができなかった。

 人の世になってからしばらくして、ある神人の遺跡からもたらされた技術が、薄明かりの時代を歩む人類に新たな光をもたらした。この世の生き物を歪ませ、新しい生き物を生み出そうとしていた狂った神人は、人間にある種の“毒”を幼い頃から摂取させることで、人に不完全ながら魔法の能力を持たせることに成功していた。この技術を模倣し、研究することで、人は幾多の犠牲の果てに“魔法使い”への道を造り出していった。

 そして“魔法”が人の世の覇権を握る大きな要素となっていった。王達は魔法使いを集め、様々な神をあがめる教団は魔法を教義の柱として体系化を行なっていった。多くの組織が魔法を巡り争い、自分たちの力を増すために秘密めいた、歪んだ魔法研究を続けていた……。


1


 私達の住む国トナラグは“ランタンカ教団”の魔法の力で、他国以上の力を誇っていた。教団の魔法使いが祈れば、痩せていた畑の麦は力を取り戻し、魔法使いの乗る船団はいつも追い風で他国の船を悠々と抜いた。戦になれば魔法使いに操られる土塊の巨人が敵国の兵士を引き裂いた。

 教団に属する魔法使いの力で、他国が最も恐れたのが、「炎の鳥」である。我が教団の主神・火の神ランタンカの使いである火の鳥は、大魔法使いの願いより異界から現れ、逆らう者を全て焼き尽くすのだ。我が国の王家の紋章もこの火の鳥をかたどっている。我らの国トナラグは、炎の鳥に守られた、魔法王国なのだ。

 私の名前はゼムル。私は“教団”の選ばれし子供として育てられた。トナラグ国が、そしてランタンカ教団が他国よりぬきんでた魔法の力、それは教団が長い時をかけて生みだした、魔法使いを作るシステムにあった。国の力そのものとなっていた教団は、国中から5年に一度20人の子供を魔法使いへと育てあげるべく集めていた。私はその中の一人だった。


 私が何のために生かされているのかを知ったのは、私が6歳の時だった。


 その日は毎年行なわれる、神の降臨した日を祝う祭りの日だった。普段はほとんど教団の施設を出ることなく生活している私達だが、祭りの日は仲間と共に街の外に出ることができた。私は仲間達と共に、たくさんの花をつけた山車が大通りを進む様子や、大道芸人の芸に興奮して話をしていたことを、今も覚えている。

 遠くの街からも、他の国からも見物客が来るこの祭りの日は、神官達の「ランタンカ神の炎の儀式」と呼ばれる魔法の儀式でクライマックスを迎える。神殿の中央の広間、巨大な祭壇を包むように広がる広場は、国中から来た人々が身動きが取れないほどにひしめき合っている。私達は広間を見下ろす位置にあるバルコニーからその儀式を見ていた。広間は人々の頭で、まるで毛髪の海のように見えた。

 巨大な祭壇の中央には、数百本の薪によって巨大な炎が上がっている。その炎の前に、数人の、白のローブに青い縁取りをした特別のローブを着た「魔法使いの」神官達が立ち、何千人もの観客が見守る中で祈りの声を上げている。その祈りの言葉の中の、「ランタンカの恵みを」というところでは、広場全体がそれを唱和し、繰り返す。

 炎がいつしか、「ランタンカの恵みを」という言葉が出るごとに、大きく揺らめき出す。祈りの言葉が繰り返され、テンポが最高潮になったとき、炎が大きく天まで吹き上げ、渦となって一カ所に固まり、そして巨大な火の鳥となった。

 祈りの声を上げていた観客達が、神殿が震えるような歓声を上げる。私もまた大きく歓声を上げていた。巨大な炎の鳥は、恐ろしく、神秘的で、そして胸を熱くさせる存在だった。何よりも、その神の使いを呼び出したのは、私のいる神殿の魔法使いなのだ。

 私は物心をついたときには、神殿にいた。このお祭りの儀式は毎年見ていたのだが、この5歳の儀式だけ、繰り返し夢に見る。当時の私は難しいことなどまったくわからず、「教団」や「国」など意識していなかったに違いないのだが、それでも、この広場一杯にいる人達が炎の鳥を自らの力だと感じ、恐れ、そして誇りに思っているのがわかった。それが私の心を大きく振るわせたのだ。その日の鳥を呼び出したのは、私がいる神殿の魔法使いだ。私はそのとき、「魔法使いになりたい」と心の底から思った。この想いが、今でも私に夢を見させるのだと思う。


 しかし、そのときは、その後の自分に降りかかることなど、私はまったく知らずにいた。その夜、まだ祭りの喧噪がかすかに聞こえる中、私達はいつもの教団内の食堂にいた。祭りの興奮はまだ冷めやらなかったが、私達はどこか異質な空気を感じていた。いつもは一緒に食事をする他の大人達は姿を見せず、広い食堂に私達20人だけがいた。今思い出してみれば、周りの大人達の様子もおかしかった。もっともあの時の私達はいつもとは違う豪華なお祭りの食事に夢中で、何も気がつかなかった。

 最初に感じたのは腹の中心に生じた「違和感」だった。それは自覚した瞬間、激烈な痛みへと変わった。私は痛み以外のことを考えられなくなった。胃を引き裂くような強烈な痛みはみるみる体全体に広がっていった。

 真っ黒な何かが体の中から自分を染めていくようなイメージ。息をすることも、目を開くこともできず私は体をよじった。頬と頭に一瞬痛みが跳ねたが、次の瞬間体の奥からの痛みにかき消された。顔の痛みは、椅子から落ち、床にぶつけたためだというのを理解したのはずっと後のことだ。私は床に体を押しつけながら、痛みから逃れようとバタバタと足を動かしつづけた。

 そうしているうちに、体の中心から生じた痛みが、変化した。胃を中心に、体が内側からめくり返されるような感触、ゆっくり体が内側から裂けていく。その新しい痛みに私は床に仰向けになり、背をそらせて、四肢を突っ張った。急速に何かがこみ上げてくる。食べ物ではない、“血”だ。体が裂けて、その傷からあふれ出た血が喉を上ってくるのだ。その実感と恐怖が私に目を開けさせた。

「ガハッ」

 口からあふれ出て、顎や顔を塗らす液体。鼻にも入ってきて私は反射的に体を横にして口元をぬぐう。手が視界に入る。

 青い。私の手をぬらす血は、赤くなく、青かった。指先に強い痛み。指の爪が青く変わっていく。驚きとひときわ強い痛みが私を打ちのめした。その痛みに視界がかすれながら、私は変わっていく指の爪から目を離せずにいた。

 体の中心から生じる“青い血”が、自分の体を青く変えていく。自分の体が内側からめくり上げられる感覚。めくり上げられた中心から、何か得体の知れないものがわき上がり、体を青く染めていく。私の意識は現実から遊離し、はっきりした意識を取り戻すこともできず、夢と現の間をさまよいながらもそれでも体の痛みから逃れられずにいた。

 目を開いたと感じても、ものを見ることはできなかった。そして耳からはひっきりなしに“声”が聞こえていた。体の中心から広がる痛みと、外側から押し寄せる声。司祭が話していた地獄の話、世話役の下女が話してくれた怪談、落としてしまった食べ物、いたずらをして怒られたこと、意地悪な友達の顔……もうろうとした意識の中で浮かんでくる全てのイメージが、私を苦しめた。


 突然、私は目覚めた。痛みは全く去ることはなく、体を締め付けていた。痛みに細くなりがちな目を精一杯動かして私は周りを見る。私は自分を苦しめるもう一つの原因「声」の正体を知った。痛みにうめく、自分自身の苦悶の声だったのだ。それは今もとぎれることなく自分の口から漏れだしていた。そして耳に届くその声は私のものだけではないことに気が付いた。

 私は何とか目を開いて頭を回し、周りを見回した。明け方なのだろうか。うっすらと周りの景色が見える。広い部屋にベッドが並べられている、私達のいつもの寝室だ。今はその部屋一杯に声が充満している。20人の同い年の子供全てが、私と同じように痛みにうめいているのだ。20人分のそれは嵐の時の波のうねりのように、部屋全体に響いていた。耳を塞ごうにも、体が動かなかった。

 激しい物音。私の隣のベットからうめき声とは全く違う音が上がった。ものを殴りつけるような音と、きしみを上げる木の音。隣のベッドに寝ていた友人の体がメチャクチャに動き、手足をベッドの枠に叩きつけていた。激しく波打つ毛布の隙間から友人の顔が見えた。私は痛みのために体の向きを変えることもできず、仲間の狂乱を見ていた。彼の頭が大きく振られ、一瞬私と目があった。その目の光が失われていく。彼は目を閉じ、ベットに沈み込んだ。唇から青い血が流れ出し、ベッドにシミを広げていった。

 私は初めて、人が命を失う瞬間を見た。

 ドクン。自分の体の痛みが再び強くなる。体がふくらんで爆発しそうだった。私はこの痛みから逃れるために体を動かしたくなるのを耐えた。この痛みに身を任せたら、自分も彼のようになってしまう。この私の体の中に生じている痛みが彼の命を奪ったのだ。それは、確信だった。私は必死に体に力を入れ、耐えた。やがて周囲が明るくなった。動かすことのできない視界の隅で、他にもいくつかのベッドが激しく動いているのが見えた。いつ私の番が来るのか、私はこの痛みに耐えられなくなってしまうのか、私はそれだけを考え続けた。

 それからどのくらいたっただろうか、靴の音が私を現実に引き戻した。いつの間にか、白いローブを着た二人の男が隣のベットのそばに立っていた。倒れてから初めて見た大人だ。私は助けを求めようと、彼の注意を引こうとした。しかし、私の意志に体は全く反応せず、わずかに口からうめき声が出ただけだった。それでもその小さな声が男の注意を引いたようだった。男が振り返り、私を見た。私は希望を込めて彼と目を合わせた。

 男の目と私の目があったとき。私は動きを止めた。男の目にはすがりつこうする私の希望を消し去る冷たさがあった。彼は絶対に私を助けてくれない。彼の目はそう語っていた。男の目はすぐに私からそらされた。男は私に背を向け、友人の死体に向き直ってから、傍らにいる彼の仲間に話しかけた。

「この子もだめか、片付けよう」

 その声は、私の背に大きなふるえを走らせた。片付ける? なにを? 男達はかがみ込み、死んでしまった友人の体を持ち上げた。力を失った友人の手足が揺れる。通路に白い布を張った担架がいつの間にか置かれていて、男達は友人の体をそこに横たえ、部屋の出口へ向かっていった。その後何度か担架は往復し、友人達の体を運んでいった。それは“片付ける”という言葉をそのままの、淡々とした行為だった。運ばれていく友人の体は、「物」でしかなかった。

 私ももうすぐ青い血を吐き、片付けられてしまう。痛みで体は全く動かず、眠ることもできなかった。何でこんな事になったのか全く分からなかった。気がつくと私は泣いていた。うめき声と嗚咽を漏らしながら、涙とよだれをぬぐうことも、姿勢を変えることもできず、私はただ泣き続けた。


 ……そして私は生き残ったのだった。20人いた友人は5人に減っていた。私達は片付けられず、選ばれた。20あるベッドの主は5人だけになった。2日目には声が出るようになり、4日目には痛みが引き、5日目には起きあがることができた。

 大人達は、友人達を「片付けて」からは我々を優しく扱ってくれた。動けない私達の唇にスープを飲ませ、トイレの世話をしてくれた。私達5人のベットは入口近くに移され、他のベットは片付けられた。清潔なシーツに代えられたベッドに乗せられたとき、生の実感が体を駆けめぐり、私は声を上げて泣いた。

 私達は回復してからもほとんど何も話すことができなかった。衝撃が言葉を失わせていた。ベッドから起きあがることはできても歩くほどには回復できず、生き残った5人の友人達の顔を見るだけで精一杯だった。少しずつ私達は自分の体を認識し始めていた。私達の血は赤さを取り戻していたが、その赤は濁っているように感じた。私達の顔色はいつも青白く、以前のような健康的な血色を取り戻すことはなくなった。そして、爪は青いままだった。

 本当の変化は5日目の夜にやってきた。

「おい、変な声出すの、やめろよ!」

 きっかけは、5人の中の一人の怒りの声からだった。私を含め、4人全員がベットから起きあがった。声を出したのはプテラだ。銀の、葱坊主のようにとがった髪の毛を持つ少年で、何かというと人と張り合おうとするところがある。彼は今、目に怒りをこめて私達を睨んでいた。

 プテラの言葉は私には意味が分からなかった。痛みのためのうめき声はもう出していないし、人と長い時間話せるほどに皆は回復していない。プテラの声もしゃがれていて大きな声ではなかった。私を含めた4人は同じ気持ちらしく、ベッドから身を起こし、顔を見合わせていた。

 しかし、聞こえたのだ。プテラの言葉がきっかけだった。耳を澄ませた私の耳に、声が聞こえ始めた。その声を認識した瞬間、私はそれがずっと聞こえていたことに気がついた。うなり声のような、歯をきしらせる音のような、笑い声のような……私達の部屋の中で、様々な声が聞こえていた。

「うわ、なんだこれ」

「怖い!」

 他のみんなも口々に叫び始める。私達全員が今は声に囲まれていた。プテラは始めて声の主が私達ではないときがついたらしい、他の子供達と同じように周りを見回す。恐怖は伝染し、ふくらみ始めていた。隣のベッドのミロが悲鳴を上げてベットから飛び起きようとして、そのまま床に落ちる。まだ足に力が入らず、立てないのだ。生き残ったたった一人の女の子・ファナが甲高い悲鳴を上げる。

 聞こえる声をどのように言い表せばいいのだろう。声は意味のわかる「言葉」ではなかった。しかし、ただの音ではないのだ。その声には感情が含まれていた。直接私達に怒りや憎しみをぶつけるのではなく、私達の注意を惹くのが目的のような、こちらに対して語りかけてくる声なのだ。その声は決して大きくはなく、しかしとぎれることなく続き、無視できなかった。注意を向けても声の主は見えず、そのことが不安を一層掻き立てる。ミロが床で悲鳴を上げながら耳を塞いでうずくまる。いまや5人の子供達全てがパニックになっていた。

 そのとき、入口のドアが開いた。私達5人は一斉にドアを見た。

 大人が立っていた。今まで見たことのない男の人だ。背の高い痩せた男で、金髪をきっちりとかりそろえている。服はゆったりとしたローブ、神のシンボルをかたどった銀のペンダントが輝いていた。神官だ。男の人は私達5人を見回す。唇と目元に微笑が浮かんでいる。見る者を安心させる、静かな笑みだ。

「大丈夫です、心配することはない。あなた達が聞いている声こそ、あなた達の“力”の源なのです」

 低い落ち着いた声が男の口から出る。男は私達の前で手を前に伸ばし、掌を上に上げる。掌には赤い玉石が乗せられていた。私は男の指の爪を見た。青い。私達と同じだ。

 男目を閉じ、そして声を出した。その声のリズムは知っている。我々が毎日唱えている祈りの言葉だ。“ランタンカの恵みを”しかし男の口から出る言葉は、全く聞き覚えのない“音”だった。聞き慣れたリズムだが、全く違う言葉が男の口から出ていた。

 その声と共に男の掌に乗った玉石が浮かび上がり、次の瞬間火の玉になった。そして炎が徐々に鳥の姿に形を変えていく。それは、小さかったけれども、間違いなく祭りの夜に現れた炎の鳥だった。男の手のひらの上の鳥が私達を見た。

 炎の鳥は、明確な意志を持っていた。『燃やす!』全身でその想いを主張し、飼い主である神官に訴えている。『燃やさせてくれ、炎を広げさせてくれ!』その意志は叫び声となって私には聞こえていた。私は周りを見る。他の子供達もその炎の鳥が発する声と勢いに飲み込まれているのが分かった。

「周りの声が……聞こえない」

 ファナのつぶやき。神官はファナの方を向き、ゆっくりと頷いた。声は聞こえなくなっていた。いや、ちがう。神官が呼びだした炎の鳥が全身で発する叫びが大きくて、私達を取り囲んでいた声をかき消しているのだ。

 私は炎の鳥に思わず見とれる。なんときれいな存在だろう。全身は炎のまま揺らめきながらも、生き物としての存在感と、強さがある。触れるもの全てを燃やしてしまおうという強い意志がそのまま結晶化したような、非現実的な、しかししっかりとした存在感をもつ生き物だった。

 私達は目の前の炎の鳥を見つめた。それは、神殿で見た鳥と、似ているがまったく違う存在だった。祭りの時とは違い、今の私には炎の鳥の「言葉」と「意志」がはっきりとわかるのだ。私達は同じような表情を浮かべて炎の鳥を見ていたに違いない。神官は、私達を見回し、ゆっくりと言った。

「この炎の力が分かりますか? 君たちは、この炎の声を感じることができるでしょう。この炎は、あなた達が祭で見た炎の鳥と本質的には同じものです。しかし、あの時と同じには君たちには見えていない。今君たちはこの炎の“本質”が見えているのです。それこそが、あなた達が開花させた能力です」

