第3話 寂シキ鬼

「此の世は住人の数だけ寝床がある。少し奥まってしまうが、垂水の寝床は三番目の曲がり角を曲がって四つ目だ。それと、もう薄々勘付いているやもしれぬが通信機器は通じないと思ってくれて構わぬ。では、また会えることを信じて」

 左様ならと私は告げ、二軒目(なのかもう既に数軒飲んできていたのか)へと少し重たい足取りで玉姫は歩いていった。

 サテ、どうしたものか。先程吐露するだけ吐露したものだから酔いも着実に一歩一歩回ってきた。このまま寝床に就くのもまた一興だが、ここはひとつ、異世界探訪と行こうではないか。

 先ずは一度、私の家の在処ありかを確認しておく。ほぼバラック集落のような雑なつくりだ。恐らく誰そ彼世界は本当に酒に溢れていて、屹度きっと家には眠る時以外帰らないのだろう。常に誰そ彼時と言えど、全生物体内時計はあるし眠る必要は必ず出てくる。しかし……本当に帰るのだろうか? 酒場で酔い潰れて寝てしまえば良いのではないか?

 なんて思い思いしつつ家のを開ける。するとそこには誰かが既にいた。暗がりで良く見えないが、スヤスヤと、酒瓶片手に座って眠っているではないか。

 一度起こさぬように玄関を閉め、確認する。先程玉姫と別れた場所まで戻り、三番目の曲がり角を曲がって四つ目の家。矢張り此処だ。

 もう一度、酔いの幻覚であることを祈りつつ開けてみる。

 幻覚などではなかった。途端に酔いが醒めてくる。

 試しにその女人をぐらぐらと揺さぶってみる。

「…………なんだぁ? 私はまだ酔い潰れてなど……潰れ、ア、蛙が潰れてらぁ。関係ないか。アハハ!はぁ……。誰? ア、分かった。前に私に腕相撲仕掛けてきた馬鹿だろアンタ。アレ? それにしては……軍人らしくないな。じゃぁアレか。イッキ勝負仕掛けて勝手に負けた馬鹿か」

「どれも違います。酔っ払いですか? 家までお送りしますので……」

「ここが私の家だ!どうしてもってんなら私と呑み比べして強い方の家ってことにしないか? 名案だ!すぐやろう!そら、数軒先に”思ひ出”があったろう!そこでやろう!」

 そう言ってむくりと立ち上がる。そうしているとようやっと全貌が見えてきた。

 小麦色の肌に銀髪。金の目は既に酔い潰れ寸前か据わっている。何よりも目を引くのがその額から出た一対の角。

「……鬼?」

「何だお前。この世界の常識知らねぇのか。んじゃ新人だな。教えといてやるが、この世界じゃお前みたいな人間はレアケースなんだ。玉姫に会ったろう……。あ、いや、アイツはもっとレアケースか。まぁ、私とか所謂バケモンって類の奴らがわんさかいるのさ」

「バケモン、とは思ってないですけど。ア、ここですか?」

 目の前に大きく構える居酒屋”思ひ出”。この世界に来る時に初めて見た大きな赤色の屋根の店だった。店内からは陽気で快活な声が響いている。所謂大衆居酒屋と言ったところだろう。

「そうだそうだ!おゥい!お前ら!この店にある有りっ丈の酒を用意しろ!そうして私が勝つ様をそこで眺めているといい!」

 大仰に暖簾をくぐり啖呵切る鬼を目に、一瞬静寂になった居酒屋は刹那後賑わいを芽吹き返す。

 そういえば、彼女が言っていた”バケモンの類”。この居酒屋でも殆どは目に見えて人外だと分かる。動物の耳や尻尾、果ては羽なんかが生えた者が多くを連ね、それに次いで彼女と同じ角の生えた者。そして二、三名ばかり玉姫のような龍人も見えた。他に人間に見える者を探してはみたが、数名いるだけ。更にその数名も仙人のような髭を蓄えていたり、兎角遠目に見ても人外のような気配が滲み出ている。

 つまり、此処におよそ人間と呼べる者は私しかいないのか。

「まァた始まった。喰雛くいなちゃんの酔っ払いレース。おゥい小僧!こいつァ楽勝だぞ!」

「喰雛ちゃんは儂等にも勝てんからな。わっぱ。若さをたんと見せてやればビビッて踵を返すだろうから。な? 付き合ってやってくれィ」

「なんだよ。私の味方はいないのかよ。いーぜ!こういう逆境に立たされてこそ燃えるってもんだからな!おゥい山彦!準備はまだか!?」

「だから山彦って一緒くたにしないでくださいって。お兄さん。檸檬サワーでいいかな?」

「え、あ、はい。私は何でも」

「それじゃぁ取り敢えず一〇杯いっとこっか!」

 羽の生えた爛漫な女性に呼応するように店の奥から快活な男の声で返事が来るや否や、突風の如きスピードで私と彼女の前に一〇杯ずつジョッキに入った檸檬サワーがガラン!と置かれた。

 まず一杯。フム、悪くない味だ。。雑味がないとはとても言い難いが、現世でもよく舌に乗せた軽い味。しかし、どうも酒の割合が大きいのか、酒特有の苦みやらが強く感ぜられた。だが、この程度私の敵ではない。

 二杯、三杯、と軽い舌ざわりに身を任せて飲んでいると確かに頬がカッカするのが分かる。先に玉姫と拉麺屋で飲んだのは精々二杯。追加で一〇杯程度、訳ないのかもしれない。

 ふ、と横を見る……。阿呆だ。阿呆が此処にいる。先の酔い潰れ具合を見るに既に泥酔状態に陥っていたのだろう。二杯飲んだ辺りでグロッキーに顔を青ざめさせていた。褐色の肌も、何処か青白い。

「もうやめときますか?」

 軽くそう言ってみた。屹度きっとこれ以上飲んだら彼女は吐く。それも盛大に。

「もう無理ィ……」

 ほぅら言わんこっちゃない。

 彼女はバンッ!と力強く立ち上がると口を押えたまま必死の足取りでトイレへと駆けこんでいた。

 それを余所目に余った酒をちびちびと飲んでいると豌豆豆エンドウマメを片手に仙人らしき男が私の右肩を抱いた。

「なぁに。気にするな。喰雛ちゃんはいつもあぁなんだ。アレだ。長年孤独だったから独りがより一層怖くなって、何かにつけて一緒に居たがるヤツなのさ。俺も……何時だったか忘れたが、喰雛ちゃんに飲み勝負を仕掛けられてな。その時はお互い素面で一軒目だったからいい勝負出来たんだが……。ありゃぁ多分誰かに拒絶されて悪酔いって言ったところだろうな。小僧も丁度いいところに来たもんだ」

 なんて言いながら瓶に入ったウィスキーを豪快に飲む。

 喰雛。そういえば現世にも彼女のような人間は何人かいた。それら人間に対して言える感想は一言。幼少期に愛情が幾許か足りてなかったのだろう。

 私の知り合いに筒賀埼つつがさきという女性がいる。ライン工の現場では珍しい女性社員だったのでよく覚えているが、彼女もまた、孤独というものを一層怖がる女性だった。私よりも一回り年を取った彼女は昼食時になると必ず誰かに話しかけていた。そうして話を聞いていみると、親がネグレクト―――とまでは行かずともあまり避難に世話をするタイプではないらしい。

 彼女もそうだとしたら、人間よりも膨大な時間を生きているであろう鬼が一層の孤独を覚えるのも可笑しな話ではないのだろう。

「小僧。一応は勝った祝いに此処のメニュー一つだけ奢ってやる」

「でしたら、特製海軍咖喱カリーを」

 そういえばこの店は昭和で止まっているのだろうか。最近見かけるメニューがない。

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