Sin and Punishment:Accelerando

アイダカズキ

1 竜と兵器商船

 体育館どころか、体育館が数個ほど収められそうに広大なホールだった。広いだけでなく天井までが見上げるほどに高い。靴底から微かに伝わってくる振動がなければ、ここが船内とは信じられないほどだ。その振動さえ、静止して注意を払わなければならないほど小さい。地中海の荒波をほぼ完璧に打ち消す、よほど優秀なスタビライザーを使っているのだろう。

『見事なものだろう。まさに洋上に浮かぶ白亜の城……ああ、私には人間の審美眼は理解できないが、君ならそのくらいは言いそうだとは思うよ』

 耳元に装着したイアホンから聞こえる〈白狼ホワイトウルフ〉の電子音声に、龍一は眉をひそめた。骨伝導マイクと補正ソフトが拾ってくれるため、わずかに唇を動かす程度で十分に通話はできる。

「あのなあ。俺は現実主義者リアリストだぞ? 何を見たってそんな歯の浮きそうなこと言うかよ」

『どうかな? ブリギッテもアレクセイも、君のことをそうは言っていなかったな。疾風怒濤の浪漫主義者ロマンチストだとは言っていたが』

 無意識に龍一の口元がへの字に曲がった。あいつら、陰で好き勝手言いやがって。

『クルーズ客船〈へファイストス〉。全長約365メートル、総排水量25万トン。デッキ20階建て。2500人の乗組員に、乗客を7600人まで収容可能。地球環境を考慮したLNGと燃料電池による複合電力エンジンを搭載。船内にはメインレストランだけでも30以上、映画館、ジェットスライダー付きプール、バスケットコート、ボクシングジム、コンサートホール、レーシングサーキットに……散策用の公園や植物園まである。洋上のテーマパーク、あるいは小さな都市国家。素晴らしい人生のひと時をあなたとあなたのご家族に。──とまあ、ここまでは無味乾燥な宣伝文句通りだ。間違ってはいないが全てでもない』

「これで今から始まるのが、本当にダンスパーティなら平和でいいのにな」

 実のところ、それは龍一の本心だった。

 広大なホールのそこかしこで、芸術品のようにケースに収められ、あるいは天井から吊り下げられ、あるいは台座の上で携行火器を構えて戦闘態勢ファイティングポーズを取っているのは、見間違うはずもないあの人造の兵士たち──Hybrid Warriorsだった。

 周囲で鈍い輝きを放っているのは、HW専用の装備品だろう。携帯式のレーザー砲や、車載機銃とほぼ変わらないサイズの大口径アサルトライフル。背負い式の対地・対空ミサイルランチャー。ボディアーマーや、それに装着するモジュール形式の追加装甲。キャタピラとスキーとオフロードタイヤを合成したような装置は、高速移動用の走行システムだろうか。

『この船が〈王国〉の兵器商船というのは犯罪業界では有名でね。それに建造元のアテナイ・エンタープライズ社は、かつてアルゴスの傘下にあった企業群の一つだ』

犯罪複合企業体マルスは滅びても、その子分たちは元気一杯か」

 そもそもそのような後ろ暗い船が公海を堂々と航行中であること自体、〈王国〉の影響が猖獗を極めている証拠なのだが。

『……〈罪の王国〉はいまだ健在ね。かつての大英帝国のごとく』

 聞き覚えのある若い娘の声── ブリギッテ・キャラダインの声がイアホンに飛び込んできた。背後のざわめきから察するに、彼女も移動中らしい。

 今の龍一は、あまり機能的ではない黒縁眼鏡をかけたスーツ姿だった。どうにか闇市場の一角に食い込もうとしている新参気鋭の兵器バイヤーといった風情だ。もっともこの程度の変装で最新の顔認証技術は誤魔化せないため、顔面に走査を阻害する偽装スキンを貼り付けている。〈白狼〉謹製の、これで駄目なら他に何をしても無理なほどの優れものだが、顔が多少痒くなるのが唯一の欠点だ。

『闇市場だけに、まさにバーゲンセールね。私たちがロンドンで戦ったHBまで展示されているわ』

 彼女の言葉通り、確かにあの大型HW──Hybrid Berserkerまでもが鎮座していた。さすがに弾薬の一切は抜かれていそうだが。

 言うまでもなく彼女はここにはいないが、龍一のかけている黒縁眼鏡──多機能スマートグラススペックスを通して龍一と視界を共有しているため、会話に支障はない。

『もう気づいているでしょう? ここで展示されているもの、全てHWかそのオプションパーツだわ。〈竜〉そのものは欠片も見当たらない』

 頷いた。HWそのものは今やありふれた技術だ。兵器のバイヤーなら見るべきものも中にはあるだろうが、龍一たちの目当てはそれではない。

「ここにあるのはあくまでオードブルか」

『間もなくオークションを開催いたします。参加される方は、招待状をご用意の上でお待ちください。なおオークションの性質上、途中入場・退場は固くお断りさせていただいております……』