 神官は言葉と共に、手を前方に押し出した。その動きのまま、炎の鳥が神官の手を離れ、ゆらゆらと空中を歩く。鳥は私のすぐ近くに近づいてきた。鳥は曖昧な輪郭ながら、しっかりした表情を持っていた。浮かぶ表情はとても人間くさく感じる。近付いてくると、熱い。まさに炎そのものの熱さだ。炎の鳥は、生と、力に満ちあふれていた。私が一番魅入られたのは、その炎の鳥の“従順さ”だった。鳥の動きは神官の意志を反映しているのがその仕草からはっきり分かる。主人である神官の力の前に完全にひれ伏し、従っているのがわかった。それは、神官自身の力の大きさを我々に感じさせてくれた。

 私はそのとき、直感で物事を理解した。何故鳥と神官の関係が分かるのか、あの時私の全身を駆けめぐった青い血が、私の体を作り替えたのだ。私は何かこの世ならぬ力を知る能力を得た。世界は目に見えるだけではない“力”に満ちており、神官はその一部を意のままに操っている。神官と炎の鳥の繋がりもまた私達は知覚することができた。そして、自分たちの中にその能力が備わっていることを突然悟ったのだ。

 私は神官を見る。神官はゆっくりと、力強く頷いた。

 この神官のようになりたい。力のある存在を、意のままに従えたい。友人の死、動かない体、体の痛み……その瞬間だけ、私は全てを忘れて神官に憧れを抱いた。神官は炎を手に、静かな口調で私達に語りかけた。

「私の名はエイヴァン。君たち5人の教師です。生き残った君たちは、魔法使いたる資格を得た。神の使いとして、教団の未来のために私と共に学び、その力を磨くのです」

 これがエイヴァン先生との初めての出会いだった。そして、私達の、魔法使いを目指すための生活の始まりだった。


2


 神人が使っていたという言葉、いわゆる「神人語」は細かい物事を伝えるのではなく、自分の中の想いを伝えるものだった。音としては喉を痛めるような無理なものをだす、私達の言語とは違い明確な語彙はなく、音に自分の中の“想い”をこめる。そのため、発音は同じでも伝えるものは全く変わる。私達魔法使いのような、「感応者」でなくては正確な言葉を発することも、受け取ることもできない。

 感情やその人の主張など、言葉に力を感じるのは、その言葉の中に“想い”があるからだ。普通の人間でも想いを感応することはできる。世界は想いに充ち満ちている。神人達が使った言葉を使わずとも、我々の心は常に声を発している。それはいつもはとりとめがなく、内に閉じているものだが、相手に強い影響を及ぼす。

 神人達の使う言葉は、この「想い」を収束させる。発する声を聞く者に対して明確にイメージを浮かべ上がらせる。発音は、訓練さえ積めば自然に心に浮かんでくる。しかし、想いの制御がきちんとできていなければ、声は不明瞭に、散漫になる。

 私達5人が最初に習った「魔法」は、想いを声に出し、相手に伝えるこの神人語だった。最初は単純な感情の表現。怒りや悲しみを心の中に思い浮かべ、言葉として発する。受け手は発信者の表情や仕草に惑わされないように目隠しをする。

 声を聞いたとき、最初に浮かんできたイメージは「色」だった。発信者は1つの想い、メッセージを声に乗せて相手にぶつける。その声に合わせて、はっきりと脳裏に色が浮かぶのだ。しかし、言葉として、メッセージとしては届いてこなかった。

 「色しか見えない」といった私に、エイヴァン先生はアドバイスをくれた。

「その色は、相手の想いが収束している。君たちはまだ発信する方も慣れていない。発信者はもっと単純なメッセージを送るのだ。想いをもっととぎすまし、シンプルに。そして受け手は発信者が自分をどう思っているかも気にかける。相手の想いが、そのメッセージを解くキーワードになる」

 ファナを相手にしているときだった。彼女の声と共に、脳裏にはっきりとイメージが浮かんできた。「椅子だ」私は見たままの映像を口にした。「肘掛けがついて、地面につく部分が湾曲している、揺り椅子」。私の言葉に、ファナは笑顔を浮かべた。「当たり」。

「ファナ、もう一回同じ言葉を伝えてよ。もっと正確に分かるかもしれない」

 私はうれしくなって彼女に頼んだ。

 彼女の言葉と共に、再び椅子が脳裏に現れた。それと共に、暖かな、体を抱く感覚、強く切ない感情が胸になだれ込んできた。私は驚いて目隠しを外した。彼女は泣いていた。

「ファナ?」

 ファナは小さく微笑んだ。その目には涙が一杯貯まっていた。

「私のたった一つの“お母さん”の記憶なの」

「お母さん?」

 私は自分の声を遠く聞いた。私には自分の両親の記憶が全くない。私の記憶はこのランタンカ神殿の施設からはじまっている。

「私はその椅子で揺られながら、お母さんに抱かれているのがとても好きだった。それだけは覚えているの。でも、私の心に浮かべることができるのは椅子だけ。椅子はそんなにはっきりと覚えているのに、抱いてもらったお母さん自身も、お父さんも、住んでいた家の記憶も全然ないの」

 ファナは顔を覆って泣き始めた。エイヴァン先生がかけより、彼女の顔をのぞき込む。先生が彼女の肩を抱くと、ファナは先生に抱きつき、大きく声を上げて泣いた。私と3人の仲間はファナの周りに立つ事しかできなかった。

 ファナは私より半年ほど前に生まれた。私達が両親から離されたのは、私が2歳のころだったという。私はファナが伝えてきた椅子の記憶と、それとともに伝わってきたファナの気持ちを反芻していた。私には全くない両親の記憶。この椅子のイメージが強固なのは、彼女がこの椅子の記憶を足がかりに、何度も何度も両親のことを想いだそうとしたからだ。そのことが、今、はっきり分かった。神人達が使っていたこの言葉は、ファナの想いそのものを伝える力があるのだ。


 神人語は声で発するものではなく、心のイメージを相手や、世界そのものに押し出す力がある。そして受け取る相手に言葉以上の影響を与える。それを知ったのが、プテラとの訓練の時だ。

 私は、自身のペンダントのイメージを相手に送った。銀で作られていて、丸い縁の中に放射状に伸びる4本の矢をデザインした、ランタンカ神のシンボルをかたどった銀のペンダントだ。魔法使いの訓練を始めるときにエイヴァン先生から渡され、皆の首に掛かっている。私は特にこのペンダントがお気に入りだった。エイヴァン先生がつけているものと同じものであり、ランタンカ神の印であり、自分が魔法使いであることの証(一般の神官は真鍮製の金色のものをつけていた)。……死んでしまった15人の仲間達はつけられなかったものだ。

 私は常にこのペンダントを身につけ、何かと指でいじり、暇なときは布で磨くのがクセになっていた。手触り、形、布で磨いたときの感触、日光を受けたときの銀色の輝き……私が神人語で語るペンダントのイメージは、他と比べて相手に伝えやすく、それは私の自慢になっていた。

 私のイメージを受け取った後、目隠しを取ったプテラは私に笑みを浮かべた。探るようなどこか暗い笑い。私はプテラに苦手意識を持っていた。プテラは5人の中で一番巧みに神人語を操った。しかし、不気味なものや、恐ろしいものをイメージし、私達が顔をしかめるのを喜ぶ嫌なところがあった。

「次は俺だな、ゼムル、目隠しをしろよ」

「うん」

 目隠しをして、意識を集中させる。目で見るのではなく、心と頭で暗闇を見つめることを意識する。プテラの発する声と共にイメージが浮かび上がるはずだ。私はその瞬間を待った。

 プテラの声。その瞬間、私の中にイメージが浮かび上がった。

 粉々に砕ける私のペンダントだ。間違いなく私のものだと分かる。何故ならば、さっき送った私のイメージをそのまま使っているからだ。ペンダントが象徴する私の誇り、思い入れ、私が込めた気持ちをきちんと再現した上で、悪意を持ってそれを破壊している。その映像はそのまま、私の心に鋭い痛みを与えた。

 私は目隠しをはぎ取った。にやにや笑うプテラの顔が見えた。私は怒りで目の前が暗くなるのを感じた。なんとしても復讐する、私の心はその想いで一杯になった。

 私はつかみかからなかった。その代わりに、神人語をプテラに叫んだ。私の拳がプテラの顔に当たり、醜く引き歪むプテラの顔のイメージを強く想い、大きな声で叩きつけた。

 プテラの目が大きく見開かれた。呆然とした驚きの表情が、次の瞬間憎悪に歪んだ。私はプテラに両肩をつかまれ、床に押し倒された。もがく私の上にプテラは馬乗りになり、膝で私の両腕を押さえつけた。プテラの力をはね除けることができない。私は声を上げながら首を振った。プテラは私の顔を押さえ、憎々しげに言う。

「チビのゼムルが、俺を殴れると思ってるのかよ。え? お前が叩きつけてきたあのイメージみたいに、俺が殴れるのかよ?」

 プテラの嘲りの声。それと共に頬を叩かれた。頬にしびれたような痛み。屈辱が私に声を上げさせ、私はプテラの体の下でメチャクチャにもがいた。しかし、プテラの膝から自分の腕を引き抜くことができなかった。上を向いた私の正面に、プテラの顔があった。『腕が動いたら、絶対にお前の顔を殴ってやる』。私は憎悪をプテラに叩きつけた。その時私の口からもう一度神人語の叫びが出た。発音や、喉の調子など全く意識しなかった。頭に浮かんだ声をそのまま喉から迸らせていた。

 私は見た。

 目の前のプテラの顔が私が頭の中で浮かべたイメージそのままにひしゃげ、首がねじ曲げられた。そのまま首を引っ張られるかのようにプテラの体は吹っ飛び、床にたたきつけられた。

 私は半身を起こす。プテラは起きあがり、私を見ていた。プテラの口の端が切れ、血が流れているのが見えた。プテラの目の中に一瞬はっきりと怯えの光が浮かんだのを私は見た。

「なにをしている」

 厳しいエイヴァン先生の声と共に、先生は私とプテラの間に立ちはだかる。私はゆっくり体を起こす。ファナとミロが駆け寄ってくる。エイヴァン先生はプテラの方にかがみ込んでいた。

「何でもありません」

 プテラの声が聞こえた。エイヴァン先生の背中越しに、プテラの顔が見えた。頬が赤くふくれている。私は自分の手を急に痛みを感じた。右の拳を見る。右手が何かにぶつかったように赤くなり、じんじんと痛い。

 私はさっきの状況を反芻する。この右手の痛みは、私がプテラの膝から腕を引き抜いて、彼を殴ったのだろうか? この右手の状況は、私が自覚せず、彼を殴ったから生まれたのだろうか。

 私は喉も激しい痛みを発していることに気がついた。喉が痛い。神人語を習いたてのころのように喉が痛んだ。その喉の痛みが先ほどの状況に確信を生んだ。この痛みは、これまで以上に“正確”に神人語を発したからだ。私が発した神人語が、イメージ通りに、私とプテラ両方の体に影響を与えたのだ。

 その日、私とプテラは授業が終わった後、聖句を唱える居残りをさせられ、神人語をいたずらに使ったことを怒られ、最後は無理矢理握手させられた。プテラはずっと仏頂面で、私と目を合わせなかった。

「ゼムル、神人語は力のある言葉で、それは聞く者の体にも影響を及ぼす。神人達は言葉だけで私達を動かし、獣さえも意のままに操ったという。私達の体は、神人語を発声するだけでなく、受け取ることも常人に比べて鋭敏になっている。だかららこそ正しい使い方を学ばなくてはいけない。プテラ、君にも言えることだが、君たちは悪意を及ぼすために神人語を使うべきではない。人間に対して影響を及ぼすためなら、体を鍛えたり、相手の不意をついたり、もっと現実的なことはたくさんある。神人語は、それを越えた力を発揮するために学ぶ、より大きな力への基礎なのだ」。

 エイヴァン先生はそういって、私達を部屋に帰した。


3


 神人語の意味、私達が想いを集中させ、影響を与えるまでに昇華させる理由は、この言葉を使って、「異界」の存在とコミュニケーションをとるためだ。異界、私達魔法使いが感じ、見ることができるこの世界とは違う世界。私達の文明はこの世界の正確な概念を説明することはできない。しかし、紛れもなくそれは“ある”のだ。

 世界の成り立ちを学び、神話を学び、薬品学の基礎を学び、そして神人語を学んで2年、我々は精霊との“交信”を試みることとなった。

 私達が向かったのは大聖堂の隣にある“炎”の保管所である。そこには毎日神殿のあらゆる場所に灯される蝋燭やたいまつ、食事の種火に至るまで、ランタンカ神殿に使われるあらゆる火の元となる“ランタンカ神の炎”がある。

 このランタンカ神の炎は多くの人間によって維持されている神聖なものだ。充分な換気ができる煙突などの部屋の設計、くべられる薪は聖なる山の特別な場所で育成されるナラを加工したものだ。神殿では炎を管理する専門の担当者がいて、けっして炎を消すことは許されない。この炎を燃やし続ける役割は、年若い神官見習達が担当する。彼らは交代で決められた時間に薪を足していく。この作業は非常に厳格で、神官見習達は過度なほどの責任感を負わされる。そして、この務めを通じて、自分が神殿の一員であること、神殿を維持していくシステムの大切さ、重要さを学ぶのである。

 私達が部屋に入ったとき、ちょうど見習達が炎をたいまつに移し、神殿各所に届けるところだった。私達と年が変わらない少年が二人。たいまつを掲げながら私達を見つめ、部屋から出るまで私達にちらちらと視線を送っていた。生き残ったあの5歳のころから、私達は普段はほとんど他の人との接触をさせられずに、魔法に関する事柄だけを学んでいる。たまに外に出れば、子供から大人まで私達に奇異の目を注ぐ。私達はことあるごとに自分たちが特別な存在であることを教えられていた。

 中央で燃えさかる神の炎で部屋全体が照らされている。煙突以外にも空気を取り入れる窓が目立たぬようにつけられていて、炎の大きさの割に熱はこもっていないが、それでも部屋の中は暑い。

 部屋に入った瞬間、私達は凄まじい“声”に囲まれた。私は何とか耐えたが、ミロは思わずうずくまってしまっていた。他の3人も、私と同じように萎えそうになる足を踏ん張って必死に立っている。

“燃えろ”

“炎を絶やすな”

“もっともっと激しく燃えろ”

 私達の様子を見て、エイヴァン先生は小さく笑う。私達が聞く“声”は、この部屋のこもった思いが生み出すものだ。先生の声はそれとは全く別に、静かに、しかしはっきりと私達の耳に届く。

「そうだ、この凄まじい声こそが、人の想いが生み出すものだ。神殿の聖なる炎、昔より我ら神官達によって守られ、受け継がれた炎。この炎を守るために、この部屋に入るすべての人が思うのだ。『炎よ消えるな、燃えろ』と。このシステム、慣習を作ったのは、まさにそこにある。聖なる炎を作るため以上のこの部屋の目的、それは、人の想いを炎に集中させるためにこそあるのだ」

 私達の顔を見ながら先生は言葉を続ける。

「人の想いこそが、異界の存在を呼ぶ。私達魔法使いはその異界の存在を呼び出し、現世に力を呼び出す存在をこの世に生み出す。それこそが神人が持つ力だ。君たちの青い爪こそが、神人に近い体に生まれ変わった証。君たちは、神人のみが使えた“魔法”を使いこなす資格を得た。そして今日まで、方法を学び、力を研磨してきた。今こそ、その資格を持つことを証明するのだ。さあ、儀式を始めよう。この想いによって集まってきた異界の存在を、“火の精霊”として、この世界に呼び出すのだ」

 私の背にふるえが走る。仲間達が死んでしまった理由、それは魔法使いを生み出すためにある。私達は彼らのためにこそ、魔法使いにならねばならない。

 何度も訓練した通りに、私達は魔法陣を描く。ルーン文字が絡まり合うような複雑な模様を5人で手分けして白墨を使って床に描いていく。「火の精霊よ、現れよ」神人語でその言葉だけをつぶやき、思いを1つにして刻み込むように描いていく。

 この部屋には想いが充満している。炎を燃やし続ける気持ち、消えることを恐れる気持ち。想いの1つ1つに目を向ければ、その仕事に対する嫌悪や喜び、倦怠など様々な“個性”が見えるが、それらは激しい「炎よ燃えろ」という共通の想いにかき消される。私達が唱える神人語のつぶやきにその思いが反応しているのが分かる。私の耳には今や部屋全体が私と同じ言葉を発しているように感じられる。それはつぶやきではなく、叫びそのものだった。

 魔法陣を描き終わると、エイヴァン先生は懐から小さな瓶と、貝殻を使った容器を取り出す。瓶の中には私達がいつも寝る前に飲む青い薬、あの仲間達の命を奪い、私達の体を魔法使いに変えた薬が入っている。貝殻の容器の中には白い軟膏が入っている。精神を肉体から分離させる働きのある麻薬だ。

 私達は先生から瓶を受け取り、青い薬を一口だけ口に含む。白い薬は唇に薄く塗りつけ、舌でなめる。甘い。体が熱くなり、頭がぼうっとする。白い薬は酩酊状態を生みだし、体の感覚を鈍化させる代わりに、精神を鋭敏化させる。始めてなめたときは、頭が痛くなりその場でもどしてしまった。その後何度か白い薬に対する訓練をしている。

 私達は魔法陣を前に手を繋ぐ。エイヴァン先生も含めた6人で円を作って、魔法陣を取り囲む。魔法陣の中心には炎を示すルーンが大きく描かれている。そこにエイヴァン先生は小枝を積み上げ、燃えさかる聖火から炎を移す。

 私達は円を作ってから、声を揃えて「火の精霊よ、現れよ」と、神人語を唱える。訓練したように一定のリズムで。薬を飲んだ私の耳には、その声はまるで水の中にいるかのように響く。唱え続ける私達の声に混じって、エイヴァン先生の声が聞こえる。

「君たちの心は、広がっていく。自分たちの肉体を離れ、大きく、この部屋一杯に。そして全身でこの部屋に込められた幾人もの想いを知るだろう。その想いは個性を持っている。一人一人の思考は違うものだ。しかし今はその細かい思いに囚われず、『炎よ絶えるな』という想いにのみ耳を傾け、自分の心を同調させるのだ。『火の精霊よ、現れよ』という君たちの声は、この部屋に充満する想いと根本は同じものだ。やがてこの部屋から聞こえる声は、君たちの声と全く同一なものとなり、部屋の想いは1つに結びつく」

 先生の声に導かれ、私達の声は一段大きくなる。

“燃えろ”

“炎を絶やすな”

“もっともっと激しく燃えろ”

 部屋の思いは私達の声と混じり合いうねりとなって私達の体を包む。やがて部屋の想いも私達の声も、炎の精霊を呼ぶ1つの声に解け合う。その声は私の体をしびれさせるほどに強い。いや、部屋全体が声で揺れているのだろうか、私にはもう分からない。エイヴァン先生の声だけが響く。

「空間が、世界が揺れているだろう。それはこの世界と異なる世界をのぞき込んでいる感覚だ。もっと声を上げろ、想いを純化させろ。君たちの思いに答える者の存在が分かるはずだ。『燃えろ』という想いが結晶化したような存在。君たちの今の心と同じベクトルを持つ存在だ。彼らは多くの人の想いが集うこの空間に惹かれ、集まってきている。君たちの思いに応えやすい存在だ。手をさしのべ、彼らを呼ぶのだ」

 “燃えろ”一つの想いに心も体も溶けたとき、何か異物が混じっていることに私は気がつく。心の奥底に何かがいる。私は背筋をふるわせる。これは、何だ?

