第3話 戻ったけど……


 この最悪な病室に来て2週間。

 ここに来てから溜め息ばかりの日々が続いていたが、この日の私はかなりの上機嫌だった。


「ふふ、ふふふふ……」


 不気味に笑う私。そのそばで当たり前のように座る伊月は少し怯えていた。


「ど、どうした?」

「ふふふ……ついに、ついに今日私が前使ってた病室の工事が終わるの!」

「えっ!? という事は!?」

「そう! また個室に戻れるの! この日をどれだけ待ちわびたか……あぁやっとこの病室ともおさらば出来る!」

「え〜寂しいなぁ」


 言葉通り寂しげな表情を浮かべる伊月にすっかり私の調子は狂ってしまう。

 

「なに言ってるの? 君にはお見舞いに来る人がいっぱいいるでしょ?」

「俺は浅木と話したいの!」

「……っ!? うっさい!」


 伊月からのダイレクトな言葉を受け止めきれない私がとった行動は彼に枕を投げつける。枕は見事に彼の顔面に命中した。


「ぐべっ!」

「よくそんな事を平気で言えるね!」

「そんな事って……俺はただ正直な気持ちを言ったまでで……」


 伊月に顔を背け窓の外を眺めながら「ほんと最低」と呟く。この言葉は今や私の口癖だ。


「伊月くーん! そろそろ時間よー!」


 病室の入り口から看護師が伊月を呼ぶ。すると伊月は立ち上がって松葉杖を脇に挟んだ。


「あっもうそんな時間か。悪い浅木! ちょっと行ってくる! 今日はなんと……このギブスが取れるんだ!」

「聞いてないし、さっさと行ったら?」

「ははは。それじゃあ行ってくる!」

 

 松葉杖をつきながら伊月は私に背を向け、右手を振りながら看護師と共に病室を後にする。その歩幅はいつもより大きく、ギブスが取れる嬉しさを表しているようだった。


 まぁ……早く復帰したいよね。さて、なにしようかな? そうだ、途中だったあの動画見よ。


 タブレットを取り出し、ロックを解除する。そして動画投稿サイトを開いてイヤホンをつけようとした時だった。


「浅木さーん!」


 扉へ視線を移すと先程とは別の看護師が私を呼んでいた。


「はい」

「浅木さんお待たせ! 病室の準備が出来たよ!」

「本当ですかっ!? うわわっ!」


 待ちに待った報告を受け、興奮のあまり手に持っていたタブレットを危うく落としかけたが寸前のところで抱きかかえる。


「だ、大丈夫? 浅木さんがそんなに取り乱すなんて珍しいね……それでいつ移動する? いつでもいいけど」

「今から! 今からお願いします!!」


 私が即答すると、看護師は口元に手を当てて笑った。


「ふふ……そう言うと思った。じゃあ貴重品だけ持って前の病室に向かって? あとは私が持っていくから」

「お願いします」


 私はトートバッグにおおよその貴重品を入れてベッドから降りる。右手には点滴棒、左手にはトートバッグを持って病室を出たところで胸の中で微かにモヤっとした感覚を覚えると1度振り返り、病室内のある場所を見つめた。


 ……私がいつの間にかいなくなってたら、なんて思うかな?


 先程健診に向かった伊月のベッドを数秒間見つめ、私は以前の病室に戻った。


 それから約1時間、私は夢にまで見た個室ライフを満喫していた。


「あー最高!」


 思わず1人の空間で声を上げる。

 個室なら夜な夜なお爺さんがナースコールを押そうが関係ないし、歯軋りに悩まされる事もない。動画を見る時だってイヤホンをつけなくていい。


 さぁ、これで私の優雅な余生が帰ってきた! どうせ長くない命、思いっきり自堕落に過ごしてやる!


 ベッドで大の字になった私は目を瞑る。

 大好きな1人きりの時間。そのはずなのに、なぜか心はざわついていた。


「……映画でも見よう!」


 タブレットで動画配信サイトを開き、2時間弱の映画の鑑賞を始める。

 しかし映画の内容はほとんど入ってこないまま、いつの間にかエンドロールを眺めていた私は不意に入り口の扉へ視線を移した。


 ……長引いてるのかな?


 その言葉が頭を過った途端、はっとした私は思わず頭を横に振った。


 な、なに考えてるの私! あんなやつのこと!


 誤魔化すように再びタブレットを手に取り、今度は最近ハマっているゲームを開く。しかしミスを連発し、ゲームオーバーを繰り返す私はタブレットをベッド横の引き出しにしまうと再び入り口を見つめる。まるで誰かが来るの待つように。


「……私と話したいって言ってたじゃん」


 ぽつりと呟く。しかし扉は開かない。

 

「……そ、そうだお菓子! お菓子貰いに行こう!」


 自分に言い聞かせた私はベッドから降りると、点滴棒を引いて病室を出る。

 向かう先はつい先程まで使っていた病室。


 目的はお菓子を貰いに行くだけ、どうせ彼1人では食べきれない。腐らせたら勿体無い、ただそれだけの理由。決して他の理由なんてない。


 この言葉を何度も頭の中で巡らせながら、彼の病室へ辿り着く。恐る恐る覗いてみると、彼のベッドに人影は見えなかった。

 

 ……いないや。購買でも行こ。


 心無しか少し落ち込む自分に違和感を覚えながら、購買のあるロビーへ辿り着く。すると、ある部屋の前に人だかりが出来ている。群がっているのはほとんど若い女性だ。


「まじかっこいい!」

「伊月君! こっち見てー!」


 1人の女性の言葉が私の尋ね人がその部屋にいると教えてくれる。だとすると、あの集団は有名なサッカー選手である伊月のファン達だろう。

 キャッキャッとはしゃぐ女性陣。彼の何が良いのか全く理解できずに疑問を抱いていると、そのファン達の集団に1人の看護師が注意を呼びかけた。


「はーい! 他の患者さんの迷惑になりますので止めてくださーい!」


 看護師の言葉にファン達が不満気な表情で散っていく。やがて伊月がいる部屋を覗く者は誰1人としていなくなった事を確認した私は、先程までファン達が取り囲んでいた部屋へ自然と足を進めていた。


 ……ここはリハビリ室?


 扉に書かれた文字から伊月がここで何をしているのかは容易に想像できた。恐る恐る覗くと、そこにはトレーナーとスタッフの指示のもと、リハビリする伊月の姿があった。

 歯を食いしばって苦しみに耐える彼の表情に、いつものむかつく笑顔しか知らない私は新鮮味を感じる。

 すると、ひと段落を終えたのか休憩を始めた伊月とふと目があう。彼はいつものむかつく笑顔で私に手を振った。

 一方の私は何故か小っ恥ずかしくなって返事を返さず、その場を離れる。

 

 胸の内ではまるで濁りが透き通っていくような安心感を抱えながら。




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