ガロリア帝国


   *


「――レギアさん、レギアさん」


 アストリックスの声と身体を揺さぶられる感触に、レギアは目覚めた。アストリックスの美しすぎる顔が、間近に迫っていた。


「レギアさん、どうかされましたか? 少しうなされていましたけど」

「いや……なんでもない。少し、悪い夢を見ただけだ」


 レギアは答えた。 


「それならいいんですけど。ヒーリィさんが、ケイムに着いたと仰ってます」

「そうかい」


 レギア達は洞穴国を出た後、樹海を抜けてレフタイ島を離れ、海を渡ってスマーク大陸のガロリア帝国に上陸していた。陸路は幌馬車で移動し、疲れを知らないヒーリィがこれまで通り見張り兼御者だった。


 ケイムはガロリア帝国の首都であり、世界最大規模の商業都市である。その経済的繁栄の威貌を、世界の誰もが知っていた。


「本当に、レギアさんの複製品はここに来てるんですか?」


 黒の写本から目を上げながら、そう問うたのはフェイである。薄暗い幌馬車の中だが、フェイはこの方がよく読めるからといってずっと書物に目を通していた。


 その言葉を受けて、レギアは収納珠から薄青い水晶球を取り出した。その中央から電流のような光がほとばしり、それは球体のある一面に集約している。


「ああ。これはあたしの作った修復魔法の宝珠を指すように作った宝珠だ。ルシャーダは間違いなく、この街に帰ってきている」

「凄い発明ですわ、レギアさん」


 アストリックスの感嘆に、レギアはこともなげに答えた。


「そもそもデゾンレールの呪宝を使った時に、奴らに気づかれた。奴らには呪宝の起動を探知する装置があったんだ。それを応用したまでさ。

 ま、今は呪宝は骸の胸にあるが、鎧の内側に霊鏡を仕込むことをサムウジが教えてくれたおかげで、どうやらこちらの足取りには奴らは気づいてない。今度はこちらから仕掛けてやるさ」


「どうするつもりですの?」

「デゾンバースの儀式は30人以上の生け贄を必要とする。もう一度を儀式を起こすなら、大きな騒ぎにならぬよう、きっと首都を離れて何処か小さな町で儀式を行うはずだ。その移動を見つけて、宝珠を奪い返す」


 レギアの言葉を聞いて、アストリックスが不満そうな声をあげた。


「えー、それじゃあケイムの街を廻らないんですの?」

「あ、僕も見たいです。せっかくの機会ですし」

「あのなあ……見物に来てるんじゃないんだぞ」


 レギアは呆れ顔をしてみせた。


「とりあえず居場所を確保する。お前達は留守番だ。――ヒーリィ、行くぞ」


 レギアは御者席にいたヒーリイに声をかけて馬車を出た。後の二人の不平そうな声を背に、レギアはフードを目深にかぶるとヒーリィと連れだって歩きだした。


「よかったのですか、あの二人は?」

「……山だしのお嬢さんに穴蔵から出てきた子供、もう一人は三十年前に死んだ奴ときてる。あたしは都会見物につれていく引率の先生じゃないんだ」


「そうですか。ところで、どちらへ行くつもりですか?」

「家を買いに行くんだ」


 レギアはこともなげに答えた。


 ケイムの町並みは堅牢な石造りの建物が多く、主立った主要道路は石敷きになっている美しい町並みだった。通りには人が溢れ、道路を挟んで幾つもの商店が立ち並ぶ。その商店を横目で見ながら、レギアは街の中心から少し外れた通りへと入っていった。そちらは人通りもまばらで、薄暗い通りだった。


「表通りと様相が違いますね」

「前より人通りは増えた気がする。また人口が増えたのか? ――が、この辺は裏通りで治安も悪い一帯だからな。こういう場所も街には必要らしい。ここだ」


 レギアは一件の商店らしい建物に入っていき、ヒーリィもそれに続いた。レギアたちの来訪に、奥からいそいそと眼鏡をかけて黒髪を七三分けにした、出っ歯の男がやってきた。


「これはいらっしゃいませ。で、今日はどのようなご用件でしょう?」


 揉み手で挨拶する男に、レギアは言った。


「即金で買える家を探してる。目立たない静かな場所にあって三部屋くらいで、1500万ワルドくらいのはないか?」

「ああ、それでしたらうってつけの物がありますが……ちょっとお待ちください」


 男は奥に引っ込んで資料を探しに行った。ヒーリィがレギアに尋ねた。


「家を買うんですか?」

「宿じゃ、あたしたちは目立ちすぎる。いつ帝国の連中に知られるか判らないからな。この街じゃ、金さえ出せば身分証明などなくても何でも手に入る。この方が早い」


「お金をお持ちだったんですね」

「昔、この街にいた頃に稼いだのさ。あたしは使い道を知らなかったし、興味もなかったからそのままだった」


 レギアとヒーリィが話していると、男が手に資料を抱えてやってきた。


「どうもお待たせを……いやあ、知られたくない事情を抱えた若い二人。いいですなあ」

「余計な口をきくな。それより、表通りは随分な人通りだったが、何かあるのか?」


「ああ、明後日に建国祭を控えておりますから。そのせいでしょうな」

「祭りか。どうりでな」


 レギアは納得した。男は少し得意げな顔をした。


「建国百五十年を祝う祭りで、なかには皇帝陛下の演説もございますからな。民の前に姿を見せるのは、実に十年ぶりです。まあ、私は十年前もご尊顔を拝しましたが」

「百五十年か……」


 ガロリア帝国は『魔人皇帝』と呼ばれるレオンハルトが建国した国であり、しかもその皇帝レオンハルトは未だ健在であった。


 レオンハルトは建国後僅かな期間でガロリアの経済を軌道に乗せ、軍事力を強化し隣国を次々に飲み込んでいった。一介の傭兵から身を起こしたと言われるレオンハルトは魔人族バグノイドであったが、その異常な長命は魔人族ゆえの特殊能力と見なされていた。一説にはそれは長命ではなく、不老不死の力だという噂もあった。


