新世界からの贈り物
葵だお
第1話 碧眼のメロディ
高校1年生の夏、1人の男の子が転校してきた。肌は真っ白で、髪は白く、目は透き通ったサファイアのような碧眼だった。
自己紹介でその少年は言った。
「はじめまして、穹(そら)と言います。こんな見た目なので、関わりたくないと思います。1人でも大丈夫です。よろしくお願いします。」
寂しそうな、まるで今にも消えてしまいそうな声だった。そんな声で「大丈夫」なんて言うから、僕は放っておけず、すぐに話しかけに行った。
「俺、響(ひびき)。部活は帰宅部で、家はあのスーパーの近く。学校のこと教えるから、昼休み一緒に回ろう。放課後、俺んち来ない?」
一気にまくしたてたせいか、穹の顔はポメラニアンのようにキョトンとしていた。
「僕に関わらない方がいいよ。僕、みんなと違うから…。」
また悲しそうな声で言うから、ますます放っておけなくなった。
「大丈夫、俺強いし、誰にいじめられても負けないよ。それに、これ見て。」
そう言って袖をまくり、腕の火傷の跡を見せた。
「3年前、俺んちが火事になった時にできたんだ。こんなのがあるから、恥ずかしくて半袖着れなかった。でも、案外みんな気にしてなかったんだよ。」
すると穹は少し間を置いて、
「昼休み、お願いします。放課後、家に行ってもいい?」
俺は笑って答えた。
「敬語やめろ、恥ずかしい。帰りも一緒に帰ろうぜ。」
そう話していると、先生が教室に入ってきて授業が始まった。穹は前の席から肩を叩いて助けを求めてくる。
「黒板、なんて書いてある?」
首を傾げる穹にドキッとしながら、雑に書かれた自分のノートを渡した。
「ありがとう」と返ってきたノートには、左上に「丁寧に書いて」と書かれていた。その字は、すごく綺麗だった。
1時間目が終わり、後ろを振り返ると、疲れた顔の穹がいた。
「どうした?」と聞くと、
「黒板見えない、声聞こえない、あと響の字汚い。」
そんなこと言うから、つい「じゃあ見せない」と反射的に返してしまった。
穹はすかさず、
「無理、見せて。成績下がったら響のせいだよ、いいの?」
そんなやりとりをしている間に2時間目が始まり、また肩を叩いてくる穹にノートを貸した。そんなことが続き、昼休みになった。
「穹、行くぞ!」
「待って!」と走ってくる穹に、またドキッとした。
「ここが保健室、あっちが職員室。先生に呼び出されるなよ。」
「響みたいに悪い子じゃないよ。僕、いい子だから。」
そう言いながらこっちを見てくる。
階段を上り、
「ここが図書室、あっちが理科室、で、ここが音楽室。休み時間にピアノ弾いてもいいんだって。俺、来たことないけど。」
「じゃあ僕、弾きたい。」
穹は音楽室に入り、ピアノの椅子に座ると、さっきまでのふわふわした雰囲気とは違う真剣な表情で弾き始めた。
弾き終わると、穹は言った。
「途中までだけど、今のは『交響曲第九番 新世界より 第2楽章 家路』。ドヴォルザークが新しい土地に行った時に作った曲。今の僕と似てるかなって。」
淡々と話す穹の声は、どこか遠くにいるようだった。あのふわふわした穹が、力強く鍵盤を叩く姿に圧倒された。
その時、僕の中で何かが弾けた。かつて大好きだったフルートを思い出した。上達しない自分に嫌気がさしてやめたけど、穹のピアノを聞いて、穹と一緒に演奏したいと思った。
何も言えず立ち尽くしていると、穹が笑った。
「もしもし? 生きてる? 早く次行こうよ。」
その声でやっと我に返り、
「ごめん、イメージ違いすぎて。教えるのはこれくらいかな。」
穹は笑いながら、
「教室どこ? 帰れなくなったよ。」
2人で教室に戻り、チャイムが鳴って午後の授業が始まった。また肩を叩いてくる穹にノートを渡す。返ってきたノートには「読みやすくなった」と書かれていた。
めっちゃ嬉しかった。
学校が終わり、家に帰ると、驚いたことに隣の家が穹の家だった。
「こんな近いなんて。なんか最近引っ越してきたなって思ってたけど、穹だったんだ。」
穹は笑って、
「毎日一緒に登校できるね。」
その顔を見て、またドキッとした。
