M氏の憂鬱について
伊野尾ちもず
M氏の憂鬱について
私には嫌いな芸能人がいる。
……待て、ここで読むのをやめないでくれ。少し、話を聞いてほしいだけなんだ。頼む。
どうせ私は架空の人間だし、これから語る話も登場人物も全員架空だ。だから安心してくれ。これを読んでいるあなたが好いている人を貶める言動は絶対ないと言い切れるから。
え、読んでくれるのかい?ありがとう。大変嬉しいよ。
そう、私には嫌いな芸能人……仮にR氏としよう。
あ、今「R」のつく人名を思い出そうとしたね?そういうのいいから。とにかく私の話を聞いてくれ。
ええとなんだっけ。そう、R氏だ。
R氏のことは視界に入るのも嫌なのだ。雑誌の表紙になっていたら目を背けるし、テレビに映ればチャンネルを切り替えるし、R氏が出演したCMの商品も買わない。が、しかしだ。R氏は世間様では大変人気のある芸能人だから、弱小一市民の視界から簡単には消えてくれない。
とかく、広告起用数が多い。新作菓子、住宅用洗剤、転職サイト、自動車保険、献血のお願い、犯罪防止ポスター。果てはAI生成画像の詐欺広告にまで出没する。
しかも、R氏はマルチな才能を活かしまくっているので、本業と関係なく歌って踊ってバラエティ番組を渡り歩き、番組企画のマラソンを完走し、アパレルブランドとタイアップした服が販売され、今は深夜ラジオのレギュラー放送も抱えている。
あ〜あ、大変仕事熱心でよござんすねぇ。人気者でありますねぇ。全部避けるならば、私めの方が日陰者になりましょうなぁ。
え?嫌いなのになんで知ってるのかって?嫌いなものほど目につくと思わないかい。ハンバーグの中にみじん切りのピーマンが入っていたらわかるのと同じだよ。
……はは、気にしいだろ?それは幼少期からの癖だ。気にしいで悪かったな。
で、だ。
そろそろ、読者諸君は私がR氏嫌いな理由が気になってくるだろう。世間でそれだけ受け入れられているのに、なぜ、と。
先に言うが、決して流行への逆張りではない。流れに逆らうだけでマウントが取れるとは思えないからだ。故に私の個人的評価に流行り廃りは関わらない。良いと思えば好きになるし、そう思えなければ興味を失う。嫌悪の感情は疲れるから極力持たないに限る。
御託は良いから早く理由を教えろ?わかった。わかったから、そう急かすな。順を追わないとわからない話なんだ。
私はR氏の本業を知っている。テレビでしかR氏を見たことのないほとんどの人間と違って!何をしてきた人物なのか私は知っているんだ!
R氏の本業は舞台俳優で、脚本家も兼ねていたってことを!
かつて私が友人に連れられて訪れた小さな劇場。その舞台でR氏は卑屈なコソ泥の役を演じていた。この劇団を推している友人は、「Rさんはね、自分の脚本を演じる時は、必ず一番性格の悪い役を担当するんだ。悪い役は全力でできるからだってさ」と語っていた。
確かに卑屈なコソ泥役を演じているR氏には鬼気迫るものがあった。全身がむず痒くなるほどの不快感を覚えさせるのも一種の才能だろう。
劇団の宣伝ポスターの中では至って普通の優しい顔をしているのに。悪役が似合う顔立ちとは特段思えない顔なのに。どう言うわけか性格の悪い役が好きで、ハマり役になるらしい。
その捻くれ具合が気に入って私は、友人と誘い合ってはR氏のいる劇団を見に行くようになった。
ウィットに富んだセリフの応酬、倫を踏み外し転落していく人間に対する解像度の高さ。
「今日もRさん飛ばしてたな」「だな。脚本のねっとり加減も最高だった」と友人と語り合ってはカフェで茶をしばき、劇団とR氏の更なる活躍を願ったものだ。当時のSNSでも少しずつ劇団の面白さが知られていたので、きっとR氏は演劇界で名悪役と脚本の上手さでもっと活躍する。そう確信していた。
それがどうだ、今のあの体たらく。劇団が流行に乗ってショート動画で切り取ったR氏のステップがただバズっただけだったのに。動画の件でテレビからの出演オファーを受けてから、R氏は文字通りお茶の間に一人躍り出ることになった。
情報バラエティで取材を受けてヘラヘラ笑い、クイズ番組では面白枠扱いされ、ロケに呼ばれると踊りながら池に落とされて。洗剤の宣伝で快活に笑ってみせて、犯罪防止ポスターで真面目に睨んでみたりして。挙句に何でブランドコラボ服を売ってるんだ。本当に何なんだよ。本業忘れるなよ。
深夜ラジオの内容も、初期から変化して次第に軽薄さが目立つようになっていた。「リスナーからの要望が多かったので」じゃねぇんだよ。R氏のやりたい事やってくれよ。こっちにお伺い立てるなよ!好きな事やってるR氏を応援したかったんだ!私は!
