グオ・ルーの屋敷に駆け込んで再び離れに通される頃には、アトレクの興奮はすっかり冷め切っていた。代わりに、親身になってくれた相手を自分は殺してしまったのではないかという後悔が胸を押しつぶしている。

（安心しろ。俺は氣功術者だ、助かる方策もなしにこんな真似しねえよ）

　六道の言葉が脳裏に蘇る。だが、あれは背中を押すための方便だったんじゃないのか。方策なんて、そんなもの最初からありはしないんじゃないのか。

　そう思えてならず、アトレクは胡座のまま己の無力さに唇を噛んだ。

　目の前には、午前中と同様にグオ・ルーが床に腰を下ろしている。周囲には、やはり同じように手下（てした）の人間が四人くつろいでいた。

「聞いたぜ。おめえ、あの野郎と知り合いだったのか」

　グオ・ルーが嫌味な笑いを浮かべて言う。アトレクは無言で頷いた。今更とぼけたところで意味などないし、それだけの気力もなかった。

「てことは、怪我を治したのもあいつか？」

　アトレクはまた頷いた。

「そうか。野郎、氣功術者だったか。殺したのは勿体なかったな」

　グオ・ルーが真顔になって舌打ちをすると、手下（てした）の一人が体を起こして尋ねた。

「親分。ってことは、毒を盛っても親分みてえに自力で治されちまうんじゃあねえんですかい？」

　グオ・ルーは首を振り、にやりと笑った。

「おめえの認識は間違っちゃいねえが、まだ理解が足りねえな」

「と、言いますと？」

「毒に限らず、怪我や病気も自分（てめえ）で治せはするが、他人を治すほど簡単にゃいかねえ。それなりに時間はかかっちまう。それがたとえ、風や水の流れから天地の氣の変化を察するほどに優れた術者でもな」

　グオ・ルーは鞘に収められた短剣をぽんと叩いた。笑顔が凶悪なものに変わる。

「万が一、奴が俺と同等の術者だったとしても、人間じゃあ治るよりくたばる方が先だ」

「やっぱり、そうなのか」

　アトレクは呟いた。それが聞こえたのだろう、グオ・ルーは面白くなさそうな顔をした。

「ま、助かる方法がなくもねえぞ。万が一どころか億が一だがな」

　アトレクは目を見開き、立ち上がらんばかりの勢いで食いついた。

「本当か！？　どうすればいいんだ！？」

「天地を巡る膨大な氣を、自分（てめえ）の氣と繋ぐんだよ。そのあまりにも馬鹿でけえ力で、強引に体を浄化するのさ」

　グオ・ルーは両腕を大きく広げて言った。アトレクの口から安堵の息が漏れる。

「そっか。方法あるんだ……。よかった……」

　安心して涙声になったアトレクを、グオ・ルーが小馬鹿にしたように嗤った。

「億が一って言ったろうが。そいつはな、俺ぐれえ優秀な術者ではじめて挑戦を許されるような、危ねえ代物だ。俺は繋いだ瞬間やべえと思って止めたから助かったが、無理に耐えて操ろうとした連中は、俺の知る限り全員廃人になっちまった」

「そんな……」

「なにせ、制御して多少なりとも扱うことができりゃ、それこそ氣功術者の歴史に名前が残るってくれえのもんだからな」

　アトレクの体から力が抜けていく。やはり、あの旦那は身を捨てて俺を助けようとしてくれたのだ。もはやその恩を返す術もないことに、胸を切り裂かれるような痛みを覚えた。

「さて、俺に楯突く奴も消えたことだし、約束通り返済は明日まで待ってやるぜ」

　アトレクは耳を疑った。この男の言うことを鵜呑みにしてはいなかったが、ここまで来て結局は振り出しに戻ってしまうのか。ならば、あの旦那の気持ちはどうなるのか。

「話が違う！　さっきは、借金をチャラにって言ってただろ！」

「あぁ？　そうだったか？　忘れちまったよそんなもん」

　耳をほじりながら、面倒くさそうにグオ・ルーは言う。アトレクは拳を握りしめた。不穏な気配を察し、手下（てした）たちが腰を浮かせる。

　アトレクは吼え、グオ・ルーに飛びかかった。手下（てした）たちが割って入り、アトレクを押さえつけようとする。

　アトレクはそれを力で振りほどいた。ほう、とグオ・ルーの口から感嘆の声が出る。歯を食いしばり、荒い息を吐きながら、再び殴りかかった。

　しかし、その拳はあっさりとグオ・ルーの手に捉えられた。ドワーフの馬鹿力で握られ、アトレクは苦悶の声を上げた。

　ぐいと引き寄せられ、アトレクの上体が泳ぐ。無防備な腹に、グオ・ルーの拳が突き刺さった。アトレクは空いている手を口に当て、胃の中身が逆流するのをこらえる。

「そうだ。吐くんじゃねえぞ。加減してやってんだからよ」

　グオ・ルーが愉快そうに笑った。アトレクは振りほどこうとするが、食い込んだように離れない。今度は横っ面を殴られた。その一発で腰が落ちる。胸板に蹴りを入れられ、アトレクは部屋の入り口近くまで転がった。

　手下（てした）連中の笑い声が聞こえる。まだ起き上がれないアトレクの傍までグオ・ルーがやって来て、先程殴ろうとした右手を踏みつけられた。

「おめえはこの土地生まれのくせに理解してねえようだから、俺が教えてやるよ」

　少しずつ体重をかけられ、アトレクは苦痛に唸った。

「このスーリで物を言うのは、金の力と暴力だ。持たざる者は白いエルフも黒にされ、持てる者なら黒いトロルも白になる」

　グオ・ルーはアトレクの手から足を離す。襟首を掴まれ、むりやり立たされた。

「おい犬っころ。家族を捜しに行きてえなら、俺を殺せる奴を連れてこい。……ふん、そんな奴がいればだがな」

　体が宙に浮き、回転して背中から床に叩きつけられる。まともに受け身も取れず、アトレクは痛みと苦しさにのたうち回った。

「おめえら、このワン公を役所の地下牢にでもぶち込んどけ。こいつにゃ似合いの犬小屋だ」

　グオ・ルーに言われ、手下（てした）たちが半笑いで小突きながらアトレクを立たせた。引きずられるようにして連れて行かれる間、申し訳なさと情けなさとで涙が止まらなかった。