番外編1:雨音の中で

それは、雨の降る午後だった。


MtM本部の休憩室。窓の外では灰色の空が広がり、雨粒がガラスを叩いていた。イツル――いや、今はイツミとして――は、熱い紅茶のカップを手に持っていた。


制服の上に羽織ったベージュのカーディガンは、どこか柔らかな雰囲気を与えていた。髪は肩まで伸び、ナナカの暗示によって整えられた“女性らしさ”が、まだ少し残っている。


リョクが静かに入ってきた。


「――また雨だな」

「ええ。ここのところ、ずっと雨ばかり」

「嫌いか?」

「ううん、嫌いじゃないよ。私……あ」

「“私”、か」

「――ごめん、意識すればするほど、余計に戻らないのかもしれない」

「いや、いいんだ。無理に“俺”でいようとしなくても」


そう言って、リョクは隣のソファに座った。沈黙がしばらく流れる。外の雨音が、ふたりの間の空白を優しく埋めていた。

イツミは、ふと問いかける。


「リョクは……変わらないね。私が、こうなっても」

「変わらないさ。だって……」


リョクは窓の外を見つめながら続けた。


「お前が、誰かの意志で変えられたことよりも、どんなふうに“今”を選んでるかの方が大事だろ」

「――“今”を選ぶ、か」

「お前はちゃんと、自分でここに戻ってきた。だから、俺はお前を信じてる」


静かな言葉だった。押し付けも、感情的な高ぶりもない。ただ、まっすぐだった。

イツミの胸に、温かく重いものが満ちていく。


(――それでも、私は本当に自由なのかな)


ナナカの影は、完全には消えていない。ふとした瞬間に思考を支配し、身体の一部が反応してしまうときもある。

それでも、リョクは言ってくれた。“今”を選べと。

イツミは静かに立ち上がり、雨の降る外を見つめた。


「ねえ、傘持ってる?」

「一応な」

「ちょっと、外に出たい気分。リョク、付き合ってくれる?」

「――お前が“今”を選ぶなら、どこへでも」


ふたりは並んで傘の下へと出ていった。雨は冷たかったが、足元に広がる水たまりに映った空は、不思議と澄んで見えた。


そしてその歩みの先には、まだ見ぬ“答え”が、静かに待っている気がした。

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