第6話 露呈
「∀VEC?」
落ちた拍子に、封筒から中身が滑り出てしまった。当然、大島さんはばっちりと例のカードを目にすることに。
それでも中身を戻しつつ、彼女は封筒をこちらに差し出してくれた。
「ありがとう。友達から貰ってね。よくわからないんだけど」
「なーんだ、てっきり先生、彼女探してるのかと思っちゃいました」元教え子がにっこりと満面の笑みで言い放つ。「マッチングアプリ、ですよね」
瞬間、頭が真っ白になる。まさかこの子まで知っているなんて。よほど流行っているのか。あるいは——
いや、こんなもの大島さんには無縁なのではないか。特に根拠はないけど。自分の恋愛もどうでもいいのだ。ましてや、他人のことなんて。そもそも、相手は元生徒だ。
「ああ、らしいね。でも本当に友達から押し付けられただけだから」
「ふうん」
大島さんがじっと目を見つめてくる。やや前のめりに、ちょっと気になる距離で。こちらの言葉の真偽を確かめるように。
確かに、一連の発言はどうも嘘くさい。俺自身そう感じるのだから、疑われるのも無理はない。アプリ使って恋人探しをしているなんて、あんまり大っぴらにしたくないことだ。
でも、事実なのだから仕方ない。
緊張しながら、引き下がってくれるのを待つ。
正直、さっさと視線を外したい。無言で他人と目を合わせ続けるなんて、気まずいことこの上ない。
やがて、大島さんの口元が緩んだ。見慣れたどこか優しい感じのする表情に戻る。
「押し付けられたって、使う気はないってことですか?」
「まあそうだね。あいつらには悪いけど」
「そうなんですか……」
ポツリと呟くように言うと、大島さんは一転して思案顔になった。視線を下げて、一点に固定。その姿は英語の長文に取り組んでいたときのものとピタリと重なる。
何かひっかかるようなことがあるのか。一応、信じてもらえたように思ったんだけど……。
またしても、気まずい沈黙がやってくる。昨日といい、終業後はどうしてこうも気が重たい瞬間が続くのか。
「……本当に使う気はないんですか?」
「まあ必要がないからね」
「そ、それって、彼女さんがいるってことですか!?」
目を丸くして、彼女は少し身をのけぞらせた。
とてもらしくない反応だと思った。
大島ゆかりという生徒は、落ち着きがあってどこか大人びた子のイメージだった。勉強に対する姿勢も真面目で、現にちゃんと志望校にも合格することができた。
だから、こんなふうに感情が露わになるのは意外だ。それをいうと、再会してから今までのやり取り全てがイメージ外れなのだけれど、これはとりわけ……。
わずかな動揺を鎮めながら、返事を考える。
正直なことをぶちまける選択肢はないわけじゃない。付き合いの長さだけでいえば、三馬鹿と変わらない。もちろん、深さは段違いなわけで。
だから結局、言葉を濁す。昼間のように、本心は胸の奥に押し込んだまま。
「そういうことではないんだ。第一彼女いるなら、友達もこんなもの渡してこないさ」
「……確かに」
言いながらも、大島さんの反応は鈍い。
「今はちょっとそういうことを考える余裕がないというか」
「よゆう……」
不意に出たそれっぽいワードを、目の前の少女におうむ返しされた。何かしらの感情は潜んでいそうだったが、少しも見当がつかない。
大島さんも年頃の女子だったんだ、とようやく先ほどの動揺に収まりがついた。色恋沙汰なんて、まさに女子高生、女子大生の話題という感じだ。
いや、昨日の小林のことを考えれば男女の別はないかもしれない。
ともかく、そんなに気にするような話題でもなく、むしろ彼女の性格を考えると微笑ましくもある。
あの動揺はすっかり消えてなくなった。
そしてふと、謎の考えが頭に浮かんだ。
「よかったら、大島さん使う?」
持ったままにしていた、例のカード入り封筒を差し出した。せっかく拾ってもらったのに、やや気恥ずかしさはある。
言葉に出すと、ストンと腑に落ちた。プリペイドは無駄にならないし、大島さんも興味がありそうだからそれを満たせる。
我ながらいい提案ではないか——そう思ったのだが。
大島さんからのアクションはない。ぴたりと固まって、瞼だけが動いている。受験の難問を前にしたときの反応ともどこか違う。完全にフリーズ状態で——
「い、いらないです!」
顔を真っ赤にして断られてしまった。
まあそうか、とすぐに納得する。さすがにどうかしてた、今のは。何がいい提案なんだろう。
結局、頭はバグったままだったってことらしい。
「ええと、その、気持ちは嬉しいんですけれど」
堰を切ったようように、大島さんはドギマギし始めた。
「だよね。そもそも必要はなさそうだし」
「えっ!? そうですかね……えへへ」
どこか嬉しそうに微笑むと、彼女は少し髪の毛をいじり始めた。さらさらと、ふわふわと、毛先が宙を踊り出す。
しかしこうなるとどうしたものか。
仕方なく、プリペイドカードを上着のポケットに押し込む。とりあえず、二度と露呈することがないようにしっかりと。
「はぁ、どうすっかな」
「……本当にいらないんですか」
「やっぱり欲しいとか」
「いえ、別に」
ニッコリとかわされた。
すげない言い方だったが、どことなく楽しそうだった。
大島先生、か。
まだ違和感のする音の響きが、目の前の元教え子の姿の周りをふわふわ漂っているみたいだった。
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