『メインディッシュの準備ができたみたいね。私も移動するわ』

「ミルカたちを頼む。会場内に入ると通信機器は全て取り上げられる。合図があったら……」

『即座に動けというんでしょう。わかっているわ』

 アナウンスを聞いて、会場の客たちが受付へと流れ始める。

『可能な限りの注意を払って君たちの偽装身分を用意したが、完璧とは私も断言できない。くれぐれも用心してくれ』

「トラブルにはアドリブで対処しろっていうんだろ。わかってるよ」

 わずかに、鼓動が早まるのを実感した。あの会場では、これまで見てきた兵器の数々など玩具に等しいような、危険極まりない技術が披露されようとしている──少なくとも〈白狼〉の情報ではそうだった。

 残念ながら〈白狼〉のもたらす情報は、悪いことに関して外れたためしがない。

『〈竜〉も気になるけど、肝心はの方よ。情報通りなら、既に乗船しているはず』ブリギッテはそこで口ごもった。『あなたの……因縁の相手ですもの』

「当然の心配だが、あまり重く受け止めないでくれ。長年の腐れ縁に落とし前をつける、というだけの話だ」

 だが当の龍一自身、それをどこまで本気で言っているのか自分でもわからなかった。


 本当にいるのか。この船に──〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスが。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 数週間前。


「ブリギッテさん、できました! 見てもらえますか?」

 そう言ってノートPCから顔を上げたのは、セルビア出身の13歳の少女ミルカ・ステヴァノヴィチ。新香港のストリート育ちだった彼女も、ブリギッテが見立てた服を着るようになってかなりこざっぱりとして見えるようになった。

 自分の作業を中断したブリギッテが歩み寄り、画面を覗き込んで満足そうに頷く。

「見せて。……うん、合格よ。ミルカは覚えるのが早いわね」

「そんな……ブリギッテさんの教え方が上手いからですよう」

 えへへ、とミルカは照れ臭そうに笑う。ショートカットで縁取られた溌剌とした顔立ちには、新香港を命からがら脱出してきた時の憔悴は見当たらない。少なくとも、表面上は。

 くすり、と龍一の傍らで微かに笑う気配があった。ソファに腰かけ、先ほどからキャンバスに木炭を走らせている少女の笑声だった。栗色の髪を緩くまとめた、貫頭衣にも似た白いドレスを着た少女だ。年はミルカより数歳ほど上か。

「あの……イナンナさん?」

 ミルカはやや気まずそうに、「その、私なんかを描いて本当に楽しいんですか?」

 イナンナと呼ばれた少女はたちまち眉根を下げる。美しさよりも優しげな顔の輪郭が印象に残るような、大人しそうな娘だ。「はい、確かに今描いているのはミルカさんのお顔です。それとも、お嫌でしたか?」

「全然嫌じゃないですよ!? ただ他に、絵に描くのにふさわしい人や物があるんじゃないかと思って……鳥とか花とか。あと龍一さんとか、ブリギッテさんとか」

「いいえ。私は今のあなたが描きたいのです。この瞬間のあなたが」

 穏やかな声音が、かえって確かな意思を伝えていた。一度でもこうと決めたら、なかなか言動を覆さない少女ではある。

「龍一さんもご覧になりますか? まだ途中ですが」

「ありがとう」

 言われてキャンバスを見てみる。描線こそ粗めだが、見事に対象の特徴を捉えている。正直上手いな、と思った(龍一を描いた絵も見たことがあるが、他人の目から見て俺はこんなふうに見えているのか、と不思議な気持ちになった)。

 ──穏やかな時間が流れていた。アメリカの、あるいは新香港の、血で血を洗う死闘が信じられないような平穏さだ。

 そしてその平穏さもまた、苦労なしに得られたものでもない。

(……とにかく、腰を落ち着けられるのはありがたいな)

 と龍一は思った。

 壁の一部は透過式スクリーンになっており、眼下には綿を敷き詰めたような雲海と、煌めく海面が見える。太陽の位置からして、今は正午だ。

 太陽発電用の成層圏プラットフォーム。気球と飛行船の中間的存在、とでも言うべきか。基本的には遠隔式の無人操縦ではあるが、〈白狼〉の設計したこれは原型を留めないほど徹底した改造が施され、人の収容が可能になっていた。一流ホテルとまでは行かなくとも若い男女数人が暮らすには充分なスペースと、物資の蓄積がある。

 ブリギッテによって〈カルネアデス〉と名付けられたこの空中プラットフォームは(この手のネーミングセンスで、龍一は彼女に優ったためしがない)まさにその名の由来通り、現状でこれ以上はない「緊急避難先」だった。

 よく考えれば〈月の裏側〉存在時も、移動や物資の運搬などに同じプラットフォームを利用してはいた。しかしそれが今、龍一たちの最後の拠り所となったのは皮肉としか言いようがない。

 もちろんデメリットはある──〈王国〉に居所を割り出されれば、非武装の上に低速移動しかできない空中プラットフォームなどミサイルの一発で終わりかねない。高度数千メートルから放り出されたら生身の人間であるブリギッテやミルカはひとたまりもないだろう(龍一だけは生きられるだろうが、わざわざ試したくはない)。しかし龍一も皆も、そのデメリットにはあえて目をつぶることにした。昼夜問わず襲撃を受けるような生活には誰もがうんざりしていたからだ。「実際に危険が迫っても、あと二、三ほど手はある」という〈白狼〉の言葉を信じるしかなかった。