穹が俺の家に来て、部屋に入った瞬間、言った。
「ピアノあるじゃん! 弾いてもいい?」
もうピアノの蓋を開けていた。
「いいけど、ちょっと待って。」
高校に上がると同時にやめたフルートを取り出し、譜面台に『交響曲第九番 新世界より』の楽譜を置いた。
穹は目を輝かせて、
「フルート吹くの? 曲何? 合わせようよ!」
「新世界より。」
それだけ言うと、穹は真剣な顔でピアノを弾き始めた。僕もフルートを吹く。今までで一番楽しかった。1楽章を丸々演奏すると10分にもなるのに、一瞬に感じた。
「僕、独奏しかしたことなかったけど、こんな楽しいの? これからも一緒にやろうね。」
穹の言葉に、
「俺も独奏しかしてこなかった。こんな楽しいんだな。」
その後は、フルートを始めたきっかけや、穹がピアノを始めた話、僕のソロコンサートの動画を見ながら過ごした。時計を見ると、3時間も経っていた。
急いで帰る準備をする穹に、
「俺穹のLINE知らないんだけど、教えて?」
穹はスマホを見せながら、
「そういえば、ずっと話してて忘れてた。これ。」
ちらっと見えた穹の友達リストには、家族しかいなかった。その瞬間、なぜか嬉しくなった。「穹の初めての友達だ」って思ったから。
夜、穹に「明日朝7時30分に家出る」と送った。
穹から、
「早くない? わかった、僕も同じ時間に出る。おやすみ。」
と返ってきた。めっちゃ嬉しかった。
「おやすみ」と返して寝た。
朝、7時30分。「行ってきます」と家を出ると、眠そうな穹がいた。
「おはよう。」
歩き出す穹の髪には寝癖がついていた。こっそり写真を撮って見せると、
「直して。めんどくさい。」
「しょうがないな、穹くんは赤ちゃんでちゅもんね。」
赤ちゃん言葉で言いながら髪を触ると、ふわふわで触り心地が良かった。
歩きながら直していると、穹が「ありがとう」とこっちを見た。
「可愛いな。」
思わず口からこぼれた。顔が赤くなる僕に、穹は、
「可愛くないよ。女の子じゃないもん。」
そんなことを話しながら学校に着いた。今まで遠く感じていた道が、今日はやけに近く感じた。
そんな日々が続き、文化祭が近づいてきた。
クラスでは合唱をすることになり、伴奏は穹が担当することになった。穹が転校してきた日にピアノを弾いたのを聞いたクラスメイトが推薦したのだ。
穹は少し困った顔で、
「めんどくさいな。アカペラでいいじゃん。それに、家にピアノないから、今からじゃ間に合わないかも…。」
そうやって俺に愚痴をこぼす。
その時、ふと思った。もしかして、穹は俺に心を許してくれてる?
「毎日放課後、俺んちでピアノ練習すればいいじゃん。俺の部屋、防音だし、何時間弾いても怒られないよ。」
穹は申し訳なさそうに、
「いいの? 毎日いたら迷惑じゃない? 親にも悪いし…。」
「俺も親も穹のピアノ大好きだから、絶対気にしてないよ。」
すると穹は目を細めて、
「ありがとう。これで恥ずかしくない演奏できるよ。」
その幸せそうな笑顔を見ると、転校してきた日の寂しそうな穹を思い出した。あの頃の影はもうなく、穹は今、こんな風に笑えるんだ。
合唱の練習が始まった。穹のピアノは、最初からめっちゃ上手だった。初めて穹の演奏を聞いたクラスメイトの中には、感動して歌えない子もいた。それでも穹は、
「僕、下手だから。いっぱい練習しないと、みんなに置いてかれる。」
なんて言う。
「天才様はさすがっすね」と嫌味っぽく言うと、
「天才じゃないよ。響みたいに何でもできるわけじゃないし。」
そう言いながら楽譜を見つめる穹。その楽譜には、びっしりと書き込みがされていた。何度も読み込んだのが一目で分かるくらい。
練習初日の放課後から、穹は毎日俺の家に来るようになった。飽きずにピアノを弾く穹は、時々何か考え込んでいた。
「何悩んでるの?」と聞くと、
「ここの歌詞が分からなくて。どうやって弾いたらいいかなって。」
そこには「あの日君と行ったあの場所も あの日君と見たあの花も」と書かれていた。
その歌詞を見ながら、ふと思いついた。
「今週の土曜、暇? どっか遊びに行かない?」
穹は笑って、
