番外編3-1:知性の鍵

MtMの訓練施設、第六分室。研究者と実働部隊が共同で活動するこの場所に、一人の青年がいた。


蒼井カナメ。

大学二年生にしてMtMの若き解析官。組織の制服の上に白衣を着た彼は、端末に向かって指を滑らせていた。


「――魔導催眠のパターンが変化している。使用された言語構造も、先月の事例とは一致しない」


静かな声。淡々とした口調。

彼の周囲には資料の山と、処理されたデータの並ぶモニター。眼鏡の奥で光る瞳には、わずかな焦りもなかった。


「つまり、術者が変わったか、あるいは術式そのものが進化している可能性があるってことか?」


肩越しに声をかけたのは、先輩隊員だった。だが、カナメはすぐに頷かなかった。指を止め、わずかに目を伏せる。


「“進化”ではない。“最適化”だ。誰かが、実験を重ねている――それも、かなり長期的に」


その予測は、核心を突いていた。

イツルが巻き込まれた一連の事件。HYPの痕跡。そこに共通して残されていた、魔導反応の“濃度変化”。


「闇野、ナナカ……」


彼女の名前を口にしたとき、カナメの背筋にほんの一瞬、奇妙な寒気が走った。

それが“接触”の兆しだったことに、彼はまだ気づいていなかった。

 


数日後。カナメは一人、旧都市区域の調査に向かっていた。

現場に残されていたのは、ただの小さな「鍵」。古びた銀製のペンダント。表面には魔導文字で《導きの鍵》と刻まれていた。かつてイツルを変えた“媒体”と酷似していたが、構造はまるで異なる。


(……あれは、無理やり心を染める仕組みだった。でも、これは……)


「選ばせる構造だ。論理的に、自分で決めたと“誤認”させる」


その仕組みに気づいたとき、彼の知性がわずかにきしんだ。

“解析”するには、触れるしかない。

――その瞬間だった。


「アナタは、やっぱり綺麗ね。思考の筋道が、まるで音楽の旋律みたい」


声が響いた。誰もいないはずの現場に、甘く、滑らかに。

振り返ったカナメの視界に現れたのは、黒衣の女性――闇野ナナカだった。


「どうして、ここに……」


疑念を呟く瞬間には、彼女の魔眼がすでに作用していた。

“言語の使い方”――“思考の階段”――“自我の座標”を、魔導式が静かに書き換え始める。


「やめろ……っ!」


カナメは理性を総動員し、暗示の進行を止めようとした。

だが、ナナカは一歩踏み出してこう囁いた。


「カナメ。“女性”という論理構造は、アナタにとって間違いなのかしら?」


その問いが――核心だった。


抵抗しようとした理性が、疑問を持った瞬間。

“女性である可能性”という選択肢が、否応なくカナメの中に生まれた。


そして、ナナカは囁く。


「アナタの名前は、とても便利ね。どんな形でも、カナメのままでいい。だから、迷わず進めるわ」



目覚めたカナメは、自分の姿がほとんど変わっていないことに気づいた。

身体の輪郭がわずかに丸みを帯び、声の調子が少しだけ高くなっていた。

だが、決定的な変化は――心の奥に潜んでいた。


“自分は女性である可能性を受け入れている”


それは、魔導催眠の「核心」を理性で解析していたがゆえに、逆に深く植えつけられた。

ナナカは知っていた。感情で抗う者よりも、理性で判断する者の方が――一度崩れると、二度と戻れないことを。


(つづく)

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