第12話 協力してくれなきゃ許さない
平介は、静まり返った大観衆の中へと身を投じた。
波のようにうねる人波を、すみません、と小声で謝りながらかき分けていく。目当ての人物――「一谷」の顔をした少女を探して。
やがて、見覚えのある背丈としぐさを見つけた。制服の裾をふわふわさせながら、きょろきょろと周囲を見渡している少女。
「……え?」
突然、手を引かれた彼女が、驚いた声をもらす。
「来てくれ。手、握っててやるから」
平介の声は優しく、しかし強かった。
ぎゅっと握ったその手は、確かにみどりのものだった。あたたかくて、小さくて、平介の掌にぴたりとおさまった。
「え? なんで? どうしてぇっ?」
「一谷」の顔をした彼女は、困惑したように目を丸くして、平介の背中を追いかける。どこにも目印なんてないはずなのに――という不思議そうな表情で。
「……わかるよ。幼なじみなんだから、当然だろ」
「平介君……!」
みどりの顔が、にわかに崩れる。八の字に垂れた眉と潤んだ瞳――それは、どこまでも彼女らしかった。
凛々子たちのいる場所にたどり着いたとき、平介はみどりを前へと引き出した。みどりは戸惑いながらも、胸の前でそっと手を組む。
「一谷 凛々子さん。誤解とはいえ、君は関係ない子に……ひどいことをしたよな」
言葉を選ぶことなく、率直にぶつける。
「……ええ。そうね」
凛々子は小さくうなずき、目を伏せた。
みどりは優しい子だ。人を責めることを知らない。許すことができてしまう子だ。
だからこそ、平介は声を荒げる。
「ほんとうに最低だ。ふざっけんなよ。男だったら、殴ってる」
「……言葉もないわ」
「土下座して謝れよ。悔い続けろ。……お前は、あんな良い子を、傷つけたんだぞ」
平介の怒りは、感情というよりも義憤に近かった。
凛々子は、静かにうなだれ、反論ひとつしなかった。
そのとき、制服の袖がそっと引かれた。
隣に立つみどりが、控えめに平介の服をつかんでいる。小さな手。優しい力。
平介は、その肩にそっと手を添えた。ふわりと力が抜けていく。
「……私のために怒ってくれて、ありがとう。でも、そこまでにしてあげて、平介君」
「! あなた、みどりさん? ……家から出てこられたのね」
凛々子は、顔を引きつらせて驚き、その場に膝をついて崩れ落ちた。
「ごめんなさい……私、ひどいことを……!」
顔を両手で覆い、泣き崩れる凛々子。
観客席のあちこちから、戸惑いを含んだざわめきが広がった。
まひるは、無言で凛々子の傍らに歩み寄る。
馬の顔をしたまま、彼女は地面に膝をつき、真剣な表情で言った。
「もとはといえば……私の言葉足らずが原因だ。一緒に、土下座するよ」
そう言って、馬面をガンッと地面に打ちつけた。思い切りよすぎたのか、ナイト型の頭部が地面にめり込んだ。
「まひる……」
涙で濡れた顔をあげる凛々子。
まひるは、地面にめり込んだまま、少し声を弾ませてつぶやく。
「……名前、呼んでくれたな」
「……うん」
「二年と百八十六日ぶりだ」
「数えてたの? ……ばっかじゃないの」
二人のやりとりは、どこかあたたかく、まるで仲の良い姉妹のようだった。
凛々子は改めて、みどりの方をまっすぐに見つめる。
「私、あなたに……本当にひどいことをした。……ごめんなさい」
彼女は、まひるの隣で深く頭を下げる。
「え、ちょっ……や、やめてください!」
みどりが慌てて駆け寄り、制服の裾が地面に触れるのもかまわず、二人の腕にそっと触れた。
「おい、みどり……! もっと怒っていいんだぞ。土下座なんて、当たり前のことをされたんだ」
平介の言葉には、もどかしさと心配がにじむ。
みどりは小さくうなずくと、優しく、それでもはっきりとした声で言った。
「お二人とも、顔を上げてください」
まひると凛々子が、静かに顔を上げる。
「顔を奪うなんて、重大犯罪です。……土下座なんかじゃ、許しませんから」
一瞬、空気が張りつめる。
「私……絶対に許しません」
「……そりゃ、そうよね。……当たり前よ。私は、謝り続けるわ」
凛々子は肩を落とし、視線を伏せる。
しかし、みどりの口元に浮かんでいたのは、春の陽だまりのような笑顔だった。
「だから――謝罪なんかいりません。……顔の描き方、教えてくれるまでは」
「えっ……?」
「私、実は……好きな人がいるんです。一谷 凛々子ちゃんみたいな顔になりたくて……。協力してくれますよねっ?」
その言葉に、凛々子はぽかんと目を丸くし、それからそっと視線をまひるに向けた。
表情筋のない馬面に、なぜか優しげな笑みが浮かんでいるように見えた。
「……仕方ないなぁ」
氷の女王と呼ばれた美少女が、氷を溶かすように、ふわりと笑う。
「――あたしの指導、厳しいからね? 覚悟してよね!」
◆
文化祭が終わり、空気は少しずつ秋の匂いを帯び始めていた。
夕暮れの校舎は、赤く染まった光を窓辺に映しながら、夏の喧騒を静かに懐かしんでいるかのようだった。
あの日――顔泥棒の正体が、一谷 凛々子だったという話は、瞬く間に学校中へ広まった。
あの完璧主義な氷の女王が、まさかそんなことを? と。
だが、意外にも凛々子が憎まれたり、排除されるようなことはなかった。
それはたぶん――被害者だったみどりが、彼女を許したからだ。
「これ、どう思う?」
「……みどり!? 顔、めっちゃ変わってない!?」
ある日、放課後の教室で、彼女はスケッチブックを誇らしげに差し出してきた。
