4、村祭りの光景

 舞台は終幕を迎え、広場で男たちが組討ちレスリングを始めた。無手で殴る蹴るはせず、組んで相手を投げることを競う。そのなかにひときわ巧みな闘士がいたが、それはジョルディだった。やがてジョルディは一人を地面に転がして笑いあった後、ヒーリィの方へ歩み寄ってきた。


「よう、お前もひとつやらないか」

「承知した」


「気力は使わない、純粋な組討ちだ。膝はいいが、手を地面につくのは負け。どこを掴んでもいいが、打撃はなし。一瞬で関節を破壊するのも禁じ手だ」

「判った」


 ヒーリィはジョルディと対峙した。

 ジョルデイは少し腰を落とし手を前に出した。ヒーリィは警戒しつつ、右に回り込む。


 戦場においては剣が折れたり失ったりした時は、無手で身を守らなければならない。剣士であるヒーリィも、最低限の無手格闘術は備えている事を実感した。


 ジョルディが動く。右手でヒーリィの首を押さえ込むと、左手はヒーリィの右肘を絞った。力は強かったが、それ以上に技の巧みさをヒーリィは感じた。


 前に落とされそうになるところを踏みとどまる。と、ジョルディは素早くヒーリィの背後に回る動きを見せた。それを後追いして、背後に回らせずに再び組み合う。ジョルディは一瞬の隙をついてヒーリィの足を取りに来た。


 下にもぐり込んだジョルディの背中に上から。胴回りを抱えようとするヒーリィに対して、ジョルディは下からヒーリィの腕を解き、脇を刺しながらヒーリィの右隣に回り込んだ。


 右腕を極めたまま頭を押さえ込んで、ジョルディは回転しながらヒーリィを振り回した。ヒーリィはなんとか足でそれについていき、動きの止まったところで頭をあげてジョルディと正対しようとした。


 その瞬間だった。ジョルディがくるりと反転し、ヒーリィの右腕を抱えながら背中にヒーリィを背負い込んだ。うりゃさ、とジョルディの声を聞くと同時に、ヒーリィは背中に抱えあげられ、そのまま地面に背中から落とされた。


 周囲がわっと沸いた。地面に落とされたヒーリィに、ジョルディが笑いながら手を差し出した。


「お前、なかなかやるじゃないか」


 にっと笑ったジョルディにヒーリィも微笑み返したかったが、まだできそうもないことを悟ってヒーリィは頷いた。


「君の技は素晴らしかったよ」


 ジョルディは笑みを浮かべた。その後肩を組んで、ジョルディはヒーリィと酒杯をあおった。村人たちは歌い、笑った。ヒーリィもその輪のなかにいたが、ヒーリィは無論酔うことはなかった。


(私は、少しは元の人格に近づけただろうか)


 ヒーリィは少し離れて場所に佇んでいる魔女の方を見た。いつになく魔女の表情が和らいでいる気がした。


   *


 ジョルディの木剣が頭上から降ってくる。ヒーリィはそれを自身の木剣で受ける。その瞬間、ジョルディは身を翻して後ろ回しに木剣を横から薙ぎ払ってきた。ヒーリィはそれを瞬時に悟り、間合いをとって避ける。しかしさらにジョルディはその間隙をついて突きをいれてくる。ヒーリィはその突きの軌道を僅かに逸らしつつ、逆に半歩踏み込んでジョルディの喉元に木剣を置きにいった。


 その一瞬の攻防の後、二人の動きが静止する。首筋に木剣を添えられたジョルディが、にやりと笑った。


「やっぱりやるな、ヒーリィ。お前は凄ぇよ」

「いや、君もかなりのものだ」


 ヒーリィは思ったままを口にした。二人は離れると、一呼吸入れた。


「二人とも、凄いわ」


 傍で見ていたエミリーが、お茶をもってきた。二人はそれを受け取り喉に流し込む。


「剣ではお前にかなわないな、ヒーリィ。これだけやって汗もかいてないんだから、参っちまうよ」

「いや、汗をかかないのは体質だ」


 ヒーリィはそう言ってごまかした。


 祭りの後、ジョルディは親しくヒーリィに話しかけてくるようになり、ジョルディの頼みで剣の練習相手をすることになったのだった。


 通常、剣での立ち会い稽古の際は、真剣を使いつつも気力の波動でその表面を包む当気剣アル・ブレードを使う方法と、木剣を使う方法とがある。当気剣は相手に触れると気当てによる衝撃が伝わるもので、むしろ試合の形式でよく使われるものだった。


 しかしヒーリィは事前に、今の自分が以前のように気力を使えないことを把握していた。そのために練習時には木剣のみで、気力を使わない素通しの立ち合いだけを望んだのである。素通しの立ち合いは純粋な動きだけの勝負になるので、その技術の攻防がより明確化される利点があった。


「俺はこの村の衛士でもあるからな、もっと強い剣の相手が欲しいと思ってたところなんだ。ヒーリィ、お前なら最高の相手だ」

「力になれるなら嬉しいことだ」


 ヒーリィはそう言ったが、その顔を見てエミリーがフフと笑いを洩らした。


「どうしました?」

「だって、『嬉しいことだ』なんて、全然、表情を崩さずに言うんですもの」

「確かに、お前は本当に鉄面皮だよ。楽しい時は、もっと楽しい顔しろよ」


 笑いながらそう話しかける二人に、ヒーリィは心苦しく思った。


「すまない」

「馬鹿、謝まらなくてもいいよ。お前がそういう奴だってのはもう判ってるから。ま、最初は正体の知れねえ奴だと思ったけどよ」

「わたしも、最初は恐い人かと思ってたけど――ヒーリィさん、村の人からももう信頼されてるから」


 二人の言葉を聞いて、ヒーリィは強く感じるところがあった。しかし、その想いとは別に、ヒーリィの胸には熱いものも、締め付けるような感動もありはしなかった。


(私は、彼らとは違う……。彼らは生きていて、笑い、温かい――命がある)


