第4話

 そこまで聞いた蘭子は違和感を感じていた。律世が語ったことは、事実ではない。本人も前置きをしたように、これは律世が毛嫌いするであろう〝推理〟に他ならないのだ。


「新村様はそれだけ奥様を愛されていた。亡くなっていると分かっていても奥様に会わずにはいられないほどに。そして今は、幸か不幸か奥様のことはほとんど思い出せないでいらっしゃる。それでも、奥様との記憶を取り戻したいと願いますか」


 律世は、寄り添うわけでも否定するわけでもなく、静かにただ問いかける。その意図に蘭子は気づいていた。妻の記憶を思い出すことを断念するように誘導している。愛した人の死を拒み、演算し続けた男の絶望に付け込んで。

 律世は、この依頼自体を完遂する気はない。三之助が記憶を消した方法だけを知ることが目的でここに来たのだ。三之助本人が依頼を穏便に取り下げてくれるに越したことはない。


「先生、お気遣い感謝いたします」


 三之助が深々と頭を下げる。畳についた両手に刻まれた皺を見て、蘭子は父を思い出した。三之助の年齢は知らないが、見た目の年齢は自分の父親と同じくらいだった。そんな年配の男性が頭を下げているのを見ると、胸がざわざわとした。

 顔を上げた三之助は力なく笑った。


「ですが、先生。やっぱり私は彼女のことを思い出したいんです。何も憶えていない分際でこう言うのも変ですが、そうでなければ彼女に失礼な気がするんです。妻のことを忘れた今の僕は、メディウムであることに心底嫌気がさしています。自殺すら考えている。でも僕が今生きているということは、きっと妻が僕をここから連れ出してくれていた。そう思うんです」


 それに、と三之助はそっと馨へ語り掛ける。


「それにお嬢様には期待されているんです。どうやら私はお嬢様のお父様の記憶についても忘れてしまっているらしい」

「そんなこと、今はどうだっていい……!」


 畳に両手をついた馨が首を振る。彼女の父親。そういえば、いつだったか。律世が言っていた。


「親父のことだったらカミスキさんが調査を……」


 名前を言いかけた蘭子は律世に口を抑え込まれる。連行された壁際で馨に背を向けて小声になる。


「教えてあげればいいじゃねぇか」

「教えたら彼女を調査していることがバレてしまうでしょ」

「バレたって問題ねぇだろ」

「大ありよ。もし何か隠していることがあれば警戒されるわ」

「警戒してるなら探偵に依頼になんて来ねぇだろ」


 言い争いに切りを付けて座布団に戻る。律世は場を繕おうとコホンと咳ばらいをした。


「どうでもよくはありません。できることなら私も思い出して差し上げたい。お嬢様にはお世話になっている。いえ、なっていたようですから」


 真剣な顔で三之助は律世に向き直る。


「ですから、先生。どうかお願いいたします。私の記憶を取り戻していただきたい」


 頼み込む三之助を前にして、蘭子はそっと律世の横顔を覗き込だ。物怖じすることのないような表情を張り付けた律世だったが、尋常でないくらいに頬が引きつっている。探偵としての威厳を崩さない、プロフェッショナルさには感服するが、その横顔は、露骨に本音を露わにさせていた。


「先生には浅草一、いえ、この帝都一の腕があると聞いています。先生にかかればこの程度は安楽椅子に座りながらでも易々と解決できてしまえるはずです」

「私からもお願いします。探偵さんだけが頼りなんです」

「えっと、安楽椅子なんていうのは……」


 律世がたじたじになりながら弁明しようとする。


「やっぱり安楽椅子に居ながら解決してしまえるのですね! この一件の解決、期待してお待ちしています!」


 言いかけた口上は、無残にも三之助の勢いに押し流されていった。

 初めからこうなることを、蘭子は何となく予想できた。聞きたいところ、記憶を忘却した方法についてだけ聞き出して、依頼についてはきっぱりできないと断る。依頼する方は藁にも縋る思い出で懇願してくるのだ。ここまで来てしまった時点で、今さら拒否できるはずがない。

 目尻に涙を浮かべ、助け船を求めるように肩越しにこちらを向いた律世に、蘭子はゆっくりとまばたきをして諭す。もう引き受けるしかない。助手ができる助言の精一杯だった。律世はアキの方へ視線を滑らせる。彼女は彼女で――。


「うっ、うぅ……こんなの、こんな話ってないですよぉ。悲しすぎ……ぅぐっ、ぇぐ……悲しすぎます……。カミスキさん、カミスキさんなら何とかできますよね……? 絶対に何とかしてあげてください……!」


 嗚咽まで漏らして泣いていた。

 律世に、もはや逃げ場はなかった。何と言うか……ご愁傷様です。


「よくわかったわ」


 律世が威勢よく膝に拳を打ち付ける。


「この依頼、私が快刀乱麻に解決してみせるわ……!」

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