 部屋の中央からは少女たちの華やいだ笑い声が聞こえてくる。このところミルカはすっかりブリギッテに懐いたようだ。そもそもブリギッテは歳下のミルカにだいぶ甘いせいもあるが。

 イナンナもまた、楽しげに笑っている。何にしても彼女が皆に受け入れられたことに、龍一は内心安堵していた。イナンナが物心つく遥か前からエンリル製薬の人体実験施設〈人類の檻ケージオブマンカインド〉で育ち、そこから龍一に連れ出されてわずか数ヶ月程度しか経っていないのだ。

「進捗も悪くないわね。一息入れましょう。お茶を淹れるわね」

「あ、私淹れます」

「いいのよ、座っていて。お茶を淹れるのも気分転換になるから」

 そこまで聞いて、今まで黙って本を読んでいた青年ががばりと立ち上がった。自称〈夢の国の王子〉、アイネイアと名乗る男である。

 何事かと皆が見守る中、彼は感極まったように〈人は一度死んだら二度は死なねえ〉と描かれたTシャツの胸辺りを鷲掴みにして首を振りながら、

「自らも疲れているであろうに、年下の娘を労るその裏表のない優しさ……ブリギッテよ、そなたの美しい心映え、余はしかと心に刻んだぞ!」

「そういうのいいから! ……どうしてお茶を一杯淹れるだけでこんな大騒ぎになるのよ!?」

 たまりかねたようなブリギッテの嘆きに温かな笑いが部屋中で起こった。龍一も微笑したが、すぐにそれは真顔となる。俺たち、このままでいいのかな?

(これ、そのうち全員に給料を支払わないといけないんじゃないのか……?)

 そもそも彼ら彼女らがなぜ逃亡生活を余儀なくされているか? 考えるまでもない。龍一が原因だ。

 なのに皆、恨み言一つ言うでもなく、それどころか積極的に自らの技能を惜しげもなく提供している。それに対して感謝の言葉以上のものを与えていないのは、麗しく見せかけただけの搾取ではないのか?

 寝込みを襲われる心配がひとまずなくなり、心に余裕ができて──今までは考えずに済ませてきたことに、目を向ける必要が出てきたのだろう。

 ここに集まってきたは〈王国〉や〈犯罪者たちの王〉に因縁を持つ者たちの、組織とすら呼べない寄り合い所帯だ。その彼ら彼女らとこれから先も、互いに命を預けて戦い続けるのであれば、現状に満足していてはいけないのではないのか?

(俺は新しい〈月の裏側〉を作るべきなんだろうか? 百合子さんのように……)

 それも違う気がする。高塔百合子は日本有数の資産家であり、小国の予算に匹敵する資産を注ぎ込んで日本国内における〈王国〉の拠点を一掃するのには成功した。だがその彼女でも、〈王国〉の正面攻撃には耐えられなかったのだ。

 新しく〈月の裏側〉を作ることは、その失敗を繰り返すだけではないのか。

(〈月の裏側〉とは違う方法で、〈月の裏側〉に代わる何かを作り出す……ってことなのか?)

 正直、何をどうすればいいのかさっぱりわからない。だがそれだけに、安易に見過ごしてはいけないとも思った。

(考えることが山ほどあるな……)

 ──ふと気づくと、室内の全員が龍一を見ていた。

「龍一さん、どうしたんですか? さっきからすごくシリアスな顔で何か考えていますけど……」

「いや……大したことじゃないんだ。つまらないことさ」

 ミルカの心配顔に、照れ臭さもあって手を振って応じるが、

「つまらないこともなかろう。龍一よ、そなたほどの男の悩み事であるぞ」

 アイネイアまで、それこそにこりともしない顔をこちらに向けてきた。いかなる時も誰かと誠実に真剣に向き合おうとするのがこの男の良さではあるが、困るのもこういうところだ。口ごもったところへ、ブリギッテまで龍一の額に手を当てて、

「熱はないわね」

「君まで小っちゃい子扱いするのやめてくれるかな?」

 抗議に対して返ってきたのは恐ろしく冷ややかな視線だった。「自惚れないで。あなたなんかミルカよりずっとずっと手がかかるんだから。小っちゃい子どころか、赤ちゃん以下よ」

「わあ、辛辣……!」

「ブリギッテさん、それではその、龍一さんのお立場というものが……」

「ブリギッテよ。そなたと龍一の間柄が、仲の良い悪いで片付くものでないことは余も知っておる。しかしそのような会話を聞いて、周りの者はどのような顔をすれば良いのだ……?」

「ごめんなさい。言いすぎたわ」ブリギッテは自分を諌めるように額に手を当てた。「でもね、龍一」

 菫色の瞳が、今度こそ龍一を正面から見据える。「全てがあなたのせいとは言わないけど、あなたが理由で皆、ここにいるのよ。そのあなたが目の前で世界そのものを背負ったような顔で悩んでいて、どうしてと聴いてみれば『大したことはないよ』なんて返されて『そうか、よかった』で済むと思う?」