「毎日暇だよ。友達いないし。」
それから数日が過ぎ、金曜日になった。
「今日、練習なしでいい?」
そう言って2人で帰り、部屋で服を選んでいると、いつも気にしてなかった服が気になり出した。クローゼットは黒い服ばかり。まずいな、と思いつつ、姉貴に相談しに行った。
「彼女でもできた? ファッションに興味持つなんて、姉様に頼みに来るってことはさぁ。」
その言葉に、初めて自分の気持ちに気づいた。
「俺、穹のこと…好きなのかも。」
姉貴はニヤッとして、
「図星かよ。いつも連れてくるあの可愛いピアノの子でしょ? 初恋の弟のために、本気で選んでやるよ!」
試着を繰り返し、1時間かけてやっと服が決まった。
「ありがとう。」
疲れた声で言うと、姉貴は、
「今日、私の奢り。明日、頑張れよ。」
そう言って背中を叩いてくれた。
家に帰り、考える。俺、男に恋してる? おかしくないか? 穹はどう思ってるんだ? いろんな疑問が頭をぐるぐるした。
そんな時、22時にスマホが鳴った。穹からだ。
「明日、何時に家行けばいい? どこ行くの?」
「12時くらいに来て。昼ご飯食べて、ちょっと行きたいとこあるから。」
返事を送ると、穹から、
「なんで早く言わないの? いつもの服じゃ行けないじゃん。報連相ちゃんとしてよ!」
ちょっと怒った感じの返信。穹も服気にするんだ。いつも可愛いのに、そのままでいいじゃん、なんて思いながら、フルートを少し吹いて気を紛らわし、寝た。
翌朝、目が覚めると、いつもと違う雰囲気の穹が部屋にいた。髪はセットされ、服はかっこいい系で、めっちゃ印象が違う。時計を見ると12時30分。
「ほんとすみませんでした! アラームかけ忘れました。誘ったのに大遅刻して、誠に申し訳ありません!」
穹は笑って、
「響の寝言と寝顔見れたから全然大丈夫。でも、早く準備して。お腹すいて死ぬから。」
急いで着替えた。姉貴に買ってもらった服を着ると、穹がじっと見てくる。
「響、珍しく服ちゃんとしてる。自分で選んだ? かっこいいね。」
「早く行くぞ!」
照れ隠しで玄関に向かった。穹は「待って!」と駆け寄ってくる。
昼ご飯を食べて、電車で少し離れた海に行った。秋で少し寒かった。場所ミスったかな、と思いながら砂浜を歩いていると、穹が言った。
「海、初めて誰かと来た。なんかデートみたいだね。響は誰かと来たことある?」
「家族と数回だけ。」
「じゃあ、友達と来るのは僕が初めて? やった! 響の初めてゲット!」
飛び跳ねる穹を見ながら、胸の中で何かが固まった。穹への気持ちが、はっきりした瞬間だった。
穹をまっすぐ見て、言った。
「好きです。」
穹はこっちを向いて、
「友達として?」
「恋愛的な意味で。」
穹は少し間を置いて、笑った。
「僕、初めて会った日からずっと好きだったよ。」
文化祭が終わってから、僕と穹は正式に付き合い始めた。海での告白から、なんだか毎日が特別になった。いつもの近所のスーパーや電柱も、穹と歩く道ではキラキラして見える。
「穹、ちょっと待って。やばい寝癖ついてるぞ。」
朝、7時30分。家の前で待つ穹の白い髪が、まるで爆発したみたいに跳ねてる。
「え、マジ? 朝、ちゃんと直したのに…。」
穹が焦った顔で頭を押さえるけど、ふわふわの髪は全然言うこと聞かない。
「鏡貸してやるから、じっとしてて。」
そう言って、僕が穹の髪を整える。指でそっと触れるたび、ドキッとする。
「響、めっちゃ上手いじゃん。美容師なれるよ。」
「穹が毎朝寝癖つけるから、練習させられてるだけだろ。」
穹は「むっ」と唇を尖らせつつ、笑う。その顔を見ると、転校してきた日の寂しそうな穹が嘘みたいだ。あの頃は、こんな無邪気な表情、見せなかったのに。
学校に着くと、穹はいつものように肩を叩いてくる。
「響、黒板なんて書いてある?」
「また目悪いフリ? ちゃんと見なよ。」
「フリじゃないって! ほんと見えないんだから、ノート貸してよ。」
このやりとりに、クラスメイトがクスクス笑う。文化祭の合唱で穹のピアノに感動した子たちが、最近は穹に気軽に話しかけるようになった。最初は「みんなと違う」と距離を置いてた穹が、今は少しずつ輪に馴染んでる。それを見るたび、なんか心が温まる。