 燃えろ、という思いは同じだ。しかし、違う。声が違う、思考が違う、言葉が違う、思いを同じにしながらも、私達と違う存在が私達の声に応えて近付いてきている。私はそのこの世とは違う何かの存在をはっきりと知覚する。

 その存在は、私達を怯え続けさせていたものだ。眠りに落ちようとする寸前、ふと気がゆるんだとき、何かがいると感じて心をとぎすまさせたとき、その存在は気配の断片だけを私達の近くに届けさせる。その異質さ、力の感覚は私達の心を震え上がらせた。

 その存在が、今までとは比べものにならないほど近くにいる。私の知覚はその存在を認識していた。私の右前方、輪になっているミロの後ろだ。皆は声を出しながらミロの後ろにちらちらと視点を送る。ミロは汗をかき、目をしっかりとつぶりながら声を出し続けている。背中はぴんと張って、背後にいる存在から逃げ出しそうな自分を必死に抑えているのが分かる。

 目を向けても私達はその存在を見ることができない。しかし心が感じるのだ。そこに何かがいることを。私達の声に応え、「燃える」という思いを発しながら、ミロの背後にうずくまっている。

「炎の精霊が私達の声に応え、近付いてきたぞ。やがてその存在は私達の周りを回り始めるぞ!」

 エイヴァン先生の声がきっかけのように、その存在が動き始めた。ミロからファナの後ろ、そしてプテラへ、ゆっくりとゆっくりとその存在が動いていく。やがて私の後ろに。私は思わず背中を弓なりに反らせてしまう。熱だ。熱さを感じる。服を通さず、背骨に直接熱いものを押しつけられた感覚。その存在は私の後ろを通り過ぎた。やがて存在は回転するスピードを速め、ぐるぐると私達の周りを回る。

「炎の精霊は、火をまとう小人のような姿だ。教科書の絵を思い出せ。小さな甲高い声で笑う、無邪気な妖精だ。君たちの周囲を回るその存在に、現世での姿を与えるのだ!」

 気がつくとその存在は私達の輪の内側を回っている。いつの間に私達の体を通り抜けたのだろうか。徐々に、回転しながらその存在は中心の炎に近付いていく。

 ゴオッ

 炎が薪をくべてもいないのに火勢を強くする。それは呼吸しているかのように断続的に火勢を強くする。

「炎の小人、火の精霊、今こそ現世に姿を現せ。さあ子供達、魔法陣の中心の炎を見ろ。そこを出口に、精霊が飛び出すぞ!」

 エイヴァン先生の声に導かれて、私達は一斉に炎を見る。

 赤々と燃える炎。放射される熱が私達の顔に吹きつける。ひっきりなしに揺らめく光。その向こうに炎に照らされた神殿の壁が見える。

「引き寄せられる!」

 プテラの声が引き金になって私は実際に炎が私を吸い込むような力を感じる。私は足を踏みしめその力に対抗する。炎と私達の中間に渦ができているのを私は見る。その渦は炎を引き寄せ、中心から出てくる何かと結合する。見る間にその渦は火の玉となり、私達に向かってまっすぐに進んでくる。

「うわっ」

 私達は口々に驚きの声を上げる。炎の玉は私達にぶつかる寸前向きを変え、私達の周囲を高速で飛び回る。火の玉は周りながら徐々に四肢を備えた炎の精霊の形を作る。

 小さな、人の頭くらいの大きさの炎の小人だ。わら人形のように曖昧な、人の形を模した炎。しかしその小さな姿にもかかわらずその存在から感じられる力は圧倒的で、魅力的だった。私達が見ている中で炎の精霊はくるくると向きを変え、宙を飛び回る。彼が私達を見ていることがはっきりと感じられる。

 エイヴァン先生はつぶやくような小さな声で言葉を続ける。

「神人語を唱え続けろ。君達の想いがこの存在をこの世界に固着している。その時間は短い。ゼムル、火の精霊に神人語で呼びかけろ。宙を飛び、神の炎に近付かせ、戻ってくるように頼むのだ。そっと、自分の願いを叶えてくれるように、願うんだ」

 私は、じっと火の精霊を見つめる。周囲を見回していた炎の精がこちらを向く。顔のすぐ近くに炎を近づけられたような熱波が届く。目を反らそうとする体の感覚を無理矢理押さえつける。

「火の精霊よ、飛べ!」

 エイヴァン先生の命じた精霊の動きを心にはっきりと浮かべ、神人語で語りかける。

 ゆらゆらと飛んでいた炎の精霊が、動く。その瞬間、私の心の一部が火の精霊と繋がったのを感じる。私は精霊の心を神の火に向け、そちらに移動するように自分の体を動かすような感覚で念じる。

 自分の視界と二重写しになって、火の精霊の見ているものが“見える”。精霊の心が自分の心に響いてくるのを感じる。神の炎に向かい、戻って来るという私の心に浮かんだ思いは、徐々に薄れてくる。そんなことよりも、「燃やしたい」と私は強く思っていた。このまま外に出て、燃やしたい、すべてのものに火をつけたい。熱く、激しい炎で世界を染めてみたい。そうすれば自分の力はもっともっと大きくなる……。心のどこかが警告を発している。これは私の想いではない。しかし、その燃やしたい、自分の力を解き放したいという思いは強烈で、甘美だった。

「ゼムル!」

 先生の言葉が強く私の鼓膜を叩き、先生の手が私の肩を揺すった瞬間、私は自分の体を意識する。精霊と繋がっていた意識が急に自分の体に戻された感覚。高揚を覚えていた意識は跡形もなく消え、私は心を切り離されるような痛みを感じ床にうずくまってしまう。

「火の精霊が、消える!」

 プテラの悲鳴のような声。火の精霊が身をよじり、空中でもがいている。そのままくるくると回り、その炎は小さくなって、かき消すように消えた。私の心に激しい喪失感がわき上がる。半身を失ってしまったような痛みに、私はへたり込む。体の力が抜けて、立ち上がれない。私の心は一瞬、確かに火の精霊と繋がった。その燃やすことへの渇望、炎を広げたいという気持ち、そしてえもいわれぬ開放感。わずかな時の間に、私の中に充満していた凄まじいエネルギーは今やなくなってしまった。しかし、炎の精霊と確かに心を通わせたその記憶だけはしっかりと残った。

 エイヴァン先生は私に手をさしのべる。私はその手を握り、立った。まだ足に力が入りきらず、少し震えている。

 エイヴァン先生は私をのぞき込んでから、皆に振り返り、言った。

「精霊との交信は、自分の心を失わせる危険が常にある。気をつけなくてはいけないのは、自分が確かにいて、精霊と別な存在であることを常に意識することだ。そうでなくては、精霊を御することはできない。同化したがる心をどうやって抑えるか、君たちはこの部屋でそれを学んでいくのだ。今は皆の力を合わせなくてはいけないが、いずれは、一人でやらなくてはならない。また、この部屋のように想いが凝固されている部屋以外でも精霊を呼び出せるようにならなくてはならない。少しずつ、焦らず、学んでいこう。私達はそのためにこそ、神に、神殿に生かされているのだ。自らの使命を果たすため、努力していこう」。


 私達はその後も何度もこの部屋で精霊を呼びだし、少しずつ交信の方法を学んでいった。精霊の存在を身近に感じ、どのように語りかけるか、命じればいいか、少しずつ、少しずつ精霊の呼び出し方を学び、心を平静に保つ方法を模索していった。私はペンダントを握りしめ、その形を思い描き、その冷たい金属の感触を核として心を保つ方法を見出していった。皆それぞれの方法を見つけていった。


 生き残った私達5人の中で、これまで名前を出していなかった最後の一人のことを語ろう。彼の名はラヒル。縮れた金髪を持つ、ひっそりとした少年だった。彼はこの段階で脱落した。彼は生き残り、力の兆しを見せたものの、一人では精霊を呼びだすことができず、彼らと繋がることもできなかった。ラヒルは私達の元を離れ、首都を去り地方の支部で神官見習いとして1から修行することとなった。

 ラヒルが去っていく日、私達4人とエイヴァン先生は神殿の入口で彼を見送った。外套をまとい、地方の神官に連れられていくラヒルの姿は小さく見えた。

 彼の姿を見送っているとき、私は急に腹に痛みを覚えた。足が萎え、そのままずるずるとへたり込んでしまう。ミロとファナが私の体を支えてくれるのを感じたが、私は胃を押さえることしかできなかった。胃は、5歳の時に感じた裂けるような痛みを発していた。かすみそうな目に映るラヒルの姿に重なって、私は口や鼻から青い血を流して動かなくなった友人達の顔を見ていた。

「ゼムル?」

 ミロが私の体を揺するが、私は胃を押さえることしかできない。

 ラヒルは、「片付けられる」のだ。どこともしれない場所に連れ去られ、もう会うことはない。その想像が私に純粋な恐怖をもたらし、体の中の力を吸い取っていく。死んでしまった15人の友人達、そしてまた一人がいなくなってしまった。私も捨てられるかもしれない。どこともしれない場所へ片付けられてしまう。それは心を大きくふるわせる恐怖だった。私は胃を押さえていた手を離し、胸元のペンダントを握りしめる。その金属の感触がわずかだが腹の痛みを和らげてくれた。

 足に力が入るようになって、私はミロとファナに礼を言い、何とか両足で立つ。顔をのぞき込む先生に無理に笑顔を向ける。私は魔法使いになる。片付けられないためには、魔法の力を高めて、エイヴァン先生のようにならなくてはならない。小さくなっていくラヒルの姿をもう一度だけ見て、私は心の中で自分の決意を繰り返した。


4


 私達は13歳になると「学校」へ通わされた。私達の住む街は国の王都であり、王城を中心とした上層、神殿や市場、商人の住まいなどがある中層、そして多くの人々が住む下層の3つにわかれている。首都には街道だけでなく港もあり商業が盛んで、また国の力を支えている教団の中心である神殿もあるため、巡礼者も多い。街の下層と中層は城壁で遮られていて、城門を通じなくては行き来することができない。

 神殿の位置は街の東にある。城壁を跨ぐように作られていて、下層に位置するところには大きな広場があり、巡礼や貧民達はここで祈りを捧げる。広場では月に一度、司教の祈りがささげられる。このときは広場は多くの人々でごった返す。

 私達魔法使いは中層地域とも離れた、神殿の奥、東の丘に作られた場所で世間とは隔絶された場所で生活をしている。ランタンカ神殿は人々に門戸を大きく広げる場所がある一方で私達すら行ったことのない秘密の場所も多く持っている。

 城へと続く街の上層へ入るための門は中層と下層を分ける門に比べるとそれほど小さいが、兵士達の見張りも多く威圧的な雰囲気がある。私達4人は週に3日、この門をくぐり学校へ通うようになった。

 読み書きや簡単な算数を教える学校なら中層にもあるが、私達が通う学校は、この国に1つしかない「王立上級学校」だ。この学校は通常の学校の課程を終えた者が学ぶ場所で、貴族や上級商人の子弟が通う。ここでは神話学や歴史学、天文学など様々な学問を学ぶことができる。基本的に生徒は寮で生活しており、地方の貴族や周辺の国からの留学生もいる。

 そんな学校にとって、様々な意味で私達は“異物”だった。学校の生徒は6歳から多くの者が寮に入れられ、生活をしている。私達のように途中から入ってくる者はそれほど多くなかった。学校の生徒は制服を着せられているが、私達は神官のローブをまとっているためよく目立ってしまう。そしてなにより「魔法使い」という存在は子供にとって激しく興味を惹かれる存在だ。私達はどこでも全校生徒の好奇の視線を浴びた。

 特に周囲の目を感じる場所が、私達の「手」である。私達の爪は青い。それはあの毒の試練を越え、生き残った者達に押される刻印であり、神人に近い証だ。授業中でも隣や後ろの生徒、時には振り返ってまでまじまじと私達を見つめる生徒が多かった。私の顔を少し見た後、はっきりと私の手に視線を集中させるのだ。時には教師達までが同じように私の手を見つめた。私は外を歩くときはローブの中に手を入れて歩くようになった。

 そもそも、この学校通いは考えるほど奇妙だった。私達が暮らす神殿にも教育機関がある。エイヴァン先生がほとんどの基礎を教えてくれるが、一般の神官見習達と混じってそこで神学の基礎や読み書きなどを習った。神学、歴史学、そして医学に関しては王立上級学校以上の専門教育機関がある。神殿で研究を続ける学者の中には「神殿からほとんど出たことがない」ということを誇りにする者までいるのだ。普段は一般の神官からも離され、魔法を学ぶ私達が何故、外の学校に通わなくてはならないのだろうか。

 私と同じように、他の3人も最初はこの学校になじめなかった。それでも、一ヶ月ほどするとクラスの他の生徒達と挨拶ができるようになり、少しずつ話ができるようになっていった。特にファナはいち早くクラスにとけ込んだように思えた。私達4人は生活はいつも一緒で兄弟のように育ったが、一人だけ女の子だったファナは同性の知り合いがたくさんできたのがうれしいようだった。

 学校では硬い笑顔と少ない言葉で受け答えだけをするファナだったが、一緒に帰る時や夕食後の時間などに、顔を紅潮させて知り合えた女の子の話をした。特にエイヴァン先生の前で彼女は饒舌だった。知り合えた女の子からブローチをもらったこと、お返しには何が良いか選ぶために、ファナはエイヴァン先生に市場に連れてっていってもらうことを約束させたりした。ファナがクラスの女の子達に受け入れられていくのと同じように、私達も少しずつクラスになじむようになっていった。

 何がきっかけだったろうか、ある日のこと、私とファナは「妖精と話ができるのは本当か」という話題で数人の生徒達と話をしていた。私達は人の想いがこもる場所や、自然の特定の場所では異世界の存在の「声」が聞こえるが、普通の人間にはそれはわからない。私達が他の人には無い感覚を持っているというのは、神殿での他の神官見習いや、使用人達と暮らしている中で学んだことだ。それは、いくら話してもその感覚を持っている者以外ではわからない。ファナは自分の経験を言葉にしようとしていたが、周りから「こうではないか」とずれることばかりを言われて、困惑しながら私を見た。皆が私を見る。ちょっと得意な気持ちになりながら言葉を考える。

 その時だ

「魔法なんて、ただの手品、目くらましだろ。そんな力、嘘っぱちさ」

 貴族の息子、といつも自慢話をしている奴だ。先祖伝来の品、ということで学校に特別許可された金の腕輪を指でいつも触っているのが彼の癖だ。貴族の息子にはいつも数人の取り巻きがいて、彼らはニヤニヤと薄笑いを浮かべながらこっちを見ている。

「魔法使いというなら、空を飛んで見せろよ。机を豚に変えて見せろ。神官のローブと、青い爪でだまそうとしてるが、お前ら毎日歩いてここまでやってくるじゃないか。市場でものを買ってくる使用人みたいに、門を通ってさ!」

 私の周りの生徒達が小さく不満の声を上げるが、貴族の息子が挑むように視線を向けると沈黙してしまう。貴族の息子は体格も良く、常に親の権力を自慢している。私達のいるクラスではボスのような存在だ。私達が入学以来、注目を浴びる私達が気に入らないのか、睨んだり、私達を押しのけるように歩いたりと、小さな嫌がらせをしてくる。私達はそれを極力無視していた。