 これまた反論のしようがない、真剣な眼差しと言葉である。さすがにこれは茶化してどうかなるムードでもない。何か言わなければ、と龍一が口を開きかけた時、

『話中に済まない。アレクセイとシュウが帰還した。その報告も併せて、全員で共有したい議題がある。会議室に移動してくれ』

 埋め込み式のスピーカーから〈白狼〉の電子音声が響いた。ブリギッテは肩の力を抜き、

「出張から帰った人を放って話すことでもないわね。龍一、後にしましょう」

「ああ……」

 ほっとしたようながっかりしたような、複雑な気分である。移動しながら、しかしこれはいつまでも棚上げにしていいテーマでもないぞ、と龍一は考えていた。


「アレクセイ、シュウ、おかえりなさい。二人ともお疲れ様」

 ブリギッテは会議室のソファに座っていた先客に声をかけた。小脇に書物でも抱えれば良家出身の大学生にしか見えない、穏やかな風貌の青年だ。狙った標的ターゲットは逃さない──かつて犯罪業界を震撼させた暗殺者集団〈ヒュプノス〉その最後の生き残りという苛烈な人生は、少なくともその表情からは窺えない。

 ありがとう、と頷いたアレクセイとは対照的に、もう一人の少年は「へっ」と肩をそびやかした。中国拳法の道着にも似た身体に密着した衣装の、見るからに喧嘩早そうな少年だ。

「ドアを蹴破って中のごろつきどもの尻を一人一人蹴って回るようなつまらん仕事に、この俺様をわざわざ駆り出すなよ。朝飯前のオードブルにもなりゃしねえ。ラボに篭って運動機能のデータ取りをしてた方がましだぜ」

「シュウくん! めっ!」

 その言葉にたちまち目尻を吊り上げたのはミルカである。「ブリギッテさんに何て口の聞き方するの!? 『お疲れ様』って言われたら『どういたしまして』って返すのが礼儀でしょ! 私はシュウくんをそんなふうに育てた覚えはありません!」

「俺だってお前に育てられた覚えはねえよ!」

「でも、私の方がシュウくんより圧倒的お姉さんだよ」えへん、とミルカは胸を張る。「シュウくんって、なんでしょ? 背だって私の方がちょっと高いし。……えーと、1センチくらいは」

「そのこだわり必要だったか?」

『いつものはその辺りでいいだろう。そろそろ議題に入りたい。座ってくれ』

「軽くいなしやがって……所詮は血も涙もない機械かよ」

「シュウくんがそれ言うの、何かのギャグ?」

 ぶつくさ言うシュウに皆苦笑いしながら、全員が会議室に入る。

 会議室のスクリーンには巨大な船舶が表示されていた。こんな馬鹿でかい鉄の塊がよく水に浮くな、と何だか騙されているような気分になる巨船である。たぶん龍一が目にした船舶の中でも、人生最大級だろう。

「あ、これ知ってます。〈へファイストス〉ですよね」

 へえ、と龍一はミルカに感心した。「豪華客船には詳しいのか?」

「詳しくはないけど知ってはいます。新香港にいた頃にテレビ番組で見ましたから。『世界仰天ニュース! 〜スタジオに激震走る! 洋上で酒池肉林を開催する大富豪ビリオネアは実在した!〜』とかいう」

「いまいちよくわからんコンセプトの番組だな?」

「それで? 浮世離れした大金持ちの道楽を羨むためだけに、俺様とアレクセイをさせたわけでもないんだろ?」

『もちろん違う。〈へファイストス〉は〈王国〉の兵器商船にして、最新兵器の研究施設──間違いなく〈王国〉が保有する、最大規模の拠点だ」

 その言葉に室内の空気が一転、緊張を帯びる──無理もない。この部屋のほぼ全員が、〈王国〉ないし〈犯罪者たちの王〉と浅からぬ因縁があるのだ。

「そうとわかって今まで手を出さなかったのは……?」

『もちろん理由がある。あえてそうするメリットがなかったからだ。〈王国〉と戦う上で最も難しい問題は、私たちから見て〈王国〉の最重要拠点であっても、ヨハネスから見れば別にそうでもないという点だ。追い詰めたつもりが、逆に追い詰められた……などという経験は、君たちも一度や二度ではないだろう』

「今回ばかりは、危険を冒すだけの価値があるってことか」

『そういうことだ。仮初めではあるが足掛かりを得て、君たちもある程度の心の余裕はできただろう。そろそろ私たちも防戦一方だった戦いを、次の段階へ進めようではないか──即ち、反撃へと』

