第20話 死線

 オリバーに先導されて、リーゼロッテともに逃げていたロミアだったが、


(さすがに、逃げ切れそうにないわね)


 迫りつつあるどころか、もう一度こちらを包囲しようとする黒ずくめたちの動きを横目で見ながら、ロミアは舌打ちする。


 このタイミングで例の発熱が起きたせいで、リーゼロッテの走る速度が着実に落ちてきている。

 このまま無理をさせ続けたら、何もされずとも彼女は倒れてしまうかもしれない。

 そう心配していたのは、どうやら自分だけではないようで、


「〝リーゼロッテ〟様。ここはもう、足を止めて応戦した方がよろしいのでは?」


 オリバーが半顔だけを振り返らせ、ロミアに訊ねる。


「そうしてあげたいのは山々ですが、足を止めたら弓の的になってしまいます。今は逃げるだけ逃げて、応援が来るまでの時間を稼ぐしかありません」


 オリバーも、それくらいのことは言われずともわかっているはず。

 だが、わかっていてなお、リーゼロッテにこれ以上無理をさせたくないという思いが強かったのか、


「……わかりました」


 かえってきた言葉は、断腸という言葉では足りないほど苦渋に満ちていた。


 リーゼロッテの体調も含めて、このままではまずいことはロミアもわかっている。

 だが、現状はただ逃げて時間稼ぎをする以外に打てる手はない。


 誰かがリーゼロッテを背負って逃げるという手も、考えなかったわけではなかった。

 だがそれをやってしまうと、ただでさえ少ない戦力が一人減ってしまう上に、人一人背負って走らなければならない分、どうしても速度が落ちてしまう。

 それなら、戦力が減らない分、限界ギリギリまでリーゼロッテに走ってもらった方がまだマシというもの。


 リーゼロッテの護衛をレオルとオリバーに任せ、ロミア一人が遊軍となって反撃に打って出る手も考えなかったわけではなかった。

 だが、さすがにロミアといえども、一人で四~五〇人を仕留めるのは厳しいものがある。

 おまけに黒ずくめたちの練度は、刃を交えるまでもなくわかるほどに高いときている。

 最悪、自殺行為で終わる恐れすらある手だった。


 だから、今はただ逃げて時間を稼ぐ以外にやれることはない。

 しかしこのままでは、じきに追いつかれ、再び包囲されるのは目に見えている。


(公都から森の火事が確認できたとしても、応援が来るまでにはまだしばらく時間がかかる。何か……何か手を考えないと!)


 走り続けながらも、ロミアは現状を打破する一手を模索し続ける。


 しかし、現状は、最悪の形で破られることとなる。


「きゃっ!?」


 体力の限界に達したのか、リーゼロッテが、足がもつれて転んでしまったのだ。


 好機とばかりに、弓を持った黒ずくめが、起き上がろうとするリーゼロッテに向かって矢を構える。

 最早、替え玉がどうとか気にしている場合ではない――即断したロミアは、振り返ると同時に地を蹴り、外套マントの下に隠し持っていた短剣を鞘から抜き放つ。

 半瞬後、黒ずくめたちが放った四本の矢を、目にも止まらぬ速度で斬り払った。


 その間にも、二人の黒ずくめが肉薄してくる。

 暗殺に特化した部隊だからか、奇しくも二人の得物はロミアと同じ短剣だった。


 先に肉薄してきた一人が、勢いをそのまま刺突を繰り出してくる。

 それに対してロミアは、あえて一歩前に出ながら刺突をかわし、すれ違いざまに首筋を撫で斬りにすることで一閃のもとに相手を仕留めた。

 

 もう一人の黒ずくめは、一見しただけでロミアの技量が、後方で奮闘している近衛騎士長をも上回ることを理解してしまい、刹那にも満たぬ間、次に打つべき一手に迷ってしまう。