「ふふん。落ち着いた癒し系美少女”てテーマで描いてみたの。どう?」
みどりは、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて、スケッチブックを胸元でそっと抱えた。
セミロングの緑がかった髪は、軽く内巻きに整えられ、今日の髪留めは白い小花のモチーフ。
瞳は、薄緑に近い明るい茶色で、光を受けるとやさしくきらめいていた。
ナチュラルなメイクは控えめながら、頬のあたりがほんのり桜色に染まり、肌はつるんと卵のように整っている。
制服の上に羽織ったカーディガンは、生成り色。袖口を少し余らせていて、それがまた守ってあげたくなる感じを倍増させていた。
結論:超かわいい。
動きは控えめだけど、仕草のひとつひとつに、どこか丁寧さとあたたかさがにじむ。
教室に美少女がひとり増えたことで、俺の席の周囲には男子の視線が妙に集中するようになった。
凛々子から顔の描き方を伝授されたみどりは、もともとの性格の良さも相まって、すっかりモテモテ街道をばく進中だ。
一週間に一度は告白されてるらしいが、返事はいつもNOだとか。……もったいないぞ。
そして、浜田。
最近は、よく笑うようになった。腹の底から、楽しそうに。
「……まあ、みどりが元気になったからな。お前のことも、ほぼ許した」
「ほぼ、かよ」
「当たり前だろ。油断したら殴るぞ」
ツンデレか。しかも男子。需要は……まあ、ちょっとはあるのかもな。
そして、あの人も――変わった。
ある朝、教室に入ると、見慣れたナイトの駒ではない顔がそこにあった。
「……朱音さん?」
赤銅色の髪がさらりと揺れ、湖のように澄んだ瞳がこちらを見つめていた。
陽の光を受けてきらめくその横顔は、まるで彫刻のように美しかった。
「え……誰?」
「めっちゃ美人じゃん」
「凛々子ちゃんレベルじゃない……?」
ふわりと揺れるスカートの先に、細い脚が一歩踏み出された瞬間、教室の空気がわずかに止まった気がした。
「今日から……ちょっとだけ本気出すわ」
それは、まさにミッディだった。
けれどそれ以上に、俺が知らなかった朱音まひるという、美少女がそこにいた。
顔泥棒の呪縛から解放されて、馬面で人を遠ざける必要がなくなったのだ。
「な、なんか可愛くなってない!?」
「かわっ……うっさい。ペン折るぞ?」
「すみません師匠……!」
我らがツンデレ鬼師匠との師弟関係は、今も継続中である。
朱音まひる――いや、漫画家・天音ひかるは、今は週刊誌連載に向けての原稿に大忙し。
それでも、俺の提出する課題には、相変わらず容赦ない赤ペンが入る。
「……顔のバランスが死んでる。描き直し」
「はいっ、ありがとうございます!」
昼休みの教室。
俺のまわりには、美少女×2と、イケメン×1、そして鬼師匠。
ちょっとドタバタで、ときどき顔も変わる。そんな毎日だけど――
「……なあ、今って、めっちゃ青春してない?」
「その発言、あと5秒で撤回しなかったら顔変える。集中しろ!」
「すみません師匠……!」
俺は、たぶん少しずつ「好き」になってる。
昨日と違う顔で笑う、みんなのことも。
今日の自分にしか見せられない顔で過ごす、この毎日も。
顔が変わるたび、迷って、悩んで、それでも進んできた。
そんな日々が、俺の中に確かに積み重なっている。
――これがきっと、「顔で変わる俺の人生」。
でも、変わる顔の下にある想いだけは、きっと変わらない。
✧.゚𝙵𝚒𝚗𝚊𝚕 𝙳𝚛𝚊𝚠𝚒𝚗𝚐……▶︎゚.✧
ここまで読んでくださって、本当に本当にありがとうございました!
連載中、☆をくださった方、感想を送ってくださった方、 そっと読んでくださったあなたへ――心からの感謝を込めて。
顔が変わることで悩んで、迷って、でも前を向いて生きていく。
そんな彼らの物語を、少しでも楽しんでいただけたなら、これ以上ない幸せです。
もし「読んでよかったな」って、少しでも思っていただけたら、 ☆評価とフォローで応援してもらえると、とても励みになります。
本当に、ありがとうございました!
【番外編もよろしくお願いします!】
● 描いた仮面に本音を隠していた私が、青空の下で出会ったのは――
https://kakuyomu.jp/users/yuzutone/news/16818622173170329521
・あらすじ:顔が絵で決まる世界。人との距離を馬の顔で守ってきた朱音 まひる。
だけど、あの日、風に舞った一枚の原稿が、
彼女の孤独な日常を揺らし始める――。
● ひみつのノート、夕焼けの廊下で https://kakuyomu.jp/users/yuzutone/news/16818622173154155368
・あらすじ:放課後の教室で拾った一冊のノート。そこに描かれていたのは――無数の、朱音まひるの顔だった。
●顔、交換しちゃいますか?
https://kakuyomu.jp/users/yuzutone/news/16818622173151918024
・あらすじ:顔を描き合う特別授業で、浮かび上がるそれぞれのホンネ。笑って、照れて、ぶつかって――その一枚に、想いがにじむ青春ポートレート。
俺の人生は顔が決める!〜馬面少女と顔泥棒〜 柚子 @yuzutone
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