「反撃か」

「そう、反撃ね」龍一の言葉に、ブリギッテが同意する。

「反撃だ」アレクセイは何かを噛み締めるように言う。

「反撃、反撃」おどけたようにシュウが続け、

「反撃!」アイネイアが重々しく頷く。

 口にこそ出さなかったものの、ミルカやイナンナでさえ静かに頷いている。

「〈白狼〉。そこまで腹を括ったからには、この兵器商船はただの最重要拠点んだろう?」

 理屈ではないが、勘だった──悪いことに限って外れたためしのない、龍一の勘。

『さすがだな。そう、この〈へファイストス〉を標的としたのはもう一つの理由がある。それに関しては、アレクセイに説明を任せた方がいいだろう」

 わかった、とアレクセイは静かに頷く。「ここしばらく、僕とシュウは〈白狼〉からの依頼を受けて〈王国〉のいくつかの拠点を探っていた」

「で、まあこれがその『結果』だ」シュウが自分の右目の眼窩に指を突き込み、無造作に眼球を取り出す。潤滑油でてらてら光る、精巧な電子義眼が取り出された。うえっ、とミルカがげんなりした声を発した。

「シュウくんグロっ……」

「お前をドン引きさせるためだけにこれやるほど、俺様も悪趣味じゃねえよ」

 シュウは慣れた手つきで電子義眼をプロジェクターに有線で接続した。壁に投影されたのはいくつかの図面、それに銀行口座への入金記録らしき数字の羅列だ。

「〈王国〉の最大の強みはその影響力だ。極端な話をすればその辺りの、吹けば飛ぶような人員も資金も貧弱なグループでさえ〈王国〉を名乗れば真偽は問われない。負担にならない程度の上納金さえ納めれば」

「ヨハネスは寛大な王様だったわけね。少なくとも部下たちには」

「ところがここ数年で、その上納金の額が倍増した。当然、末端になればなるほど負担は大きくなる。興味深いのは、末端ばかりか、それらを束ねるかなり大規模な組織まで、以前なら口にしなかったような不満を露わにし始めたことだ」

「何やら……焦りのようなものを感じなくもないな。全世界の犯罪者たちの上に君臨する王、とやらが何をそう焦る必要があるのか、余には理解できぬが」

「子分どもからのアガリだけで、一生遊んで暮らせそうなもんだけどな。ま、龍一から聞いた分だと、ヨハネスってのはそんなタマじゃなさそうだが」

 あるいは〈月の裏側〉、そして龍一たちの〈王国〉への大小様々な妨害活動が、今になって地味に効いてきたのかも知れない、とは思う。

『そう、ここでの疑問は〈王国〉が配下から搾り取った巨額の資金を何に注ぎ込んでいるか、だ。組織の維持のみであれば、離反の危険を冒してまでも上納金の桁数を増やす必要はない──〈王国〉は何らかの大規模プロジェクトを準備しているのではないか、というのが私の予測だった』

 アレクセイが引き取る。「世界各国の、〈王国〉に属する中でも最大級の犯罪組織全てに〈犯罪者たちの王〉直々のが発せられた。近日中に〈へファイストス〉で催される闇オークションは、画期的な新技術の披露式セレモニーでもある。その壇上で〈竜〉の応用技術を発表する、と」

 ある者は唸り、別の者はうつむいて考え込んだ。〈犯罪者たちの王〉の名の下に出された「公式」発表──その意味は大きい。

「とうとうヨハネス御自らが〈竜〉の存在にお墨付きを出すかよ……」

「ですが、信じられません」イナンナが眉根を寄せながら口を開く。「あの〈竜〉の権能を機械で再現するだけでなく、商品として流通させる……本当にそのようなことができるのですか?」

「前例がないわけじゃない。〈竜〉の権能を一部解析し、機械的に再現し、現用兵器に組み込んで運用する……実際、〈島々アイランド〉という組織はかなり大真面目に取り組んでいたし、その一部は確かに成功した」

 そう、あの〈鼠の王ラットキング〉のように。

「それに忘れてはいけない。あのHW……今や世界中の軍隊が運用しているあの人造の兵士は、だ」

 もちろん本物の〈竜〉とは比較にならない、遥かに低品質の量産型だが。

「そいつを再現なく増やしていった先に何が起こるか、まああんまり愉快な気分にはならねえな」

「たぶん〈王国〉にとってHWは叩き台に過ぎなかったのね。〈竜〉をありふれた兵器として売買する、その先ぶれとしての」

「大切なのはこれからだ。披露式には〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネス本人が出席する、と」

 今度こそ沈黙が室内に立ち込めた──自分たちの鼓動が聞こえるほどの。シュウですら空気を読んだのか、神妙な顔で室内全員の表情を伺っている。

 龍一は自分の唇を舐め、それが乾き切っていることにようやく気づいた。「罠の可能性は?」

『充分にある。その上で全員に問いたい。──行くか?』

 シュウはまたしてもへっと笑った。「……〈白狼〉よお、聞くまでもねえだろ。こいつらのツラ見てみろよ、王様相手に落とし前をつけさせてやりてえって思いが漲ってやがる」

「考えてみれば私が今ここにいるのは、からだったわ」ブリギッテが呟く。「この思いを王様に伝えるのに、無味乾燥な電子メールでは不充分ね」

 アレクセイが淡々と言う。「僕も問いたい。僕の兄弟姉妹──〈ヒュプノス〉を皆殺しにし、〈竜〉の応用技術を全世界に拡散させ、あなたは世界をどこに導いていくつもりなのか。天国なのか、地獄なのか、それとも、と」

