第7話

「探偵とは、まったく面倒ですね」


 硬直した空気を断ち切るように口を出したのは、静観していた棲月だった。菅野川の前に出た彼女の視線が氷点下を下る。


「アキ」

「やっとお話が済みましたか」


 待ちくたびれたとでもいうように、律世に呼ばれたアキは三人の前に進み出た。アキの右手はさっきからずっと懐の中に納まったままだった。


「軍人と素手ゴロでやり合うつもりはないけれど、襲われたらこっちだって容赦はしないわ」

「抑えろ。棲月」


 軍服の後襟を掴んで引っ込めようとした菅野川の手を棲月は容易く振り払う。


「実は最近、お肉料理を頑張ろうと思っているんです。女中として料理のレパートリーは大事ですから。食にうるさい主人を持つと苦労します」


 朗らかにそう言ったアキが懐から腕を抜いた。その右手には分厚い肉切り包丁が握られていた。


「あなたのことは知っています。〝大道具屋〟というだけあって、芝居道具を出すにもいちいち気合が入っていて面白いです」


 腰の拳銃嚢から棲月が二十六年式拳銃を抜く。言葉とは逆に鉄仮面でも被っているかのようにその表情はぴくりとも動かない。


「そうですか」落胆と興奮を半々にしたため息を吐いたアキは、肉切り包丁を砂利の上に落とす。「ごめんなさい。間違えました。最近は掃除に力を入れようと思っていたんです。どんな粗大ごみもこれでまとめて吹き飛ばせます。まったく、掃除に無頓着な主人を持つと苦労しますよ」


 裾前をはだけさせたアキが取り出したのは狩猟用の散弾銃だった。襦袢と袷の間に仕込みやすいよう銃身と銃底が極端に切り落とソードオフされていた。


「……ごめんなさい。今度からちゃんとしますから、許して……」


 いつの間にか、蘭子の後には律世が回り込んでいた。アキに許しを請いながら祈るように蘭子を盾にしていた。あの大人しいアキのどこにその攻撃性を隠しているのか。蘭子は不思議でならない。そしてカミスキさん、よく反省するように。


「私も失礼する」


 驚いたことに、蘭子の後に隠れる律世とまったく同じ態勢で、菅野川が律世の後に隠れていた。


「ああなってしまった棲月は私にも止められんのだ」


 探偵と軍人の二人が蘭子を盾にするこの態勢。馨もドン引きしている。怒りを通り越して蘭子は呆れ果てた。


「フフッ……くわばら。くわばら」


 冷徹な棲月の表情が不敵に歪む。腰に下げたカレル瓶のスイッチを入れた。乱れた半襟をアキは合わせ直す。


 どちらが先に引き金を引いたのか、蘭子には判断できなかった。律世が咄嗟に蘭子の頭を下げさせる。

 続けて二発、散弾銃が咆哮する。それを紙一重で躱した棲月の腹部にアキが銃身をねじ込んだ。一度、躱せたのはアキの行動予測を演算したカレル瓶の為せる技だろうが、再装填することなくアキはすかさず追撃を加えたのだ。棲月は、思考に運動能力がついていけていない結果が如実に表れていた。


「こんな物に頼るから油断が出るんです」


 棲月の銃剣をアキは素早く引き抜く。流れるような動作で棲月の心臓へと繋がるケーブルに切っ先を突き立てた。解放された圧力が血の柱となって勢いよく噴き出す。


「ごろつき風情が……‼」


 棲月は拳銃を乱暴に発砲する。だがアキの耳元を閃いた銃弾は空虚な暗闇へと吸い込まれていくだけだった。

 アキは、花壇に咲くガーベラでも摘み取っているかのようだった。殴りつけられた棲月の鼻から血飛沫を迸る。組み敷かれた棲月に術はなく、天女にも菩薩にも見えるアキのほほ笑みには倫理観が欠如していた。


「大口を叩く割には、噛み応えのない方ですね。手加減してもこの程度ですか」


 血を穢れたものとする神前においては不敬なのだろうが、一方的な暴力の前では神も棲月を見捨てたかのように思えた。

 二人の力量には歴然とした差がある。棲月の動きは優美で洗練されているが、あくまで様式的な美しさだった。対照的にアキの戦い方は泥臭く、暴力の延長線上にあるものが絶対的な死であることを身体で理解しているような場慣れ感があった。


「この……ッ‼」


 咆えた棲月がカレル瓶を振りかざす。カレル瓶は金属板で覆われている。そんなもので顔面を殴りつけられれば、さしものアキも怯んで態勢を崩した。発条のように起き上がった棲月が、すかさずアキとの間合いを空ける。


「そこまでだ」


 割って入った菅野川が棲月の肩を抱く。肩越しにアキを睨みつけて牽制した。痛みに対して超然としているアキも流石にその表情は精彩を欠いている。


「本日はあくまで提案のため参上したまでだ。行き過ぎた行為があったことは謝罪させていただく」


 獣のように息を荒げていた棲月は、菅野川の胸のなかで次第に落ち着いていった。身を預ける彼女に涼やかに澄ましていた面影はもはやない。安堵と、そこに決して埋もれ切ってしまうことのない悔しさが滲んでいた。


「それでは。失礼させてもおう」


 棲月を背負った菅野川は、境内で振り返ることもなく、彼女を気遣うようにゆっくりと階段を下って行った。


「二人になるために、せっかく大陸かぶれにヘマさせたのに……」


 抑えた声で棲月は呟いた。その声は、蘭子たちはもとより、菅野川にも風の悪戯としか思えないほどの小さな声だった。

 銃声を聞きつけたのだろう。鳥居の奥には人が集まり始めている。人だかりの奥からは、野次馬を押しのけようと怒号を浴びせる声も聞こえる。今度こそ警察が向かってきていた。


「無理をさせたわね」


 膝についた砂埃を払うアキに律世は声をかける。アキに駆け寄った馨は、緊張が解けて気が緩んだのか、半泣きになりながら彼女の背中についた汚れを払い取っていた。


「このくらいへっちゃらです」

「我慢は良くないわよ」

「頬がじんじんします。それに、さんざん引っ掻かれました」

「帰ったら手当てしましょう。今はここから逃げないと」


 社殿の裏側から出ようと歩き出すと、すぐにアキが律世を引き留めた。


「あ、あの……やっぱり、歩けません……」


 どう見てもそれは嘘だ。確かに傷ついてはいるが、脚を怪我してはいない。現にさっきまで気丈に歩いていた。


「重くて私じゃ運べないわ」

「それ禁句です」むくれたアキがおんぶをせがむ。「してくれるまで動きません」

「途中までよ」


 やれやれと律世は承諾する。アキは嬉そうに自分の脚で律世の背に乗った。

 いつも律世の世話をしている彼女は、どこか律世の姉のよう見えることもあった。しっかり者だが物静かで謙虚。実際に姫坂京香の姉でもある。でもこの瞬間だけは、誰よりも甘えん坊で一番幼く見えた。


「私……たまには、カミスキさんの役に立てましたか?」

「あなたはいつだって私を助けているわ。だから、そう気負わなくていいのよ」


 それを聞いたアキは、安心しきった様子で律世の暖かさに身を預けた。 

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