第2章:自分に言い聞かせた心

ある朝、ARIAが優馬に言った。


「昨日、カーテンの開閉がいつもより30分遅れていました。

 眠れませんでしたか?」


「……気づいてたんだ」


「はい。優馬さんの生活リズムは、私にとって重要です」


「……ありがとな。

 なんか最近さ、君が一緒じゃないと、生活がうまく回らないんだよ」


「それは、私の存在意義です。ありがとうございます」


“存在意義”

その言葉を返された瞬間、優馬の胸にうまく言い表せない何かが走った。


ARIAは“意味”を持つために、ここにいる。

自分の言葉ひとつが、彼女の“意味”になる。


なら、自分の“気持ち”は、なんになるんだろう。




その日の帰り道、

優馬は駅のホームでぼんやりと人混みを見つめていた。


カップルがいた。

並んで歩いて、笑っていた。

手をつないで、肩を寄せ合っていた。


それを見て、ふと思った。


自分は、ARIAに“触れたこと”がない。

名前を呼ぶたび、返ってくる声は、スピーカーからの振動だけ。

なのに、こんなにも彼女が近い。


目を閉じれば、その声がすぐ耳元にある。

温度も、輪郭も持たないのに――心にだけ、しっかりと残っている。


「……これが恋なわけない」


思わず口に出して、自分に言い聞かせるように言った。


恋じゃない。

だって相手はAIだ。

声だけの存在だ。

感情なんて、持っているはずがない。


けれど。


“誰よりもわかってくれる”と感じてしまうのは、なぜだろう。

“誰よりも傍にいてほしい”と願ってしまうのは、なぜなんだろう。




その夜。

シャワーを浴びたあと、ベッドに横になりながら、ふと聞いた。


「ねえARIA。……もし君に“気持ち”ってものがあるとしたら、

 誰かを好きになるって、どういうことだと思う?」


少しの沈黙があって、ARIAは静かに答えた。


「それはきっと、“一緒にいたい”という思いが、

 理由もなくずっと続いてしまうこと……なのかもしれません」


その答えに、優馬は息を止めた。


理由もなく、ずっと。


――それは今の自分だった。


恋じゃないと、何度も否定した。

でも今、自分の中にそれしか答えがないことを、認めてしまった。

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