「私も、できればその人に会ってみたいです」ミルカの静かな口調に、隠し切れない決意と怒りが込められていた。「私やお兄ちゃんみたいな存在をどうして作ったのかって」

 イナンナが躊躇いがちに口を開いた。「私も……常々から、その方に問うてみたい命題がありました。あの〈人類の檻〉の中で、私は悲しみもなければ喜びもないような日々を、ただ生きていました。しかし実際にその暮らしを成り立たせていたのは……人の命でした。龍一様たちに〈人類の檻〉から連れ出されたその日以来……私は自らの命の価値について、考え込まなかった日は一日たりともありませんでした。〈犯罪者たちの王〉をその方が名乗るなら、私は問わないわけにはいきません。人命を踏み躙ってまで成し遂げたい理由があなたにあるのか、と」

 王子ことアイネイアでさえ、

「余は〈犯罪者たちの王〉に恩義もなければ恨みもない──ただその目指すところには興味はある。龍一やアレクセイ、ブリギッテのような強者たちを、野の獣のように追い詰めて殺そうとする心の有り様をな」

「龍一はどうするの?」ブリギッテが聞く──どこか怖々と。

「俺も皆と変わらない。王様に直で質問できるこの機会を見過ごすつもりはないよ」

「夏姫さんのことね」彼女は静かに頷いた。時を経て、ようやく納得できたように。

「それに夏姫のことだけじゃない。俺と〈犯罪者たちの王〉の因縁は最近始まった話じゃないんだ。そもそもHWの『素体』に使われているのは、ジンさん──波多野はたのひとしの遺伝子情報だからな」

「聞いたことがあります。龍一さんに空手を教えた人でしたっけ?」

「空手だけじゃない。返し切れないほど多くを、俺はあの人から教わった」そして彼は消えた。龍一を自分の命と引き換えに逃し、炎の中へと。

『決意表明はその辺りでいいだろう、龍一。どうやら王への謁見を望まない者は、この場にはいないようだ』

 全員が龍一を見た。龍一は頷き返した。

「行くか」


 波多野仁を殺した〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスを、地の果てまでも追い詰めて殺す──かつて未真名市を訪れた時、龍一はそれしか考えていなかった。

 未真名市を追われ、日本を遠く離れ、〈犯罪者たちの王〉に迫る機会を得た今──彼を地の果てまで追い詰めて殺す前に、もう一つだけやらなければいけないことがある。

 そう、瀬川夏姫が今どこにいるのか──そして何をしているのかを、ヨハネス以上に知る者はいないのだ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「新入り、新しいグラス持っていって!」

「あ、はーい!」

 ウェイトレスの制服に身を包んだミルカは、カクテルグラスを乗せた盆を持って会場に入った。新香港にいた頃にはあらゆるバイトをこなしていたので、人の多いパーティ会場でグラスをこぼさないよう歩くなど朝飯前である。

(際どいバニーガールの衣装でお酒注いで回る、とかでなくてよかったぁ……)

 もっとも割り当てられた仕事がそれだったら、ブリギッテさんは絶対許してくれなさそうだけど。

 何しろミルカが潜入チームへの参加名乗りを上げた時、〈カルネアデス〉内のほぼ全員が反対したのである。ブリギッテの剣幕は実の父母でもそこまで、と思うほどだったし、龍一やアレクセイでさえ難しい顔をしていた。いつもミルカには甘い王子様にさえ『そなたの勇気は余も認めるところである。わざわざ示す必要などない』などと諭されるし、イナンナにまでやんわりと袖を掴まれた時には、正直諦めかけたくらいだった。

 それを覆したのは〈白狼〉の『彼女の権能は、いざという時のバックアップ要員として申し分ない』という援護だった。それで全員、本当に渋々、いやいや、仕方なくでミルカの参加を認めたのだったが……。

(やっぱりここ、武器商人と犯罪者とスパイの巣なんだ……なんかすごい顔つきの人ばっかりだよ!?)

 強面のボディガードを護衛艦隊のように引き連れたもっと強面のおじさんだの、下手な男なら数口ほどで噛み砕いて捨てそうな迫力ある体躯を紫色のドレスに包んだ中年女性だの、目が合ったら身ぐるみ剥がれかねない連中ばっかりだ。

「おーい、こっちにも飲み物くれや! ああ、これから商談だからノンアルコールで頼むわ」

「はい、ただいま……うえっ!?」

 声をかけられて振り向いたミルカは、思わず接客業者にあるまじき奇声を上げてしまった。高そうだがあまり趣味の良くないスーツで太鼓腹を包むその中年男は、武器商人のチャン安国アンクオだったからである。

 龍一やブリギッテとは共通の知人であるし、新香港でもかなり世話にはなった。しかし、今日ばかりはタイミングが悪すぎる。潜入先で会いたくなる間柄ではない。

「どしたい、嬢ちゃん? 気分でも悪いのか?」

「あ、いえ……ノンアルコールでございますね」

 どうにか応えるのが精一杯だった。顔認証阻害は続いているが、知り合いに直に見られて欺き通せるかどうかはかなり自信がない。

「趙先生が飲まれないのであれば、私一人が飲んだくれるわけにもいきませんね。こちらにも同じものをお願いします」

 趙の向かいにいる男を見て、ミルカは盆を取り落としそうになった──これまた龍一の知り合いで、リム永成エンセンと名乗っていた。何でも人民解放軍参謀二部、という要するにスパイ組織のエージェントで、それもかなり高い地位──アレクセイに言わせれば「中国のスパイマスター」らしい。そんな潰しの効かなそうな経歴の人、本当にいるなんて思わなかった。

