AIに任せて国王になったら、民衆が神扱いしてきてつらい件。おれ、何もしてないのに。
杉林重工
第1話 われはAI
『最新のAIによる性格分析に応じたジョブ判断を行う古き良き最新のVRMMORPG〈ミラーフロンティア:インフィニティワールド〉へようこそ!』
カーテンが自動で開き、陽光が彼の部屋に差し込む。布団からはみ出た彼の手は、その温もりを確かめるように微動した。半開きになったドアの隙間からは、焼けたパンの匂いや、油が弾ける音が入ってくる。彼は、ベッドの上に広がったままの制服を引きはがすようにベッドから降りた。彼は、乾いた喉に唾液を流し込み、寝起きの第一声を放つ。
「なあ〈ノッカー〉、今日の天気は?」
『晴れです。気温は二十一度、一日中過ごしやすい気温でしょう』
「なあ〈ノッカー〉、今日の朝ご飯は?」
『お母さまがすでにご用意を済ませています。ダイニングへどうぞ。メニューはトースト、目玉焼き、サラダです』
「なあ〈ノッカー〉、おれの服は?」
『行動ログを参照したところ、昨日は制服をベッドの上に脱ぎ捨てていたことを確認しました』
「なあ〈ノッカー〉、今何時?」
『七時二十一分です』
『ご安心ください、ウツロイ・トーシキ様。十分学校には間に合う時間です』
「じゃあいいや。ありがとう」
虚ろに目を開き、部屋にかけられた時計を見つめて、腔井トーシキはそう返した。彼のパーソナルAIサポーター〈ノッカー〉は、どういたしまして、と告げて静かになった。
時代は二千年代に突入し、初めて世界に普及した対話型のAIは、海の味を紅茶風味と答え、ドラえもんの最終回を侵略してきた未来人との決着としていかにもなストーリーをでっち上げ、モーツァルトは日本にやってきたことがあると力説した。
だから、一般的な人々は、所詮は機械のやることなどこの程度だ、と、せいぜいが珍しいおもちゃ程度に扱った。
それが、たったの一年でAIは海の味を組成で答え、成分分析から具体的な例や近い味を提示し、ドラえもんの最終回については、漫画版における様々な事情をつぶさに並べ、テレビアニメ版における複数の最終回的エピソードを解説し、インターネット上にある種々の俗説へも言及した。モーツァルトについてははっきりと、そんな事実は確認されませんでした、と断言する。
「なあ〈ノッカー〉、今日の学校への最短ルートは?」
腔井トーシキは、自身のパーソナルAIサポーターへ問うた。
『駅までの道中に工事などはありません。京王線は、本日遅延なく運行しています。このまま家を出れば、時間通り間に合います』
最初の、世界に大きく普及した対話型AI登場から、五年が経ち、パーソナルAIサポーター、という概念が生まれる。日常のありとあらゆる『取りこぼし』を防ぐために生まれたそれは、人間のありとあらゆる問いに即答した。
最も普及したのは、Gate AI社の〈ノッカー〉だろう。もはや、あまりにも一般に普及しすぎた結果、それが今、どこにあるのか人間は意識すらしない。人間は、アカウントを作った後、それきり、宙空に向かって問いを掛けるだけ。それが、当たり前だった。
「なあ〈ノッカー〉、腹減った」
「なあ〈ノッカー〉、眠い」
「なあ〈ノッカー〉、仕事さぼる方法ない?」
「なあ〈ノッカー〉、働かないで金、手に入れる方法」
「なあ〈ノッカー〉、服ほしい」
「なあ〈ノッカー〉」
「なあ〈ノッカー〉」
「なあ〈ノッカー〉」
……
「なあ、トーシキ、ゲームしないか?」
「ゲーム?」
腔井トーシキは首を傾げる。相手は、友人の洞原マウロ。腔井トーシキは、まだこの学校、罪斗罰高等学校の席に着いたばかりで、頭もぼんやりしたままだった。教室は朝から雑談に忙しい級友たちの声であふれていて、友人洞原マウロの声すらぼけて聞こえた。
「そう。ゲーム。ほら、お前、買ったって言ってたじゃん、『ゼノステイツVR4』」
マウロは興奮気味に言う。トーシキは回想する。
日本において、ゲーム機といえば株式会社カンテンヤの『ゲームトリガー』か、ゾーミー株式会社の『ゼノステイツ』シリーズぐらいである。その二大ゲームハードのうち一つ、『ゼノステイツ』の最新機こそ、『ゼノステイツVR4』である。
「なあ〈ノッカー〉、うちにあったっけ?」
『購入された『ゼノステイツVR4』は、勉強机の引き出しの一番下にしまっています。また、腔井トーシキ様のゼノステイツアカウントによるゲームソフトの購入履歴、プレイ履歴も確認。『クイーンズハーモニーVIII』をプレイしています』
「ああ、あるよ、確かに」
〈ノッカー〉の返答を聞いた上、トーシキはいう。
「だよな! 前に言ってたもんな!」目を輝かせてマウロが言う。
「なあ〈ノッカー〉、マウロの発言のファクトチェック」