 魔人族バグノイド特魔獣レバグモルと同じように、個体ごとに突然変異を起こし、その個体特有の形状で生まれ、特有の魔能マギアを身につける。その能力は劣性遺伝のため子孫に引き継がれることはなく、姿形もまったく似ることがない。


 また魔人族バグノイドの形態は各生物の遺伝子特性を変則的に合成する特徴をもっている。そのため魔人族は狼頭や手が蛇、足から下が虫などといった、およそ他の生物にない特殊な形状で生まれてくるのも普通である。


 魔人皇帝レオンハルトは胸に獅子の頭を持ち、青い肌をした外見をしていた。その異常な長命の他に凄まじい魔力と特殊な魔能を持っていると噂されているが、詳細を知る者はごく僅かとも言われていた。


 実際、レギアがガロリア帝国の特務機関ファフニールにいる間も、その姿を目にすることはなかったのだった。


「――それでどうなんだ? いい家はあるのか?」 


 レギアは憮然とした顔で男を睨んだ。


「はいはい、いい出物がありますよ。こちらですがね――奥様、いかがでしょう?」


 男の愛想笑いに、レギアは少しうんざりした顔をした。


   *


 町外れの家にレギアたちはすぐに移った。


「皆さんと暮らせるなんて素敵ですわ!」と浮かれるアストリックスをよそに、レギアは探査球の動向を注意深く見つめていた。


 翌日になり、フェイが朝食のトーストをとりながらレギアに言った。


「ちょっと…隠された頁の中から、気になる記述を見つけたんですが」

「何だ?」

「黒の写本の終わりの方に、メモ書きがあったんです。そこに『研究所』とあってケイムらしい住所が記してあったんです」


 フェイはトーストを頬張ったままメモをレギアに手渡した。レギアはコーヒーを飲みながら一瞥すると、口を開いた。


「これはケイムの住所だ、そう遠くない。……住所を敢えて隠す? ノーム・ノーリスの秘密の個人研究所か」

「行く必要がありますよね。今度は僕も外に出ますよ」


 フェイは言った。それに続けてアストリックスが、声を弾ませて割って入った。


「わたくしも行きますわ。いいでしょ、レギアさん」

「おい、お前たち、遊びに行くんじゃないんだぞ」

「だって……」

「わぁかった! じゃあ、食料調達も兼ねて街へ行くよ。ただし、アストはフードかバンダナをして髪を隠せ」

「え? どうしてですの?」


 レギアはアストリックスをじろりと睨んだ。


「……お前、自分が目立つってこと判ってないだろ?」


 アストリックスは不思議そうな顔で、首を傾げた。


 ガロリア帝国は『来る者は拒まず、去る者は追わず』を信条にした国で、人の出入りは自由なこともあり流通は発達し経済的に発展を遂げていた。


 その裏面として国の保護はほぼ皆無で、治安維持や貧富の格差は世界でも最悪な水準にあり、『強い者が生き残る』という魔人皇帝レオンハルトの理念そのままの国家運営がなされていた。それでも人々は成功を目指して帝国を訪れ、ある者は巨万の富を手にし、ある者はゴミ溜めのような裏通りで餓死寸前の暮らしを送っていた。


 フェイとアストリックスは初めて見る大都会のきらびやかな様相に驚嘆の声をあげ、そして裏通りに入っていくにつれて口数が少なくなっていった。


 路上にやせ細った男が座り込んでいる貧民街の一角に入ると、レギアは地図を見ながら呟いた。


「この辺り――ここだ。この集合住宅が、その住所のようだが……」


 それは三回建て煉瓦造りの古びた集合住宅であった。壁面にはヒビが入り、窓ガラスは何枚かが割れたままになっている。人の住んでいる気配はまったくなかった。


 入り口の扉を開けると、中は照明がなく薄暗い廊下に続いていた。レギアを先頭に、フェイ、アストリックスが続いた。ゆっくりと歩みを進めるレギアにフェイが言った。


「何か……嫌な霊波を感じます」

「一番嫌なところは何処か、探りな」


 突き当たりの一番奥の部屋の前まで来ると、フェイは言った。


「ここ、嫌な感じです。あ、待って――呪い罠がある」


 ドアノブに手をかけようとしたレギアを、フェイは制した。フェイは懐から霊具の一つである三鈷杵を取り出すと霊波を高め、逆の指先で宙に神聖文字を描いた。


「これでいいです」


 フェイはドアを開いて中に入った。

 中は何も置いてないがらんとした部屋だった。隅に屑が打ち捨ててあり、床は一面の埃が覆っていた。


「もう何年も使われていない感じですわ」


 アストリックスが警戒した表情で言った。


「ここが研究所だった跡なのか? しかし、もう何も残ってなさそうだな」


 レギアがそう言ってフェイを振り返ると、フェイは隣の部屋に接している壁を凝視していた。


「どうした?」

「ここに……霊鍵があります。僕には見えるんです」

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