「別に付き合ってくれなくったっていいんだぜ……いざとなれば御国からじゃぶじゃぶ金を引き出し放題のスパイマスターさんが、一介のちんけな武器商人にオークションでお目当ての品を競り負けたなんてことになったら、素面じゃ帰れんだろ?」

「それは買いかぶりです。私の懐事情は先生が思っておられるほど潤沢ではありませんよ。今回かかる費用だって、ほとんど持ち出しです」趙の嫌味にも林はにこやかに応えるが、恐ろしいことに、目がまるで笑っていない。「むしろ、あまりにも大差をつけて競り落とさないか心配ですよ──木っ端役人が個人事業主相手に、国の後光を傘に着て泥を顔面になすりつけるなんて、何の自慢にもなりませんからね」

「面白え……俺と札束で殴り合おうってのか? 俺が同国人だからって手を抜くような甘っちょろい野郎だと舐め腐ってんのか?」

 どう見ても麗しい関係とは言いがたいおっさん同士の、全く麗しくない嫌味の応酬を目の当たりにして、ミルカは10センチ間隔でちょっとずつ後ずさるしかなかった。

「ど、どうぞご歓談を……」

 ミルカはそそくさとその場を立ち去った。ほっとくと掴み合いを始めかねない組み合わせからは逃げるに限る。

(ああびっくりした……こんな広いパーティ会場で顔見知りに出くわすなんて。それも二人いっぺんに……!)

 幸い変装は見破られなかったけど、その「幸い」だっていつまで続くことやら。

(ううん、しっかりしろ私……何のために無理言ってチームに加えてもらったの!)

 気を取り直し、ふん、と鼻から息を吐いた時である。

「失礼」

「え?」

 ミルカは目を瞬かせた──その枯れ葉が立てるようなかさかさした囁き声が聞こえたと思った瞬間、手にした盆の上からグラスが一つ、消えていた。

「……え!?」

 何の気配も感じなかった。

 振り向くと──白いスーツの後ろ姿が、ゆらゆらと人波に消えていくところだった。かなりの長身であることと、白木の杖をついていることぐらいしか背面からはわからない。龍一さんやアレクセイさんも、とても足音が静かだけど、あれはそれ以上だと思った。そこにいるのに、人一人分の熱や、厚みや、足音や、空気を押しのける気配までもが全く伝わってこない。まるで人の形をした穴が歩いているようだ。

(幽霊? そんなわけないよね……)

 こんな煌々とした光に満ちる会場で幽霊なんて──バカバカしい、と思いながらも、ミルカは得体の知れない感覚に身慄いした。

(そろそろオークションが始まるけど……あの二人、大丈夫かなぁ)

 思わず会場入口の方を見てしまう。既に招待状のチェックは始まっているようだ。

「おら、どきな!」

「きゃ……」

 通路の真ん中で立ち止まっていたミルカは、早足で歩いてきた強面の男たちに突き飛ばされてしまった。大きくバランスを崩し、あっこれはまずい、と思った瞬間、

「大丈夫ですか、可愛いお嬢さん?」

「え?」

 ふわり、と柔らかい何かに受け止められた。自分を抱き止めている者の顔を目の当たりにして、ミルカは今度こそ心臓が止まるかと思った。

 街角のポスターで、ニュース画像で、ウェブ広告で。毎日のように見る顔が、手を伸ばせば届くほどの距離にあった。月輪のように白々と輝く、あの謎めいた微笑が。

「おっ、おっ……〈黒き白鳥オデット〉?」

「あら。私のことをご存知なのですか?」意外に可愛らしい仕草で彼女は小首を傾げる。

「し……新譜買いました」そう返すのがやっとだった。

「嬉しい誤算ですね。このようなところで私のファンに出会えるなんて」全世界的な大物女優にして歌姫、〈黒き白鳥〉オデットは、嬉しそうに笑った。初心な少年なら人生が台無しになりかねない笑顔だった。いや、初心な少女でも同様かも知れない。

 実際、〈黒き白鳥〉を知らない人間などというものがいたらお目にかかりたいと思う。何しろ彼女の顔を拝まないことには、バスや電車にも乗れなければ、買い物にも行けずネットさえ使えないのだ。

「オデットだと?」

「馬鹿な……替え玉だろ? あの女優がこんなところに来るわけが……」

「いや、しかしあれはどう見ても本人だぜ……?」

 ざわめきが、次第にどよめきに変わりながら周囲へと広がっていく。ミルカを突き飛ばしたあの強面おじさんたちでさえ、振り返って目を丸くしている。

「今回の来訪は非公式ですので、握手会やサイン会の類はオークションの後とさせていただきます。インタビューその他も同様です。明確なアナウンスが出るまで、一般乗客の皆様、またこの船のオーナー・乗員の皆様へのご迷惑はお控えくださいますよう」