「けどよヒーリィ、俺はお前のことは認めたけど、あの魔女のことはどうも判らないぜ。お前、あの女とどういう関係なんだ? あの名前も明かさねぇ魔女は、一体、どういう奴なんだ?」


 ジョルディの怪訝そうな言葉に、ヒーリィは少し考えた。


「私も……よく判らない。だが、あのひとは、私を助けてくれたのだ」

「そうよ、ジョルディ。魔女様はいい人よ」


 エミリーの言葉に、ジョルディは頭をかいた。


「まあ、ヒーリィがそう言うんなら、俺もあの魔女を信用することにするよ」

「だから、わたしは前から言ってたじゃない」

「だって、しょうがねぇだろ――」


 楽しげに笑いあう二人を見て、ヒーリィは微笑ましく思うと同時に、ある種の疎外感を感じていた。


   *


 切り株に腰かけてぼんやりと庭を見ていたヒーリィの背中から、魔女の声がした。


「どうした? ぼんやりして」


 ヒーリィは振り向いた。


「魔女殿、私は本当にむくろなのだと実感するようになったのです」

「そりゃあ……そうだろ」


 少し目を丸くした魔女に、ヒーリィは言葉を続けた。


「人と暮らし、少しずつ生きてる時の感触が戻るにつれて、私の中の生き生きとした温かい部分がまったく失われたことを、逆に痛切に意識するようになったのです。――これは、思っていたよりも辛い感触です」


「だから最初に言ったろ? 生きることも死ぬこともできない、地獄のような呪いだって」


 魔女は片眉をあげてみせた。

 ヒーリィは少し俯いた。


「私は――この世界に、居場所のない存在だ……」

「骸……」


 その時、森の奥からエミリーが息せき切って走ってきた。エミリーは二人の元まで来ると、固い表情で口を開いた。


「魔女様、様子がおかしいんです」


 魔女は、面倒くさそうに尋ねた。


「どうしたんだい」

「何か武装した連中がやってきて、赤紫の髪をした魔導士の女を知らないか、って……」


 魔女の顔色が変わったのをヒーリィは見逃さなかった。


「魔女様にお知らせしようと思って来ました。それじゃ、わたしは戻りますから」

「待つんだ!」


 魔女は声をあげた。エミリーは驚いて、表情が一変した魔女を見つめた。


「あんたは……戻るんじゃない」

「どうしてですか?」


「危険な連中だ。手段は選ばない。あんたが戻ったら、あたしの居場所を知るためにひどい真似をするに違いない」

「いったい……」


 突然の話に戸惑うエミリーを横目に、ヒーリィは言葉を挟んだ。


「魔女殿、しかしそのような連中なら、既に村は危険な目にあってるのでは?」


 魔女は押し黙った。その沈黙が答えだった。

 エミリーはそのことに気づくと、背を向けて駆けだしていった。


「行くな!」


 しかしエミリーはもう振り向かず、森の中へと去っていった。


「魔女殿、どうされるおつもりですか?」

「逃げるんだ。奴らは殺しくらいなんとも思っちゃいない連中で、狙ってるのはあたしだ」

「村の民はどうされます」


 魔女は黙った。ヒーリィは静かに口を開いた。


「判りました。私は村へ行って様子を見てきます。魔女殿はその隙に逃げてください」


 ヒーリィはそう言うと、庭にあった木刀を取り、エミリーの後を追うように駆けだした。森を駆け抜けて村へ到着する。しかし、既に悲劇は起きていた。


 黒い甲冑を着た見慣れない武装兵が数人立っている。その足下には、村の男たちらしい何人かが横たわっていた。


 その一人の遺体に、エミリーがすがっていた。それを引きはがすように、一人だけ兜をかぶらず顔をさらしている武装兵が、エミリーの髪を後ろから掴んで持ち上げた。伸ばした黒髪を後ろで結んでいるその男は、整っていてはいるが何処か皮相な印象を受ける顔立ちであった。


「おい、女魔導士のレギア・クロヌディはどこにいる? おとなしく喋らなければ、この村の連中全員が、この男たちの後を追うことになるぞ」


 男は自分の顔の傍にくるようにエミリーの顔を持ち上げると、べろり、と舌を出してエミリーの顔を舐めた。


「ひっ」


 エミリーがおぞましさに小さな悲鳴をあげる。


「涙はしょっぺえなあ、え? お嬢ちゃんよ。赤紫の髪をした魔導士の女は何処にいるんだ?」

「――森の奥だ」


 泣いて震えるエミリーの代わりに、ヒーリィは声をあげた。ヒーリィはゆっくりと歩み寄りながら、エミリーがすがっていた遺体をしゃがんで見た。ジョルディだった。


(ジョルディは、かなり使はずだが……)


 見ると、ジョルディは手に剣を持ったまま、胴体部を何ヶ所も刺し貫かれていた。


「なんだあ、貴様は? 魔導士の居場所を知ってるのか?」

「言っただろう、森の奥だ。ここの村の人たちは無関係だ。此処から立ち去れ」


 ヒーリィはジョルディの手から剣を取ると、静かに立ち上がった。見ると、武装兵の首領格らしいその男は、表情を変えている。


「立ち去れ、だと? このキラーバ・レスター様に命令しようってのか? 案内させようと思ったがもういい。貴様は死ね!」


 キラーバと名乗った男は剣の切っ先をヒーリィに向けると、そこから気光波を発射した。

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