第2話 いざない
まさに青天の霹靂だった。
「……マジで」
「こんなことで嘘つかないさ」
ははっ、と爽やかな笑みが飛んできた。絵に描いたような余裕ある振る舞い。コーヒーカップを持ち上げる所作も、どことなく優雅に見えた。暑苦しい見た目とのギャップがすごい。
こちらとしてはは全く動揺が収まらないというのに。心臓は今にも飛び出しそうなほど。平静を保てている自信は少しもない。
予感はあったとはいえ、だ。昨夜の帰り道、色々考えた可能性のうちの一つ。でも、もっとも低いグループだった。
平日の昼下がり、カフェはそこそこ賑わっている。大学の敷地内に併設されているため、ラフな服装の若者が多い。無論、俺たちもそうなわけだが。授業間のちょっとした空き時間を潰すのにちょうどいいのだ。
とにかく、こうも人目があると流石に大騒ぎはできない。こいつ、まさかこれを狙って——訝しげに睨むも、奴はニコニコしているばかり。圧倒的強者がそこにいた。
彼女ができるとこうも変わる。それを目の当たりにするのは、今月なんと三度目だ。
二度あることは三度あるなんていうが、そんなのはただの強がりだ。少しも慣れない。むしろ、重なっているせいで余計な動揺が生まれている。
「えーと」それでも、混雑する頭の中必死に言葉を探す。「とりあえずおめでとう?」
「ありがとう」
これまた気持ちのいい笑顔。こいつ、こんなキャラだったか?
とにかく、こんな反応をされては悪態の一つもつけない。本当はありとあらゆる呪詛の言葉を吐くつもりだった。
これまでの二人もそうだ。
というか、そんな人種だったはないか俺たちは。恨み嫉みの集合体。暗澹たる学生生活を送る陰の者たち。そんな存在だったはずなのに。
いまや、俺以外の連中はみんな光堕ちしてやがる。
「
「いやぁ〜、ホントすごい偶然だよなぁ——って、なんだよ、その目は」
「こんなに偶然が重なるか?」
「でもな、実際そうなんだから仕方ねーだろ。……もしかして
「部活みたいな言い回しだな」
別にそんなことは思っていない。ただひたすらに困惑しているだけだった。この奇妙な連鎖に。
しかし、
「だいたい、仮に彼女が欲しいと思ってみんなで団結してってなった時、お前だけ仲間外れにゃしねーよ。連中おんなじだろーさ。ただ、まあ、お前らに彼女欲しいなんて、口が裂けても言わねーけどな!」
がはは、と西渡は豪快に笑った。合わせて、ラグビー部ご自慢の巨漢が揺れる。そっちの方がらしい。
まあそれもそうだ。俺だって、いつもの三人のうちの誰が言い出してもきっと真面目に取り合いはしないだろう。むしろ、他の連中と一緒に冗談だと思って茶化す。
それが三人同時だったら——考えてみてすぐに止めた。意味がない。現実として、こいつらにはすでに彼女がいる。
少し話して、ようやく衝撃から立ち直ってきた。そこはさすがに慣れの部分かもしれない。一人目の——瀬野の時なんかはしばらく心の整理がつかなかった気がする。
大学生活もあと少しで二年目が始まるところ。恋人を作るにはもしかすると、ちょうどいい時期なのかもしれない。そもそも、春は出会いの季節ともいう。それで個人にも春が来て——なんてやかましいことだろう。
「まあそんな顔するなよ」俺の顔が曇ったのを、奴はあらぬ方向に解釈したらしい。「お前にもすぐできるって」
「別に一ミリだってそんなこと考えてないけどな」
口に出してから、ただの強がりにしかならないことに気が付いた。
その証拠に、向こうの表情がこちらを憐れむようなものへと変わる。具体的には、目つきが優しい。圧倒的上位者からの庇護の眼差し。
「先を越されて悔しいのもわかる。だが、安心しろ。そんなお前に俺たちがいいものを用意した」
「だから違うって」
「いいから、いいから。遠慮するな。成川だって、機会さえあればなんとかなる。ということで——」
西渡は上着のポケットに手を突っ込むと、そのままゴソゴソと中を漁る。
これ以上、何を言っても効果はないらしい。諦めて、その贈り物とやらを待つ。果たして、何が出てくるやら。
「なにこれ」
「開けてからのお楽しみだ」
やがて目の前に突き出されたのは、パスケースサイズくらいの封筒だった。特に封はされてない。
少しも楽しみじゃないままに受け取る。手に取ると、少し硬い感触が。なんだろう、何か覚えがあるような——
「……なにこれ」
開けてみて、素直に言葉が出た。
「プリペイドカード」無駄に発音がいい。
「なるほど?」
先ほどの妙な心当たりに納得した。確かに何度か購入した経験はある。インターネットの購入の際、意外と必要なことがあるからだ。
しかし、手元のそれは果たしてどこの会社のものなのか。コンビニのコーナーでよく見かけた大手企業のどれとも見分けはつかない。
『∀VEC』とそれらしいロゴが角にちらり。
「で、これ何のやつだ?」
「ふっふっふ、これこそ我ら三人の願いを成就してくれた夢のアプリアベック様の三か月利用権!」
「あべっく、ねえ」読みは当たっていたらしい。そしてその言い方から正体も察しが付いた。「出会い系か」
「マッチングアプリって言うんだぜ、今の時代」
西渡が少し顔を顰めた。
「はぁ」
聞き覚えがないわけじゃない。動画広告とかで、そんなようなものを見た記憶はある。やたらめったらキラキラしている感じのアレ。
まさか三人ともアプリで彼女を作ったとは……胡散臭いとは思っていたが、効果てきめんらしい。
ただ一つ、少しも心は惹かれないけれど。どうにもそういうものに、苦手意識があった。
「……いらねーよ」
ため息をつきながら突き返す。
「おいおい遠慮するなって。ほら、誕生日近いだろ?」
「ああそうだな。未来に、じゃなくて過去にだけどな」
こちら二カ月ほど前に十九になったばかり。
「そうだっけか?」
奴は意外そうに目を丸くした。
皮肉めいた言い方をしたつもりだったが、このおおざっぱ男には通用しなかったらしい。お調子者と評判の瀬野辺りなら効き目が合っただろう。いや、逆にないか。
西渡は変わらぬ調子で少し身を乗り出してくる。
「まあともかくさ、俺ら三人でひと月分ずつ出し合ったわけよ。お前だってほら、彼女欲しーって言ってたじゃねーか」
「……そうだったか?」
思わず俺は眉根を寄せた。
それはたぶんその場のノリに合わせただけだと思う。少しも意味の無いボヤキ。つい口を出ただけの具体性皆無な願望。それこそ、宝くじ当たらないかなみたいなものだ。
でも、こいつら三人は多少なりとも本気で言ってたんだろう。だからこそのこの結果。
そもそも、一般男子大学生はおおよそ恋人を欲しそうだ。恋愛は生物の根源的欲求――哲学的な方向へと内なる思考が進みかけて、嫌気がさしてきた。
グラスに手を伸ばすが、中身が空なのに気が付いて途中で引っ込めた。バツの悪さを感じつつ、少し身じろぎをする。
『うーん、ごめん。やっぱ別れよ?』
嫌な記憶がフラッシュバックして、俺は思わず天井を見上げた。
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