放課後は、いつものように僕の家で過ごす。穹はピアノの前に座り、僕はフルートを取り出す。
「今日、何やる? また新世界より?」
「んー、違うのでもいいかな。響、リクエストある?」
「じゃあ、ショパンのノクターン。穹のピアノで聴きたいな。」
穹はちょっと照れて、
「難しいよ、それ。でも、やってみるね。」
鍵盤に触れる穹の手が動くと、部屋が静かな夜の雰囲気で満たされる。僕はフルートを置いて、ただ聴き入った。穹のピアノは、いつも心の奥まで響いてくる。
弾き終わると、穹がこっちを見る。
「どう? 下手だった?」
「いや、めっちゃ良かった。穹のピアノ、なんか魔法みたいだよ。」
「魔法って…大げさだな。」
でも、穹の頬がほんのり赤くなってるのが分かった。
ある日、穹が珍しく真剣な顔で言ってきた。
「響、僕、ピアノのコンクールに出ようと思う。」
「コンクール? 急にどうした?」
「文化祭で、みんなが僕のピアノ聴いて泣いてるの見て、なんか…もっとちゃんと弾きたいって思ったんだ。響がフルート吹いてくれるのも、すっごい力になってるから。」
その言葉に、胸がギュッとなった。穹が自分の殻を破ろうとしてる。それって、すげえ勇気だ。
「じゃあ、俺も一緒に練習するよ。穹の伴奏なら、フルートでバッチリ合わせる。」
「ほんと? でも、コンクールはソロだから…。」
「ソロでも、練習は一緒にやろうぜ。穹が緊張しないように、俺が隣で応援するから。」
穹は目を細めて、
「響、ほんと頼りになる。…好きだよ。」
急に言われて、頭が真っ白になった。
「って、急に何!? ずるいって!」
「ふふ、響のそういう顔、好き。」
穹の笑顔に、完全にやられた。
コンクールの練習が始まり、穹はますますピアノに打ち込むようになった。僕の部屋のピアノは、毎日穹の音で響いてる。時々、難しいフレーズでつまずくと、
「うー、なんでここ上手く弾けないんだ…。」
なんて眉を寄せる。そんな時は、僕がキッチンからココアを持ってきて、
「ちょっと休憩。甘いの飲んでリセットしようぜ。」
穹はココアを両手で持って、
「響、ほんと優しいね。こんな彼氏、僕だけでいいよね?」
「当たり前だろ。穹以外、考えられないよ。」
そんな会話が、僕らの日常になってた。
コンクール当日、穹の寝癖はいつもよりすごかった。
「穹、今日は大事な日なのに、この髪どうした!?」
控室で、僕が慌てて穹の髪を直す。
「緊張して、寝れなかったから…。でも、響が直してくれるなら、まぁいいか。」
「まぁいいか、じゃねえよ! ステージでバッチリ決めなきゃだろ。」
穹はクスクス笑って、
「うん。響がいるから、頑張れるよ。」
その言葉に、なんか泣きそうになったけど、グッと堪えた。
穹の出番。ステージに立つ穹は、転校してきた日の華奢な少年とは別人だった。鍵盤に手を置く瞬間、会場が静まり返る。穹が選んだのは、リストの「愛の夢」。その音は、穹の全部を物語ってるみたいだった。優しくて、力強くて、でもどこか切ない。会場のみんなが、穹のピアノに引き込まれてた。
演奏が終わると、拍手が鳴り止まなかった。穹がステージから降りてくると、僕、思わず抱きしめてた。
「穹、めっちゃすごかった! ほんと…!」
「響、ちょっと、恥ずかしいよ…。」
でも、穹の目も潤んでた。結果は3位だったけど、穹は言った。
「これ、僕のスタートラインだよ。響と一緒に、もっと上目指したい。」
その夜、いつものように僕の部屋で2人でいた。穹がピアノで軽く即興を弾きながら、
「響、僕、転校してきて良かった。こんな毎日、響がいなかったらなかったよ。」
「俺もだよ。穹が来てから、全部変わった。フルートも、毎日も、全部。」
穹はピアノを止めて、僕の手を握った。
「これからも、ずっと一緒だよ。」
「うん、絶対。」
窓の外には星がキラキラ光ってて、まるで僕らの未来みたいだった。
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