第5話 六道、「一つ目美人亭」で一晩を過ごす(前)
宿は、繁華街の最奥、外壁沿いの道と丁字路をなす手前にあった。猥雑な臭いのする典型的な曖昧宿かと予想していた六道だったが、その予想は見事に外れた。
壁は真白く塗られており、横幅は他の店の倍はある。入り口は開いているので奥が見えるのだが、奥行きも倍ありそうだった。その上三階建てときている。
入り口の上の
――さしずめ、一つ目美人亭、ってところかね。……なんで一つ目なのかは知らねえけど。
中に入ると、六道は素早く周囲に目を走らせた。一階の大半は清潔感のある食堂になっており、これはタブガチの客棧(かくざん)という宿屋に近い。左奥が厨房になっていて、正面奥に二階への階段が見える。
食堂には二人がけの飯台が適度な距離を置いて並べられているが、右側で剣を帯びた三人の男たちがそれを三つ繋げて食事をしていた。それぞれ隣に女を
厨房とこちらを隔てる壁には、長い一枚板に複数の脚を付け壁に固定した板席がある。そちらは誰もいない。
「お一人様、ご案内だよ」
ファリンという女は厨房に声をかけ、そのまま六道を階段近くの席まで案内した。
「今ここで食事にするかい? 腹がすいてなければ、先に部屋に案内してからの注文でもいいけど」
「そうだな。さっき腹に入れちまったからな。そうさせてもらうか」
「はいよ。じゃ、上に行こうか」
ファリンは来たときのように六道の腕を抱き、先導して階段を上っていく。
二階に上がると、目の前に三階への階段があり、右手の廊下を挟んで個室が並んでいた。ファリンは斜め前の部屋の扉を開け、ここが私の部屋だよと指をさす。
部屋は二丈(4.6m)四方ほどで、すぐ左に大人二人が寝られそうな寝台があった。上には、畳んだ毛布が何枚か重ねられている。私の部屋ということはいつもここで客と寝ているのだろうが、その割に男女の営みの臭いはしなかった。
床には絨毯が敷かれ、真ん中に大きな虎皮の敷物があった。左奥には衣装棚と食事のための膳が見える。
正面には、壁際に台座とそこに置かれた亀形のランプ。甲羅の上部から油を入れるのだろう。長い首は雄々しく反り返り、頭は天を衝いていた。
虎皮の敷物とランプの形を除けば、曖昧宿の家具としてはこんなものだろう。しかし六道には、やけに寒々として見えた。
ファリンが敷物の真ん中まで膳を動かす間にずだ袋と
「あとは、
「それは夜のお楽しみ、だろう? 焦らなくても逃げないから大丈夫だよ」
ファリンは一度甘えるように体を寄せてから、悪戯っぽく手を振って出て行った。
一人になると、六道は寝台にもたれるように座った。毛布を一枚取り、体を覆う。三日月の首飾りを外してそっとずだ袋の中に入れ、寝台の下に押し込んだ。ただの感傷と言ってしまえばそれまでなのだが、つけたまま他の女を抱こうとするのは心がとがめる。
――やっぱり、あの“振り手”が厄介だな。
六道は、天井を見上げて舌打ちをした。振り手にしてもグオ・ルーにしても、一対一なら後れを取らない自信はある。しかし、二人同時に相手をしたら? いや、振り手がグオ・ルーを逃がすために立ち回ったら? 奴を逃がせば、最悪、捕り方に追われることにもなりかねない。そうなれば期限内にアトレクを助けられなくなる。
――
六道のような無頼の者は、自身の思うところに従いこそすれ、社会の正義、法の正義にはおいそれとは従わない。それどころか、理由があれば平然と牙をむく。権力者からすればどうにも扱いづらい厄介者だ。
六道自身は権力者に恨みを持っている訳ではないが、法の正義で救える範囲はそれほど広くないと思っている。そういう意味では、あまり彼らを信頼していない。
一方で、あくどく儲けたお裾分けを権力者に渡すことで、持ちつ持たれつの関係を築いている者もいる。グオ・ルーなどは明らかにその
――そこを明日確かめねえとな。場合によっては、手を組むこともあるだろうが。
できることなら
六道は自分に言い聞かせると、絨毯に横たわった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます