第9話 わたくしの、家族の話
路地裏にひっそりと佇む喫茶ルミナリク。
ただ、月明かりで照らされたその店に繋がる扉には、今は静かに「CLOSED」の札がかけられている。
ぼんやりと電灯で照らされた薄暗い店内で、アルマはこくりと珈琲を飲み込んだ。そして彼は、正面に座る少女へまっすぐと視線を向ける。
「……んで、アンタが『自分の殺害』を依頼した理由ってのはなんなんだ?」
純蓮たちが人目を避けるようにこの店に来た理由は、その話をするためだった。アルマの問いかけに、純蓮は小さく目を伏せる。この理由を理解してもらう為にはどこから話すべきなのだろう。
「そう……、ですわね。それではまず、わたくしの家族についての話から始めたほうがよろしいでしょうか。……とはいえ、アルマさんならわたくしの家族のことなどもうご存じなのでしょう?」
純蓮の言葉に、アルマは、あぁとひとつ頷く。
「お嬢サマは……、
「……えぇ、それで間違いありませんわ」
アルマの調査結果に間違いがないことを、純蓮は頷き確かめる。殺し屋だというのに、純蓮に向かい苦しそうに言葉を絞り出すのだから、やはり彼は優しい人だ。
「そこまでわかっているのなら、話は早いかもしれませんわね」
彼に向かい、純蓮は微笑んだ。喉がやけに乾いて、純蓮は一口珈琲を含む。
苦い、苦い珈琲が、純蓮の喉にまとわりつくかのようだった。
「……お母様が亡くなってから、わたくしの家はまるで太陽を失ったかのように真っ暗になってしまったのです。そして……」
笑え。もう、純蓮に涙を流すことなど許されていないのだから。
「お母様を殺したのは、わたくしですの」
静かな罪の告白は、痛いほどに熱を持っていた。
◇◇◇
世間一般の家庭と比べると、純蓮は恵まれていたのだろう。
高祖父の代から続くイチノセ海運を経営している彼女の家は有り体にいうなら裕福であり、屋敷には純蓮たち家族の他にも執事長をはじめとする料理長や庭師などの使用人たちが住んでいた。
そして、そんな人々の中心にあったのは、紛れもなく純蓮の母である一之瀬陽乃の存在だった。
その名の通り、太陽のように眩しい彼女は一之瀬家の中心で、彼女の笑顔は陽だまりのように暖かかった。そして、そんな彼女は純蓮にとって愛すべき母であり、憧れの人でもあったのだ。
純蓮のことを全身全霊で愛してくれて、それでも間違ったことをしていれば心を鬼にして叱ってくれる、そんな母のことが純蓮は本当に大好きだった。
きっとそれは父も同じだったのだろう。純蓮は幼いころに聞いた治彦と陽乃の馴れ初めを今も鮮明に思い出すことが出来る。
「ふふ、お父様はね? わたしに告白するとき、告白するのを飛び越えて、プロポーズしてきちゃったのよ。そう言って薔薇の花束を差し出してきたときのお父様ったら、もう薔薇よりも赤いんじゃないかってくらい真っ赤になって震えてて……。
一之瀬家みたいな上流階級でわたしなんかがやっていけるのか、とかまだ付き合ってないから人柄もわからないのに、とか考えることはいっぱいあったはずなのにね。……ついね? 頷いちゃったの」
陽乃は、ふふとはにかむ。その笑みはまるで大輪の花のようだったのだ。
純蓮の知る治彦は、言葉数が少なくいつも眉間に皺が寄っているような人で、その光景は純蓮にはまったく想像もつかないものだった。
それでも、一之瀬家の跡取りとして厳しく育てられた治彦にとって天真爛漫な陽乃はかけがえのない存在だったのだろう、ということは想像に難くはなかった。
だって、純蓮は全部知っていたのだ。
仕事を終え遅くに帰ってきた治彦が、陽乃と純蓮がベッドで二人寝ている姿を愛おしそうに見つめていたことも。治彦が庭師に頼んで、陽乃の好きな花を庭に植えてもらっていたことも。本当は甘いものが好きではないのに、陽乃が好きだからとお茶の時間には甘い茶菓子を山ほど用意していることも。どれだけ仕事が忙しくても、二週間に一度は家族で過ごす時間を取っていることも。
全部、全部。全部全部知っていたのだ。
それなのに、
――そんな幸せな日常を壊してしまったのはわたくしでした。
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