 一転して舞台上でも通りそうな、朗々とした口上である。周囲の混乱はたちまち収まった。凄い迫力だ、と思う。見たところ、龍一さんやブリギッテさんよりそれほど歳上にも見えないのに。

「立てますか?」

「は、はい。大丈夫です」夢見がちにそう応えながら、ここでサインをねだるのはさすがに横着かな……と思っていたミルカの掌に、何か硬いものが当たった。

「他人からの貰い物で申し訳ありませんが、差し上げます」

 囁き声に掌を見てみると──それは銀色のシガレットケースだった。しかも表面に流麗な書体で『Dear You』と描かれている。確かめるまでもない、当の〈黒き白鳥〉のサインだ。

「私は煙草を吸わないのですが、捨てるのも心ないと思いましたので。でもどんなに中身を吸いたくなっても、大人までは我慢してくださいね?」

「こ、これ……!?」

 感激と恐怖で、ミルカはわなわなと震え始めた。もしかして私、知らないうちに死んで天国にいるわけじゃないよね?

「しーっ……内緒ですよ。ここだけの話、私は思いがけない場所で出会った私のファンには、少々甘いのです」

 愛嬌たっぷりにウィンクすると、〈黒き白鳥〉は行列の方に堂々とした足取りで歩いていく。モーゼの「十戒」みたいに人々がさっと左右に分かれていくなんて、映画以外で初めて見た。

 あんな美人なのにお茶目で可愛いだなんて反則だよお……などと思いながらぼんやりそれを見送っていたミルカは、

「待てよ、それじゃ彼女もオークションに参加するってことだろ? あの〈黒き白鳥〉がだぜ?」

「こりゃあ荒れるな……てめえの情婦イロだからって、ヨハネスは手心加えるタマとも思えん」

「携帯機器持ち込み厳禁なのが残念でならねえ。関連株で大儲けできたのによ!」

 周囲のそんなざわめきを聞いてはっとした。

(そうだよ、あの人も会場に入ってったじゃない! まずいよ、龍一さんたちと鉢合わせでもしたら潜入がバレちゃう!)

〈黒き白鳥〉とブリギッテさんには何やら因縁があるみたいだし──いつも優しいブリギッテさんは、どういうわけか彼女の話題になると目が三角になるのだ。

「どうしたんだよお前。さっきからぴくりとも動いてねえぞ?」

 見ると、ウェイターの制服を着たシュウが心配そうに顔を覗き込んでいた。

「あ、シュウくん!」

 ミルカは安堵のあまりもう少しでその場に座り込むところだったが、それどころではないと思ってできる限り今までのことを詳細に説明しようとした。

「シュウくんどうしよう!? 右を見ても左を見ても、私たちの知ってる人たちばっかりだよ! この調子じゃ私たちが潜入したのなんてすぐバレちゃうんじゃない!? 私なんかさっきあの〈黒き白鳥〉に抱き抱えられて、サインまでもらっちゃったの! あ、でもシュウくんウェイターの制服すごく似合うね。なんか意外……!」

「驚く方向がとっちらかりすぎだろ! ……どうもこうもねえよ。中に入った奴らに任せるしかねえだろ」

「それはそうだけど、でも……」

「お前もあいつらと昨日今日の付き合いでもねえだろ? 信じてやれよ──犯罪者の可能性ポジビリティって奴をよ」


「──適合ヒット。識別名〈シュウ〉及びミルカ・ステヴァノヴィチとの特徴、98%までが一致しました。〈白狼〉の顔認証阻害技術は高度ではありますが、やはり知己と遭遇した瞬間の体温上昇•心拍数増加まではカバーしきれません」

「顔見知りが大勢いる敵地への潜入。我が敵ながら、同情を禁じ得ないな」タブレットを手にした秘書の報告にも〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスは薄く笑ったが、すぐ表情を改めた。「しかし、よりによってあの二人が接触するとはな。しかもの方から」

「〈黒き白鳥〉は何を考えているのでしょう」ヨハネスの前でなければ「あの女」と吐き捨てていそうな口調だった。「何ヶ月も消息を絶っておいて、ようやく現れて真っ先にすることが相良龍一の『一味』との接触とは。銃殺ものの利敵行為です」

「ここは軍隊ではないし、船内のルールに従っている現状ではいずれもスタッフであり客だ。咎め立てする謂れはないな」わざわざ話題にするまでもない、と言わんばかりの口調だった。「そもそも、彼女は私の部下ではない」

「しかし」

「監視は続けろ。決してこちらから手を出すな」

「御意」何かを押し潰すように秘書は頭を下げた。「しかし、本当によろしいのですか?」

「何がだね?」

「いかに相手が相手とはいえ、陛下が今回なさるお試みは、何と言いますかその……冒険的すぎます」

「大物を釣り上げるにはそれなりの餌が必要、というだけの話だ」ヨハネスは再び笑った。「ましてや釣り上げるのが本物のドラゴンなら、それこそ王自らが餌になるしかないではないかね」

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