第2話
1932年4月1日、追浜飛行場内に設置された海軍航空廠(のちの空技廠)だが設置されて1か月後の1932年5月には管轄が横須賀鎮守府から航空本部へと変更になる。理由は航空廠はこれからの海軍の航空機の設計や技術開発を行う部署であるために鎮守府直属ではなく航空本部直属とした方が航空本部技術部との連携も取りやすいという判断からであった。
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昭和7年6月10日 追浜飛行場
この日の追浜飛行場ではある実験を行うべく準備が進められていた。飛行場の駐機エリアに駐機しているのは30㎏爆弾を2発搭載した三式艦上戦闘機12機と18インチ模擬魚雷を搭載した一三式艦上攻撃機12機であった。
標的となるのは艦政本部から航空本部に所属が移管された艦2隻で、それら2隻に加えて標的艦を曳航する艦として「摂津」が参加する。
まず最初に停止している標的艦に対して雷撃と緩降下による爆撃を実施することから実験は始まり、次に「摂津」が曳航する標的艦に対しての攻撃実験も行われ、実験は終了した。
実験結果として雷撃に関しては停止目標に対しては全弾が命中、「摂津」に曳航された目標に対しては攻撃を行った10機のうち、4機が投下した魚雷が命中した。
一方爆撃はというと、急降下爆撃ではなく緩降下爆撃や水平爆撃であったためか停止目標であっても、移動目標であっても命中したのはわずかであった。
結果として本実験結果から得られたのは航空機からの雷撃は命中すれば非常に効果があること。爆撃に関しては命中率が低いものの、急降下爆撃であれば命中率が上がることから研究が開始された。
その後の会議で今後継続的に実験を行い、効果的な航空攻撃方法を研究する必要がある事とメーカー各社に対して各種航空機の研究をより一層強化してもらうという結果となった。
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昭和7年8月 追浜飛行場
この日の追浜飛行場の駐機場には白いグライダーが1機とその牽引機と思われる一三式艦上攻撃機が1機いた。さらに周りを見渡すと四十口径三年式八糎高角砲が海に向けてに誘導路に8基、採用されたばかりの八九式四十口径十二糎七高角砲も2基設置され、さらにそこから少し離れたところには三十年式歩兵銃を持った歩兵が20人ほどいた。
「では、実験を開始します。」
実験開始の合図とともにグライダーを機体後部にワイヤーを介して接続した一三式艦上攻撃機特別改造機はエンジンをフルパワーで回し離陸した。
「総員、射撃よーい!…射撃はじめ!」
一三式艦上攻撃機が離陸して15分後、対空砲、小銃を始めとした各種武装が掛け声に合わせて標的グライダーに対して射撃を開始する。
「当たっている、のか?どう思います?岩井さん」
「どうなんですかねぇ。当たっているようにも見えますけど当たってないようにも見えます。つまりわからないということです。」
「ええ……」
その後射撃は終了し一三式艦上攻撃機が着陸すると、すぐさまグライダーの状態見分が行われた。私もその見分に参加したが、発射した弾のうち当たっていたのは三八式が発射した6.5mm小銃弾のみで8cm弾(7.62cm弾)、12cm弾は全くと言っていいほど命中していなかった。
その後これを報告書にして提出したところ、航空本部長である安藤中将からは直ちに高角砲の命中率向上のための策を練ることを命じられた。
「本部長。私はこの命令に対して海外で研究が最近盛んにおこなわれている”レーダー”の開発を行うことを強く進言します。」
「その根拠は?」
「レーダー、日本語では電波探信儀というそうですが、この装置を使えば航空機の早期探知や周波数を変更すれば艦船の探知も可能だそうです。しかも最近になって陸軍さんがその電波探信儀の開発を開始したようです。」
「その…レーダーといったか?仕組みは?」
「仕組みとしてはこちらが電波を発信してそれが物体にあたると跳ね返ってくるんです。それを受信機で受信してブラウン管の画面に表示します。」
「なるほどな。よし、海軍技術研究所に研究を行ってもらおう。あ、あと君にはこの電波探信儀の開発の主任になってもらう。言い出しっぺは君なんだ、当然だろう?」
「わかりました。」
こうしてわが軍の電探開発が始まった。
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昭和7年10月 海軍技術研究所
「電探の開発ってどうなってます?」
「はっきり言ってかなり難航しています。一応海外の資料なども参考にしてはいるんですが、いかんせん数が少ないもので…。」
「そうですか…。後で上に掛け合ってみます。」
「岩井さん!」
「なんです?」
「開発が難航している理由のもう一つにマグネトロンを含めた電子機器の質が低いことが挙げられます。」
「えーと、つまりは我が国の科学力が低すぎて要求されるマグネトロンの生産ができていないまたは追い付いていないと?」
「端的にいうとそうなりますね。」
(うーむ、これは由々しき事態だな。史実でも問題になったがこんな早いところで問題になるなんて…)
「わかりました。それも含めて上に話してきます。」
「お願いします。」
・・・
同日 航空本部
「なるほど?それは深刻だな。」
「ええ、なので諸外国の工作機械を輸入できませんか?」
「そのレベルの話になってしまうと航空本部内では収まらない。つまりはもっと上の方に話をつけなければいかんよ。」
「やはりそうなりますか…。」
「申し訳ないね。君の力になれなくて。」
「かまいません。自分の方が無理なお願いをしている自覚はありますから。」
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昭和7年9月 海軍省
私は航空本部長である松山茂少将の計らいで海軍大臣である岡田啓介海軍大将に会うために海軍省に来ていた。理由は国内の工業力を育成するために諸外国から技術者や機械を輸入するためだ。これは最新の石油精製の技術も含まれている。
(コンコンコン)
「入ってもらって構わんよ」
「失礼します。岩井翔です。」
「君が…そうか。何でもない。座り給え」
「失礼します。」
「…で君の話は何だったかな?」
「先日お送りした書類の通りです。」
「あの書類か。中身は読ませてもらった、実によい提案だと思うよ。現に我が国は不況状態から脱しつつあるがまだ足りない、これをうまく活用すれば失業者の救済にもなるし、国力の増大にもなる。
だが一番の問題は予算だ。これを何とかしない限りはどうにもならない。」
「それについても考えがあります。」
「ふむ、してその案とは?」
「現在遂行中の①計画を一時的に取りやめ、その予算を丸ごと設備投資に回します。」
「それは無理だな。①計画を取りやめるということはすなわち海軍力の低下を意味する、それは我が国が侵略されても仕方がないと言っているようなものだよ。
しかもその計画を行うとなると海軍が真っ二つに割れることになる。」
「私はそうは思いません。今は世界中が不況状態です、つまりどの国も負担の大きい戦争などしたくないでしょう。事実としてイギリスやフランスは植民地のみと貿易を行っています。」
「君のその話が事実だとしたら工作機械は輸入できないんじゃないのか?だって英仏との貿易はできないのだろう?」
「ええ、英仏とはできないでしょう。ですがアメリカやドイツはどうでしょう?アメリカは現在ニューディール政策と呼ばれる政策で現在経済の立て直し中です。ドイツに至っては先の大戦で敗戦した影響で国内経済が麻痺、アメリカの協力により建て直し中でしたが今回の不況が原因で再び混乱へと転落しています。つまり、これら2か国に対して取引を持ち掛けるのです。
まあもっともドイツはこれで動くでしょうがアメリカは動かないでしょう。」
「なるほどな、敗戦してもなお工業国家であるドイツの優れた技術が入ってくるのはありがたい。しかしアメリカは動かないのだろう?どうやって動かす?」
「朝鮮半島と満州を使います。
アメリカからしたら日本にちょっと工業機器や石油精製の技術をくれてやるだけで満州と朝鮮半島という大きな市場を確保できるのですから、食いつくでしょう。ただし、満州のうちアメリカに渡すのは大慶周辺と黄海周辺以外です。」
「?黄海周辺はわかるが、なぜ大慶周辺はダメなんだ?あそこにはほとんど何もないだろう?」
「大慶には石油が埋まっていると聞いたことがあります。つまり、大慶から石油が採れれば我が国は石油を他国に頼る必要はなくなるということです。」
「それは本当か?聞いたことないぞ。でも試してみる価値はあるな。
……わかった、このことは後で会議で上げさせてもらう。しかし、賛同を得られるかは別だ。かなり時間がかかることになるが、それでもいいのか?」
「ええ、もとより覚悟の上です。」
「今日は面白い話をありがとう。もしかしたらまた話をしてもらうために呼ぶかもしれないがその時はよろしく頼むよ。」
「ありがとうございました。失礼します。」
(ひとまず何とかなったか?何とかして工業力を上げなければこの国は亡国になってしまうかもしれない。もしアメリカと開戦しても開戦から2年程度で停戦が結べるようにしなくては。)
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昭和7年10月 軍令部
「では、岩井君説明を頼む」
「はい。提案ですが、目下遂行中の①計画を大幅に修正し、浮いた予算を使用して国外から技術者と工作機械を招き、より一層の工業化を行います。同時に満州の大連で石油の採掘を行うと同時に満州にアメリカ資本を招き、満州国を工業化します。」
「ほう?かなり面白い計画だな。だが我々軍令部としては反対だ。そんなことをすれば我が国は他国から攻め込まれてしまう。」
「本当にそうでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「いえ、おっしゃる意味は分かります。ですが今の世界情勢を見てください。主要国家は軒並み国内経済の立て直しに精いっぱいでおおよそ戦争している暇などないでしょう。しかも日本と戦争するということは海を渡る必要がありますから、かかる費用は馬鹿にならないでしょう。つまり、①計画を大幅修正しても国防に穴が開くことはないと言い切れます。」
「なるほどな、しかし我が国に攻め込んでくる国家がいたらどうする?」
「その時は連合艦隊で迎え撃ちます。その作戦も軍令部では用意してあるはずです。」
「ほう?なぜそう言い切れる?」
「軍令部は海軍の中枢ともいえる機関です。そのような部署が冷静に考えて戦争計画を練っていないはずがない。」
(こいつ、鋭いな。噂には聞いていたが、さすが上官であっても歯に衣着せぬ物言いと独自の論文によって海軍兵学校を卒業して4年で航空本部に配属された男だ)
「なるほど、概要はわかった。だが一番の問題はその輸入する工作機械を含めた工業関連の資材だ。そこはどうやって工面するつもりだ?」
「それについてはこれを」
「なんだこれは?」
「私が独自に調べてまとめた工業機械を輸出してくれそうな国家とそのメーカーです。これをもとにして各国とその企業に声を掛けます。最も食いついてくれそうなののはドイツですね。アメリカも条件次第では食いつくでしょう。」
「ドイツか…。かの国は現在条約によって兵器の輸出入が禁じられているはずだ。しかし優秀な工業製品を輸出する国家であるとも聞いている。とくに有名なのは自動車産業だったか?」
「ええ、その通りです。ですが現在ドイツはアメリカの協力もあり、立て直しつつあった国内経済が今回の大不況が原因で再び崩壊しつつあります。そこを利用するのです。
まあ、アメリカや英仏からはいい目で見られないでしょうが。そこは外務省が何とかするべきです。我々軍人は国家を守るのが仕事である以上、国家の工業基盤を整える義務があると私は考えています。」
「わかった。ひとまずこの案は一つの案として考えておくよ。今日はよい意見を聞かせてもらった。」
「いえ、失礼します。」
(これでうまくいけば開戦時までに何とか史実の2倍の工業力を確保できそうだな。)
その後私は関係各所の説得に回り、何とか①計画の艦艇補完計画から工業力強化への変更を行うことが成功した。
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昭和8年2月 陸軍省 会議室
この日、陸軍省の会議室には陸軍大臣を始めとした陸軍の首脳陣と海軍大臣を始めとした海軍の首脳陣がいた。そしてその2陣に挟まれる形で私はそこに立っていた。
(よし、やるぞ。この会議が今後の日本の道を左右するんだ、絶対に成功させて見せる。)
「本日はお集まりいただきありがとうございます。本会議では海軍より陸軍のみ様に向けて提案がございます。
その提案ですが、まず海軍は目下遂行中の①計画を大幅に修正し、国内重工業を含めた各種産業界への投資を行うことを決定し動いています。
さしあたりまして陸軍さんに提案です。工業力強化のために陸軍さんからもいくらか予算をいただきたい。同時に欧州に海軍技研などから視察団を派遣するので陸さんの研究所からも希望者を募っていただきたい。
また満州国の大蓮という土地で石油が出るということを聞いたことがあります。これに関する調査団編成のため陸軍さんからの協力を得たいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだと!?ちょっと待ってくれ、情報量が多すぎる。つまりは海軍さんは
・この国の工業力をより強化したい
・欧州に使節団を派遣する
・満州で石油が出る可能性があると?