……はぁ。すまない、声を荒らげすぎた。一旦息を整えよう。
最近はR氏の出演する舞台も無ければ、新作脚本も上演されない。知名度が上がっているというのに、ドラマ出演や脚本参加の話も聞かない。でも演劇に飽きたなんて思いたくない。
置いていくなよ、なぁ。本当に好きだったんだよ、私は。昏さを切り取ったようなR氏の演技が、物語が、好きだったんだよ。
R氏の才能は向こう百年現れないだろう予感があるんだ。R氏の生み出す世界をここに遺して、もっともっと沢山の人間が触れて震えなくちゃあいけないんだ。濁った目の奥に揺らめく感情の炎に万人が焦がされなくちゃいけないんだ。
それなのに。なんで、自分から才能を封じるような事をするんだ。演技も物語も捨て置くんだ。応援してきた私たちは熱量が足りなかったのか?R氏に私たちの声は届かなかったのか?
どうなんだよ、なぁ。
嗚呼、だから、嫌いだ。R氏なんて。
え?随分身勝手な思想だって?それは認めるし聞き飽きた。例の友人にも言われたさ、「本当にファンならどんな姿でも推せ」ってね。でも、同じ人にはもう見えないんだ。仕方ないよな。熱心に好きになる自由があるなら、静かにアンチする自由もあるよな。
* * *
M氏はここでnoteを書く手を止めた。
「こんな時間だ……」
見ていたパソコンの時計は、M氏が毎週見ている料理バラエティ番組がもう始まると告げていた。背中を反らすとボキボキバキと不安な音が鳴り、同時に腹も鳴って、ようやくM氏は疲れを知った。
「よし、飯にするぞ」
宣言したM氏が冷蔵庫から取り出したのは麻婆豆腐だった。コンビニで今日発売の新作弁当である。業界の販売戦略とわかっていても、M氏は「新作」という言葉に弱かった。
食べ始めに合わせてテレビをつけると、料理バラエティのお題が「麻婆豆腐」と表示されたところだった。
麻婆豆腐も流行の波があるのかもしれない、と思いながらM氏は電子レンジで温めた麻婆豆腐弁当の蓋を開ける。その瞬間、花椒の香りが一気に立ち昇った。
「良い香りだ……」
しばし恍惚としたM氏は上機嫌に「いただきます」と呟くと、一口目を口に含んだ。
「うま」
目を細めてしっかり味わうM氏。
──豆腐の水気のキレが良くて味染みで良い。ニラと長ネギの香りが鼻へ抜けていく。豚ひき肉も臭みがない。スッキリした辛みがなんとも心地よい──
コンビニのクオリティを舐めていた己を反省しながらもM氏の食べる手は止まらない。それなのに、食べ切るのが勿体無い矛盾した思いも持ち上がって揺さぶられる。
美味いものに浸る幸せに前のめりになるM氏は、早々に弁当を食べ切ってしまった。
「食べると無くなる、食べなければ味がしない、これ不可解也」
ボソボソと呟いてテレビの前にゴロリと寝転がり、大きなあくびをするM氏。
やがて上下の瞼が仲良くくっついて──
* * *
「では、番組の最後に重大発表です!」
男性MCの元気な声がテレビから響くが、しんとした室内に聞く人はいない。
「今回のスペシャルゲストシェフ【R氏の名前】さんの手作り麻婆豆腐が、実は全国のコンビニで販売されております!」
テレビスタジオの観客席から「えー!?」とお決まりの声が上がる。
「この時間から、【R氏の名前】さんの顔がプリントされた【R氏の愛称】ステッカーを該当商品に貼らせていただきますので、そちらを目印に、ぜひご購入ください!」
「よろしくお願いしまぁす」
MCの隣で【R氏の名前】は照れてはにかんでいた。
「実は小さい頃の夢が街の中華屋だったので、夢が叶ってとっても感謝しています。ありがとうございます!みんな、買ってね〜」
カメラに向けてヒラヒラと手を振る【R氏の名前】。
「では最後に番宣をどうぞ!」
「はい、2日後の夜9時から、新ドラマ『天空サテライト』を放送します。航空自衛官の卵たちのヒューマンミステリードラマになっています。私も出演しますので、是非チェックしてください!」
言い切るが早いか、すぐさま来週の番組予告が流れて【R氏の名前】の笑顔は流されていった。
消されないテレビは、まだ騒がしい色と音を垂れ流していた。
〈了〉
M氏の憂鬱について 伊野尾ちもず @chimozu_novel
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