第15話

「そ、あなた達、来週からは都市中央部の繁華街、”スクランブル”の警備担当よ」


「スクランブル……」


 エリアコード『B1-C-002』、通称”スクランブル”。かつて東京と呼ばれた大都市にあったとされる巨大交差点になぞらえてそう呼ばれているこのエリアはB1層のド真ん中に存在する商業区である。これまでシエラ達が担当していたのは市街地、それも外周部だったため人通りも少なく、賑わっているのと言えば例の複合商業施設くらいのものだった。しかし今度は担当エリア全体があの施設の様な賑わいなのだ。店舗や屋台なども多く、以前の自分達ならばきっと喜んだところだろう。が、今は少々話が違う。


「本当は正式な辞令が下りるまでは内緒にするべきなのでしょうけど……」


 コルが若干言いよどむ。


「タブレットで各誌アーカイブやニュースは見たでしょう? 世論や世間の目を考えるとあんまり喜ばしいことでは無いから、それなりに覚悟が必要かと思って……ね」


 コルの言う通りだ。事件から一か月が経過しようとしている今なお、彼女たちの話題が紙面から失せる気配は無かった。もちろん、病室に缶詰のシエラが知るのはタブレット端末を通して見た事だけである。しかし、これだけ顔と名前が世間に知られてしまい、しかも人の目が多い繁華街の警備となれば、それなりの苦労を強いられるであろうことは火を見るよりも明らかだ。


「……いい話の方、聞かせて……」


 先を思うととても気が重いが、今更気に病んでもしょうがないとも思う。いざ原隊復帰し、「はい、今日からお前たち繁華街担当な」なんて隊長に言われるよりは、心の準備ができる分幾分かマシと思うほかない。


「いい話はね」


 こうなったら姉さんの”いい話”に期待するのみ。


「実はお土産、スパコの他にもう一つあるの」


「?」


 またもや意外な話にシエラは目を丸くする。


「はい、これ」


 ポイと目の前に差し出された紙袋を無言で受け取る。中を覗くとそこには茶色く丸い、何かが入っていた。

 取り出そうと袋に手を突っ込むと丸い何かは、思っている以上に柔らかいことに驚かされる。


「これ、ドーナッツ?」


「そ、ドーナッツ」


 袋の内容物を手に持ち、シエラは首をかしげる。

 ドーナッツ、と言ってはみたもの目の前にあるそれはシエラの知るものとは全く違った形状をしていた。ドーナッツとはもっとこう、硬くて、ちょっと焦げていて、真ん中に穴が開いている物では無いのだろうか? 同じ茶色でもこれはもっと薄い色合いだし、焦げてないし、穴も開いていない。何よりこんなにふわふわした指触りのドーナッツをシエラは知らなかった。


「いいから、食べてみなさいな」


 コルが笑う。


「う、うん……――――――!!!!」


 恐る恐るそれを口にしたシエラは言葉を失った。

 なんと表現したらいいか分からず、二口、三口と立て続けにそれを頬張る。そんなシエラを見てコルはふふっと嬉しそうに笑った。


「なにこれ! おいしい!」


 もぐもぐごくんと口の中のものを飲み込んだシエラは半分ほどになった見慣れぬドーナッツとコルを交互に見つめる。

 甘くて、ふわふわで、中には軽い舌触りのクリームが入っている。香ばしくもほんのりと甘く、しっとりとした生地部分。優しい甘みと滑らかなクリームが絶妙にマッチしたそれは、シエラの知っているちょっと苦くてぼそぼそとしたドーナッツとは似ても似つかないものだった。


「こんなの、一体どうしたの?」


 思わずコルに問いかける。こんなおいしくて高そうなもの、この辺じゃそうそうお目にかかれないはずだ。


「昨日、仕事で上層に行ってきたの。例の事件の処理報告とか今後の対策とか話し合ってきたんだけど、お偉いさんたちの頭があまりにも硬くてね? ちょっとだけ頭にきたから、受付に届いてた差し入れ、こっそり頂いてきちゃった」


 コルは楽しそうに笑っているが、しれっとすごいことをしているのではないか、という気がしないでもない。


「後でサーシャも来るんでしょ?まだ入ってるから残りは一緒に食べるといいわ。甘いドーナッツにちょっぴり苦いスパコの組み合わせは最高よ?」


 配置転換の話でちょっと暗い気持ちになっていたシエラだったが、やはり美味しいものというのは気持ちが前向きになるものだ。

 コルにお礼を言いつつ残りの半分にかぶりつく。至福の甘味を飲み込みつつ、サーシャには内緒で全部食べちゃおうかな?とほんの少しだけ思ったのは絶対に秘密だ。


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