幻影堂の魔人さん
ぽち
第一話 幻影堂へようこそ
1-1
さぁ、今日も一日を始めよう!
本日もよいお日柄で、朝から濃霧となっている。
霧の出る日は大忙しだ。なぜなら、幻影堂の開店日だから。
幻影堂は私の自宅兼雑貨屋……、いや、骨董屋と言った方が正しいかな? それとも素材屋? アートギャラリー? まぁ、お客様が好きに決めればいい事で。
店主は私。まだ二十そこそこだけれど、接客はなかなか様になっていると思う。たいていのお客様には好意を持ってもらえる。人間の方にも、そうでない方にも。
店頭に並べている飾り帽子やアクセサリーの類なんかは、ほとんどが私のお手製品だ。それらに必要な素材は全て、父さんが用意してくれる。
そんなに盛況な店でもないけれど、
特に霧の濃い日は、必ずといっていいほど誰かが訪ねてくる。
ほら、言っているそばから。
「いらっしゃいませ!」
やってきたのは、人間の女の子だった。なんとまぁ、珍しい。
可哀想に、外は危険だらけだった事だろう。なにせ霧の中には魔物が住んでいる。彼らは人間が大好きだ。少女の長く編んだ髪はほつれて爆発したような有様だったし、服は泥だらけ。走ってきたのか息は乱れて、
少女は私の顔を見ると、目をひん剥いて驚いていた。無理もない。ツノは人間には見慣れないものだろうから、よくある反応だ。
それに霧の出る森の中に人家なんて、普通は建っちゃいない。霧の中をあちこち
そしてその通り、ここは人家ではない。幻影堂だ。
「小さなお客様、本日はどのような物をお探しで?」
少女は悲鳴を上げ、店から出ていった。そしてすぐに、店の外でまた悲鳴が上がった。大方、人狼か何かいたのだろう。さっき遠吠えが聞こえたから。
また、少女が店の中へと転がり込んでくる。
「お客様、霧が出ている間は魔物が歩き回っていて危険ですよ。どうです? その間、うちの商品をご覧になられては」
私はにっこりと営業スマイルを浮かべた。少女はぶるぶる震え、怯えていた。
私は手近に並べられた飾り帽子を一つ選び取り、少女の前へと差し出す。
「これなんて
自画自賛になってしまうが、これは結構な自信作だった。婦女子用に作ったのでなければ私が被りたいくらいだ。帽子の側頭部には大きな巻きヅノが取り付けられていて、指で触れればゴツゴツとした起伏を楽しむ事も出来る。やや大ぶりで重さはあるが、全体的に丸いシルエットはまとまりが良く、華やかな飾りとも合っている。
私はうっとりとツノの凹凸を撫でていたが、少女は何か言いたげにこちらを
「ストレートなツノの方がお好みで? それとも、もっと長物が付いている物をお持ちしましょうか」
「あ、あなた……、魔物でしょ?」
少女が
「私は幻影堂の主人ですよ。お客様のご要望に合った物を提供するのが、この店のモットーです」
少女が私の姿を、上から下までじっくりと眺める。私は
「き、霧の中には、魔物が住んでいるんでしょ……⁉」
「えぇ、もちろん。外に出ると危険ですよ」
「あなただって危険じゃない!」
「私は人間を食べませんので」
言うと、さっと少女の顔が
「……魔物は、人間を食べるの?」
「大概は。あなたもお腹が空いたら食べるでしょう?」
「人間は食べないわ!」
「奇遇ですね、私も食べません。父の教育方針で、食べるのはもっぱら森に生えている植物と、人間のお客様に分けてもらった物、あとはたまに魔物の肉も食べますね」
少女の瞳に、きらりと光が灯った。
「人間も、ここへ来るの⁉」
「えぇ、たまにいらっしゃいますよ。天候が急に変わった日や、遭難してしまった方なんかが。あとは、あなたのような捨て子も」
「違うわ‼」
少女は顔を真っ赤にして言った。
「私、捨て子なんかじゃない……! ただ迷子になってしまっただけなの! 街に行く途中で、森を通り抜けようとして、パパとはぐれてしまったのよ! きっと今頃、私を探し回ってるはずだから……!」
これが人間の得意技だ。人間はよく嘘をつく。たまに自分も
霧の出る森を通り抜けようとするなんて、さらにそこで娘とはぐれてしまうなんて、そんなヘマをするまぬけな大人はいませんよ。そう指摘してもよかったが、無粋な真似はやめておいた。なにせ彼女は大切なお客様だから。
たまにいるのだ。霧の出ている森に、わざと子どもを置き去りにしていく人間が。
「そうでしたか。それは大変、失礼しました。それならば、街まで行かれるための物をここで見繕われては如何です? 私がお手伝いさせて頂きますよ。幻影堂は霧の出ている間しか存在しませんので、魔物の目を
「……私、お金を持っていないの」
少女が恥じらうように言うので、私はまた、にっこりと笑った。
「お支払いは現金でなくて結構ですよ。幻影堂は物々交換も受け付けております。お客様の持っている物と交換させていただければと思います」
如何です?と尋ねると、ややあってから、少女はこくりと
「では、幻影堂で束の間のひと時をお楽しみください。
私は金の
「お客様のお名前を
少女はおずおずと、私の手を取った。
「……リズ」
「リズ。素敵なお名前ですね」
どんな名前であっても、そう言うのがマナーだ。私は彼女の手を引き、幻影堂の奥へとエスコートしていく。
リズの歩幅は小さいので、私はゆっくりと幻影堂の中を歩いた。
飾り帽子の棚、羽ペンと香水瓶の並ぶ棚、
「あなたの名前は、何て言うの?」
「𝖜ᗩ𓇼𓁿Ꮹ」
リズを見下ろすと、彼女はぽかんと口を開けていた。
「𝖜ᗩ𓇼𓁿Ꮹ」
もう一度、彼女の目を見て言ってやる。リズはなんとも言えない顔をして、口をぱくぱくさせていた。
私はにっこりと笑いかける。
「父がつけてくれました。人間の耳では聞き取れません。どうぞ、お気になさらず」
私はさらに、リズを店の奥へと連れていった。蛍光虫のブローチは私のお気に入りの棚の一つだったが、リズは商品には目もくれず、ずっと私の顔ばかり見ていた。
「……魔物って、もっと恐ろしい見た目をしているのかと思ってた」
「そうですね、大概はそうですよ。私が変わり者なだけです」
リズが、握った手で私の手指をさする。
「……ツノと、鉤爪はあるけれど、あなたは魔物と人が混ざってるみたい」
面白い事を言うな、と思った。リズの感性に興味が湧く。
「私の母は人間ですからね。父が人間を食べなくなったのも、それが理由です」
リズがぱっと顔を上げ、私の顔を見る。
「やっぱり! 魔人さんはあまり怖くないと思ったの! 半分は私と同じ、人間だからなのね!」
「魔人さん?」
尋ねると、彼女はぱちんと自分の口を押さえ、もごもご言った。
「魔物と人間だから、魔人さん……。名前が分からないから、そう呼んでは、ダメ?」
私はぱちぱちと
人間の女性客に好まれる事は多いので、不思議な行動とは思わない。だけど、これはなかなか注意が必要だ。前に来た婦人が私を店から連れ出そうとした時は、父が怒って酷い目に合わせてしまった。幻影堂のお客様を減らすような事は、私としてもしたくない。
まぁ、それはともかく、その呼び名は案外悪くないなと思った。
「リズのお好きなように」
にっこり笑うと、リズの口角がほわりと
柔らかそうな頬は、実に魔物の食欲をそそる見た目をしている。
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