剣豪転生 〜巨乳案内人と行く、天下無双の旅〜

久悟

序章

剣豪大往生


「前原さん本人のご要望により、延命処置は致しません。お別れの準備を」

 

 意識は遠のき、肉体は鉛のように重い。聞こえるのは、最愛の者たちの啜り泣く声だけ。誰かが確かにこの手を握っている。その温もりは感じられるのに、もう見ることも、力を込め返すこともできない。

 しかし、人生の幕引きにこれほど幸福な光景があるだろうか。子供たち、孫たち、そして曾孫たちに囲まれ、穏やかな眠りにつく。九十五年の長きにわたる生涯を、剣の道一筋に捧げてきた男にとって、これ以上の終焉はないはずだった。

 

 剣道八段。それは武道の頂点を極めた証。 

 しかし、前原剣弥にとって、そんな肩書はどうでもよかった。仰々しい防具に身を包み、安全な場所から技を繰り出す剣の道など、彼が追い求めたものではない。

 

 ――ワシはあくまでも剣術家である。

 

 古流剣術、伊藤一刀斎の精神を受け継ぐ前原一刀流。その十六代目当主こそ、この前原剣弥その人である。

 若くして父を亡くし、二十三歳で道場を継いで以来、ひたすら剣の道を歩んできた。天賦の才と恵まれた体躯。その両方を持ち合わせた彼は、いつしか『現代剣豪』と呼ばれるまでになった。

 

 人間国宝の刀匠、志垣左門が魂を込めて鍛え上げた遺作を拝領してからは、寸暇を惜しんで刀を振り続けた。朝に夕に、来る日も来る日も。その刀身には、剣弥の人生そのものが刻まれていると言っても過言ではない。

 

 剣に生きた九十余年。後悔などあろうはずがない。ただ一つ、胸の奥底に燻る未練を除いては。

 

 ――この命……真剣勝負で果てたかった……

 

 研ぎ澄まされた刃と刃がぶつかり合う、あの張り詰めた空気。一瞬の油断が命取りとなる、生か死かの極限状態。老いさらばえた今の体では、もう二度と味わうことはできないだろう。そんな渇望が、剣弥の魂を焦がしていた。

 

「……………………ぉぃ」

 

 微かに聞こえた声に、意識が揺らぐ。

 

「…………ぉぃ 」

 

 まるで遠くから響いてくるような、ぼんやりとした声。

 

「……おいって!」

 

 強い語気に、閉じたはずの瞼が僅かに震えた。

 

「なに一人でブツブツ言ってんだよ。早く起きろよ!」

 

 目を開けると、僅かに雲が浮かんだ晴天が広がっていた。

 

「……え? ワシ、死んだのでは……?」

 

 ――ここは……どこだ?

 

 背中に感じるのは、硬質な、ゴツゴツとした感触。確かに、最期の時は病室のベッドに横たわっていたはずだ。ゆっくりと上体を起こし、周囲の状況を把握しようとする。

 

 耳に飛び込んできたのは、心地よい野鳥の囀りと、サラサラと流れる川のせせらぎ。立ち上がり辺りを見渡すと、穏やかな流れの川が目の前に広がっている。水面はキラキラと陽光を反射し、どこまでも清らかだ。これが、俗に言う三途の川なのだろうか。どうやら、死んだことは間違いないらしい。

 

 ――で、この気の強そうな、乳のデカい小娘は誰だ……?

 

 川辺に転がる大きな岩の上で、女は悠然と足を組んで座っていた。まだ若いだろう。線の細い身体つきをしているのに、その胸だけが不自然なほど豊満で、組んだ腕の上に遠慮なく乗っている。白い着物を大胆にはだけさせ、深い谷間が露わになっている。まるで、こちらを挑発しているかのようだ。

 

「まぁ、お前らの価値観で言えば死んだってのがピッタリだろうな」

 

 女は退屈そうに、まるで表情を変えることなくそう言った。

 

「で、ここはどこだ? あんたは誰だ?」

「ジジイに言っても分かるかどうかだけどね。手を見てみな」

 

 言われるがままに視線を落とし、自分の手を見る。

 

