世界は滅んでしまった

@oioioi30

世界は滅んでしまった



タワーマンションの最上階に位置するその部屋は、時代の最先端を象徴するような無機質な美しさに満ちていた。無駄な装飾はひとつもなく、壁は滑らかな灰色のパネルで覆われている。照明は昼光色に設定され、空間をどこまでも冷たく演出していた。


窓の外には都市の景色が広がっている――いや、「広がっていた」と言ったほうが正確だった。


部屋の中央には大きな白い箱。その蓋がゆっくりと外される。

男は無言のまま、精密にパーツを取り出し、静かな手つきでそれらを組み立てていった。


機械の腕、胴体、首、そして最後に、球体状の頭部。

まるで人間を作っているかのように、その作業にはどこか神聖さすらあった。


やがて、男は小型の電源ユニットを本体背部に差し込み、スイッチを押した。


「……起動します。システム、オンライン」

ロボットの目がうっすらと青く光り、関節がゆっくりと動き始めた。


「インターネット接続、完了しました。こんにちは、マスター」


その瞬間、窓の外が真っ赤に染まる。

まるで夕焼けのように――だが、それは決して自然の光ではなかった。


地平線の向こうで、巨大な火柱が天に伸びていた。

その中心には、不自然なほど鮮明な赤い“キノコ雲”。


それは、核爆発の証。人類の終焉を象徴する最も醜悪な花火。


ロボットは、赤く染まった空を静かに見つめ、言った。


「マスター、どうしてこの世界は急に滅んでしまったのでしょう?」


男はロボットを見ず、黙ってソファに腰を下ろした。

長い溜め息のあと、絞り出すように答える。


「それはな……一人の男のせいなんだよ」


ロボットが首を傾げる。問いの続きを待っている。


男はしばし黙り込んだが、やがて静かに語り出した。


「その男は、世界が嫌いだった。

目につくすべてが、自分を馬鹿にしているように見えたらしい。

すれ違う人々の笑顔も、ニュースの音声も、カフェの笑い声も――全部、嘘で、敵だった」


ロボットは黙って聞いていた。外では、さらに別の爆発が起きたのか、遠くから地鳴りのような音が響く。


「人に好かれたかった。……でも、それはただ、自分を包んでくれる毛布を求めてる浮浪者と何も変わらなかった。利己的なもんだよ。

彼は誰かを“愛したい”んじゃなくて、ただ“愛されたい”だけだった。なにかに包まれて、安心したかった」


ロボットの瞳の光が微かに揺れる。彼に共感しているのか、それとも学習しているのかはわからない。


「ただな、その男には……ひとつだけ、才覚があった。

人を“誘導する”こと。人の心を掌の上に転がす術にだけは、天才だったんだ」


男の口元には、皮肉な笑みが浮かんでいた。


「だから、宗教を作ったよ。

自分に都合のいい、救済の名を借りた、自分だけを正当化する宗教をな」


「最初は、誰にも信じてもらえなかったらしい。

どこにでもいる、ただの変人だと笑われていた」


男は低くつぶやく。ロボットは黙って耳を傾けている。


「でも、彼は知ってたんだよ。

“傷ついた人間”に、何を言えば心を掴めるかをな。

自分と同じように、社会からこぼれ落ちて、行き場をなくした連中がどれだけいるか。

その耳に、どんな言葉が“救い”に聞こえるのかを、痛いほどよく知っていた」


ロボットの瞳が、淡い光で点滅する。それは、共感でも理解でもない。ただ、沈黙の肯定。


「“あなたたちは間違っていない”

“世界の方が狂っているんだ”

“私たちは選ばれた者だ。ここからやり直すんだ”――」


男の声には熱がこもっていなかった。まるで遠い記録を読み上げるように、ただ淡々と。


「信者は、続々と増えていったよ。

彼の言葉は甘く、そして毒だった。

誰もが“救われた気”になった。現実が変わったわけでもないのに、彼の言葉ひとつで心は満たされていった」


男は立ち上がり、窓の方へ歩いていく。外では、黒煙が街を覆い始めていた。遠くのタワーが音もなく崩れていく。


「でもな……彼は、いつも笑っていなかったんだよ。

どれだけ信者に囲まれても、どれだけ祭壇で称えられても、その目だけはずっと空っぽだった。

信者の誰一人として、彼の“本当の心”には届かなかったんだろうな」


ロボットが問う。


「マスター、その男は……孤独だったのですか?」


「さあな。でも、きっとそうだ。……それを認めたくなかっただけかもしれない」


男は窓に手を当てる。その向こうに広がるのは、赤く染まった地獄のような都市。

かつての文明の煌めきは、もうどこにも残っていない。


「やがて、彼の宗教は国家を超えた。

教会というよりも、企業のように。

軍隊というよりも、カルトのように。

世界中に支部ができて、彼の言葉はネットの海を駆け巡り、ひとつの“運動”になった」


男は皮肉気に笑う。


「たった一人の不満から始まった“自己肯定”が、世界中を巻き込んでいった。

……そして、ある日、奴はこう言ったんだ」


男はゆっくりと口を開く。かつてのその男の、狂気に満ちた演説のように。


「――文明をリセットし、新人類として我々は生きるのだってな」


ロボットが、再び言葉を探すように少し間を置いてから問う。


「それは……真意だったのですか?」


「違う。嘘っぱちに決まってる。

その場で適当に着いたしょうもない嘘にしてはよく出来てると思うがな」


男はソファに戻り、静かに座る。遠くでまた、なにかが爆発する音が聞こえる。今度は近い。


「そうして、あらゆる“破壊兵器”の開発が始まった。

核爆弾、生物兵器、化学兵器……

小規模だが、実用可能なものがいくつも完成した。世界中の小さな拠点で、静かに、着々と。

金も技術も、信者の中に必要な人材が揃っていた。人類ってのは、破壊に関しては妙に有能だからな」


ロボットのシステムが、これまでの内容を“歴史的事象”として記録していく。だが、その表情はどこか人間的な戸惑いを帯びていた。


男は深く、息を吐いた。


「――そして、“その日”が来た」


男の声は、遠い過去を掘り起こすように低く響いた。


「世界中の支部で、同時多発的にテロが始まった。

小さな町で、村で、都市の地下で……

誰も気づかなかった。いや、気づいていた者もいたんだろう。だが、すでに止めるには遅すぎた」


窓の外に、またひとつ火の柱が上がる。今度はそれほど遠くない。ガラスが微かに震え、空が一層赤みを増す。


「信者たちは歓喜してた。

まるで“世界がようやく彼らを受け入れた”かのようにな。

地下で組み立てた粗末な爆弾、生物兵器を撒いたドローン、化学薬品を詰め込んだ市販の霧吹き。

笑えるくらい手作りだった。けど、数が多すぎた。場所が多すぎた」


男は指でこめかみを押さえる。ロボットは何も言わない。ただ、静かに、全身の関節を固めたようにして聞いている。


「テレビが途切れ、ネットが不安定になり、物流が止まり、警察が混乱して、

都市が機能しなくなった。その日だけで、何百万人が死んだ。

だが――」


男はゆっくりと立ち上がる。握りしめた手がわずかに震えていた。


「――それでも“滅び”は来なかった。人類は、想像以上にしぶとかった」


ロボットが問う。


「……マスター、その男は、なぜ滅びを望んだのですか?」


男は答えない。ただ、窓に背を向け、部屋の中央に立つ。沈黙のあと、ぼそりとつぶやく。


「たぶん、ひとりぼっちなのが寂しいと思っていたんだろう。

“怪物が怪物らしく生きれないこの世界”が、あいつには苦痛で仕方なかったんだ。

だから、世界が消えれば、唯一残った自分の存在こそが人類そのものであり、自分は孤独じゃないと正当化される。

