静かな山に響く声
氷柱木マキ
静かな山に響く声
人里離れた山間の地に、小さな村があった。村では争いもなく、みな助け合って生活していた。そんな平和な村に、不似合いな掟があった。
『嘘をついてはならない』
村を囲む山には神が住んでいるといわれ、神は何よりも嘘を嫌うという。そのため、この村では遠い昔から嘘をつくことは禁止されていた。村に生まれつくと、親は何よりも早く、嘘をついてはならないと教え込んだ。
そのためか、村人はみな正直者で、普段はことさら掟を気にすることはなかった。
村には二人の仲の良い少年がいた。志郎は明るく元気な村の人気者だった。もう一人、佐吉という少年がいた。佐吉は決して目立つ存在ではなかったが、真面目で落ち着いた優しい少年だった。そんな正反対の二人だが、不思議とウマがあったのだ。
ある日、志郎と佐吉の二人は、数人の村の子供たちと一緒に遊んでいた。中心となってみなをまとめる志郎とは反対に、佐吉はいつも子供たちの輪から少し離れたところにいた。
みかねた志郎は、佐吉をみなの中心に連れて行った。そして、他の子供たちに、佐吉と一緒にしたいろんな出来事を、面白おかしく語った。
「そんな大きな蛇がいたのか。ほんとかよ、佐吉」
「う、うん。志郎と一緒に見つけたんだ」
次第に佐吉もみなと打ち解けていった。
「そういえばあの池の魚も大きかったなあ。こんくらいあったんだぜ」
志郎はそう言って手を広げた。
「だけどあの時、佐吉が池に落っこちてさ。大変だったぜ」
「なんだよ、佐吉は泳げないのか」
みんなが佐吉を見て笑った。佐吉はうつむいてしまった。
「そ、そんなことないぞ。あの時はまだ小さかったからな。今は佐吉もちゃんと泳げるさ」
慌てて志郎は弁解した。
「それじゃあほんとかどうか、泳いでみろよ」
子供たちの一人が言った。
「もし泳げなきゃ志郎が嘘ついたことになるぞ」
志郎は焦って佐吉の顔を見た。佐吉は震えていた。嘘は禁じられている。佐吉の様子からして、泳げないのは明白だ。
「いや、あの、それはさ」
しどろもどろになりながら、弁解しようとした志郎の声を、佐吉が遮った。
「ごめん、ぼく泳げないんだ。でも、志郎には泳げるようになったって言ってたんだ」
志郎は驚いた。佐吉がそんなことを言ったことはなかったからだ。佐吉が志郎をかばって嘘をついたことになる。
「佐吉の嘘つき、嘘つき」
子供たちは騒ぎたてた。佐吉は真っ赤になりながらも、不安な表情をしていた。
「もういいだろ、この話は……」
志郎がそう言いかけた時、男がやってきた。
「誰か嘘をついたのか」
男の真剣な口調に、子供たちは黙って佐吉を指さしていた。
佐吉は捕らえられ、村長の判断に委ねられた。
「村の唯一の掟だ。嘘をついたものは、山の神に捧げ、神の許しを請う」
村長の言葉はこうだ。嘘をついた者は、その罪深い口のついた頭を胴体から切り離し、頭は山の神の祠に捧げ、胴体は村に埋葬する。そうすることで、胴体は罪にとわれることはない。
村長はこれは神聖な儀式であると語った。山の神の怒りから村を守るには、こうするしかないのだと。
儀式は翌日行われることになった。佐吉は、最後の日を家族と過ごすことを選んだ。それは、村の人間たちが、佐吉のことを腫れものに触るかのように見ていたことも原因だ。
志郎は、佐吉の家に行った。佐吉の家族も二人の仲を知っていたので、二人だけにしてくれた。
「ごめん……おれが馬鹿だからこんなことに……」
志郎は何度も謝った。謝ってどうなるわけでもないことは分かっていたが、謝らずにはいられなかった。
「気にしないでよ。志郎だけでも助かってよかった」
「なに言ってるんだ。おれが犠牲になればよかったんだ。何が儀式だ、こんなのただの処刑じゃないか」
興奮と焦りでいっぱいの志郎に対して、当の佐吉は驚くほど落ち着いていた。
「ぼくは志郎が生きていてくれたほうが嬉しいよ」
佐吉の優しい言葉に、志郎はやりきれない気持ちでいた。
「そうだ、今のうちに逃げ出そう」
志郎はこれしかないと思った。
「なに言ってるんだよ。そんなことをしたら、村のみんなに迷惑がかかるじゃないか」
「あんなやつらがなんだっていうんだ! 見たかよ、あいつらの目を。佐吉のことを、まるで汚いものでも見るみたいにしてやがった」
「しょうがないよ、ぼくが嘘をついたのがいけないんだ」
「それがなんだっていうんだ。何が神の怒りだ、そんなものあるわけがない」
「志郎。それはいけない」
突然、佐吉は真剣な表情になった。
