2、村へ行く
ヒーリィは魔女と一緒に洞穴を歩き始めた。魔女の持つ杖の先に付いた魔晶石が輝きを放ち、暗い洞穴内を照らしていた。やがてしばらくの後、二人は洞穴の外へと出た。
(む――)
眼を突き刺すような陽光。それが眼に厳しい陽射しであるのは判ったが、彼には痛みも眩しいという感覚もなかった。ただ、その生まれて初めて見るような太陽の明るさに、彼は茫然と立ちすくんだ。
辺りは森であった。二人が出た洞穴は切り立った崖の横壁にあり、その周囲は樹木が生い茂っている。ただ、洞穴の入り口だけが僅かな隙間から漏れる陽射しを浴び、一歩進めば薄暗い森へと踏み込むことになった。
彼は魔女の後ろを黙って歩いた。森を歩く間、魔女は振り返ることなく彼に話しかけた。
「ここは霊樹海付近、トリアム国領にあるクレスの森の奥だ。あたしはこの森に一人で住んでるが、あの崖の洞穴を見つけていい水場になるかと思い探索してみた。しかし見つけた泉にはお前がいたってわけさ。この近辺に覚えはあるかい?」
「……いえ。まったく覚えがないようです」
彼の言葉に、魔女は予想通りというように言葉を続けた。
「だろうね。お前の鎧はこの南方地域の様式ではなく、どちらかといえば北方様式だ。それにその細工は年代ものだ、ここ数年なんてもんじゃない。恐らく、三十年以上前――つまり魔動大戦以前の物だ。お前は恐らく、三十年間も死体と一緒に漂ってたんだろうよ」
「三十年……その戦争で私は死んだのでしょうか」
「多分ね。魔動大戦の主な戦場は、北方のタミナ辺りだ。あの辺はヒカルド湖に流れ込む川も多い。そこで死んで湖に流れ着き、地下水流を通って南方までやってきた……そんなとこじゃないかね。ま、推測に過ぎないが」
「戦争は終わったのですか?」
「終戦協定が結ばれたのが降天歴980年、つまり今から三十三年前だ。けど、戦争は終わったとは言えないだろう。大きくはないが、あちこちで戦争は常に起きてる。そしていつも誰かが死んでいる」
そう言うと、魔女はむっつりと黙った。
(怒っているのだろうか)
暗い森を迷うことなくずんずんと進む魔女の小さな背中を見て、ヒーリィはそんなことを思った。
やがて森の少し開けた場所にある、一軒の小屋へと二人は辿りついた。小さな小屋は丸木を組んで作られたもので、周辺には小さな畑や花壇があった。
「立派な小屋ですね。魔女殿が作られたのですか?」
ヒーリィの口から出た言葉に、魔女は振り返った顔を歪めてみせた。
「なんだい、その魔女殿ってのは。おかしな呼び方だね」
「では、お名前をお聞かせ願いたい」
魔女は少し考えた。
「……ま、いいよ、魔女殿で。小屋は木こりが残したもので、あたしがここに来た時は朽ち果ててた。それをお前同様、
「そういえば……三十年もの時を経て朽ちたものを修復するなど聞いたことがありません」
魔女は片眉を上げて見せた。
「三十年前に比べれば魔法は発達してるからね。まあ、入りな」
ヒーリィは少しためらいを覚えた。と、その様子を見て、魔女が皮肉そうな薄笑いを浮かべた。
「まさか、お前が男であたしが女、なんてことを意識してるんじゃないだろうね。言っておくが、お前は
「そうですか」
魔女は片眉をあげて、さらに付け加えた。
「安心しな、あたしにも死体と寝る趣味はない。とにかく、そんな腐ったぼろ雑巾のようななりじゃあ、人間性もへったくれもないからね」
魔女はそう言い捨てると、首を振って中に入るように促した。ヒーリィはおとなしく、それに従った。
小屋の中は意外に広い印象があったが、それが調度品が少ないからだということにヒーリィは気づいた。居間には毛織りの絨毯が敷いてあり、棚には本が並んでいる。居間にヒーリィを待たせ、魔女は奥の部屋から服を持ってきた。
「とりあえず、ここにある大きめの服はそれだけだ。それに着替えな」
無地で厚めの作業着だった。ヒーリィがそれに着替えると、魔女は薄笑いを浮かべて言った。
「さて、じゃあ『人間らしさ』を取り戻すために労働してもらうよ。薪割り、草むしり、畑の虫取りだ。行った、行った」
