辻番所
町奉行所の入口付近に戻ると、あの忙しなく動き回る小男が数人の男女に囲まれて、せわしなく帳簿と睨めっこをしているのが見えた。その様子は、見ているだけで剣弥を疲弊させるほどだった。
「失礼いたします。御奉行様より、仕事内容について事務方にお話を伺うようにと仰せつかったのですが……」
剣弥が言葉を最後まで言い終える間もなく、小男は顔を上げ、全開の早口で捲し立てた。
「はいはいはい、こちらのお部屋へどうぞ、どうぞ!」
そう言うと、剣弥が返事をする隙も与えず、近くの部屋の襖を勢いよく開けて中へ入っていった。
バタン! という音と共に、部屋には軽い衝撃が走った。剣弥とサチは、小男の後を追って六畳ほどの部屋に入る。すると、せっかちな小男は、またもや忙しなく部屋から出て行き、すぐに何やら布地を畳んだものを乗せた木箱を抱えて戻ってきた。
「はいはいはい、これがあなた方の衣服と防具ですね! 執務中は、必ずこれを身につけておいてくださいね、はいはい!」
小男は、息継ぎをしているのかと心配になるほどの早口で、矢継ぎ早に辻番の仕事内容について説明を始めた。
この町の各所には、辻番所という小さな詰所が設けられており、辻番たちは昼番と夜番の交代制で勤務する。一つの番所には基本的に四人が詰め、町内を巡回するなどして、周辺の警備にあたる。現代で言うところの交番のようなものだろう、と剣弥は理解した。
「給金は、いかほどで?」
剣弥が尋ねると、小男はまるで質問を待っていたかのように、淀みなく早口で答えた。
「日当は三百文で、支払いは一ヶ月毎ですね! もちろん、税金を引いてこの額ですからね、はいはい!」
日当三百文。サチの換算によれば、およそ九千円ほどになる。昼と夜の交代制ということは、おそらく十二時間労働だろう。四人で休憩を取りながら勤務するとしても、時給に換算すれば千円にも満たない。剣弥は、内心で小さくため息をついた。
――まぁ……こんなものなのか。
剣弥は、すぐに気持ちを切り替えた。金銭的な対価よりも、真剣での実戦経験こそが、今の自分には何よりも必要だ。
「悪人を成敗することもあるだろう? その時に押収した刀などは、どうすれば良いので?」
「はいはい、それはもう、各自で売るなり捨てるなり、お好きになさってください! はいはい!」
質屋で売れば、あのナマクラ刀でさえ一両の値が付いたのだ。意外と、美味しい仕事なのかもしれない。元々、真剣での経験を積むために引き受けた仕事だ。多少条件が悪くても、受けるつもりではいた。
「勤務は、明け六つ、暮れ六つで交代です! 早速、明日の明け方からお願いできますでしょうか、はいはい!」
朝の六時と夕方の六時で、それぞれ勤務を交代する。この世界には時計はないだろうから、日の長さで適当に決まるのだろう。連れのサチと同じ時間の勤務を希望すると、小男は少し待てと言い残し、また忙しなく部屋を出て行った。その背中には、目に見えない羽が生えているのではないかと疑うほどの速さだった。
三十分ほど経っただろうか。小男は、何か書き付けた紙を持って戻ってきて剣弥に手渡した。
勤務表だろうか。暦のようなものに、剣弥とサチの勤務日が書き込まれている。希望通り、二人とも同じ日時の勤務になっているようだ。さすが、忙しなく動き回っている男だ。仕事が早い。
「長屋も用意しております! こちらが、辻番所と長屋の地図です! では、よろしくお願いいたしますね! はいはい!」
そう言い残すと、小男はまた元いた小さな部屋に戻って、忙しそうに帳面に目を通し始めた。
思ってもみなかったことに、宿まで用意してくれているらしい。とりあえず、当面の生活には困らなさそうだ。あとは、この世界で死なずに職務を全うするだけだ。
適当に夕食を済ませ、先ほど受け取った簡素な地図を頼りに、長屋を目指す。四層の天守が、夕焼け空に黒いシルエットを浮かべている。城の周りを囲むように、武家屋敷が建ち並んでいる。身分が上がるほど、天守に近い場所に住居が与えられるようだ。剣弥たちの寝床は、そんな武家地の端っこ、藩の下級武士たちが住む長屋らしい。二人で一部屋という点が少し気になるが、早速、入口の引き戸を開けて中に入ってみた。
竈のある広い土間に面して、小上がりに並んで六畳ほどの部屋が二つある。質素ながらも、清潔に保たれているようだ。
「え……下級武士で、こんなに広い部屋に住めるのか……?」
これならば、サチとは部屋を分けることができる。少し残念ではあるが、プライベートな空間は確保できる。外には、共同の厠と井戸がある。今日は割と汗をかいたが、風呂は贅沢だ。明日は仕事終わりに、町にある湯屋へ行ってみよう。
土間に置いてある木桶に、井戸から冷たい水を汲み上げ、濡らした手拭いで身体を拭いた。ふんどし一枚になった剣弥は、身体を拭き終えると、サチの方に振り返った。
すると、サチは大きな胸を露わにし、半股引一枚という格好で、同じように身体を拭いている。その堂々とした姿に、剣弥は思わず目を奪われた。
「うぉい! 何をしとる!」
「あ? お前の真似してるだけだろ。気持ちいいな、これ」
全く恥じらう様子もなく、豊満な乳房を持ち上げて、その下を拭いている。目のやり場に……は、全く困らない。むしろ、眼福である。
「何ジロジロ見てんだよ、このスケベ野郎」
サチの鋭い視線に射抜かれ、剣弥は慌てて目を逸らした。
「あっ……いや、すまん……気に入ったのなら、明日は湯屋に行こう」
「へぇ、楽しみにしとこう」
サチは、ニヤリと笑って答えた。その表情には、どこか挑発的な色気が漂っていた。
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