「ぼくは神様を信じてるよ。神様がいるからこの村は平和なんだ。今までだって幸せに暮らしてきた。そしてこれからもみんなが幸せに暮らせるように、ぼくがちゃんと神様に謝って、お願いしてくるから」
「佐吉……」
「さあ、今夜は楽しい話をしようよ。そうだ、二年前のお花見のこと覚えてるかい」
二人は昔話に花を咲かせ、夜は更けていった。
翌朝、村の中心に村人全員が集められた。佐吉は志郎に「行ってくる」と優しく言って、村長のところに行った。
「これから儀式を始める」
村長の一言で、それまでざわついていた村人たちが静かになった。すると、一人の男が、大きな刃物を持って現れた。それを見た人々は、またにわかにざわめき始めた。志郎は佐吉の様子をうかがった。目が合った佐吉は、変わらず優しく微笑んでいたが、どこか昨日までとは違うように見えた。
別の男が細身の丸太を持って現れた。刃物を持った男は、丸太を地面に置かせると、勢いよく刃物を振り下ろした。丸太は、コロン、と音を立てて二つに分かれて転がった。
刃物の切れ味を確かめたようだ。志郎を含め、その場にいた全ての人間が息をのんだ。これから行われることが、現実感を持って感じられたのだ。志郎は佐吉を見た。その時の佐吉の表情は、先ほどまでとは明らかに違うものだった。佐吉の顔は青白くなり、小刻みに震えているのが分かった。
志郎はようやく気がついた。昨日からずっと、佐吉が無理して笑っていたことを。志郎を不安にさせないために、必死で感情を隠していたことを。
佐吉は地面にうつぶせに寝かされ、手足を複数の男に押さえられた。そして、刃物を持った男が、狙いを定め、振り下ろした瞬間、
「いやだ……死にたくない!」
佐吉の悲痛な叫びが響いた。叫びは、そのまま絶叫へと変わった。人間の首は、丸太のようにはいかなかった。一度では断ち切ることができず、男はさらに力任せに叩き切った。
ごろり、と佐吉の頭は転がった。叫びは続き、そして、止んだ。ちょうど志郎を見据えるような位置で、頭は止まった。その顔は、目も口も限界まで開かれ、苦痛に歪み、志郎は直視することができなかった。
「佐吉……」
志郎は駆け寄ろうとしたが、意に反して体は動かなかった。村長たちが佐吉の頭を抱え、山に向かっていき、佐吉の体を佐吉の家族が持ち帰っていくのを、しばらくの間、ただ眺めていた。
その日から、村は変わった。みんな佐吉のことを話そうとはしなかったが、誰もが忘れられずにいた。このことは、確実に村に影を落としていた。みな、以前よりも無口になり、些細ないざこざが起こるようになった。
志郎は、何日もの間、家から出なかった。一週間ほど経った頃、志郎は家を出て、どこかへ出かけた。志郎の顔は、以前とは比べ物にならないほどやつれていた。村人に声をかけられても、ほとんど返事もせず、毎日のように、どこかへ出かけては、日暮れごろにまたどこからか帰ってきた。
村の誰もが、佐吉のことを考えると、志郎の様子も仕方のないことだと思った。きっと一人になりたいのだろうと。
佐吉が死んだその日の夜から、志郎は同じ夢を見るようになった。佐吉の断末魔の叫び声の中、佐吉の歪んだ顔が、志郎に語りかけてくるのだ。「ぼくは……死にたくなかった」と。その度に、志郎は飛び起き、暗闇の中、佐吉に対して謝り続けるのだった。
志郎が向かった先は、山の中だった。どんどん登っていき、半刻ほどして目的地にたどり着いた。そこは、洞窟であり、佐吉の頭が安置された、山の神の祠だった。
佐吉の頭は、祠の奥の、小さな祭壇の上に、無造作に置かれていた。時間が経っていたが、不思議とほとんど変わらぬ状態だった。ここは、特にお供えものがあるわけでもない、普段は村人の誰もが近付かない場所である。
志郎は佐吉の頭に近付くと、地面に伏して、泣きながら謝り続けた。佐吉の顔は、村長たちがそうしたのか、目も口もとじられ、今は無表情の死人然としていた。
そうやって、志郎は佐吉のもとへやってきては、謝り続けた。何日も経ったある日、その日も変わらず、志郎は佐吉の前で、泣きながら謝罪の言葉を繰り返していた。
どのくらい時間が経っただろうか、志郎の声もほとんど嗚咽だけになっていた頃、志郎には声が聞こえた気がした。恐る恐る顔を見上げると、無表情だった佐吉の顔が、微笑んでいるように見えた。
その日以来、志郎は佐吉の夢を見なくなった。それでも、志郎は毎日のように、佐吉のもとに通い続けた。
月日が経ち、村も少しずつ落ち着きを取り戻していた。つまらないいさかいは再びなくなり、ほとんど前とは変らない状態になっていた。
