第1話 終わりの京、始まりの気配への応援コメント
はじめの重厚な筆致に骨太の時代劇なんだろうなあ、と思って読み始めていたらいきなり「時代劇の撮影か?」
これで一気に物語り世界に引っ張り込まれました!!!
第11話 土佐の使者への応援コメント
後藤がかっこいいとなんだか嬉しくなってしまい、思わずコメント失礼します。
また、企画『ねんぴょうどおり』へのご参加もありがとうございます。当企画の趣旨通りなら、どのような経緯で終結に向かうのか、とても楽しみです。
いや、後藤推進公武合体派に向かってるようにも見えますが!?
作者からの返信
はに丸さん、コメントありがとうございます!
後藤がかっこよく見える瞬間があったとしたら、書き手としては本望です…!
『ねんぴょうどおり』へのご期待もありがとうございます。
終結への道筋は、まさに「歴史」の歯車に委ねつつ…ですが、
おっしゃるとおり、どうも後藤、合体に向けて前のめり気味かもしれません(笑)
引き続き、見守っていただけたら嬉しいです!
編集済
第4話 風は吹くへの応援コメント
民心
慶喜でさえ恐らく漠然とした感覚しかないだろう表現を普通に家康が使うとさらに違和感が。
封建時代真っ盛りのおそらく家臣の忠誠心や大名の気持ちくらいしか基本考えないでいただろう家康、
感覚的には独裁国家の皇帝がいきなり民主国家の首相になったくらいの状況のはず。
適応する段階を端折りすぎてる。
何処かで描かれるのかもしれないがまずはこの時代の説明が必要だし、未来からの転生者などの作品と違いオリジナル家康の場合価値観などだけでなく死後からこの時代までの歴史の流れのアップデートが必要では。
ダラダラと引っかかったこと書いてみました。
作者からの返信
ありがとうございます。とても鋭いご指摘、真摯に受け止めました。
ご指摘いただいた通り、「民心」という表現やその背景にある民主的な価値観は、封建体制の申し子とも言える家康には、本来そぐわないものです。まさに「独裁国家の皇帝がいきなり民主国家の首相に」という比喩は的確で、作者としてもそこに違和感を覚えさせてしまったことは反省すべき点だと感じました。
本作では、家康が目覚めた時代のギャップ、そして彼がどのようにして“現代”の感覚に馴染み、変化していくかという「適応のプロセス」も、今後じっくり描いていく予定です。ただ、冒頭ではあえてテンポを重視し、その過程を飛ばしすぎてしまったのかもしれません。読者として「置いてけぼり感」を覚えた方も少なくないのだと思います。
また、「未来から来たわけではないオリジナル家康」であることが、より一層慎重な描写を求められるという点にも納得です。彼が自らの価値観を揺さぶられ、葛藤しながら現代を理解していく様子も、本作の核になると考えておりますので、そこを疎かにせず描いていきたいと思います。
貴重なご意見、そして丁寧なご指摘を本当にありがとうございました。今後の描写で少しずつでもご期待に応えられればと思っております。
編集済
第3話 時を超えた邂逅への応援コメント
「はじめまして、徳川家康。
貴殿がこの地に現れるとは、予想しておりませんでした」
↑
どっちつかずな言葉。
本物と思っていえば「権現様」的な呼びかけに敬語になるはず。
信じていないなら二段目の言葉全体そもそも成立しない。
現代的な言葉使いで読者が読みやすいようにというなら「家康」よびとその後の貴殿呼び、その後で敬語としっくりこない
「はじめてお目にかかります、大権現様。
貴様がこの地に現れられるとは、考えもしておりませんでした。」
「はじめまして、徳川家康殿。
貴殿がなぜこの地に現れられたのか、どういうことでしょう」
作者からの返信
ご指摘、誠にありがとうございます。文章表現の揺れに対する鋭いご指摘、まさにその通りだと感じました。
「はじめまして、徳川家康。貴殿がこの地に現れるとは、予想しておりませんでした」というセリフは、現代の読者にも分かりやすく、かつ時代の重みを感じさせる…というバランスを狙った結果、かえって“どっちつかず”の印象を与えてしまったようです。
ご指摘の通り、「本物の家康」として受け入れているのならば、敬称や敬語の格式はもっと丁寧になるべきですし、「信じていない」のなら、その前提での違う対応や口調が必要でした。その点の曖昧さが、読者に不自然さを与えてしまったのは否めません。
いただいた例文は非常に参考になります。
特に「大権現様」や「徳川家康殿」といった呼び方は、その人物に対する“認識のレベル”が明確に伝わってきて、読者にとっても状況が飲み込みやすくなると感じました。
今後は、登場人物が「相手をどう認識しているのか」「どの立場で話しているのか」をより丁寧に描写し、セリフの語感や立ち位置に違和感が出ないよう留意してまいります。
改めて、丁寧なご指摘、本当にありがとうございました。今後の表現にしっかり活かさせていただきます。
第1話 終わりの京、始まりの気配への応援コメント
洋装の人々、人力車、街角に貼られた瓦版。
史実であればこの時期幕府軍で洋式の軍服を着ているものが一定数いても文脈から行くと周辺の一般人は和装でしょうね。
人力車も明治に入ってからの発明だったと思う。
敢えてやってるのかな?
作者からの返信
コメントありがとうございます。大変鋭いご指摘、感謝いたします。
ご指摘の通り、文久・元治年間を想定している時代設定であれば、町の一般人は基本的に和装が自然であり、人力車に関しても明治初期(おおよそ明治3年ごろ)の発明ですので、時期的に合致しない描写でした。また、「洋装の人々」という描写も、幕府側の一部西洋式軍装を除けば、町中で広く見られる状況ではなかったはずです。
今回の描写については、あえて“時代の過渡期”という印象を視覚的に強調したかったという意図がありました。つまり、家康から見た「見慣れぬ混沌とした風景」を象徴的に描くために、いくつかの時代要素を前倒しで配置しています。ただ、その狙いが十分に伝わっていなければ、やはりそれは作者の責任であり、考証と演出のバランスにもう少し配慮すべきだったと反省しております。
今後は、読者の皆さまに違和感なく物語世界に入っていただけるよう、史実の時代感覚を大切にしつつ、演出上の意図が必要な箇所にはそれとわかる形で文脈や説明を加えていければと考えております。
貴重なご意見、本当にありがとうございました。
第6話 歴史という坂道への応援コメント
家康のほうがむしろ未来を知っているんですね。面白い設定!