第6話

結局葉奈の意見に学が阿諛忖度してばかりでこんなものは「話し合い」とは名ばかり、葉奈の意見が押しつけられたに過ぎないのでは? という見方は早計で、実情はこの話し合いを仕向けたのは学の方だったと言えなくもない。

 そもそも外出の機会は圧倒的に学よりも葉奈の方が多かったのであり、それは基本的には仕事上の打ち合わせだったり、仕事とは言えぬまでも葉奈がその才能を発揮して未来に「輝くため」その前段階として才能を「磨くため」に必要な外出であったから学もそれをどうこう指摘するつもりはなかったのではあるが、――たとえ、それは今本当に必要とは言えないのでは? と思われるような懇親社交パーティや何を成し遂げたわけでもないのに打ち上げと称して遅くまで飲んで帰ってくることがあっても、それすら学は葉奈がそれを必要と思ってしているのであればとやかく言うつもりはなく、せめて自分だけでもなるべく外出は控えて感染リスクを下げる生活をしていこうと決めていたのである。「決めていた」というからにはそれは頭が決めたことであって、本当の本当の本当の心を言うなら、仕事のあれこれはともかく、その後のつきあいとか今後の関係性維持のためとか将来の人脈造りのためとかいうような曖昧な、不要とは言えないまでも不急ではありそうなものに関しては、今だけでも控えたらどうだろうか、と感じていたのである。感じていたのではあるがそれを葉奈に言い出すのがなんだか億劫で、気後れがして、それで世間で言われるほどコロナというものは恐ろしいものでもないだろう俺は神経質になり過ぎているようだと思い込もうとして、思い込もうとしてというからには本当には思えていないのであるが、怖いという思いを頭で無理に否定していた。頭でいくら否定したところでしかし結局心の芯では違和感がくすぶっているので、ふとした折に、「コロナに対する態度が家族間とか夫婦間とかで一致してなくて不和になることもあるのかぁ。俺らはそんなことなくて良かったわぁ」とか「家族間での感染もできれば気を付けろって言うけど、無理だわー。部屋も風呂もトイレも同じなのにさぁ。そんなのうちでは構造上むりむりむりっ!」など、ほのかに、本当にほのかに、何とでも後から言い逃れはできる程度に、葉奈に自身の行動を顧みることを示唆するような言動を取ってきた。半分独り言のように、しかし確実に葉奈にも聞こえるように。 学がそういった「策略」「企図」によってこの話し合いに葉奈を誘引しまんまと葉奈がかかったのだと言うとそれはそれで言い過ぎだが少なくともこの話し合いは学の方でも近いうちにしておきたいと望んでいたものだったし、話し合いの結果もまた不満のないものとなったのである。

 決まったのは、

 ・三日に一回交替で行くことにした最寄りのスーパーへの買い出し以外は基本的にSTAY HOME。

 ・友人知人親族との接触については原則NG、都度相談し合って正当な理由があると認められる場合に限り、時間と場所を限定して許可される。

 ・それ以外の全ての外出はいったん禁止。

 

 「いったん」というのは大切で、あくまで一時的のことなのだ、コロナが収まるか収まらないまでも無視できるレベルに減るまでの暫定的な決まり事なのだ、というニュアンスがこの「いったん」という一語には含まれており、二人がここまで厳しい制限を自らに科したのはもちろん感染したくないという気持ちもあったが、飽くまで「いったん」なのだから、「今だけ」なのだから、危険と思われるものは「とりあえず」全部厳しめに禁止しておけば良いという気持ちからだった。

 結果から言うとこの感染症は「いったん」で済むような話ではなかったのであり、2020年春などというのは序盤中の序盤、始球式のタレントがようよう振りかぶったかどうかという所でしかなかった。あるいは、そもそも何も始まってなどいなかったのかも知れないが、渦中の二人はあくまで「今だけだから」「とりあえずは」「いったんは」と思って、「もう少しだから」「治療薬ができるまでの辛抱だから」と励まし合いつつコーポに垂れこもったのだ。 

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