 彼らが目をつけたのがミロだった。ミロは私達4人の中で一番背が高くなっていたが、優しく、気が弱くてあまり自分から話をするタイプではなかった。ミロには「上代語」に独特のイントネーションをつけてしまう癖があった。上代語とは神人達が文章を記すときに使っていた言語で、私達の文明圏の人間が話す「共通語」の祖先に当たる。私達教団に所属する人間や王族の法典、上級商人達の取り決めなどはこの上代語で書かれており、知識人達の教養を示す言葉として使われていた。

 私達魔法使いは神人語と共にこの上代語も習っていた。授業中ミロのイントネーションが変なのは気がついていたが、エィヴァン先生はミロに直すことを強制しなかった。

「私達魔法使いにとって、言葉の細かい発音などは重要なものじゃない。上代語は僕たちにとって説明をする言葉にすぎない。必要なのは神人語で“想い”をどれだけ伝えるかだ。神人語は想いを異世界に共鳴させるための言葉であって、なぜその力が欲しいのか、どんな存在を呼び寄せたいのか、具体的な細かい表現は上代語を使う。しかし繰り返すが上代語は発音や語彙が正確である必要はない、上代語を使って、想いを練り上げ、異世界の存在へ語りかける、その神人語の一言こそが重要なんだ」

 学校の教師はエィヴァン先生と全く逆のスタンスだった。ミロの発音を何度もチェックし、時には1人で教壇に立たせて詩の一文を朗読させ、直させた。間違うとクラス中の生徒が笑い、上代語の教師はミロの口まねをしてミスを強調した。発音に癖があったが、本来、ミロは詩を作るのも朗読も上手かった。ミロは体全体を使って地にしみこむような響く声で歌い上げるのが得意だったが、何度も注意を受ける内にミロの声は小さくなり、朗読に楽しそうな様子はなくなり、自分の声を疑うような感じにさえなってしまった。貴族の息子達は何かあるとミロの口まねをするようになった。

 ミロの「補習」をしようと言い出したのは、意外にもプテラだった。彼はいつも自分の優位性をミロや私達に誇示する所があったが、ミロがからかわれていることに一番腹を立て、彼をかばうことに積極的だった。「学校」で私が一番驚かされたことかもしれない。私達は教団で夕食が終わってから1時間、ミロと共に上代語のイントネーションを直す練習をした。意外だったが、プテラは厳しいながらなかなか教えるのが上手かった。

 しかし、貴族の息子達はミロの発音ではなく、私達の存在そのものが気に入らないのだ。その事件は、体育の時間の後に起こった。私達魔法使いは、体を動かすことが苦手だ。4人の中では一番体格のいいプテラでも長い時間走ったり、球技などのスポーツに参加できる体力はない。それは青い爪を持つ体になった私達が支払った代償の1つだ。私達は他の生徒が運動しているのを座って眺めることしかできなかった。

 革張りのボールを奪い合うというスポーツの時間、これは男子のみのスポーツで、女子は運動場の少し離れた場所で体操をしていた。貴族の息子達は、ミスを装って私達の方にボールを蹴ってきた。座っていた私達は慌てて体を縮ませた。ボールは当たらなかったが私達の姿を見て、貴族の息子達が大きな笑い声を上げた。教師が駆け寄ってきて、私達の無事を確認すると、貴族の息子達に向かって「気をつけろ」と怒鳴った。貴族の息子達は「すいません」と頭を下げたがその目は笑ったままだった。

 私は彼らに対して目の前が暗くなるような怒りを覚えた。しかし、先に立ち上がったのはミロだった。

「な、何をするんだ!」

 拳を握って、大声でミロが叫んだ。その声には本物の怒りがあった。その声は聞いた者をはっとさせる強さがあった。私は自分の怒りを忘れるほど驚いた。ミロがこんなに声を荒げたのを聞くのは初めてだ。貴族の息子達も驚いた顔をしたが、次の瞬間憎しみに顔をゆがめて突進しようとした。取り巻きが慌てて貴族の息子を止めた。教師が私達と貴族の息子達の間に立ち、両手を広げた。

「さあ、競技を再開するぞ」

 という声と共に貴族の息子達の背を押しやった。貴族の息子は私達をにらみ続けていた。


 教師が解散を告げ、私達は次の授業のために移動しようとしたその時、私は突然突き飛ばされた。立ち上がろうとした視線の先に、取り巻きに押さえつけられているミロが見えた。ミロは暴れているが、貴族の息子と取り巻き達はぐいぐいとミロを引っ張っていく。それを止めようとしたプテラも押さえつけられ引きずられていった。

「大丈夫?」

 ファナがかがみ込み私の肩に手を置く。ぶつけた膝が痛むが、二人が心配だった。私は急いで立ち上がり、足を引きずりながら彼らを追った。私の後ろにファナと数人の生徒達がついてくるのを感じた。

「あんな口を俺にきいて、無事に済むと思っているのか!」

 校舎の裏手で、貴族の息子の声が聞こえた。学校の端にある、小さな空間だ。学校を囲む壁と、建物の間の通路で、日も差さずいつも薄暗い。私はそこで2人の生徒に壁に押しつけられているミロと、貴族の息子に襟首を掴まれているプテラを見た。あと2人が私達の前に立ちはだかり、プテラ達に近づかせまいとしている。

「やめてっ!」

 私の後ろから、ファナが声をかける。貴族の息子の取り巻き達がにやにや笑いながら、私達の前で手を広げ、通せんぼをする。彼らの肩越しにプテラと、ミロの姿が見える。ミロは押さえつけられながらおびえていた。ミロの茶色の目が、襟首を引っ張られているプテラと、私達の間をいったり来たりしている。押さえつけている二人は、指示を仰ぐように貴族の息子に顔を向けている。

 貴族の息子は、私達全員の注目を浴びているのを明らかに意識していた。わざと大きくプテラの体を揺さぶり、プテラに顔を近づけて、私達に聞かせるような大きな声で、

「おまえらは気持ち悪いんだよ。魔法なんて嘘っぱちだろ。こけおどしでみんなをだましているが、俺は怖くない。だまされないぞ。使ってみせやがれ!」

 といいながらプテラの服の襟首を引っ張った。プテラは苦しそうな顔をして一瞬顔をゆがめるが、ゆっくりと笑いの顔を作った。こちらも私達観客の目を意識した表情だ。

「俺にこんな事をすると、怪我をするぞ。今すぐこの手を離せよ」

 声がかすかに震えているが、はっきりとした声で言う。プテラの声の中には自信があった。貴族の息子は一瞬手を止めるが、怒りに震えてそのままプテラを押さえ込み、地面に押さえつけた。

「どこ見てやがる」

 貴族の息子が怒りの声を上げる。プテラの目は私に注がれていた。なんだというのだろう。貴族の息子が拳を振り上げたとき、プテラは向き直り、貴族の息子に向かって神人語を叫んだ。

『痛がれ!』

 その声で、私の頭の中に、貴族の息子の顔が殴られ、苦痛にゆがむのイメージがくっきりと浮き上がった。プテラの言葉に込められたイメージは驚くほど細かく、リアルだった。

 あのイメージだ、幼かったあの時、私がプテラにぶつけた想い。プテラはそれを増幅して再現したのだ。プテラの声から、昔の記憶が蘇る。プテラがぶつけた思いの鮮明さは、プテラがあの時の事を決して忘れず、私の言葉を研究し、何度も何度も練習していたことを物語っていた。彼はこの言葉を誰かにぶつける機会をずっと待っていたのだ。私はプテラの言葉からそれを知る。その情熱の中に、私はプテラの狂気を感じた。神人語に、こんな邪な使い方があるのか。プテラが発した言葉の中には、私の背筋を冷たくさせる“暗さ”があった。

 私の横ではファナが自分の肩を両手で抱き下を向いていた。彼女の表情には恐怖と嫌悪があった。私はファナの姿を見て、改めてプテラの発した言葉の中に込められた禍々しさを感じた。

「なんだこいつ、気持ち悪い声出しやがって」

 呟くような貴族の息子の声に、私は再び前を見る。プテラを組み敷いていた貴族の息子は、顔をしかめてプテラを見ていた。気味悪そうにプテラを見る彼の顔は、傷1つついていない。その姿に私は衝撃を受けた。あの神人語を向けられれば、私達の心に浮かんだ光景の通りになっているはずなのに……普通の人間は、私達とは違い、神人語に込められた“想い”を受け取ることができない。私達と、彼らは違うのだ。私はそのことを思い知った。

 プテラもまた、その現実を受け入れられないようだった。絶対の自信の元に叫んだ神人語は何の影響もおよぼさなかった。勝ち誇っていた表情にとまどいが浮かんでいく。そのプテラの表情の変化を見て、貴族の息子は笑みを浮かべる。

「何だよ、今のがお前の魔法か。この嘘つき野郎が」

 貴族の息子の拳が、プテラの頬を打つ。プテラは手を挙げて顔をかばおうとするが、貴族の息子はその手を払いのけ、さらに殴る。

「やめろよ!」

 ミロだ。響く、大きな声に貴族の息子だけでなく、私達の動きもとめた。取り巻き達に押さえつけられたままの姿で、顔を真っ赤にしながら、目に涙を溜めてミロは貴族の息子を見る。貴族の息子が立ち上がり、ミロをにらみ返すと、ミロは目をそらした。プテラは倒れたままうずくまっている。

「……何でこんなことするんだよ」

 下を向いたまま、ミロは小さくつぶやく。その自分の声に力を得たように、ミロの声はどんどん大きくなる。

「何なんだよ、何でこんなことするんだ。何でこんな事をするんだよ、何でこんなことするんだ!」

 同じ言葉を激しくわめき立てる。その大きな声は、建物と壁の間に響き、空間をふるわせる。いや、これは音で震えてるんじゃない……。

 貴族の息子は下を向いて叫び続けるミロをに対して近付こうとする。貴族の息子の足が止まった。何かが彼の足を引っ張っている。

「プテラ、邪魔するな!」

 貴族の息子は振り返る。しかし、彼の足をつかんでいたのはプテラではなかった。

「なんだあれ!」

 私達の後ろから声が上がる。私は目の前の光景をただ見ることしかできなかった。

 貴族の息子の足にからみついているのは、無数の黒い手だ。その手は地面から生え、数を増やしている。貴族の息子は声も出せず立ちすくんでいる。貴族の息子の足下を中心に、真っ黒なしみが広がっていく。手は次々と生え、貴族の息子の体を這い上り、彼の体を黒く覆い尽くしていく。

「うわああああ」

 大きな悲鳴が上がる。ミロを押さえていた取り巻きの所までしみが広がり、その黒い手が取り巻き達を押さえていた。

 私は突き飛ばされる。私達の前を遮っていた取り巻きの一人が悲鳴を上げて逃げ出したのだ。私の後ろで悲鳴が連鎖していく。私は、その光景と“声”に身動きが取れなくなっていた。

『何するんだ、僕が何をしたというんだ、何でこんなことするんだ何で何で何で何で……』

 地から生まれる無数の黒い手から、波のように声が聞こえる。その声は、学校の隅であるこの場所の壁や、地面と共鳴している。彼らを生み出しているのは、この場所に染みついた人の想いだ。

 「何で」その叫びは、この場所で何度繰り返されたのだろう。この学校ができてから、何人の弱い生徒が、ここで強い生徒に脅され、理不尽な暴力に屈服しただろう。どの時代でもいじめはある。生徒達の恐れや怒り、悔しさ、苛立ちが、この場所に染みついているのだ。ミロはその想いと“繋がって”しまったのだ。

「助けて!」

 取り巻き達が叫び声を上げる。黒い染みは地面一杯に広がり、彼らの体をつかみ地面に引きずり込もうとしている。取り巻きは体をメチャクチャに動かす。黒い腕の力はそれほど強いものではなく、簡単にちぎれるが、すぐに他の腕が生えまとわりつく。貴族の息子は今や全身を黒い手に覆われている。その体は徐々に地面に引きずり込まれている。彼らはどこに連れて行かれてしまうのだろう。

「ミロ!」

 ファナが私の横から飛び出す。黒い染みの中に足を踏み出し、中央に立ったままのミロに近付いていく。ミロ下を向き、「何で」と、つぶやき続けている。

「止めてミロ、このままじゃこの人達が飲み込まれちゃう!」

 ファナはミロの体をつかんで激しく揺さぶる。ミロは大きく一度体を震わせると、周りを見回す。そして、黒い腕にからみつかれる貴族の息子を見た。

「わあっ!」

 一声大きく叫ぶと、ミロは貴族の息子の伸ばされた腕を両手で握り、引っ張ろうとする。ミロの表情は必死だ。ミロの力で一瞬貴族の息子の体が沈み込むのは止まるが、また徐々に沈もうとする。

『止まれ、やめろ、やめろよ!』

 ミロは黒い存在に呼びかける。ファナもミロに力を貸し、2人で貴族の息子を引っ張ろうとするが、沈み込むのは止まらない。

 一体、何が起こっているのか? 私には全く分からなくなった。

 黒い染みはミロが呼び出したものだ。これだけの範囲、力を持つ魔法は私達は使ったことがない。しかしそれ以上に理解できないのは、術者であるミロ自身が正気に戻り、そして彼が全く反対の命令をしているのに、現象が止まらないことだった。これは、何だ?

 術者が異世界の力をこの世に呼び出す“ほころび”を作り出すには術者は念じ続けなくてはいけない。事実、私たちは精霊を呼びだしても、ふとしたきっかけでその繋がりが消え精霊は元の世界に帰ってしまう。この黒い何かは間違いなくミロが呼び出したものだ。それなのに何故消えないんだ。

「ゼムル、プテラ!」

 後ろからの声に私は振り返る。たくさんの生徒達が、こちらを見ていた。すぐに逃げ出せるように足をすくめて、怯えた視線で、それでも興味深くこちらを見ている。これだけの生徒が私たちを見ていたことに今まで気がつかなかった。しかしそのことよりも人混みを割ってこちらに歩いてくる人物に私は驚かされた。

「エイヴァン先生?」

 何故ここに先生がいるのか、しかし先生の顔を見たとき、私は心の底から安心を感じた。もう大丈夫だ、先生がいれば全て大丈夫だ。先生は近くに来て、私にうなずきかける。私の目は潤み、涙で視界がぼやけた。

「先生」

 プテラが私の横にかけより、先生を見上げる。私もあわてて目を袖でこすり、背筋を伸ばした。エイヴァン先生は私たちの肩を押し、まだ貴族の息子の身体を引っ張っているファナとミロの方へ向かう。そして大きな声を出す。

「ゼムル、プテラ、ファナ、ミロ! 君たちの魔法でこの黒い物体を消し去るんだ!」

 私は違和感を感じる。私たち4人に聞かせるだけなら、こんなに大きな声は必要ない。ファナやミロも私と同じようにエイヴァン先生を見つめている。しかし、プテラだけが、私たちの後ろ、距離を取ってこちらを見ている生徒や教師達の人混みにじっと目を向けているのに気がついた。私も視線の先を追う。怯えた生徒達が、こちらをずっと見ている。次の瞬間、私はプテラが何を“見て”いるかを理解した。

 生徒達から、これまでにはない激しい恐怖が発せられているのを私は感じる。その波動が黒い染みと共鳴している。恐怖が生み出す想いのうねりは、私達の魔法を使おうとする力を遙かに凌駕し、異世界からの力を引き出すトンネルを広げ続けている。魔法を使えない人間にこんな力があることを私ははじめて知った。目の前の凄まじい黒い魔力の爆発は彼ら生徒達の想いが作り出しているのだ。

「君たちがこの黒い物質を消し去るんだ。この黒い染みは、生徒達の想いを受けて大きく成長しようとしている。その想いの方向を変え、利用するんだ」

 つぶやくように小さいエイヴァン先生の声。しかし、そこから広がるイメージが私たちの背中を押す。ミロが、ファナが、そしてプテラが互いの顔を見る。私たちの心に力がわいてくるのを感じる。エイヴァン先生がここにいる。私たちの魔法でこの現象を止めるのだ!

「ランタンカの神よ、炎の神! 汚れを焼き、我らに命の炎を灯す神よ!」

 エイヴァン先生は大きな声で、最も基本的なランタンカ神への祈りの言葉を叫ぶ。私たち魔法使いは魔法を使うためいわば“慣習”として魔法の儀式を始める際この言葉を使うが、ここまで大げさには唱えない。自分の中の神への信頼、そして“繋がり”へのまさに祈りとして自分に向けてつぶやくのだ。

 しかしエイヴァン先生が祈りを発した瞬間、私は先生の意図を悟った。先生の言葉をきっかけに、生徒達の想いが先生に集中していくのだ。それは実際に私たちの身体を揺さぶるような風、力を持ったエネルギーとして感じられた。これは個人ではなく、“集団”の想いだ。その想いの力は私たち個人の力を遙かに凌駕していたが、私たちが「神人語」として明確な方向性を持って想いを発するのに対し、この想いはエネルギーを持っているものの明確な意志の力はなかった。

 エイヴァン先生は他の生徒達には聞こえないような声でささやいた。

「生徒達の想いの流れを利用するんだ、流れを制御し、今の現象を止めるんだ。“手が光る”という具体的なイメージを“観客”に与えるんだ、その光で闇を消し去るように想いを誘導するんだ」

 エイヴァン先生の言葉に、真っ先に応えたのはプテラだった。

 プテラは、胸を張って黒い染みの中に足を踏み入れる。恐怖の想いで固定し、手の形を取っていた黒い物質をプテラはすくい上げる。私も同じように彼の横に立ち、黒い物質に手を突っ込んだ。手から伝わってくる恨みと悲しみの想い。私は自分の心を集中させてその想いが放つ声に対抗する。自分の想いで“膜”を作り、生徒達の恐怖から切り離す。

『ゼムル、手の中の想いを光に変えろ。精霊に命ずるのと同じ方法だ』

 プテラは神人語で私に声をかけながら、プテラは後ろの生徒達、「観客」に黒い染みをつかんだ両手を向ける。

「さあ! 魔法によって光るぞ! この光で闇を消すぞ!」

 その声に導かれて、生徒達の想いがプテラの手の中に集中する。私の目は生徒達から発せられる想いがプテラの手の中に吸い込まれていくのを見た。私は自分自身の想いを集中させる。手の中に光の玉を持つイメージ、闇を払う光だ。プテラの心にも私と同じようなイメージが浮かんでいるのを感じる。ファナやミロも私達の心に合わせてイメージを作り上げる。

プテラが神人語で叫び、続いて私達が唱和する。

『光れ!』

 生徒達が驚きの声を上げる。プテラの手の中に太陽を移す鏡が出現したかのように強烈な光を発しはじめたのだ。

「光ったぞ!」

 生徒の声と共に光量が増す。次の瞬間、私の手の中も輝きはじめた。私達は小さく力を誘導しただけだ。しかし生徒達の期待と思いこみが作った強力な“想いの管”が裂け目から私達に魔力を流れ込ませていく。私達は自分の想いでそれを光に変質させる。供給源を失った黒い染みは勢いを失い、光と化した私達の想いに塗り替えられていく。闇が消え去ったとき、私達の光も消えた。プテラの言葉に導かれ生徒達が思いこんだとおりに、私達魔法使いがこの異常な事態を消し去ったのだ。貴族の息子と取り巻き達は気を失って倒れていた。

 私は自分の手を見る。あの力、あれは何なのだ。私達が必死に精神を集中し、交信を試みていた精霊界からの力とは、違うのだろうか。

 呆然としている私たちの心を覚ますように、エイヴァン先生がささやく。

「不思議そうな顔をしてはいけない。君たちは魔法使いで、これは全部私たちの思ったとおりのことだという顔をするんだ。何もしゃべらずこの場を去ろう。生徒や教師、彼らが君たちを“魔法の使い手”と信じ、強く思いこむことこそ、今は一番大切なことだ。魔法使いにとって、そうでない者達の想いをより集中させやすくするために、私たちは“演じ”なくてはならないんだ。」

 私が見上げたエイヴァン先生の顔は、唇を引き結び、緊張していた。先生にとっても私たちとこれだけの魔法を使う機会はそれほど多くはないのだという認識がはじめて上がった。先生がここに来てくれて良かった、そして魔法というものの不思議さ、そしてすごさを感じ、改めて背筋から駈け上ってくる感動を感じた。

 先生は歩き出す。私たちはそれに従う。教師や生徒の人混みが、私たちに押されるように開いた。私たちはエイヴァン先生をまねて、目をまっすぐ向け、誇らしげにその場を去った。

 私は後ろを振り返りたい衝動をこらえた。山のように疑問があるが、それとは別に戦慄が私の背をふるわせていた。心臓は高鳴っている。多くの“観客”の前で光り輝く手を掲げる私達。それはまさに私が思い描く理想の魔法使いの姿だった。そしてあの力の実感、あれは本当になんなのだろう。自分一人はもちろん、仲間と協力し心を繋げてもあれほど異界から力を引き出すことはできなかった。生徒達が私達に力を貸したことは間違いない。神人語もしゃべれず、青い血も持っていない彼らにそんな力があるというのだろうか。


 私たちは夜、先生を交えてこの現象を話し合った。エイヴァン先生は積極的に語らず、私たちの出す仮定に対し、時々修正はしたが、ほほえみを浮かべながら聞き役に回っていた。こういう時に最も意気込んで話すのはプテラだ。生徒達の想いの力を利用する方法、その最も効率の良い演出法、熱に浮かされたように、夢を語るようにプテラは話し続けた。

 そんな中、ミロはおずおずとエイヴァン先生に質問をした。

「先生、僕たちはあの学校に何故行かなくてはいけないのですか、この神殿でも同じ事は学べるはずです。特にあの学校の人達は違う、この神殿でも僕たち魔法使いはわずかですが、みんなランタンカ神に仕える神官です。ここでは、なぜいけないのですか」

 エイヴァン先生は微笑み、ミロの肩を叩いて言った。

「ミロ、君たち魔法使いが普通の人々のいる学校に通うことは意味があることだ。君たちは魔法を使えない人々の思いこみや偏見、そして憧れを知る。そして改めて彼らと自分が異なる存在であることを確認するだろう。私達魔法使いは大多数の人々の“想い”を具象化した存在とも言えるんだ。私も学校に行って君たちを見守っていたことを黙っていたのは、こういった事件が起きた場合に対処するためだ。できるだけ私を頼らず、自分たちで解決して欲しい。それはこれから起きるトラブルも含めてだ。」

 エイヴァン先生は私たちの顔を見回し、ほほえみかけ言葉を続けた。

「他の生徒も魔法使いとの接触は必要なものなんだ。彼らは魔法の力こそ持っていないが、貴族や大商人の子息もいる。国にとって重要な地位を占める可能性を持つ子供達だ。君たちがいて、あんな事件が起きたからこそ、彼らはこの世に本当に魔法があることを経験として知る。恐怖も含めてね。彼らはその現実を知り関わり方を学ぶんだ。君たちが学校へ行くことはこの国にとって重要なことなんだよ。君たちも自分が魔法使いであることを“利用”することを学ぶんだ。知らない者にとって未知のものへの恐怖と期待は大きくなる。そのふくらむ思いを集め、一方向に集中することでより大きな思いを作り出せる。君達が彼らにどうイメージを与えていくか、魔法使いとして世界にアピールするためには何が必要なのか、これからも考えていくんだ。それこそが、魔法使いに求められる“生き方”なんだよ」。


 次の日私達は、貴族の息子と取り巻きの数人が完全に正気を失ってしまったのを知った。 私達はそれから数週間は誰からも話しかけられることもなかった。時間がたつにつれ徐々に空気は穏やかなものになったが、学校中の人間が私達を恐れているのを常に感じていた。

 奇妙なのはプテラだ。彼はあの事件で無事だった取り巻き達に積極的に接触し、彼らを子分のように従えるようになった。彼らとはしゃいだり、時には秘密めいた行動をしたり、プテラも取り巻きも私には全く理解できなかった。

 ある日、私はエイヴァン先生に思い切って疑問をぶつけてみた。プテラの行動、他の人達を前にして使った魔法の不思議さ、私達が学校へ通う意味を改めて聞いてみた。プテラ先生は微笑みながら答えてくれた。

「プテラは魔法使いという存在が他の人にどう影響を与えるか、そしてその力が自分に動影響を与えるかを考えていると思うね。だからこそ積極的に他の子に干渉しているんだと思う。ゼムル、君自身はその方法が正しいかどうかは考えて行かなくてはいけないよ」。

 その先生の言葉は、私を更に深く考えさせることになった。


5


 ランタンカ神大神殿の中央のホールでは、街の下層の人も、中層の人も一緒になってホールに集まり、祭壇を見上げていた。数千人は入る巨大なホールがほとんど埋め尽くされている。ホールには天井はなく、ホールを囲む壁には2階の席がせり出して設置されていて、きらびやかな衣装に身を包んだ上層の人々がいる。年に一度、祭りの時に行われる、神の使いである、火の鳥を呼びだす儀式だ。祭りのクライマックスの儀式であり、多くの人々、国王さえもこの儀式を見る。

 大神官が火の神ランタンカへの祈りを捧げ、それと共に祭壇中央に設置されていた薪に火がつけられた。油を塗った薪はあっという間に大きく燃え、巨大な炎となる。そして深紅に染められたローブをまとった魔法使いが登場する。現れた魔法使いは7人。中央の魔法使いのローブには、ランタンカ神のシンボルである4本の矢を描いた金の刺繍が施されている。他の魔法使いは、中央の人物をあがめるかのように囲み、手を合わせる。中央の人物は観客達に向かって手を広げる。炎の照り返しを受けて、金の刺繍がキラキラと輝く。

「クムナイ様だ」

 小さく、ミロが敬意をこめてつぶやくのが聞こえる。私も胸のペンダントを握りしめて、じっと中央の人物、クムナイ様に目を注いでいた。数十年に一度の天才といわれるクムナイ様。私達が幼いときからこの儀式の中心人物であり、儀式の火の鳥を操ることができる人物だ。普段は魔法の研究に没頭しているというクムナイ様は、私達見習いですらこの儀式でしか姿を見ることができない。クムナイ様は、信者達の前で大きく手を広げた姿勢のまま、頭を上に上げる。その仕草に合わせて信者達は一斉に両手を組み、祈りの姿勢を取る。

ドン

 祭壇の横と、神殿の四隅に設置された太鼓が大きく打ち鳴らされる。太鼓は大きく何度かならされた後、音を下げ、独特の節回しで鳴らされ続ける。それに合わせ、6人の魔法使いが上代語での祈りの声を上げていく。

 私達見習いの魔法使い4人はエイヴァン先生と共に2階の席から儀式を見下ろしていた。私達から少し離れて他の魔法使い達が静かにこの儀式を見ている。一般の神官や神官見習達は、1階の信者達とは少し離れた場所にいる。数十人の神官達や僧兵達は信者を誘導し、祈りの正しい仕方や、これから起こることの説明をしている。

 祭壇の魔法使いの声が大きくなっていく。中央のクムナイ様は炎に金の刺繍をきらめかせながら腕をさらに上げ顔を天に向ける。

「ランタンカ神の炎の使いよ、現れよ!」

 後ろの魔法使いが叫ぶ。

 同時に、響き渡る声で中央のクムナイ様が神人語で叫ぶ。

『炎よ!』

 その声に後ろの魔法使い達も唱和すると、炎が大きくふくらみ、浮かび上がる。神殿のホール中に観客から押し殺した喚声が上がる。

 巨大な炎は空中に浮き上がりさらに大きさを増す。今度ははっきりと驚きのどよめきが上がる。玉となった炎から二つの翼が生まれ、巨大な火の鳥になったのだ。炎の鳥の姿は、神話に語られ、絵に描かれている我が神の使いそのままだ。炎の鳥の姿に、数人が声を上げ地面に座り込み祈りの声を上げる。それが伝染したように神殿中の人々が炎の鳥に向かって一心に祈りはじめた。目は炎の鳥に向けられたまま、手を固く結んで口々に自分の“願い”を炎の鳥に届けるように祈る。ホール中が信者達の祈りの声で一杯になり、それは独特の波動となってホール中を揺らす。

 炎の鳥はゆっくりと羽ばたき、ホールの中央に向かう。暖かで力強い炎の光がホール中を照らす。多くの人が平伏し、一際大きく祈りを捧げる。その声に押されるかのように炎の鳥は浮かび上がり、やがて天をめがけて羽ばたき……虚空に消えた。ホールからは津波のような喚声が上がり、次の瞬間ランタンカ神を称える声へと変わった。

 その声を浴びながら6人の魔法使い、そして中央のクムナイ様は信者達に一礼し、そして舞台から去っていった。興奮した声はしばらくやまなかったが、やがて神官達の指示で信者達は家への道をたどりはじめた。

 我が大神殿は年に一度、祭りのクライマックスにこのような「儀式」を行う。国王すらこの儀式を見る。この儀式に国王が参加するのは、国は我が神の後ろ盾を得ており、魔法によって支えられているからだ。もちろん他国の大使や許可を受けた旅行者もこの儀式を見る。この力を前にして、魔法の力に畏怖しない人間はいない。

 学校に通ってから、正確にはあの学校で、生徒達の力を使い黒い闇を消し去ったのをきっかけに、私がこの儀式を見る目は変わった。そして儀式と、魔法の関係がわかってきた。この火の鳥を操る魔法の力は、信者、そしてランタンカ神を信じる人達の全部の想いを集中させているからこそ、ここまで強大な力を持っているのだ。

 だからこそ私はクムナイ様をこれまで以上に尊敬するようになった。世界全体の力を集約し、その力でもって「裂け目」に干渉し、人々の望む火の鳥を形作り、呼び出し、飛ばす力。制御を誤れば暴走しかねない。学校では、ミロが呼びだしたにもかかわらず、生徒の恐怖を受けて、暴走した。あの時エイヴァン先生が助けてくれなければ、どうなっていたかわからない。私達魔法使いは、人々の想いを紡ぎ、集中させ、奇跡を起こすことができるだけでなく、思った形へ集約させることができるのだ。

 魔法使いは人々の想いを制御し、最も効果的に表現する存在だ。今の私にはその力の流れがわかる、感じられる。そしてその素晴らしさを知ることができた。国中、いや、世界中の人達の想いのうねりを収束し、その力で異界からの存在を呼びだし、制御する。その強大な力は、何と凄まじく、そして魅力的なのだろう。

 改めて、私は魔法に畏怖を感じる。

 私もクムナイ様のようになりたい。


 その想いは、私が15歳になるときに、試されることになった。私達は魔法使いとしての「試験」を受けることになった。これまで高め、磨いてきた魔法の力を、魔法使いの長達である5人の「長老」の前で振るうのである。このとき、私の力が明らかになり、その後の私の進路が決まる。

 ランタンカ教団の魔法使いには、クムナイ様のような上級魔道士と、彼等を補佐する下級魔道士というふたつの“階級”がある。下級魔道士は上級魔道士を補佐したり、教団で司祭と共に魔法を知らぬ地方の人々を前に簡単な魔法を使い、ランタンカ神と魔法の力をわかりやすく人々に広める。下級魔道士は私たちのような魔法の力を持っていない、“トリック”で魔法使いを装う「手品師」も多い。

 上級魔道士は違う。上級魔道士は非常に数が少なく、私達ですらクムナイ様以外の上級魔道士とは面識がないが、彼等は「火の鳥」を始めとして、強大な魔法を使う。彼等は普段は人前には姿を現さず、魔法を研究し続け、己の力を高め続けている。

 ……私の横で青い血を吐いて死んだ子供。物のように運ばれ、そしてその後姿を見ることのなかった仲間達。あの姿は、10年たった今でも私の頭から離れない。私は、教団から「片づけられる」ことを恐れ続けてきた。私は魔法使いになるために選ばれ、生き残った。しかし力がないことがわかれば、5人目の仲間ラヒルのように、魔法の中心であるランタンカ神殿から追い出されてしまう。私は片づけられたくはない。私は、上級魔道士にならなくてはならないのだ。

 私にとって衝撃だったのは、ファナとミロがこの試験を辞退したことだった。試験があるといわれてから一週間後、夕食が終わったところで、私達の前でファナとミロは下級魔道士としての道を目指すことを宣言した。ミロは立ち上がり、僕たちの顔を見ながら、言った。

「エイヴァン先生、僕とファナはこれから魔法そのものを研究するよりも、魔法の才能を使って、もっと人に広めていく方に使いたいです。ファナはラヒルのように地方に行き、そこで魔法という力がこの世にあるということを教えていきたいといってます。……僕は、もっと言語学を学んでいきたい。僕たちが使う神人語は、外国語を学ぶときに役に立つ。言葉を耳ではなく、意味を知ることができる。これは、学校で気がついたんだ。同じ意味なのに、色々な言葉がある。僕は、もっと色んな国の言葉を話せるようになりたいです」

 ミロの隣でファナがそっと手を伸ばす。ミロはその手を軽く握る。その仕草は、2人の特別な関係を感じさせた。兄弟のように育った私にとって、ファナとミロのその姿は驚きだった。二人は二人だけで悩み、そしてついに決心したのだろう。私は二人の決断に衝撃を受けながら、心の隅で仲間はずれにされた痛みを感じていた。

「魔法から逃げたいなら、逃げればいい」

 プテラはミロとファナを睨んで、言った。

「魔法の力は、そんなものじゃない。神人語や精霊との交流なんて、魔法使いなら誰でも持っているものだ。お前らが魔法を学んできたのは何のためだ、魔法はそんなくらいの力しか無いものなのか? 違う、違うぞ。俺は上級魔道士になる。クムナイ様のように大きな、それ以上の魔法をこの世界にもたらしてやる! 逃げたい奴は去れ。俺が強力な力を持つのを見ているがいい」

 ファナがぎゅっとミロの手を握った。2人はうつむいたまま何も言い返さない。私も何も言えなかった。しかし心の中ではプテラの言葉に激しく頷いていた。私達は「魔法使い」になるために生き抜いたのだ。私達の生きる価値はより強力な魔法を使える存在になるためであり、それ以外の生き方など考えたこともなかった。

 ファナとミロは「逃げた」のだ。私はそれが許せなかった。目の前で死んでいった仲間達、辺境に追い出されたラヒル……私達に他の生き方などない。私は、強力な魔法使いになるのだ。必ず。


 ファナとミロの告白から1週間後、私とプテラは3日間の試験の“準備”を行っていた。私たちは同じ部屋で3日間のほとんどを瞑想をしてすごした。瞑想中は異世界とこの世界の狭間にある“揺らぎ”に想いを集中していく。自分の中での想いを練り上げ、この世界に干渉しようとする精霊達の声に耳を傾ける。精霊の力を借りるときはこちらに手を伸ばしてくる精霊と深くつながり、こちらの世界へ引っ張り上げるのだが、あえてそれをせず、さらに意識を拡大させ、より多くの、そしてより深い精霊との接触を試みた。

 3日間、昼に神の炎で2度焼きされた小さなパンしか食べず、ほとんど休み無しで精霊との交感を行なった。私たちはこれほどまでに長く、そして深く瞑想を行ったことはなかった。空腹と長い精神集中の疲労のため、精霊界と現実認識は混じり合い、私の精神は夢かうつつかわからない世界を漂うようになった。そこはこれまで到達できない異界との狭間の世界だった。

 そんな中、私を時に強烈な覚醒へと促すのが、プテラの存在だった。私の瞑想世界に、現実的な痛みを伴って強烈な意識が進入してくる。目を開けると横にいるプテラが唇をかみしめ、眉間にしわを寄せこちらをにらんでいるのだ。私が目を向けるとプテラは目をそらして瞑想に戻る。

 実はプテラの行動は、これが始めてではなかった。幼い頃から、仲間達と瞑想を行うと、時々プテラは、私をにらみ、その意識で私に攻撃のような接触をしてくるのだ。私は抗議をしたし、エイヴァン先生は彼をたしなめた。しかし、これは彼の”癖”となってしまっていた。彼は瞑想の時私への猛烈な対抗心が訳も分からずわいてきて、制御できなくなるという。今では彼自身もその心の動きを止められないことに自分を持て余していることを私も知っている。私ができることは、彼のこの癖を無視することだけだ。

 瞑想は自分の“心の枷”をはずす作業だ。私もイメージが連続する心のパターンを利用し瞑想を深くしていく。逆に不意に浮かぶイメージに心がとらわれそうになるときもある。そのときは心が迷路にはまりこんでしまうようで、現実感覚を意識し、瞑想のレベルを下げるしかない。プテラの私に対する心の動きはどうやらそこに近いようなのだ。

「ゼムル」

 3日目の瞑想の時、私は突然プテラに話しかけられた。私は目を開ける。プテラは私の向かいで目を閉じていた。その姿は、私に話しかけたことなどないかのようだ。しかしそのままの姿で、つぶやくように彼は私に向かって話しかけた。

「ゼムル、おまえの瞑想を邪魔しようと思ったことは、一度もない。だが、どうしても俺には、おまえへのこの気持ちが消せないんだ。俺はどうしても、おまえには負けたくない。負けたくない、という気持ちが止められない。瞑想の時、俺の心に浮かぶこの気持ちが止められないんだ」

 突然のこのプテラの告白はなんなんだろう、プテラの口調は淡々としていて、私にはプテラの意図が分からなかった。声をかけていいものか、私はプテラの声を聞くことしかできなかった。「わかってる」とでもいえばいいのだろうか、彼のことを許すとでもいえばいいのだろうか。私は何もいえなかった。そのまま、結局私達はその後言葉を交わさず試験は始まってしまった。

 瞑想を始めてから4日目、私とプテラは朝に沐浴を行い、月桂樹の香油を髪と額、そして両手につけた。この時のための、一度も袖を通したことのない貫頭衣を着て、この日のために祈りと共に組んだ紐のベルトを着けた。儀式への準備はこれで整った。


 試験は私からだった。朝、エイヴァン先生が私を迎えに来た。3日間の瞑想と、食事の制限で私とプテラは立つこともやっとの状態になっていて、何とか服は着られたものの、歩くことはできず、私は神官見習いに両脇を支えられながら、試験会場に運ばれた。

 自分の意志ではない他の誰かに運ばれる。私はそれに本能的な恐怖を抱く。“片づけられる”友人達の幻影が頭に浮かぶ。胃が引き裂かれるような幻痛を生む。私はパニックを起こし暴れそうになる。その時、

「大丈夫だ、ゼムル」

 ふわりと、冷たい手が私の額に触れた。エイヴァン先生の手だ。

「君は誰かに背負われたり、運ばれるのが嫌いだったね。大丈夫、心配することはない。君は試験をきちんと切り抜けられる、僕も、ファナやミロも君を応援しているよ」

 先生の声と、その手の冷たさが私の心を落ち着かせてくれた。

 私は試験会場に運ばれた。試験会場は地下にあることを私はこの時初めて知った。見なれた区画を通り抜け、備蓄用の倉庫室もぬけ、一度も来たことのない道をさらに下に下っていく。周りの石壁は一つ一つが大きく、荒いものになっていった。この区画はどうやら神殿の中でも最も古くからあるもののようだ。私を担いでいる神官見習いからは怯えが感じられた。エイヴァン先生の先導のまま進んでいるものの、神官見習いの彼らもここに来るのは初めてのようだった。

 やがて巨大な扉のある部屋にたどり着いた。どのくらい地下まで下ったのか、私はわからなかった。部屋の中は広いものの、明かりが少なく、周りがよく見えない。むき出しの石床の上に魔法陣が彫り込んであった。魔法陣は石に直接彫り込まれていて、線には銀箔が貼られていた。このような複雑な紋様と、古さを感じさせる魔法陣を見たのは初めてだった。中央にはかがり火がたかれており、私はその火の側の椅子に座らされた。エイヴァン先生は私の肩に手を置き、そして去って行った。


 先生達が退室してしばらくたった後、私の前の空間が明るくなった。ローブを着た2人の神官が燭台を持って部屋に入ってきたのだ。その時はじめて私の前の方にも扉があったのを知った。前の扉から入ってきた神官のローブは金の糸での刺繍があり、高位の神官であることがわかる。フードを被っていて、顔は見えない。神官は燭台を置き左右に分かれた。燭台の光で前方に大きなテーブルがあるのがわかった。神官達の次に数人の人物が入ってきた。テーブルに腰掛けた人の顔を見て私は声を上げた。大神官であるクムナイ様、そして4長老のリーダーであるトマネク様、そして祭司長のケイマ様……ランタンカ教団を代表する人が3人揃って私の前に現れたのだ。私は立ち上がり、彼らに礼をしようとしたが、弱った手足はうまく動かなかった。

「そのままでいい……ゼムル君」

 手元の羊皮紙で私の名前を確認しながら、ケイマ様が私に話しかけた。

「これから『試験』をはじめる。君はこの試験をくぐり抜け、新しい真の魔法使いになるのだ。試験では君はそこで座っていればいい。私達に君の資質を、見せてくれたまえ」

 私を見つめるケイマ様の目は柔和だった。しかしその目は私の魂まで見通すような“意志”を持っていた。ケイマ様とトマネク様ははっきりと目で語っている。私の弱った、だからこそ鋭敏になった神経が、彼らの意識を明確にこちらに伝えていた。

『こいつは、使えるかどうか』。

 ドクン 私の心臓が大きく脈打つ。

 もしダメならば、私は“片づけられる”のだ。胃が引き裂かれるかのような痛みを発した。私はその痛みに体を前のめりにさせる。

 その時。

 クムナイ様が、私を見た。

 瞬間、私の視界は一変した。

 何が起きてるのか把握できなかった。クムナイ様の目を正面から見た瞬間、アグン様や、ケイマ様、トマネク様の姿、部屋、明かり、全てがかき消え、視界が真っ暗な闇になったのだ。私は何か見えるものはないか、必死に頭を動かした。

 見えた。

 クムナイ様がいた場所に何か、点のようなものが生まれ、そこから光の渦がわき上がった。ゴウゴウと音を立て、私を飲み込もうという光の渦が目の前に広がった。それは水に浮かぶ油のように七色の光を放ち私の前で激しい回転をしていた。

 渦を見つめていると、ドンという音と共に渦の一部が持ち上がった。その盛り上がりと衝撃波は私の体を大きく揺さぶった。ドン、ドン、ドン! 衝撃は次々とわき上がり、渦は不定型な突起物の固まりとなって、目の前で無茶苦茶に動いていた。それは袋に包まれた生き物を思わせた。何かが袋を破るためにもがき苦しんでるように見えた。

 これは、“扉”だ。

 私はその存在を、扉と認識した。現実にある扉とは似ても似つかない、しかし“他の世界への繋がり”という意味で、この脈動する黒いものは“扉”だった。何かが、この世界に出ようと、私の前でもがき苦しんでいる。このものを解き放つことこそが、私の“役目”なのだ。私がこのものと“繋がれ”ば、このものを私を通じて世界に呼び出すことができる。この黒いものと一体化することで、私そのものが扉となれるだ。

 私はその、“動くもの”へと手を伸ばす。その脈動は私に大いなる力を感じさせた。このものを解き放ちたい。扉として向こうの世界の存在をこの世界に招き入れることこそが、魔法使いの存在理由なのだ。

 その瞬間、私の脳裏に数年前、黒い物体に飲み込まれる貴族の息子の姿が浮かんだ。

 私もああなるのか、何かわからないものに飲み込まれてしまうのか。

 いいではないか。それでも“力”が得られる。魔法の源泉に触れ、同一化できる。私は魔法の扉となるのだ。私自身がこの脈動するものから力を得ることができるのだ。

 しかし私の手は黒いものに触れる寸前で止まっていた。

 私は自分の手が震えているのを見た。

 恐い、恐い、恐い、恐い。

 気がつくと心の中がそんな言葉でいっぱいになっている。手を伸ばそうと力を入れるのだが、どうしても進められない。私は自分をしかりつける。何を恐れることがある。この恐怖の感情を叫んでるのは誰だ。絶対に私じゃない!

 私は魔法使いになりたいのだ。この黒いものと一体化し、無限の力を引き出したいのだ。片づけられた子供達、エイヴァン先生、ランタンカ神、私は自分の力になりそうなものを次々と思い浮かべる。

 私は、魔法使いに、なるのだ。

 しかし手が動かなかった。手の震えはどんどん大きくなった。その震えは腕を這い上り、気がつくと私の手は自分の両肩を抱いていた。そしてそのまま、私は体を折り、うずくまってしまった。

 恐かった、ただ恐かった。

 魔法使いになりたい、必死に心と頭が叫んでも、私の体は、それを拒んだ。私は自分の「行動」でその事実を知った。

 気がつくと、光の渦も、脈動するものも消えていた。私は石畳の上でうずくまっている自分を自覚した。

「試験は終わった。ゼムルは魔法使いの試練に失敗した」

 私は、ケイマ様の声を、背中で聞いた。


 私はそのまま病院に運び込まれた。ファナとミロはすぐ私の病室に来てくれたが、私は彼らと何も話すことができなかった。私は、「真の魔法使い」に、なれなかったのだ。私はなぜ、あの時手を伸ばせなかったのか。なぜ「恐い」などと感じてしまったのだろうか。自分自身が許せなかった。体は衰弱しきって動かず、寝ていることしかできなかったが、だからこそ思考はループし、悔いが私の中を満たした。ファナとミロの後にエイヴァン先生も病室に来てくれたが、私は彼らの顔も見ることができなかった。私は力の出ない体を必死に動かし、枕に顔を押しつけ、彼らに背中を向けた。3人は私に声をかけてくれたが、私は彼らを拒んだ。

「プテラは、試験に受かったよ」

 去り際、エイヴァン先生がそう言った。私は声も出せなかったが、泣いた。もう何もできなかった。ただ自分のいらだちとどうにもならない感情を解放した。体を反らせたり、かがませたり。シーツをかきむしったり。上げられない声も何度も上げた。いらだちを身体に叩きつけ無理矢理体を動かそうとし続けるのは、自分を責め続ける思考から私を解放してくれた。

 いつの間にか眠ってしまったようだ。私は周りを見回す。夜だ。

 闇に目が慣れてくる。入り口のドアが開いているのが見える。そうだ、ドアの開く音で私は目を覚ましたのだ。

 ズルリ

 床の上を、何かが這う音がする。私の背中に悪寒が走る。部屋に何かがいる。私は体を起こそうとするが、力が入らない。首を動かしても、床は見えない。

 ズルリ

 音が近づいてくる。私は何もできない。

 ガッ!

 ベッドの枠に手がかかる。青い爪、魔法使いの手だ。その手はぶるぶる震えていて、私のベッドを揺らしている。私は必死に身体を動かしその手から逃れようとするが、ほとんど身体は動かない。頭が上がってくる……それは、プテラだった。

 プテラの血走った目が、私を見ている。私の恐怖は疑問に変わった。私達は身体も動かせない状態のはずだ。なぜプテラは私の所に?

「ゼ……」

 ささやくような小さな、かすれた声で、プテラは私に向かっていった。

「ゼムル、俺の勝ちだ」

 次の瞬間、プテラの頭は沈み、手はベッドの枠から離れた。倒れ込む音がした。

 プテラは、私に、「勝った」とそれだけをいうためだけに、動かない身体を無理矢理動かしてここまで来て、そして力尽きたのだ。

 そのことを認識した私の目から涙が溢れた。

 私にはその執着はなかった。プテラのような執念、熱情、狂気……何でもいい、私にはそれがなかった。倒れているであろうプテラの姿を想像し、想いを集中しようとしても、プテラのような狂おしい感情をかき立てることはできなかった。だからこそ、プテラは魔法の源泉に到達でき、私はそこにたどり着けなかったのだ。私はこの時真の自分の限界を知った。私は手で頭を抱え込み、目をつぶった。涙がずっと止まらなかった。自分への哀れみに沈み続けた。

 プテラは私が気が付かないうちに“片付けられて”しまった。彼はそのまま、身体が治る前にさらなる魔法使いの上級機関に向かったという。プテラと顔を合わしたのは、あのときが最後となった。私は数日ベッドの上で過ごした。私はどうなってしまうんだろう。より高みに上がれなくなってしまった私は、この後どう生きればいいのだろうか。


 私は、魔法が使えなくなった。

 子供の頃に覚えた、異世界から精霊を呼び出す魔法すら私は使えなくなった。

 精霊達は“向こう側”の存在だ。私達は心を集中させ、研ぎ澄ませて異なる世界の住人を呼び出し、使役する。私はその方法に慣れていた。もっと強力な、恐ろしいものも呼び出すことができ、使役することができた。

 しかし今や、私は心を異界に繋ぐことができなかった。異界はあの“扉”に通じている。むしろあの扉こそが本当の入り口で、これまで私が異界だと思っていたのは、その周辺、扉から漏れ出すガスのような、本当の何かを薄めたようなものだったのだ。私は扉の存在を知った。もうその認識をごまかすことができなかった。私が異界に心を向けようとすれば、私は扉と対峙してしまう。その恐ろしさ、扉の向こうにいる存在への恐怖が、私を異界と隔絶してしまっていた。魔法を使おうと精神を集中させると、圧倒的な恐怖が理屈や私の想いを越えて、全てを遮断してしまうのだ。私はこれまで習い覚えた魔法を使うすべを失ってしまった。

 一方、この世界に呼び出され、封印された精霊達はこれまで同様使うことができた。精霊語で精霊達に話しかけ、使役する。この世界に呼び出され、元の世界に帰ることを禁じられた精霊達には恐怖は感じなかった。この精霊を使役することができたのが、かろうじて私が教団にいられる理由になった。私は自分で精霊を呼び出すことができないまま、過去の遺物や、他の魔法使い、ファナやミロから譲り受けた精霊を使いこなす訓練を積んでいった。


「まだ正式には決まっていないが、地方で魔法の力を見せる司祭として活躍してもらうことになると思う」

 エイヴァン先生は私の問いにそう答えた。

「炎の鳥の儀式と同じように、君には炎の精霊を呼びだして、地方の信者に見せ、人々に魔法の実在とランタンカ神の力を保証する役割をこなしてもらうことになると思う。もちろん、ファナやミロのように魔法の力を利用して自分なりの研究を進めることもできるが、地方でも本当の魔法使いは必要とされているんだ」

「地方は、僕らが作った精霊を使役する“手品師”ばかりですものね……」

 私の声には自嘲が混じった。私達は精霊を呼びだし、儀式によって清めた宝石に精霊を封じ込めることができる。魔法使いはそこから精霊を呼びだし使役することができるが、魔法の力を持っていない人間も、“命令”を覚えることで精霊の力を使うことが可能だ。『現れろ』、『燃えろ』、『消えろ』など、精霊語の発音を真似たいくつかの言葉を覚えて語りかけることで限られた仕事をさせることができる。その限られた言葉による“パフォーマンス”によって、地方の人々に魔法の存在を知らせる。彼らは魔法を全く理解することもないし、封じられた火の精霊と交感することもできない。ランタンカ教団はこういった「神官戦士」と呼ばれる偽物の魔法い、私達から見ればトリックで人をだます“手品師”も数多く抱えていた。

 私も彼らのように地方で“見世物”をし、ランタンカ神の威光を示す存在になれというのだ。

 私が追い求めた、魔法使いとは何だったのだろうか。そもそも魔法とは、何だったのだ? 足もとがガラガラと崩れるような感覚。魔法の力の根源のような存在、別世界へ繋がるであろう“力の扉”。私はそこへ繋がることができなかった。逃げたのだ。その逃げた人間が魔法にどう向き合えば良いのか。いくら求めても深淵には到達できないという私が、魔法の何を知ることができるのだろう。今やれる力でできることといったら、結局“手品師”と同じ事なのだ。そう思うと、改めて自分への憐憫にいっぱいとなった。涙が溢れた。

「わかりました」

 絞り出すような声で、私はそう言った。そう答えるしか、今の私にはできないではないか。

 激痛が私の腹を襲った。先生の前で私はうずくまってしまう。『こいつもだめか、片づけよう』幻の声が耳の奥に響く。私はどこかに連れ去られる。片づけられてしまう。恐れていたことが、現実になるのだ。6歳の時に感じたあの痛みが蘇っている。助けて、誰か助けて!

 その時、

「私も行くよ、ゼムル」

 肩に置かれた手と共に、エイヴァン先生はそういった。

「え?」

 私は顔を上げた。エイヴァン先生が、私を見ていた。

「私も君と一緒に行こう。君が今後再び魔法が使えるようになるか、教団でどうなっていくか、わからない。しかし、私が一緒だ。一緒に地方に行き、再び魔法を使える様になる方法を探していこう」

 その言葉は私が想像できないものだった。私の目から再び涙が溢れた。試験に落ちてから流し続けた絶望の涙でなく、安心と喜びの涙だった。私は立ち上がった。腹の痛みは消えていた。何があろうと、どんなことがあろうと、私は大丈夫だ。エイヴァン先生が一緒に来てくれる。私は幸福を感じていた。


               6


 しかし、私は地方へは行かなかった。

 戦争が始まってしまったのだ。トナラグの南と東にある国、モトとセドマが同時に緩衝地帯を超えて軍隊を差し向けてきたのである。近年、トラナグは魔法を前面に出し、これまでにないほど急速に国力を充実させており、小国のモトとセドマはそのトラナグの動きに圧力を感じていた。その動きを、彼らの後ろにある東方の大国ユミルが後押したのだ。ユミルは2国をけしかけるだけでなく、傭兵団を雇い入れ、2国に貸し与えていた。傭兵団は飢えた狼のように、国境近くのトラナグの街を略奪していった。そしてモトとセドマの軍隊が国境を越え進軍してきたのだ。トラナグの国防軍は、彼らを防ぎきれなかった。敵達にはユミルの“魔法”という後ろ盾があったのだ。

 ユミルは世界の様々な場所に遠征隊を繰り出し、神人達の遺産である“怪物”を捕獲し、育成し、飼い慣らすことで自軍に加えていた。青銅の皮膚を持つ猟犬や、人を乗せて飛ぶことができるグリフォン、象よりも大きな巨大な甲虫なども軍に加えているという。彼らは魔法の怪物を従えている。首都に届く報告にはそういったものがあった。

 かつてこの世界は“神人”により異世界から呼び出された怪物がたくさんいた。彼らは神人達の魔法に管理され、様々な目的に合わせ使役されていたが、神人達がこの世界から離れた後、制御を失い、野生化し、数を減らしていった。生き残ったものも世代交代を繰り返すうちに能力を失っていった。

 ユミルはこうした生き物から力を失っていない怪物を選び出し、独自の交配実験を繰り返し飼い慣らしていった。我々とは違った方法で神人の力を受け継ぐ国だ。そのユミルが私達に挑戦してきたのだ。


 私はエイヴァン先生と共に南方面の数百人でセドマ軍を押し返す部隊を支援する神官として派遣された。ミロやファナもそれぞれの地域へ向かったという。……プテラのことはわからない。エイヴァン先生は、彼は魔法を前面に出す特別な部隊の一員となったと言うが、病院の一件以来、彼は私達の前に姿を見せず、彼がどこに行ったかも私達にすら秘密にされていた。

 セドマ軍は私達が到着すると国境地帯から去り、散発的に国境近くの村や町を襲い始めた。私達の部隊は現地の防衛軍と合流し、南方面に展開し戦った。私は軍の“神官”として働いた。彼らの前で祈りを捧げ、炎の鳥を呼び出し、彼らの頭上を飛ばした。

 兵士達は生まれて初めて見る魔法に驚きと恐怖の声を上げ、そしてそれが自軍の力だと認識すると、喜びの雄叫びを上げた。私は彼らの感情のうねり、自分の魔法が彼らに力を与えているのをしっかりと認識していた。

 ……しかし、私は“本当の”魔法を使えなかった。私がやっているのは封じた精霊を使役しているだけだ。私は炎の小さな精霊を鳥の形で飛ばし敵の隊長に炎を吹きかけ一時的なパニックを巻き起こしたし、風の精霊を使って鬨の声を倍増させ兵士の数を多く錯覚させたし、矢を当てやすく誘導した。

 私の魔法が戦況を有利にした。部隊を率いる味方からは賞賛された。しかし、それは神人語の初歩を覚えたものや、もっと極端に言えば、あらかじめ神官が封じた“神器”を用い、神人語を“音”として発することができれば使える“手品”にすぎなかった。

 ランタンカ教団には“神官戦士”と呼ばれる、道具として魔法を使う者達がいる。彼らは私達のような毒の試練を受けていないし、青い爪もなく、精霊と繋がる能力もない。しかし、訓練により私達が発する単純な神人語『出ろ』、『燃やせ』、『飛べ』などいくつかの発声を習得している。そしてその命令だけを使って、神官達が封じ込めた精霊を単純な仕事をさせるのだ。もちろん精霊を深く理解し、きちんと意思が伝えられる私はより複雑な命令ができる。しかし、今の私はそれができなくなっていた。

 私は真の意味での魔法は使えなくなってしまっていた。戦場の狂気、兵士達の動揺、刻々変わる人間達の“うねり”を私は見た。私は神殿での儀式や、あの学校での黒い手の時と同じように人々の心の大きな動きを見ることができた。その力を集め、集中させ、巨大な力を引き出す。あの学校の時のように、儀式のクムナイ様のように。私は何度もそれを試みた。しかし、私にはできなかった。試験で私にはどうしてもその力を使って“扉”を開けることができなかった。その後も私は試験を思い出し、あのときのイメージを思いだし、恐怖で退くという体験をしていた。私は真の魔法が使えなくなっていた。できることは、決められた道具を使うだけの“手品”だけだった。

 私の苛立ちと絶望はエイヴァン先生だけが知っていた。戦いの後、兵を率いる軍団長は魔法で戦いに貢献した私を呼び、皆の前で賞賛してくれた。兵士達も私達に尊敬の声を投げかけてくれた。しかし私はそれに対し笑顔を返すことができなかった。うまく取り持ってくれたのはエイヴァン先生だった。先生は私をうまく兵士達から距離をとらせてくれた。私は手品師ではあったけれども、魔法使いとしての役割を必死にこなしていた。支えてくれたのはエイヴァン先生だった。私はあらゆる意味で先生に甘えていた。先生がいなかったら、逃げ出してしまっていただろう。


 そんな中、大きな報せが入ってきた。敵の中核をなす部隊を、我々の“魔法部隊”が撃退したというのだ。その戦場では我らの魔法使いの“火の鳥”が敵の本隊を焼き払ったという。その火の鳥を呼び出した魔法使いこそ……プテラだというのだ。クムナイ様と並ぶ新たな“真なる魔法使い”の誕生したことを伝令は興奮した口調で告げた。そして最後の対決を行うため、我々も本隊に合流する命令が下った。我々は移動を開始した。

 プテラは、私がなることがかなわなかった“真の魔法使い”となった。そしてクムナイ様と同じ火の鳥を使役し、救国の英雄としてその名をとどろかした。私が得たかったものプテラはその手にした。そして私達は彼らがいる部隊に合流するというのだ。私は本当に消えてなくなりたかった。

 進軍中、兵士達の話題は若き魔法使いプテラの“誕生”に集中した。都で“火の鳥”を見たという兵士は話題の中心となった。兵士達は私が呼び出す火の鳥より何倍も大きく、力強い“本物の火の鳥”が敵兵を焼き焦がす姿を想像し、士気を上げた。

 軍団長やその下の士官達、私の身の回りの世話を受け持つ見習い兵士の侍従達まで、私の幼なじみであるプテラのことを知りたがった。私は内心の葛藤を顔に出さないように気をつけながら、プテラが我々魔法使いの子供達の中で一番優秀だったこと、その探求心や、魔法への積極性を語った。エイヴァン先生がプテラを褒めると私の心は嫉妬で痛み、そんな自分の器の小ささにも腹が立った。


 数日の進軍の後、我々は本隊に合流した。場所はイサカ平原。我が国トラナグで3番目に広い平原地帯であり、穀倉地帯だ。オビ川の流れでできたこの平原は、東側はなだらかな丘があり、石造りの大きなマコモ城が平原を見下ろすように建っている。この城は1月ほど前にモト国の軍隊に落とされてしまっていた。モト国はこの後イサカ平原を抜けその先まで進んでいたのだが、我が国の“魔法”……プテラの活躍により大きな被害を被り壊走、マコモ城で立て直しを図っていた。斥候の情報によると敵はモトのみならずタイミングを合わせて国境を越えてきたセドマ国の一部、さらには大国ユミルからの応援も合流しているという。

 我がトラナグの軍はその城を見上げるような形で平原に陣を張っている。中央からやや東寄り。何かあれば対応できるような形でいくつかの方面に分散されていた軍を集結させている形だ。マコモ城での兵士の煮炊きする煙や、見かける人影はふくれあがっており、その決戦が近づいていることを物語っていた。

 私達の軍はその状況の中合流した。私達の軍を加え、集結した兵士は約8千。これにほぼ同数の補給のための人員が合わさり、2万近くの人がこの平原に集結している。この数は、トラナグが徴収し、戦場に投入できる兵士数としてはほぼ最大だとエイヴァン先生に教わった。祭りの時に首都に集う人々とほぼ同じ人数の、屈強な兵士達が武器を手に集結している。その人の群れは、広大なイサカ平原を埋め尽くすようだ。もちろんこれだけの軍を支えるほどの食料などの物資は膨大で、トラナグの備蓄でも数日兵達をとどめておくくらいしかできない。決戦は遅くとも3日以内で行われるだろうと同行している軍団長は語った。

 私達が本隊に近づいて行くにつれ、“圧力”が私の体を圧迫した。私の魔法使いとしての感覚が、戦いを前にする人々の興奮、熱狂を物理的な力として感じているのだ。その力は祭りで興奮する人々が生むものに似ていたが遙かに猛々しく、凶暴だった。その力はこれまでの戦いで感じていた力の数倍以上で、私達が率いてきた部隊にもその熱狂が伝播していくのがわかった。

 私はその圧力に必死に耐えていた。私は打ち上げられた魚のように口を開け、胸に手を当て鼓動を押さえ込み、今の状況から自分を守った。私の様子の変化に、小姓が声をかけてきたが、エイヴァン先生が「心配ない」といってくれた。先生が肩に手をかけてくれて、私は何とか先生にほほえみかけた。

 そして私の背にブルリと震えが走った。人々の狂気はより大きな扉を開き、魔法の発動を可能にする。この熱狂、人々の狂気が魔法への扉を開くのだ。……私が開けられなかった扉、恐れのあまり逃げだした扉に、プテラは触れることができるのだ。扉の恐怖に震えながら、私の心はプテラへの嫉妬の暗い炎を静かに燃え立たせていた。


 軍の中心に近づくにつれ「舞台」が見えてきた。この舞台と呼ばれる仕掛けは私達トラナグ軍特有のもので、戦場において、木組みで大きなステージを組むのだ。トラナグではこの舞台に魔法使いが立ち、魔法を使うのである。この舞台は組み立て式で、あらかじめ作られた部品を運んで組み上げられる。その形は首都にあるランタンカ神殿の“火の鳥の儀式”を行なう広間を模している。規模は小さいながらも私も戦場では舞台の上で魔法を披露し戦士達を鼓舞した。

 この戦場の舞台は私が使っていたものの何倍も大きい。それこそ首都の神殿の舞台に匹敵するほどの大きさだった。人の背丈の1.5倍ほどの高さがあり、舞台後方は漏斗を半分にしたようなドームが覆っている。このドームの内部にはランタンカの炎の絵が描かれている。内部の絵は舞台のかがり火で照らされ輝き、ドームは風の精霊の助けも借りて魔法使いの声を大きく響かせる。この舞台のあるところ魔法の庇護があり、トラナグは負けない。「魔法使いがここにいる」そういうことを示す舞台なのだ。

 私とエイヴァン先生は合流を果たした部隊から離れ、舞台に近づいていった。その舞台の奥にある大型の天幕には今回の戦いに参加するための魔法使いがいる。……プテラもそこにいるのだ。

 突然舞台のかがり火がともり大きな銅鑼が打ち鳴らされた。炎の揺らぎも銅鑼の響きも魔法で演出されている。兵士達が大きく歓声を上げる。舞台の上に祭司長のケイマ様が立っていた。金の刺繍の入った純白のローブ、そして金の飾りと宝石によって飾り立てられた錫杖が炎に照らされてきらめく。ケイマ様がその錫杖を掲げると兵士達の歓声が一層大きくなった。そして錫杖を下ろすと、兵士達はケイマ様の声を待って一斉に静かになった。

 ケイマ様は恰幅の良い老人だが、舞台の上ではその姿は堂々としていた。ケイマ様は周りを見回し、胸を張り声を上げた。その声は風の精霊により、大きく周囲に響いた。

「最後の部隊も合流を果たした。明日、我らは我が国の領土を奪おうとするモトとセドマの連合軍との決戦を行う。ユミルが使役するおぞましい魔物も我が軍の勇敢なる兵士、そして新たに生まれた大魔法使いプテラの火の鳥によって撃滅されるだろう! 我々にはランタンカ神のご加護がある。ランタンカの神よ、炎の神! 汚れを焼き、我らに命の炎を灯す神よ! 我らに勝利を! ランタンカの恵みを!」

 ケイマ様の声に兵士達は唱和する。

「ランタンカの恵みを!」

 津波のように響くランタンカ神への祈り。それに満足そうに頷いたケイマ様は舞台の後ろへと手を伸ばした。

「兵士達よ、彼が我々を勝利に導く新しい魔法使い、プテラ師だ!」

 兵士達から大きな歓声が上がる。そしてケイマ様の後ろからほっそりとした姿のローブに包まれたプテラが現れた。私は胃の辺りに痛みを覚える。あの片付けられそうになったときの胃の痛み。痛みにうめきながら、私は自分が得られなかった名声を得たプテラから目を離すことができなかった。

 真紅のローブに美しい金の刺繍。それは大魔法使いであるクムナイ様のローブと同じ意匠だった。クムナイ様を受け継ぐランタンカ神の使い。トラナグの威信を背負う魔法使いであることを示す服だ。私は腹に手を当て、必死で痛みと闘いながら、プテラを見ていた。プテラはローブのフードを目深にかぶり、うつむいており、その表情は見えなかった。

「さあ、兵士達にお前の顔を見せるといい、プテラ」

 ケイマ様の声にプテラが目深にかぶっていたフードを跳ね上げた。兵士達の歓声と、プテラの名前を叫ぶ声が上がった。


 それはプテラではなかった。


 短い銀の髪、痩せたからだ、プテラに似ているが目はずっと柔和で、興奮で赤く染まった頬、兵士達に向かってにこやかに手を振るその表情は、私の知っているプテラが絶対浮かべないものだった。プテラと全く違う人間が、プテラのふりをしている。私には意味がわからなかった。私は後ろを振り返り、同行しているエイヴァン先生を見た。先生もプテラの偽物の姿を見て驚きの表情を浮かべていたが、私の視線に気づくと小さく頷いた。

「とにかく天幕に向かおう、ゼムル」

 歓声は続いていたが私にはもう聞こえなかった。人混みをかき分けて私達は進んだ。


 天幕では私とエイヴァン先生は簡単な歓待を受けた。簡易的なテーブルだが豪華な食材が並び、ケイマ様は上機嫌で私たちが無事に部隊に合流したこと、南方面での私たちの戦いの結果を褒めた。しかし、プテラに関しての説明はなく、プテラの偽物の少年は皆の隅で縮こまっていて、時々私をおびえを含んだ目で見ていた。

 私はわからなかった。プテラがなぜここにいないのか? この偽物の少年は何なのか? 化粧を落とした偽物は爪も青くなく魔法使いですらない。しかしケイマ様は上機嫌でよくしゃべり、盛んに私たちに食事を勧めた。プテラの偽物には一瞥をくれただけ、私たちに紹介も、事情の説明もしなかった。私はモヤモヤした気持ちを抱えていたが、ケイマ様は私に質問を許さなかった。

「ゼムル、プテラに会っていくかね?」

 突然、驚くほど軽い口調でケイマ様は私に話しかけた。ケイマ様は口元が緩み、目元が赤い、かなり酔っている。周りの神官が目配せするのを私は見た。ケイマ様は後ろの神官達に追うようにうなずき、私の顔をのぞき込んだ。

「プテラの顔を見ておきたまえ、ゼムル。しかし、遠くからだぞ? 彼に気がつかれないように静かにしておくのだ」

 私はわけがわからず、神官達に誘導されるまま天幕の奥に進んだ。私の後ろからエイヴァン先生はついてきたが、先生に向かってケイマ様が手の中の杯を揺らしたのが見え、エイヴァン先生はうなずいた。先生はこのことを知っていたのだ。

 天幕の奥の部屋には“檻”があった。がっしりとした鉄格子でできた檻だが、不釣り合いな豪華な布がかぶせられている。それは赤地の布に金の刺繍、プテラの偽物が着ていたローブと同じ意匠だった。そしてその檻の中に……プテラがいた。