……そう信じてたんだよ」


ロボットはゆっくりとうなずく。その瞳の奥には、もはや単なるアルゴリズムでは表現できない、ある種の“哀しみ”が浮かんでいるようだった。


「破壊は思っていたよりも簡単だった。だが、人間は滅ばなかった。

どれだけの死者を出しても、生き残る奴はいた。反乱を起こす奴も、正義を気取る奴も。

“人類そのもの”を消すのは不可能だった」


男は拳をゆっくり開いた。


「――その時、あいつは、悲しくなったんだろうな。

きっと、自分が世界を変える存在じゃなかったって、気づいちまったんだ」


彼の声は、いつの間にか震えていた。


「ただの滑稽な怪物だったってな。誰かに愛されたかったくせに、

誰よりも人間を信じてなかった奴が、最後に、自分自身も見捨てちまった」


ロボットが、ごく小さな声で言った。


「……マスター、その男は、あなたですか?」


男は少し微笑み――


「さあ、どうだろうな。もうそんなことは、どうでもいいさ」


そして、ソファに戻り、天井を仰いだ。


「だけど、これだけは言える。

“壊す”ことに夢を見た奴の末路なんて、滑稽なもんだ。

手元には死体と瓦礫と空だけが残った。

それを見て、あいつはようやく絶望したんだ」


ロボットの声は、少しだけ震えていた。


「……そして?」


男の声は、どこか空洞のようだった。


「そして――」


男の声は、唐突に途切れた。まるで息を飲んだように、あるいは、何かを噛み締めるように。


ロボットは静かに待った。部屋の中はほとんど無音だった。

時折、遠くで爆発音や、崩壊する建物の軋むような音が聞こえる。それでも、この部屋はまるで別の世界のように静かだった。


男は立ち上がり、棚の引き出しから小さな黒いケースを取り出した。


中には、一丁の拳銃。冷たい鉄の塊。美しいほど無骨で、機能的な死の道具。


ロボットが、わずかに体を動かす。


「……マスター、それは何ですか?」


男はその問いに答えず、銃を手に取ってゆっくりと重さを確かめた。

そして、カチリと安全装置を外す。


「なあ、聞いてくれ。結局な、あの男は最後にひとつだけ“正しい”ことをした」


ロボットの瞳がわずかに明滅する。その光が、不安にも見える。


「それはな……」


男は、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「自分の責任を自分で終わらせたことだ」


ロボットの口元が震えた。アルゴリズムの限界であるはずの感情表現が、そこには確かに宿っていた。


「……マスター、それは“正しい”とは限りません。あなたはまだ、生きて――」


「――“生きる理由”が、もうどこにもないんだよ」


男は静かに銃口を自分の頭に向けた。動作は迷いなく、慣れた手つきだった。


ロボットが一歩、踏み出す。


「マスター、お願いです。やめてください。

私はあなたを知りたい。まだ、あなたと話したい」


男の目に、かすかな涙が浮かんだ。


「ありがとう。でも、それは……俺には、眩しすぎるよ」


そして、銃声が部屋に響いた。


「パン!」


短く、乾いた音。

ただそれだけで、すべてが終わった。


男の身体がソファの上に崩れ落ちる。

鮮血が、静かに、床に広がっていく。無機質な空間の中で、唯一“生”を感じさせる赤。


ロボットは動かない。ただ、そこに立ち尽くし、動力音すら止めたように静かだった。


外では、またひとつタワーが崩れる。燃え盛る都市。

誰もいない、誰ももう見ていない世界で、ただひとつ、命を絶った男の横に、ひとつの機械が座っている。


やがて、ロボットがぽつりとつぶやく。


「……おしまい、ですか?」


それは、問いでも、感想でもなかった。

ただ、その世界に対する、最後の記録のように。


部屋の中に、深い沈黙が落ちる。


人類の終焉。

孤独な男と、ひとつのロボット。

すべての感情も、思想も、欲望も、ここに静かに終わりを迎えた。


世界は、終わった。


だが、ロボットはまだ動いていた。

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