「おぉ! 手が若い! 前腕に筋肉が!」

 

 そこにあったのは、見慣れた皺だらけの手ではなかった。力強く、しなやかで、鍛え抜かれた若い男の手だ。

 

「あぁ、お前の身体の全盛期は二十代半ば頃だろ? その時の体だよ」

「なるほど、今から四十九日でなんやかんやするのか? 申し訳ないが宗教には疎い」

「なんの話だよ。そんな事する訳ないだろ」

 

 巨乳の小娘は、心底呆れたような顔で盛大な溜息をついた。

 

「まず、死んだって表現は適切じゃない。お前がさっきまで居た世界はバーチャルリアリティー、作られた世界だよ。この景色もお前のイメージだ。まぁ、お前に理解出来るとは思わないけどな」

 

 確かに、辺りを流れる清流、晴れ渡る青空は、剣弥のイメージした三途の川そのものだ。しかし、その説明の中に飛び込んできた横文字は、意外にも年老いて死を迎えた剣弥にとって全くの初耳というわけではなかった。

 

「舐めてもらっては困る。ワシの晩年は、曾孫の剣太郎とのオンラインゲームで形成されていたと言っていい。仮想現実の事だろう?」

「あぁ、そうだ。けど詳しく説明はしない。言っても理解できないだろ」

 

 ――これは何だ? 死後の世界ってこんなにもITなのか……?

 

 ついさっきまで、家族に囲まれて息を引き取ったと思っていたのに、今度はこんなにも突拍子もない話を聞かされている。全く状況が飲み込めない。

 

「結論から言うと、お前が次に行くのは『剣豪』が集まる世界だよ。各時代に名を馳せた剣豪達が仮想現実世界に集う。お前のしたかった真剣勝負が出来る訳だ」

 

 歴史に名を刻む剣豪たちと、己の剣を交えることができる世界。にわかには信じ難い話だが、老衰で死んだはずの剣弥が、こうして若い肉体を取り戻し、自分の足で立っている事実を考えると、全てが荒唐無稽な嘘だと言い切ることはできない。

 確かに、剣弥は死の床で、真剣勝負で果てたかったという長年の願望を口にした。曾孫の剣太郎から、死後に自身の望む異世界に転生するという物語を聞いたこともある。まさか、それが現実になるとは思ってもいなかったが。

 

 ――という事は……この巨乳小娘は神か!?

 

「さっき、お前は誰だと聞いたな? アタシもお前の案内の為に創られた存在だよ。外見はお前の好みでね。こんなに乳のデカい女が好みなのか? とんだエロジジイだな」

 

「……」

 

 ――だって……婆さん、胸が無かったんだもん……。

 

「しかし、もっと優しく案内ができんのか?」

「当然、内面もお前の好みで出来てる。その強い口調はそう悟られないためか? このドMジジイが。気色の悪いヤツだよ」

 

「……」

 

 ――偉くなりすぎて、誰も叱ってくれなくなったんだもん……。

 

 どうやら、神様ではないらしい。剣弥の個人的な好みに合わせて作られた、案内役の相棒といったところか。

 剣豪たちが一堂に会する世界。それは、剣弥が夢にまで見た光景だ。さしずめ、剣豪達のバトルロイヤルといったところだろうか。想像しただけで、全身の血が沸き立つような興奮を覚える。

 

「まぁ、説明はそんなもんだ。刀は志垣の『白波左門』でいいな?」

「うむ、それでないと困る」

 

 あの刀こそ、剣弥の魂であり、剣そのものなのだから。

 

「お前が生きた世界の歴史とは全く関係ない。けど、人は実際に生きている者たちだよ」

「うむ、分かった。」

「とりあえず、お前の体は二十代なんだ。ジジイのような喋り方はやめな。では、行くぞ!」

 

 女がそう言い放った瞬間、周囲の空間がグニャリと歪み始めた。川の流れが逆巻き、木々がざわめき、空の色が渦を巻くように変化していく。

 そして、全てが眩い光に包まれた。剣弥と巨乳の案内人は、その光の中に吸い込まれていった。

 剣豪たちの宴が、今始まる。

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