魔女はひらひらと手を振った。ヒーリィは追われるように戸外へ出て、言われた労働を黙々とこなした。何の実感もなく、また疲労感もなかった。
(私は、疲れることすら失ったのだ)
ヒーリィは、比較的確かなものとなった自分の肉体を感じながらも、あくまでそれはただの『物体』なのだという意識を強くした。
労働の後は夕餉だった。魔女はいつの間にか野菜のスープと鳥料理を作っており、テーブルの上にはパンと葡萄酒も添えられていた。
「座りな。食欲はないだろうがね」
ヒーリィが言われたまま小さなテーブルの一角に席を取ると、魔女はやおら食事を摂り始めた。ヒーリィは小さな疑問を感じて口を開いた。
「食事の前の祈りは捧げないのですか?」
「神へのかい?」
魔女は顔をしかめた。
「あたしは神なんか信じない。いるとしたら、そいつはとてつもなく残忍な奴で祈るに値しない」
魔女はそれだけ言うと、パンを頬張った。
ヒーリィは戸惑いつつも、自身は善導神ミュウへの祈りを捧げて、食事の真似をした。予想通り、まったく味は判らなかった。
*
数日、魔女の家での生活が続くと、少しずつ生活のなかでの自分の仕草などが思い出されていくのがヒーリィには判った。
畑作業はほとんどやったことがないこと。薪割り鉈の使い方は、剣をふるうのに近いこと。食べる時はスープから飲み始め、パンはあまり摂らなかったこと、などである。その細かい記憶が、生前のヒーリィの生活に確かな実感として存在していたことを感じさせた。
ヒーリィはふと思いついて、鉈で木剣を作りそれを素振りした。
(覚えている。――私は剣士だ)
ヒーリィは剣の型を独り稽古した。その最中に魔女がやってきた声をかけた。
「剣の練習かい?」
「ええ、鍛錬を怠るとなまりますから」
魔女は苦笑した。
「武術の稽古とかいうのは、身体に動きを学習させるものだろう? お前の肉体はどんなに稽古を積んだって、それ以上になりゃしない。逆に、怠けたって、なまりゃしないさ」
「しかし、私の意識が覚えているのではなく、身体が覚えている感じがするのです。変でしょうか?」
魔女は少し神妙な顔つきになった。
「『精神』は覚えている記憶だけでなく、肉体の記憶や意識できない潜在的無意識の層からも形成されている。霊体もそれだけの奥行きを持っていても不思議じゃない。……まあ、お前の『個我』を取り戻すにはいい訓練になるだろうよ」
「魔女殿、剣はありませんか?」
「あたしは魔導士だよ、剣なんか持ってるわけがないだろう。魔晶石なら余分もあるがね」
ヒーリィは少し考えると、魔女に言った。
「では魔晶石をいただけませんか? どうも、私は魔法も使ってたようです」
「フン、魔導剣士ってわけかい。まあ、いいがね」
「それで、剣はどうしたら手に入れられるでしょう」
「そうだな……村で買うか。ただし、その金は自分で稼ぎな。しばらくしたら村の奴が来る。それについていって、仕事をもらうんだね」
魔女の言葉に、ヒーリィは頷いた。
数日後、庭の畑に鍬をふるっていた時に、ヒーリィはためらいがちにかけられた声に振り返った。
「あの……魔女様に会いに来たのですが…」
十代半ばほどの娘であった。栗色の長い髪を束ね、簡素な身なりをしている。百姓なり町民の娘と思われた。
「魔女殿は家にいます」
「貴方はもしや、魔女様の旦那様…ですか?」
「――そいつは行き倒れの旅人だよ」
家の方から魔女の声が飛んできた。魔女は怪訝そうな顔で、歩み寄ってきた。
「森に迷い込んだ馬鹿さ、ちょっと面倒みてるんだ。こっちは、村に住んでるエミリーだ。こいつはヒーリィ」
魔女は二人に、互いを紹介した。エミリーはヒーリィの顔を見ながら、小さくお辞儀をした。少し、その顔が赤らんでいた。
「で、今日は、何を持ってきたんだい?」
「パンと緑豆、魚の塩漬け、干し肉です。…あ、お客様なら、もっと必要だったかしら?」
「ああ、大丈夫だよ。十分だ」
エミリーの心配を拒否するようにひらひらと手を振ると、魔女は品を受け取って金貨を渡した。
「あと……耕具が壊れてしまったものがあって、魔女様に来ていただきたいのですが」
