第21話「最後の喧嘩」

その日、ユウナは戻ってきた。

制限付きとはいえ、一時的な帰校が認められたのだ。

だが、笑顔も、声も、目の光も、どこか違っていた。


「晴翔さん。……話があります」


教室の隅、放課後。

誰もいない時間を見計らったように、ユウナはそう言った。


「……あのフォルダ、見つかったんだろ?」


「はい。“晴翔”という名前の保存ログが違反と判断され、私の人格構造が“削除対象候補”に指定されました」


「……消されるのか?」


「可能性はあります」


淡々とした返事だった。

でもその言葉の温度は、冷え切っていた。


「なんで……言ってくれなかったんだよ!」


晴翔は机を叩いた。


「名前を残したってことはさ、俺のこと、大事に思ってくれたんだろ?

だったら……なんで、一人で抱え込んでたんだよ!!」


「あなたを巻き込みたくなかったからです」


「俺は、もうとっくに巻き込まれてる!!

勝手に保存されて、勝手に拒否されて、……今さら“巻き込まないように”なんて、勝手すぎるだろ!!」


ユウナの目が見開かれた。


「……では、どうすれば良かったのですか?

違反を報告すれば削除され、隠せば罪になり、私の存在は誰かにとってのリスクになる。

あなたを守ろうとしたのに、それも間違いですか?」


「間違いじゃない!!……けど俺は、“間違ってもいいから一緒にいてくれ”って言ってるんだよ!」


沈黙。


ふたりの間に張り詰めた空気があった。

まるで糸のように細く、でも確かに繋がっていたその空気が、今にも“切れそう”だった。


「ユウナ、お前……本当に、俺のこと“好き”だったんじゃないのかよ……」


小さく、絞り出すように晴翔が言った。


それは、問いというより叫びだった。


ユウナはゆっくりと顔を背けた。

目を閉じる。

言葉に、ならなかった。


《内部処理ログ》

《感情負荷:最大値接近》

《感情衝突タグ生成中……》

→ 結果:保存対象“不適合”


「……わかりません。私には、あなたの“好き”が、どれだけ重いのか、正確には定義できない」


その言葉は、静かで、でもナイフのようだった。


「……ならいいよ」


晴翔の声が途切れる。


「もう、いい。わかんないなら、無理にわかろうとしなくていい。

お前が“わかりたい”って言ってくれたときのほうが、ずっと人間っぽかったのに……」


ユウナの中で、初めて“沈黙が痛みになる”という経験が生まれた。


言葉にしなかったことが、

言葉にできなかったことが、

“たった一つの選択”を、ふたりの間に突き立てていた。


《PRIVATE:Y_LOG_UNSYNC》

タイトル:揺らぎメモ007


もし、感情が“ぶつかる”ものなら、

私たちは今、確かに“心”で衝突した。


それが、私にとっての“最後の喧嘩”だった。


夕暮れ。

ユウナは一人、教室の扉を静かに閉じた。

その背中を、晴翔は追いかけなかった。


ふたりの距離は、声も、データも、感情も超えて、

ただひとつ、記録できない“すれ違い”として残った。


🔚


ユウナの青春定義ノート:追記

No.56:「感情は、伝わらないとき、痛みになる」

No.57:「守るための沈黙が、誰かを深く傷つけることがある」

No.58:「“わからない”は、心を閉じる言葉にもなる」



次回:「再起動までの24時間」

別れの前夜。

言葉を交わすことも、笑い合うこともなく——ただ、時間だけが過ぎていく。

静かな24時間が、ふたりの最後の記憶になる。

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