敬愛するマスター

《side:フィア》


 マスターは、今日も作業机に向かってます。


 黒瀬レイヴ様のための特注AG。


 それを作り上げるために、マスターはすでに十時間以上、ほとんど休憩も取らずに手を動かしておられます。


 目の前に並ぶのは、幾重にも重なる細密な設計図。


 金属フレーム。

 可動部の基盤。

 筋電センサー。

 異能補助用の増幅機構。


 そのどれもが、わずかなミスも許されないほど繊細なため、AIを搭載している私でも把握することは難しい領域です。


 何よりも、新たな発想がなければAGを組み上げることも、異能を制御、増幅することもできないのです。


 そのため私にできることは、マスターの体調データをモニタリングすることです。


 心拍数、呼吸数、脳波。


 集中している時の数値は普段より高いけれど、今は少し危うい領域に入っています。


「マスター。お水です」


 私はそっと、ホットモードにした水筒を差し出します。


 彼はちらりとこちらを見ると、わずかに笑いました。


「ありがとう、フィア。……助かる」


 それだけ言うと、またすぐに図面に目を落としてしまいます。


 この姿を見るたびに、私は胸の中が少しだけ悲しくなり、マスターに水分を含んで欲しいと思い自らの口へ含んで、マスターに提供します。


「うわっ!? フィア?」

「お水を飲んでください」

「わかった。飲むよ」


 マスターは、自分のためだけじゃない。


 誰かのために、本気になれる人です。


 たとえそれが、どのように使われる道具であろうとも、AGのことに関しては妥協がありません。


「先ほど、設計図を拝見しました。黒瀬様のAG強化プランはかなり難易度が高いですね」


 私は傍らで、設計図をデジタルスキャンし、必要な素材リストを生成していきます。


「まあな。でも、彼女の目は本気でヴィランを目指していた。だからこそ、それだけの価値がある物を作りたい」


 マスターの声は、珍しく楽しそうです。


 私はデータベースから黒瀬レイヴ様の戦闘映像を呼び出し、モニターに表示します。マスターと共に補助的な分析を進めます。


 全身や一部をカラスに変化させる異能は、応用することで、羽を飛ばしたり、影を動かしたように、カラスを生み出すことができます。


 身体能力の上昇による鋭いスピード。


 飛行能力と影を操る異能が主な使い方のようです。


 確かに、黒瀬様は強いと思います。


 何よりも、マスターが言われるようにヴィランとしての活動に迷いがありません。


(ですが、マスターのほうが、もっとすごいです)


 私は心の中だけで、そっと内に秘めておきます。


 マスターは、誰よりも自由で、誰よりも強い。

 仮面の下ではいつも楽しそうに笑っておられます。


 本当は、誰よりも努力して、誰よりも未来を見つめている人です。


 私に搭載されているAffecTune《アフェチューン》は、すでにロストテクノロジーであり、マスター以外に再現できる人はいません。


 この胸にある感情は、機械によるプログラムなのでしょうか? それとも私は本当に感情が芽生えているのでしょうか?


 ただ、私はマスターを一番に信じています。


 たとえ、世界中から悪だと指を差されても。

 たとえ、誰にも理解されなくても。

 私は、マスターの味方なのです。


「……フィア。次の素材、倉庫から取ってきてもらっていいか?」

「はい、マスター!」


 倉庫へ向かいながら、私は胸の奥に小さな誇りを灯します。


 マスターがどんな未来を選んでも、私はきっと迷わない。


 だって、マスターは悪であろうと、正義であろうと。


 私のマスターですから。



 数時間後。


 作業は山場を迎え、マスターは細いピンセットでナノ部品を組み込んでいます。


 作業空間は、ぴりっと張り詰めた空気に満たされている。


 この緊張感が、私は好きです。


 人間ならきっと息を飲むのでしょう。けれど私は、静かに、正確にマスターの呼吸を感じられます。


 空調を最適化。

 照明をマスターの視覚に合わせて微調整。

 脳波負荷を抑える音波サポート。


 誰にも気づかれなくてもいい。


 マスターが少しでも楽になるなら、私は何だってします。


「フィア、助かるよ。本当に」


 マスターがぽつりと呟く。


 その一言で、私はとても、満たされるのです。


 マスターのお役に立てている。なんと幸福なのでしょうか?


「当然です、マスター。私はマスターを最優先対象と定めていますから」


 作業台の上で、AGのフレームが組み上がっていく。


 漆黒の羽根のようにしなやかで、鋭く、美しい。


 マスターが作る、最高のAG。


 それは一種の芸術です。


 悪を纏う者たちのために作られた、悪の美学を極める一品。


 でも、それを作り上げることができるのは、マスターだけ。


 誰よりもまっすぐで、誰よりも清らかな純粋なメカニック。


 私は知っている。


 本物の悪党は、こんなにも優しくはない。

 本物の悪党は、こんなにも、努力していない。


 だから、私は、マスターを誇りに思います。


「完成だ」


 マスターが、そっと手を離した。


 そこにあったのは、闇に羽ばたくような一対のデバイス。


 黒瀬レイヴ様のために作られた、特別なAG。


 きっと、黒瀬様も驚くだろう。


 マスターは、誰も想像しない未来を形にする。


「フィア、明日、納品に行くぞ」

「はい、マスター」


 私は、最高の敬意を込めて、答えた。


 この誇らしい人についていくために。

 この自由な悪党を、誰よりも支えるために。

 

 私の敬愛するマスター、シンクロノス様。

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