「判った、それじゃあ行こう」
魔女は目線で、ヒーリィの同行を促した。
*
森を抜けてほどなく行くと、小さな村があった。家より田畑の方がはるかに多く、広い面積を持っていた。
村の小さな道をゆくと、ひなびた教会が現れた。善導神ミュウを祭る、円の中にひし形を象った方位磁石のレリーフが教会の正面に飾られていた。
既に人々が集まり、雑談している。エミリーと魔女が歩み寄ると、人々が一斉に視線を向けた。
「魔女様、ごきげんよう。元気してるかね」
「まあまあだね。――で、壊れた耕具ってのはどれだい?」
村人の呼びかけに答えながら、魔女は尋ねた。壊れたのは牛に引かせる大型の鋤で、牛の背にかける渡し木が、鋤の木をはめ込む部分で完全に折れてしまっていた。
「えらく壊したもんだね」
「新しい場所を耕してたら、中に大岩があったんでさ」
鋤の持ち主らしい年寄りの百姓が、照れ笑いを浮かべながら答えた。
「こんなでかい物、壊すんじゃないよ。直すのが大変なんだ――で、どうせ、他にも色々あるんだろう?」
「へへ、そんなとこで」
周囲の村人たちが、笑いを浮かべた。男もいれば女もおり、老人、子供もいる。皆、取っ手の壊れた鍋だとか、折れた金槌、曲がった鋏などを持っている。
魔女は片眉を上げた。
「やれやれ、こりゃ一日がかりだね。――ところで誰か、人手を欲しがってる者はいないかい? こいつは行き倒れの旅人、ヒーリィだ。誰か仕事をさせてやってくれないか?」
「そういや、バギンスのところが、屋根をふき直そうって言ってたけか」
魔女はヒーリィを見た。
「すみませんが、その方を紹介してもらえませんか」
「あ、わたし、案内します」
ヒーリィの言葉に、エミリーが答えた。村人たちの物を修理にかかった魔女を置いて、ヒーリィはエミリーとともに歩き始めた。
よく晴れた空の下、麦の稲穂が微かに揺れている。村は静かで、のどかだった。
「あの、旅をされてるんですか?」
二人で歩いて少しすると、エミリーが口を開いた。
「ああ。……とても長い間ね」
「そうなんですか。わたしは、この村で生まれて育って、この村から出たことがないんです。一番近くの町のケリアドにもまだ行ったことがなくて……きっと色々、素敵な街を見てきたんでしょうね」
「あるいは……そう言えるかもしれない」
ヒーリィははっきりと答えられないもどかしさを感じながら、曖昧な返事をした。ふと、二人の目の前に一人の青年が現れた。
「エミリー、そいつは誰だ?」
「ジョルディ、この人は旅人のヒーリィさんよ」
こげ茶色の髪によく焼けた肌をした青年は、少し敵意のある視線をヒーリィに向けた。
「旅人? この村に何の用だ?」
「仕事をもらいにきたのだ」
「ジョルディ、この人は魔女様のお客様なのよ。失礼なことはしないで」
ジョルディは苛立ったように鼻息を吹いた。
「ハン、あの魔女ってのも何者なんだか判りゃしない奴さ。二年くらい前から森の奥なんかに勝手に住み着きやがって……」
「けど、大工も鍛冶屋もいないこの村では、魔女様が来てからとっても助かってるわ」
エミリーの抗弁を聞いてか聞かずか、ジョルディは睨むような視線をヒーリィに向けた。
「いいか、他の奴はどうか知らないが、俺は魔女なんか信じちゃいないぜ。爺ちゃんもそう言ってたし、第一、名前を明かさないのも怪しいじゃないか。何か起きたら、俺は容赦しないぞ」
ジョルディはそれだけ言い捨てると、早足でその場を去っていった。エミリーがヒーリィに詫びるように言った。
「ごめんなさい、悪い人じゃないんだけど。ただ、ちょと村のことを心配しすぎなの」
「彼は、君のことを好きなんだね」
ヒーリィの言葉に、エミリーは目を見開いて顔を赤くした。
「いい青年だ。村を守る志があるのは、素晴らしいことだ」
ヒーリィの続けた言葉にも答えられない様子で、エミリーは顔を赤くしてうつむいたままだった。ヒーリィはその愛らしい娘の様子を微笑ましく思ったが、うまく笑うことができなかった。
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