 当然のようにその迷いを見逃さなかったロミアは、黒ずくめの喉笛を横一文字に斬り裂いて絶命させた。


 続けて、後続の黒ずくめが迫ってくるも、


「ここは自分が!」


 リーゼロッテが転んだことに気づいたオリバーが、こちらに戻って応戦に出たので、この場は一旦彼に任せて、ロミアはリーゼロッテを助け起こす。

 外套越しから掴んだ彼女の腕がさらに熱くなっていることに、思わず眉をしかめてしまう。


「はぁ……はぁ……大丈夫……ですから……」


 肩で息をしながら、明らかに大丈夫ではない声音で強がってくる。

 優しい言葉の一つでも、かけてやりたいところだったが、


「ちぃ……っ!」


 ロミアは舌打ちながら、飛んできた矢を短剣で斬り払う。

 さらに、二矢、三矢と飛んできた矢を斬り払いながら、ロミアは心の中でも舌打ちした。


(ちぃ……っ! 射線が通りにくい森の中だってのに正確にリーゼを狙ってくる……! このままじゃ動くに動けないわね……!)


 せめてもう少し戦力がいれば――そんな願いが届いたのか、


「せぃあッ!!」


 いつの間にかこちらまで戻ってきていたレオルが、弓使いの一人を袈裟がけに斬断した。


「飛び道具は小生が潰す! それまでは、今しばらく持ちこたえよ!」


 叫びながらも森を駆け、さらにもう一人、弓使い斬り殺す。

 森火事によって生じた灯りと、木漏れ日さながらに差し込む月明かりによって照らされたレオルは、そこかしこに傷を負っていたが、その動きにはいささかの陰りも見受けられなかった。


 思いのほか逆境に強い近衛騎士長に、ロミアはわずかながらも希望を見出しながらも、矢の狙撃からリーゼロッテを護りつつ、オリバーが討ち漏らした敵を斬り殺していく。


 このまま応援が来るまで持ちこたえることができれば――そう思う一方で、それが如何いかに困難であるのかを、ロミアは理解していた。

 今の状況は、少しでも綻びが生じれば一気に瓦解してしまう。綱渡りにも程がある状況だった。


 そして、持ちこたえるのが困難な理由がもう一つ。


 これは薄々わかっていた話だが、人を護る戦いにおいては、ロミアが傭兵として培った技術スキルがあまり活きないことだった。

 ロミアの得意な戦法は、相手の視線を盗み、死角を突くこと。

 守りではなく、攻めに使ってこそ活きる技術だ。


 今の場面ならば、レオルと役割を交代すれば、少なくとも弓使いは確実に排除できるかもしれない。

 けれど、先にも言ったとおり綱渡りの状況で役割の交代などできるはずもなく。

 それ以前の状況で交代しようにも、殿しんがりについて敵を食い止めるという役割がロミアには不向きな上に、そんな行動をとった時点で自分が替え玉のリーゼロッテだと喧伝するようなものなので、結局のところはどうしようもなかった。


(暗くて相手の視線が読みにくいのも、地味にめんどくさいわね……!)


 愚痴りながら、オリバーを避けて斬りかかってきた黒ずくめの心臓を、短剣で刺し貫く。

 とにかく、追いつかれてしまった以上はもう、応援が来るまで持ちこたえるしかない――そう自分に言い聞かせながら、ロミアはリーゼロッテを護り続けた。




 ◇ ◇ ◇




 矢が飛んでくる状況下においては、むしろ立っている方が邪魔になる。

 ロミアに予備の短剣を渡してもらったが、王族の手習い程度の腕しかない自分に、飛んできた矢を斬り払うなんて芸当はできない。

 それならば下手に自衛しようとするよりも、身を低くしていた方が、ロミアの邪魔にならない分マシだと判断したリーゼロッテは、いつでも起き上がれるよう片膝を突きながら、静かに事態を見守っていた。


(このままでは、持ちこたえられませんね……)


 その身を蝕む熱とは対照的に、冷静に、あくまでも冷静に決断を下す。


 実のところ、この場を打開する一手はすでに思いついていた。

 それは文字どおり全てをひっくり返す、起死回生の一手だ。

 だが、口頭で説明したら何の意味もなくなってしまう手でもあった。


 全てはロミアにかかっている。

 彼女が無用な傷を負う前に実行に移し、皆まで言わずともこちらの意図を察してくれたら、その一手はかなり高い確率で成功する。


 そのためにも、


(わたくしも、覚悟を決めなければいけませんね……)