志郎も、以前の明るさが戻ったようだった。ただ、以前と全く同じではなかった。村人が話しかけると、決まって佐吉の話をした。佐吉との思い出を、嬉々とした表情で語るのだ。佐吉のことは忘れたい村の人間たちは、次第に志郎には話しかけなくなった。
村人が志郎を避けたのは、それだけが原因ではなかった。表情は明るいものの、志郎の顔はどんどんやつれていった。それに加え、村人たちを見る志郎の眼は、冷たくうつろに見えたが、同時に不思議な力に満ちていた。村人の中には、そんな志郎を、死人のようだと気味悪がるものもいた。
「やあ、また来たよ」
志郎は変わらず、佐吉のもとに通い続けていた。
「今日はりんごを持ってきたよ。佐吉と食べようと思って」
志郎は嬉しそうな顔で、佐吉のところまで行くと、佐吉の顔と向かい合って座った。佐吉の頭は、段々と腐敗し、元の形を留めなくなってきていたが、志郎は全く気にせず、佐吉に話しかけていた。
「ここはいいよなぁ。誰もおれたちを邪魔したりしない。佐吉を馬鹿にする子供たちも、冷たい大人たちもいない」
志郎は小さく切ったりんごを食べながら、その一切れを、食べさせるかのように、佐吉の口元へ押しつけた。当然、死人の口は、何も受け付けたりはしない。
「なんだ。食べないのか。それじゃあおれがもらうぞ」
そう言って、佐吉の腐肉が付着したりんごを、美味しそうに頬張った。
「ああ……、みんないなくなればいいのに」
佐吉もそう思うだろ、と、志郎は優しく語りかけた。
腐敗した佐吉の頭は、いつしか異様な臭いを放つようになっていた。その臭いは、山全体を包むように広がっていった。そのせいか、山の動植物たちが、以前とは変っていっているようだった。植物は弱り、枯れ、その一方、動物たちは以前よりも気性が荒くなっているようだった。
異様な臭いの中、腹を空かせた動物たちの唸り声が響きわたるこの山は、この世のものとは思えないような状況だった。
ある日、事件は起きた。山の近くで遊んでいた村の子供が、狼に襲われたのだ。狼は村の男たちによって退治されたが、襲われた子供は助からなかった。子供は首を噛み切られていた。村人たちは、死んだ子供を目にし、嫌でも佐吉のことを思い出していた。
村人は恐怖した。かつて、山の動物が村を襲うようなことはなかった。山はそこだけで完全な社会ができあがっており、なによりも山の神に守られているはずだった。何かが変わってきている。口にはしなかったが、誰もがそんな気持ちを抱いていた。
またある日、再び事件は起きた。今度は熊が人を襲ったのだ。それも、被害にあったのはまたしても子供だった。熊はしばらく暴れまわり、何人もの子供が犠牲になった。大人たちが駆け付けると、あっさりと山に戻っていった。まるで、初めから子供を狙っていたかのようだった。
その様子を、志郎は離れた所から見ていた。熊が子供たちの首を噛みちぎり、跳ね飛ばす光景を、薄笑いを浮かべて見ていた。
村の大人たちは集まり話し合い、子供たちを山に近付けないようにすることを決めた。そして、村長たちは近日中にも山を調査することにした。
その後、山の近くで動物を見かけることはあっても、襲ってくることはなかった。村人たちは、少しの安堵感を抱いていた。ただ一人、志郎を除いて。
「そろそろ、かな」
そんな志郎のつぶやきに、気付くものはいなかった。
ある夜、村人たちは、山の咆哮を聞いた。それは、山を駆け下りる無数の獣たちの鳴き声だった。村は大勢の獣の群れに襲われた。熊、狼だけではない、山に棲む全ての動物が、山を下りていた。
凶暴化した獣たちは、片っ端から村人を襲った。家の扉を破り、寝ている人間の首を噛みちぎり、食い殺した。いち早く気付いて、逃げ出した人間も、その多くが後ろから飛びかかられ、呆気なく食われた。
村の人間はなすすべもなく、命からがら逃げ出した数人を除いて、一人残らず食い尽されてしまった。その全てが、首を切り離されていた。特に、村長を含む男たちの死に様は、あまりにむごいものだった。
村には生きているものは誰もいなくなった。逃げだせた村人の中には、佐吉の家族の姿があった。しかし、志郎の姿はどこにもなかった。
動物たちがいなくなり、すっかり静かになった山に、声が聞こえた。
「ようやくみんないなくなった。佐吉……おれたちずっと一緒だよ」
それは、完全に白骨化した佐吉の頭を抱いて、妖しく笑っている志郎の声だった。
静かな山に響く声 氷柱木マキ @tsuraragimaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます