ネイティブダンサー

わきの 未知

1. 2035年3月10日

 嫌な夢を見た。 札幌に早春の朝日が昇る夢だ。

 大学のキャンパス、雪景色。

 かすみのかかった春の青空を、鮮やかなシルエットの鶴が舞う。あれはタンチョウ。


 *


 私は跳ね起きた。

 朝5時。私はベッドでぐっしょり汗をかいていた。

(ただでさえ、睡眠時間が足りないのに)

 そう思ったが、同じ夢を見るのが怖くて、私は目をつむれない。

 ここは熱海の地下居住区。雪は降らず、太陽は昇らない。私の愛したタンチョウは絶滅した。

「ニシボリの大氷河期」が来て、10年が経とうとしている。


 暗い廊下を抜けて、道すがらの洗濯ルームに昨日の服を放り込む。居住区域の廊下は無機質な灰色のコンクリートで、かつかつと足音が響くのだ。

 中央エリアからは、廊下に窓があって、地下都市の構造が見える。200メートルの穴の底まで、エレベーターで一直線につながっていた。ここは地下70メートル。

「熱海シェルターの皆さま、おはようございます。朝6時です。これより12時間、『天蓋てんがい』メインゲートを開錠します。本日の小田原行きのトロッコは、本日朝7時に熱海駅を出発し……」

 いつものアナウンスと共に、シェルター天井の東側がきらりと輝き、熱海シェルターに朝が訪れた。

 あれは偽物の太陽。地上の極寒世界と、地下の地熱式シェルターを隔絶する、「天蓋てんがい」だ。


 2035年の3月10日。この街は今日から春の気分らしい。「天蓋」を見上げると、今朝からは甘い桜色に染まっている。

 私は「天蓋」に馴染めない。タンチョウの研究者だから。

(空は青いものだ)

 そう思ってしまう。

 私はちゃんとわかっている。外の世界に桜は咲かない。「天蓋」の上に出ても、あるのは摂氏マイナス30度の極寒地獄だ。分厚い霧がかかっているはずだった。

 

 教室に出てくると、今日も朝早くから頭痛の種がいる。

「先生、おはよう!」

 朗らかに挨拶する西堀ハルヒ。うちのクラスの問題児だ。今、小学六年生。今日で卒業することになるが、シェルターの学校に卒業式はない。

 挨拶は良いことだ。頭痛の種は、彼女が最近、いつなんどきも教室で躍り狂っていること。

 今日は新曲を覚えてきたらしい。肩を振り振り、教壇の上で軽快にタップしている。

「ラ、ラ、ララララ、ラ、ラ」

 賢い子にはよくあることだが、ハルヒは歌が上手だ。どこかで聞いたことがある曲だが、思い出せない。研究職を追われてから数年、私はまともに音楽を聴いていなかった。

「……あなた、それいつの曲よ」

「知らない。パパのCDにあった」

 彼女は平気で言って、つま先立ちでくるくると回転する。

 ハルヒのパパ。西堀征一郎にしぼりせいいちろう教授だ。

「ニシボリの大氷河期」を太陽の観測データから予言した気象学者で、私の北海道大学時代の同僚でもある。頭の切れる人で、今では熱海シェルターの実質的なリーダーと言っていい。

 その一人娘が、ハルヒだ。

 父にそっくり。聡明、ひょうきん、他人思い。でも、ちょっと変わっている。


「はい、じゃあ最後のクラスをはじめようね」

 私は彼女に言う。ハルヒはムーンウォークみたいに後ろ向きに歩いて、教卓の目の前の席に座った。

「熱海シェルター小学校三組」は、学年混合のクラスだ。北海道大学にいた研究者の子供たちが集められている。

 だが今、このクラスの生徒は、西堀ハルヒの一人しかいない。


 氷河期による文明の終焉。日の当たらないシェルター。タンチョウの絶滅。慢性的な不眠症。

 そして、3月10日。西堀ハルヒが卒業し、私は無職になる。

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