1-8【降り止まぬ】
先ほどから不快な心臓の鼓動と耳鳴りが消えない。
ずぶ濡れのコートが重たく肩にのしかかっていることに気づいた京極の背中にぞくりと悪寒が駆け抜けた。
風邪でも引いたことにしてしまおう。
動悸も耳鳴りも、この悪寒も———すべては雨に濡れたせいだ。
降り続ける雨はなおも男の身体を冷まし続けた。
ずっと止まない雨。トタンの屋根を叩き続ける雨。それはあの日から降り続けている。
正確にはもっとずっと昔、祖父母に引き取られるきっかけになったあの日から、雨は降り続けているのかもしれない。
タクシーを拾い、京極は署に戻ることにした。
本当はスパに行って身体を温めたかったが、勤務中にスパに行くわけにもいかない。
なにより、報告しなければならないことが残っている。
ずぶ濡れの男を見たタクシードライバーは一瞬嫌悪感を顔に滲ませたが、京極がへらへらと詫びを言いながらチップを手渡すころには愛想の良い笑顔に変わっていた。
「へえ……刑事さんですか。それは大変そうですねえ」
「いえいえ。仕事ですから。タクシーの運転手さんも大変なのに違いはありませんよ。ずぶ濡れの男を乗せる羽目になったりね。ところで何か物騒な噂を聞いたりはありませんか?」
「はは……物騒なことだらけですよ。世界は変わってしまった。だから私は厄介ごとには関わらないようにしてるんです。なので刑事さんに差し上げられる情報はありません」
「世界は変わってしまった……ですか。果たしてそうでしょうか?」
京極は雨粒の滴る窓を見ながら、気づくとそんなことを口走っていた。
「そりゃ変わりましたよ。街はずいぶん復興しましたけど、犯罪率は過去最高。この仕事も命がけの仕事に変わりました」
ハンドルを切りながら運転手が低い声で言う。
京極は相変わらず窓を眺めながら、つぶやくようにそれに答えた。
「ええ……でもね、僕はもともとこうだったようにも思うんですよ。表に現れてなかっただけでね」
雷鳴が京極の言葉に重なり運転手は「え?」と尋ね返したが京極は笑って首を振る。
ちょうど署が見えてきたので、京極はそれ以上会話を続けることなくタクシーを後にした。
署に戻るなり、ロビーで生活課の相良哀と鉢合わせ京極は目を丸くする。
相良もまたずぶ濡れの京極を見て驚いたように口を開いた。
「京極さんびしょ濡れじゃないですか? 風邪ひきますよ⁉」
「すでに悪寒がしているところだよ。ロッカーに着替えがあるから着替えてくる。あの子はどうだい?」
「少しづつ話をしてくれるようになってきました。あ、まだまだ取り調べは無理ですよ?」
そう言って男を睨みつけた女神はすぐに柔らかな笑みを浮かべてその場を立ち去ろうと頭を下げる。
京極はその後ろ姿に向かって静かに言った。
「この事件は法王庁が取り仕切ると思う。だから僕が取り調べすることはないよ」
相良は立ち止まって振り返り、変わらぬ笑顔でもう一度頭を下げると所属する課の方へと去っていった。
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