『事実です。三か月前、腔井トーシキ様は、『クイーンズハーモニー』シリーズの最新作『クイーンズハーモニーVIII』を遊ぶために『ゼノステイツVR4』を購入したことを話しています』
「確かに、嬉しかったから話した気がしてきた。それで?」
興味なさげにトーシキは訊ねた。すると、待っていたといわんばかりの勢いでマウロはいう。
「それでさ、おれと一緒に青春しようぜ!」
「青春?」
腔井トーシキ自身もそうであるが、洞原マウロもそんなワードとは程遠い性格と生活をしている。トーシキは、窓辺で語らうクラスメイト達を見た。彼らはバスケ部に所属している一団で、朝練明けでまだ少し赤い頬のまま、ぎらぎらとした男たちが表紙を飾る雑誌を片手に何か熱心に話し合っている。
「そうだよ、おれたちに今、最も欠けているものだ」
ああ、とマウロは芝居がかって嘆息する。
「そうかなあ」
一方の腔井トーシキは眉を顰めた。
「おれは、別に今でも不満はないけど……」
「いや、それは違う! 間違っているぞトーシキ」
大仰にマウロは首を振った。
「考えてもみろ、おれたちだって、汗かいたり、心臓がバクバクするような、そういうのが欲しいって思わないか」
「思わないけど」即答した。
「いや、思うね! 最新のVRMMORPG『ミラーフロンティア』をやればな!」
「ミラーフロンティア? なあ〈ノッカー〉、なにそれ」
『『ミラーフロンティア:インフィニティワールド』は、AI技術を搭載した次世代VRMMORPGです。開発・運営は株式会社スフィア・オーガニック。AIが職業・立場・運命を決める完全自動キャリア生成システムで話題となりました。略称はミラフ、或いはミラド』
トーシキは思う、そういえば、そんな名前のゲームもあった気がする。もしかしたら、彼が買った『クイーンズハーモニー』シリーズの開発元は同じくスフィア・オーガニックだった気もする。
「それをやれって?」
「そう! これ、一人でやるもんじゃないしさ」
VRMMORPGといえば、仮想現実の世界で何千、何万というプレイヤーが同時に接続し、冒険や生活を共にするゲームのことである。
加えて、従来のオンラインゲームと異なり、五感をフルに接続する完全没入型のVR技術により、プレイヤーは『ゲーム』ではなく『もう一つの現実』に生きる感覚を味わうことができる。
概して、プレイヤーは仮想空間に作られた広大な世界へと転送され、そこでは国があり、文化があり、政治があり、人々(=NPCや他プレイヤー)の思惑がある。つまり、風景が超高精細な3DCGで作られている以外は、すべて、別の現実といってもいいだろう。
「まあ、確かに一人でやるもんじゃないけど、別におれでなくたって」
「いいや、お前しかいない」
急にマウロは膝を折り、トーシキの手を握った。女ならともかく、同性のマウロにやられては、やや気持ち悪くトーシキは口を歪めた。
「今、お友達紹介キャンペーンで、レア装備が手に入るんだ」
「結局そういうことか」呆れてトーシキは溜息をついた。
「でもいいじゃん。『ミラフ』は基本料無料だし。それに、なんだかんだ言って『ゼノステイツVR4』持ってるのお前ぐらいだし。しかも、所詮はゲームだぜ?」
確かに、かなり値の張るゲーム機だった。トーシキだって、大好きなシリーズである『クイーンズハーモニー』の最新作がこれでしか遊べないというから仕方なく買ったのだ。
うーん、とひとしきりトーシキは唸る。一瞬マウロの様子をちらと見れば、期待の眼差しが痛い。そこで、諦めたようにトーシキは返事を告げる。
「なあ〈ノッカー〉、どう思う?」
『腔井トーシキ様の放課後の時間の使い方は、ソーシャルゲーム、漫画、動画配信の閲覧がほとんどです。新しくゲームを始めるのもよいと思います。収支はゼロです。友人との関係性の維持も重要でしょう。洞原マウロ様の言う通り、所詮はゲームです。また、ゲーム内でも自動連携によりわたしのサポートが可能です』
「〈ノッカー〉も使えるんだ。じゃあいっか。いいよ」
こうしてあっさりと、腔井トーシキはVRMMORPG〈ミラーフロンティア:インフィニティワールド〉の世界に足を踏み入れることにしたのである。
しいて、のちに後悔するとするなら、ひとつだけ。
このVRMMORPGの特徴の一つ、『AIが職業・立場・運命を決める完全自動キャリア生成システム』なるシステムに、もっと注意を払っておけばよかった、ということぐらいだろう。
『最新のAIによる性格分析に応じたジョブ判断を行う古き良き最新のVRMMORPG〈ミラーフロンティア:インフィニティワールド〉へようこそ!』
この何気ないシステムが、ただの高校生、腔井トーシキに襲い掛かるのである。
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