 リーゼロッテは、冷静に事態を見守る。

 自分を護ってくれているロミアを、レオルを、オリバーを、心の底から心配しながら。

 そんな思いとは裏腹に、最悪の場合、ロミア以外の人間を見捨てることを覚悟しながら。

 そんな事態にだけは絶対になってほしくないと、心の底から祈りながら。


 冷静に。


 あくまでも冷静に事態を見守り続けた。


 瞬間を見逃さないために。




 ◇ ◇ ◇




 時間にして一五分。

 されど、ロミアたちには一時間にも二時間にも感じるほどに長い時間、黒ずくめの集団との戦闘を続けていた。


 ロミアは額から玉のような汗を流しながら、リーゼロッテを狙った矢を全て斬り払い、肉薄してきた黒ずくめを全て斬り捨てた。


 レオルは、初めのうちは順調に弓使いの数を減らしていったものの、さすがに対応してきた敵がそれなりの数をレオルにぶつけたことで動くに動けなくなり、場は膠着状態に陥りつつあった。


 膠着状態それ自体は、黒ずくめたちも望んだ展開ではなかっただろうが、


「ぜぇ……ぜぇ……ッ」


 ロミアとレオルに比べて、オリバーの手傷が目に見えて増え、目に見えて消耗していっているため、望んだ展開でなかろうとも、黒ずくめたちは無理にこの膠着状態を崩そうとはしなかった。

 この状態を維持しているだけでオリバーが潰れ、形勢が一気に自分たちに傾くことが、それこそ目に見えていたからだ。


(応援はまだなの!?)


 黒ずくめと斬り結びながら、ロミアは心の中で呻く。

 黒ずくめたちは、味方の数が減ってきてることもあって、ロミアとレオルに対しては無理攻めはせず、二人に比べて実力が数段劣るオリバーに対しては、激しい攻勢をかけるよう立ち回り始めていた。


 彼の近くで戦っているロミアとしては、可能な限り援護してやりたいところだったが、向こうの狙いがリーゼロッテである以上、下手な動きはできない。

 事実、オリバーの援護に向かおうとした瞬間に、黒ずくめがリーゼロッテを狙った回数は一度や二度ではきかない。

 無駄に動かず、矢の狙撃から護られやすいよう身を低くくしてくれているリーゼロッテのさかしさがなければ、今この瞬間まで護りきれていたかどうかも怪しい。


 処刑台に続く階段を上がっていることがわかっているのに、その足を止める手段がない。

 いつか必ず破綻するとわかっているのに、ただただ目の前の危機に対処することしかできなかった。



 そして――



 破綻の瞬間は、ほどなくして訪れた。



「ぐふ……ッ」


 短剣で胸を刺し貫かれたオリバーが、血の泡を吐き出しながらその場に倒れ伏す。

 オリバーが押しとどめていた黒ずくめたちが、一気呵成に突撃してくる。

 生き残っている三人の弓使いが、一斉に矢を放ってくる。


(こうなったら、やれるところまでやるしかないわね……!)


 悲壮なまでの覚悟を決めたロミアは、飛んできた三矢を残らず斬り払う。

 その隙を突くように、いの一番に突っ込んできた黒ずくめか、勢いをそのままに刺突を繰り出そうとする。

 かわして素っ首を撫で斬りにしてやる――そう身構えていたロミアの目の前で、彼女にとっても、レオルにとっても、黒ずくめたちにとっても予想外の出来事が発生する。



っ!!」



 リーゼロッテが自分の名前を「様」付けで叫びながら、ロミアと、刺突を繰り出そうとしていた黒ずくめの間に割って入ってきたのだ。


 自分がリーゼロッテを庇うならともかく、リーゼロッテに自分が庇われる事態など想像すらしていなかったロミアは、即座には対応できなかった。

 黒ずくめも、動揺を露わにしながらも、そのまま刺突を繰り出し――



 凶刃が、リーゼロッテの胸を深々と貫いた。

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