これらのために我々陸軍の協力を得たいと?」
「端的に言うとそうですね。さらにもう一つ提案なのですが、もう前近代的な対立は終わりにしませんか?我が国は世界で初めて陸海の垣根を穏便に取り払った国家になるべきです。」
「あ、ああ。そのような提案であれば我々も問題ないだろう。
しかし君たちの方は大丈夫なのか?海軍内には陸軍を嫌う勢力が多いと聞くが…」
こう聞いたのはは陸軍大臣の荒木貞夫大将である。
「その点については問題ありません。すでに解決済みです。」
「そうか、ならいいんだ。我々も反対はいるが今日この場にいるのは少なくとも海軍さんと協力関係を築くべきだと考えている人物の方が多いからね。まあ、もっとも私は最初の方は海軍との会議には反対だったのだがそこにいる西沢君に説得されててね。考えを改めたんだ。」
(実際に荒木大将は陸軍軍人に転生したもう一人の転生者である「西沢武雄」の説得で皇道派の主要人物ではなくなり、海軍との連携を真剣に考える人物に変わっていた)
「ひとまず、休憩にしませんか?皆さんもきつくなってきたでしょうし。」
「では15分後に再開いたします。」
・・・
休憩時間に入り、岩井は会議室から少し離れたところで黄昏ていた。
「…しかし思った以上にすんなりといったな。もう少し、苦戦するかと思ったのだが……もしかして陸軍にも私のような転生者がいるとでもいうのか?
…そんなわけないか。」
そんなさなか謎の声が聞こえる
「ありますよ。」
「!だれだ!?」
「これは失礼しました。岩井中尉。
私は西沢武雄と申します。陸軍中尉です。…そしてあなたが言っていた転生者でもあります。」
「転生者…だと?そんな馬鹿な。」
「ふむ、ではこの単語はいかがでしょう。
ミャク○ャク、石破○内閣総理大臣、2025年大阪万博」
「…なるほど、西沢中尉が私と転生者だというのは本当みたいですね。
疑って申し訳ない。なんせ転生者が2人もいるとは思わなかったもので。」
「いえ、こちらこそすみません。盗み聞きした挙句に驚かせてしまって。」
これが岩井と西沢の出会いだった。
・・・
「では時間になりましたので会議を再開いたします。」
「先ほどの海軍さんからの提案ですが我々陸軍としては受け入れるつもりです。しかし、反対派の抵抗が予想されるため反対派の勢いを削いでからでも問題ないでしょうか?」
そう答えるのは西沢陸軍中尉だ。
「そうですか。ありがとうございます。その件については我々海軍も似たような経験がありますので急かすつもりはまったくもってございません。」
「ありがとうございます。」
「では、これで本会議を終了します。」
初の陸海共同会議は無事終わりを迎えた。
この合同会議から1か月後の昭和8年3月には陸軍と海軍の首脳部がともにマスコミを集めとある発表を行った。その内容とは
陸海軍完全協力宣言
だった。この宣言により、史実では達成されることのなかった陸海軍の各種装備の共通化が行われることとなる。
最初にネジを始めとした各種構成部品の陸軍仕様への統一が行われ、航空機の計器に関しては様々な要因から最終的に海軍仕様に合わせる形で統一された。
陸海に点在する航空学校を昭和10年までに統一することが決定され、昭和10年5月には航空学校がすべて統一されたほか、航空学校の校数も増えた。
また、陸海軍の研究所を統一した「大日本帝国技術研究所(技研)」が昭和9年2月に設立され、建物が神奈川県横須賀市御幸浜(現:陸上自衛隊 武山駐屯地)に建設された。
研究所は建物が完成した昭和10年11月より本格稼働を開始した。(建物が完成するまでは各研究所で研究を続けていた)
また国力増強のために昭和9年3月には食料増産のために先のヨーロッパの戦いの後の会議で敵国資源という名目で接収していたハーバーボッシュ法を用いた肥料生産プラントを日本各地に建設、肥料の安定供給を目指した。
同時に国力強化のために日本各地の条件を満たす漁港や海岸などに200m級または250m級ドックと造船所の建設を決定し、昭和9年11月より建設を開始した。
昭和10年2月には出光興産を始めとした日本各地の石油関係会社の主要人物と技術者、国内の学者を集めて、満州の大蓮に向かい、石油が出ることを確認した。
昭和10年3月には石油精製プラント建設が決定し、昭和10年6月から建設が開始された。しかし、アメリカから導入した技術が到着するのが昭和11年9月であったが、建設は進められ、昭和13年にはプラントが稼働を開始した。
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