 赤と金の豪華なローブに身を包んでいるが、そのローブにはべったりと何か汚れがこびりついていた。細身だったプテラだが、今は手足の節がわかるほど痩せており、手足や顔も汚れていた。放っておかれて汚れているのではない、体や服をきれいに保とうという意識がないのだ。プテラの目はうつろで、どこも見ていなかった。開け放たれた口から唾液が糸を引いていた。

 私は彼のような人を見たことがあった。大神殿の地下には彼のような人が隔離されている。私たちは精霊達との交信に“魔薬”を使う。精神を高揚させ精霊界への意識を研ぎ澄ませるこの薬は常習性があり過度の接種は厳しく禁じられていた。しかし研究熱心な魔法使いや、薬の快楽に魅了されてしまったものがしばしばこの禁を破ってしまう。薬にとらわれた人間は薬だけを求め、薬を得たときのまどろみと、禁断症状でのたうち回り、自分の体を傷つけることもかまわず体をめちゃくちゃに動かすことを繰り返す。排泄物すらそのままで、夢とうつつを往復する“抜け殻”になってしまうのだ。プテラの様子は地下牢で蠢く彼らを思い出させた。

「プテラ……」

 思わず私の口から声が漏れた。反応は激烈だった。

「ゼムル? いるのか? どこだ!」

 プテラのうつろだった表情が強烈な憎しみに変わり、鉄格子をつかんで揺すり、叫び声を上げた。

「ゼムル、ゼムル!」

 私は強い力でその場所から離された。私の後ろに神官がいて私を持ち上げるように運び始めたのだ。プテラの後ろにも何人かの神官が控えており、彼らが風の精霊を使役し、プテラの顔に何かを吹きかけるのが見えた。プテラは糸が切れた人形のように昏倒した。

 私はそのままケイマ様がいる場所まで引きずられた。解放される私をケイマ様はじっと見ていた。

「ゼムル、プテラの様子を見たか。今は彼はああなっている」

「はい」

 私はそう答えるのがやっとだった。何が起きているのか、プテラがどうしてそうなったのか今、私はわかった。

 そう、彼は“扉”を開けたからああなったのだ。私がけっして開けられなかった力の扉。その扉に接触したときの恐怖が私の背中を這い上ってくる。あの扉の向こうを見れば、正気ではいられない。プテラは扉を開けたからこそ、あのようになってしまったのだ。

「プテラを哀れに思うか、ゼムル?」

 ケイマ様が私に問いかけてくる。その声はいつもの慈愛に満ちた優しさなく、しかし私をはっとさせる響きがあった。私は顔を上げる。ケイマ様はこちらの魂をのぞき込むように、私をじっと見ていた。私は思わず目をそらした。

「ああなった彼がどんな魔法を使うか、おまえは明日見ることになる。おまえが"本物の魔法使い"になりたいのか、彼の明日の魔法を見て、もう一度心に問うがいい。おまえは今、ランタンカ様に試されているのだ。おまえがこれまで追い求めてきた真なる魔法を明日見るがいい」

 私は頭を下げるしかなかった。あの姿、自我を失った人間の抜け殻のようなプテラが「魔法使い」だというのか? 納得とそこに反発する両方の気持ちが私の中で争っている。ああならなければ、あの扉に触れられないと言うことは、今ならわかる。あれこそが魔法の深淵に触れたものの代償なのだろうか? そのプテラが、明日、何をなすのだろうか? 私にはわからなかった。


              7


 そして戦いが始まった。両軍が戦いを始めるドラをかき鳴らし、我らトラナグの軍の進軍に対し、モトとセドマの連合軍は砦での籠城戦ではなく、打って出ることを選んだ。両軍はイサカ平原でぶつかり合った。最初は弓だ。お互いが矢を射かけ、敵軍の消耗を狙う。そこから騎兵による突進、槍を持った歩兵による戦線の押し上げと戦いは続いていく。

 雨のように降ってくる敵の弓。私たちは風の魔法を使って矢をそらすが、とても防ぎきれない。両軍の矢が尽きたところから、我がトラナグの軍からは金鎧に身を包み、金属のうろこを持つ“黄金鳥”に乗った神官戦士が敵軍の上から炎の槍での攻撃を仕掛けるのだが、今回の戦いではそれ以上の“魔法”が戦場に現れた。

 ユミルの「象」だ。モトとセドマの連合軍に明確に大国・ユミルが力を貸している証拠、5メートルはある巨大な魔法生物が、連合軍の隊列を割り、こちらに進軍してきた。

 体を覆う紫に光るうろこは矢を易々とはじき返し、大木より太い脚がハンマーのように我が軍の兵士をすりつぶしていく。そして巨大で長い鼻だ。そこから噴出される酸の液は兵士達をドロドロに溶かしてしまう。我が国の火の鳥と並び称されるユミルが飼う最強の魔法生物・象はたった1体で戦場を大きく揺るがした。我が軍の前方から大きな悲鳴が上がった。

 私は戦場の様子を”舞台”で見ていた。象を目の前にした戦場の兵士達の想いが“怯え”に変わるのがはっきりと見て取れた。しかしそれは皮肉にもそれまで雑多だった想いを1つにまとめ上げる働きがあった。怯えは強い勢いを持ってことらに向かって押し寄せ始めた。

 つまり……強い魔法を使う準備が整ったのだ。

 プテラは私たち白いローブを身につけた神官に囲まれ、金の刺繍の入った豪奢なローブに身を包み、仰々しく飾り付けられた椅子に座らされていた。しかし脚には枷がはめられ、鎖でその玉座につなぎ止められていた。震え続けるその体は、屈強な神官に両脇から押さえつけられ玉座に固定されていた。

 ケイマ様の目配せで、プテラはその玉座から無理矢理立たされた。

「プテラよ、火の鳥で彼らを焼き払え!」

 ケイマ様が声を発するとその声は風の魔法によって戦場中に響き渡った。

 その声にトラナグの軍は大きな鬨の声で応えた。

「ランタンカの神よ、炎の神! 汚れを焼き、我らに命の炎を灯す神よ!」

 ケイマ様が大きくランタンカ神への祈りの声を上げる。

 それと同時に、プテラの両脇の神官がプテラの耳元でささやいたのを私は聞いた。

「プテラ、おまえを殺そうとゼムルが軍を差し向けたぞ……」

「目の前の敵兵は全部ゼムルが指示をしているのだ、プテラ、彼らを焼き払え……」

 プテラはその神官のささやきに反応した。血走った目を前方に向け、脚を踏ん張り前に出ようとする。神官達は肩を押さえてプテラを止める。プテラは神官達の腕に爪を立て、身をよじってその戒めを振りほどこうとする。

「があああああっ!」

 プテラの口から獣の様な叫び声が上がった。

 その瞬間、“扉”が開いた。巨大な火球が私たちの上に出現した。舞台の上の神官達がその熱に一斉に倒れ込む。私はエイヴァン先生に引っ張られるように床に伏せさせられた。

 プテラの叫びが大きくなると同時に炎の球はさらに膨れ上がる。そしてその炎から翼が出て、鳥の形になった。

 床に倒れていたケイマ様が前方を指さす。

「ランタンカの恵みを!」

 その声に押されるように炎の鳥が敵軍に向かって進んだ。

 炎は味方を蹴散らして進む象に取り付いた。紫のうろこが炎の光を浴びてギラリと一瞬光るが、次の瞬間真っ黒に変わった。象はその長い鼻を真上に向け、悲痛な悲鳴を上げ地面に倒れ伏す。炎の鳥は止まらなかった。それはまるで枯れ草に炎が広がるように炎の波が象から広がり敵連合軍を覆った。兵士達の青銅の鎧が炎の照り返しを受け不気味に輝く、のたうち回る兵士の体の炎がさらに周辺にその火を広げていく。連合軍の中央がぽっかりと消し炭へと変わった。

 それは私が望んでいた魔法の力だった。すべてを焼き尽くすほどの強大な魔法をこの世に自分の力で呼び出す。プテラはそれを確かにやってのけた。私と同じように育てられた人間が、実際に本物の魔法使いになった。今私はこの目で見た。それは“感動"だった。人は魔法使いになれる。私もなれるだろうか、この世のものではない力を引き出す魔法使いに、私も!

 しかしそれと同時に、プテラがどう魔法を使ったのか、私は気づいてしまった。

 彼は魔法を使おうとしたのではなかった、むしろその扉を"抑えて"いたのだ。彼は今も必死にその扉からの内圧に耐えていた。その扉が開け放たれることを必死で食い止めているのだ。私はそのことを今理解した。私の魔法使いとしての感覚が今のプテラの状態を正確に読み取っていた。

 火の鳥はその力に一瞬耐えきれなかったプテラが"漏らした力”なのだ。プテラはその扉を閉じるために、自分の心を閉ざしていたのだ。彼が抜け殻のようになっているのは、内側から扉を開けようとしている力に全力で対抗しているからなのだ。

 しかし今や、戦場はたくさんの想いであふれかえっていた。その力は扉を必死で閉じているプテラの体を責め立てていた。プテラはもう耐えられない。そうなると本当に扉が解放されてしまう。それはどんなことを起こすのだろうか?

 私は周りを見る。神官達は混乱から立ち直っていた。床に伏せていた神官達が起き上がり始める。彼らの目には本物の魔法を目にした感動と恐怖があった。しかし彼らは全く気がついていないようなのだ。プテラが今どんな状態なのか、彼が扉を押さえるためにどれだけ力を尽くしているか、そしてその力は残りわずかだと言うことを。なぜわからない? 魔法使いならば簡単に感じられるこの恐怖をなぜここにいる魔法使い達はわからないのだ?

「もう一度だ、プテラ」

 いつのまにかケイマ様が私の後ろに立っていた。ケイマ様が強い力で私の体を押さえる。私は身動きがとれなくなる。

「プテラ、おまえの憎しみを、怒りを解放しろ。ゼムルはここにいるぞ!」

 叫びと共に、ケイマ様は私のフードを跳ね上げた、私とプテラの目が合った。

「ゼムル!」

 プテラは叫び、扉が開いた。

 プテラの首から下が一気に裂け、そこから“魔法”があふれ出た。それは真っ黒な何かだったが、外に出た瞬間虹色に光り、そして“形”を取り始めた。それは人の腕だった。鳥の羽根だった。獣の脚だった。虫の羽だった。肉食獣の顔、カブトムシの脚、山羊のひずめ、大鷲のくちばし、豚の脚、バッタの頭だった。ありとあらゆる生き物の一部が、虹色の何かから突き出され、そして再び虹色に戻っていった。それに触れた舞台は、人は、兵士達は同じように虹色に飲み込まれ、そして何か違うものに変わり、そして変わり続けていった。

 私は虹色の何かがプテラからあふれ出る瞬間、風の精霊の力を解放し体を浮かせた。助けられたのはそばにいたエイヴァン先生だけだった。ケイマ様や他の神官が虹色に飲み込まれ、何かに変貌していくのが見えた。虹色の本流はいつまでも止まらず、両軍を飲み込み戦場一帯に広がっていく。

 魔法は、力だ。それは本来はこの世の法則に当てはまらない“何か”だ。しかし私たちの世界では“形”がなくては存在できない。だからこそこの世界に出た瞬間、様々な生き物の形を模したものになる。魔法使いが形を与えなければ、その形は制御されず、形を変え続けるか、この世界の理に合わず死ぬ。にもかかわらず、その“魔法”はこの世界を染めたがっている。今やプテラの体を通じ魔法はこの世界を染めようとその版図を広げていた。

「げえええ」

 私の横のエイヴァン先生が地上の様子を見て体を2つに折って嘔吐していた。

 エイヴァン先生に目を向けたとき、地上のプテラがこちらを見ていることに気がついた。プテラは今や正気を取り戻していた。扉を塞ぐこともできないプテラは私に自分の想いを強く伝えていた。

 私はうなずき、火の精霊を呼び出した。

 火の精霊は私の命令通りに、炎の矢をプテラに放ち、その命を絶った。

 プテラがくずおれ、魔法の、混沌の奔流は止まった。広がった混沌のほとんどはこの世に適合できず消え去っていったが、この世に迎合した形を持つことができたものは森の中に去って行った。あたりには死んだり、体の半分を変えられたりしたもののうめき声やすすり泣きに満ちていた。

 私たちは地上に降りた。エイヴァン先生は嘔吐を止めなかった。胃の中のものをすべて吐き出したエイヴァン先生はそれでもえずきを止められず苦しそうにもがいていた。

「先生……」

 伸ばした私の手をエイヴァン先生は乱暴に払いのけた。エイヴァン先生の表情は私が見たこともない卑しいむき出しの敵意に満ちていた。

「ゼムル、君はわかったんだろう? 魔法使いなら当たり前のようにわかるプテラの様子を私やケイマ様が気がつきもしなかったことを」

 口元を拭い、薄ら笑いを浮かべ、恫喝するように先生は私の顔をのぞき込む。変貌してしまった先生の様子に気圧されながらも、私の中には納得があった。

 私の表情にそれを知ったのだろう。エイヴァン先生は笑い声を上げた。芝居がかった、虚勢に満ちた、こちらを馬鹿にする笑い声だった。それは自嘲に満ちていた。

「そうさ、僕は爪が変わったものの精霊の声も聞こえない“役立たず”だったんだよ。そんな僕が君たち本当の魔法使いの先生になる、そのことを命じられたとき、たまらないほど爽快だったよ。魔法使いのふりをして君たちを導いて、監視する、プテラのような本当の魔法使いを育て上げる。薄気味悪い、正気も保てない道具に仕立て上げる。ゼムル、君は見込みがあった。魔法に魅入られ、素直で、従順だ。だからこそ君もプテラのようになれるはずだった。だからこそ私はここまで君についてきたんだ」

 露悪的な口調、しかしそれは間違いなく先生の本心だった。彼は“片付けられた”人間だった。だからこそ私たち、生き残り、才能を開花させ、魔法使いの道を歩もうとする私たちをだまし、導くふりをするのがたまらなく快感だったのだろう。そのことを正直に告白し、裏切りの言葉を浴びせかけるこの瞬間をずっと望んでいたんだろう。

「さあ、真実を知った君はどうする? 教団に戻ってプテラのようになるか、それとも僕のように、若い魔法使いを育てるかい? 今回の事故で教団内の勢力図も大分変わるが、魔法使いを作り出すランタンカ神のシステムは続く。才能のある君なら、僕よりずっとうまく教師ができるかもしれないな」

 エイヴァン先生は笑いながら私の顔をのぞき込むが、私の顔を見て、その表情が変わる。

「ゼムル?」

 私にはその真実はどうでも良かった。エイヴァン先生にだまされていた、その衝撃以上のものが、私の心に生まれていた。そんなことより、魔法への興味が私をより強く魅了していた。魔法の力はその源とこの世をつなぐ方法なのだ。精霊は魔法の世界へつなぐ扉の周囲に漂う扉から漏れる魔力を薄めたような存在で、その源泉はこの世の断りと結びつけることで、もっと大きな奇跡を可能とする。使い方、出し方なのだ。扉となる人間は壊れてしまう。それを安全に使うためにどうするか……自分以外を魔法使いにすればいい。ランタンカ教団のシステムは理にかなっている。

 ……しかしそれが最良だろうか? 無理に扉を開けさせて、制御する、それでは強大な力は得られるが、今回のように簡単に壊れてしまう。そうではない方法があるのではないか? こちらの世界を侵食しようとする魔法を、こちらの望むような形で使う、神人はそうやって栄華を築いたとしたら、そう、魔法にはこの先があるのだ。

 ぶるり、私の背に震えが走る。それはあの扉に触れる記憶が生み出す恐怖による震えだが、今の私にはそれは新しい夢に繋がっていた。私は魔法の本質を見た。だからこそそれを利用する方法を考えられる、本当の魔法使いになれる! そう、私はエイヴァン先生と違って魔法使いとしての才能があるのだ。私だからこそ、魔法に近づける方法があるはずなのだ。そのためには何をすればいいだろう?

「エイヴァン先生、私は教団から出ます。今は全くやり方はわからないけど、私はこの目で魔法を見た。あの魔法の扉を開け、出てくるものをどうするか、私は研究がしたい。教団にはいられない。私はここから去り一人で研究を続けます」

 私の言葉にエイヴァン先生は一瞬言葉を詰まらせ、そこから激高した。

「そんなことが、そんなことができるわけないだろう。おまえにはすぐにランタンカの追っ手がかかる。おまえはすぐに大神殿の奥に閉じ込められ、薬で正気を失わされ、魔法の扉を開けさせられる。どこにも逃げ場なんてない。大体、おまえには“薬”が必要だ。毎日飲み続けなくてはならないあの毒の西方が分からなければ、おまえは禁断症状で死ぬ。魔法使いはランタンカ教団から逃れられないんだ」

 しかし私の意思は変わらなかった。ランタンカ教団では魔法の“先”を見ることはできない。もはや私には教団は必要ない。

 私の顔をにらんでいたエイヴァン先生が不意に後ろを向いた。ドサリ、私の前に彼が持っていた本が放り投げられた。

「その本には毒の製法が書かれている。ゼムル、私はおまえにその本を脅し取られたんだ。おまえは私からその本を奪って脱走した。繰り返すがおまえに未来なんかない」

 私はその本を拾い上げた。

「ゼムル、元気で」

 背を向けたまま、エイヴァン先生が小さな声で言った。


 こうして私は本当の魔法使いになるため、教団を出たのだ。


                        完

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ゼムル @Lian56

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