頭蓋骨至上主義

電楽サロン

頭蓋骨至上主義

 私が人を殴り殺したいと思ったのは小学生の頃までさかのぼる。はじまりは地元の郷土館の展示だった。古代の人の生活を模した展示の中に、狩猟コーナーがあった。石を削って作った鏃、骨を尖らせた銛、その中で一際目を引くものがあった。

 棍棒だ。イチイを削り出して革を巻いた大人の腕くらいの長さの鈍器。私は一番に飛びついて棍棒を握った。

 その瞬間、稲妻に打たれたような衝撃を覚えた。当時は言葉にできなかったが今なら、言語化できる。

 人間の価値は、破壊した頭蓋骨の数で決まる。

 はじめて棍棒を握ったとき、確かに私はそう感じた。それを全うしなければ生きている価値なんてない。言い知れない焦燥感が心の奥底に棲みついた。

 早く殴りたい。一刻も早く頭にクリーンヒットさせたい。その気持ちが高じて、週明けの月曜日、掃除の時間に私はクラスの男子の頭にシュロ箒をフルスイングした。

 男子は泣いて先生にも見つかった。私の母まで呼び出されてこっぴどく叱られることになった。

「◯◯くんに何かされたの?」

 私は首を振る。

「◯◯くんは何も悪くないのに殴ったんだ」

 私がうなずくと、「あんた何考えてんの」と怒声が飛んできた。

 何も悪いことをしてない人を殴ってはいけないと、私はそこで学んだ。母が悲しそうな顔をしているのも辛かった。こんなことをする子じゃない、と顔に書いてあった。期待を裏切ることは存外に自分の心に傷をつけるものなのだと理解した。私の欲望は受け入れられない。それなら封印してしまうしかなかった。そう決心してもなお、頭を殴ったときの感覚は、残響のように手に残っていた。

 それからずっとずっと人を殴る欲望を飼い慣らそうとした。高校になって私は剣道部に入った。合法的に人の頭を殴れる部活はこれしかないからだ。それでも竹刀と棍棒では感覚は全く異なる。私は味のしないガムを噛み続けるように部活に臨んだ。当然、結果は振るわなかった。

 勉強にも力を入れた。私の欲望は誰にも許されない。それなら、褒められる人間になって、自分が他人の期待を裏切れない所まで行けばいいと思ったからだ。勉強は好きだった。やった分だけ自分に還元される。学期末テストで学年一位を取ったときは母が喜んでくれた。

 それでも、どうしようもなくなった時は、図書館で人体図鑑を見るようにしていた。人の頭部、頭蓋骨の奥に想像を巡らせる時間が、本当に私の生きている時間だった。分厚い骨を砕く音、中身をぶちまけた時の湯だった脳髄。小学生の頃のシュロ箒のあの瞬間を何倍にもした爽快感があるに決まってる。想像と記憶をツギハギにした夢を見るたびに全身が疼いた。その中でも一瞬、私はあと何年こうして自分を騙し続けられるのだろうと不安になった。

 胸に巣食った焦燥はいまだに残り続けていた。一分一秒、無為に過ごしているこの時間で砕けた頭蓋骨はいくつあっただろう。破壊できた頭蓋骨の数に思いを馳せると、自分の人生の無価値さに絶望した。だから、解決策に出会ったときは喜びに打ち震えた。

 バイト先で店長が自殺した。店長はトイレで首を吊っていた。

 私といえばやはり最初に思ったのは「残念」だった。最高のチャンスをみすみす逃した、もったいない気持ちが大きかった。

 店は閉まることになった。帰り際に、ほとんど話したことのないバイト仲間とスタバに寄った。

「店長、二年休んでなかったらしいよ。本社からもめっちゃ詰められてたみたい」

 確かに顔色も悪そうで、いつも元気がなかった。バイト仲間の子は続けた。

「あそこまでされたらさ……、会社が悪いよね……」

 会社が悪い。店長は悪いことをされて死ぬ羽目になったのだ。

 ──悪いことをされてないのに人を殴ってはいけない。

 私は小学生の頃、学んだ警句を思い出した。

「それだよ!」

 私の声が店内に響き渡った。

 バイト仲間の言葉は、私の呪いを解く鍵だったのだ。

 それから私はバイトを続けた。そして、休学して店長にまで上り詰めた。期待を裏切らないように生きてきた私は、相手が失望する行為も手に取るように分かった。二年間休まず、本部から詰められる日々を順調に再現できた。

 そして、今に至る。ビジネス街の一等地にそびえ立つ本社のビルに歩みを進める。

 私はいま被害者なのだ。劣悪な労働環境に置かれ、死まで望むようになった可哀想な存在だ。

 誰がみても悪いことをされた人間なのだ。

 これまで殴り潰せなかった頭蓋骨たちを思う。今こそ清算の時だ。

 私はリュックから棍棒を取り出す。イチイから記憶を頼りに手斧で削り出した自作の棍棒だ。

 入館許可証を尋ねる警備員の顔が青ざめた。私はグリップを握り込み、一気に踏み込んだ。腰を思いっきり捻ると、警備員のこめかみに体重の乗った棍棒がクリーンヒットした。

 めぢっ、と音を立てて目玉が飛び出した。赤黒い目のあった穴から視神経が垂れさがったまま、警備員は崩れ落ちた。

 やっぱり思った通り気持ちがいい!

 私はそのまま中に進んだ。何が起こったか分っていない受付の脳天に棍棒を振り下ろす。

「み゛っ」

 潰れたモルモットのような声を出した。暗めの茶色に染めた髪は、瞬く間に血に染まった。私はもう一度、振り下ろす。彼女がばたつくせいで今度は肩に当たってしまった。棍棒の当たる位置がズレてしまうのは面白くない。私は彼女の位置を何度か調整して、棍棒を振り下ろした。頭の形が理想的な「凹」になったのに満足してエレベーターを上がる。

 まず、私は最上階に上がった。下で騒ぎになるより、上から攻めた方がカウントが増やせると思った。

 会議室のドアを開ける。頭蓋骨が七つあった。スライドで何か説明している頭蓋骨が私を指差した。その時にはもう私は、手近な頭蓋骨にフルスイングしていた。眼鏡が吹き飛び、鼻から吹き出た赤黒い血が、テーブルの資料を汚した。さらに隣にいた頭蓋骨に振りかぶる。棍棒が下顎に当たって、喉に突き刺さった。ごぼごぼと血の泡を吹いて苦しそうに転がった。そこまでくると、他の頭蓋骨たちは我先にと、その場を離れようとした。

 人生で潰した頭蓋骨が四つなんて安い人間になってはいけない。私は追いすがり、ドアノブに手をかけた頭蓋骨の後頭部に棍棒を振り下ろした。髪の毛がべこりとへこんだ形は、小さい頃遊んだ校庭の小山を思い出した。

 逃げ場を失った頭蓋骨たちの反応はさまざまだ。土下座をする頭蓋骨。とにかく喚き散らす頭蓋骨。呆けたように失禁する頭蓋骨。掴みかかってくる頭蓋骨。

 私は、掴んでくる手を棍棒で打とうとした。けれど、身体は頭蓋骨しか狙っていなかった。思い返せば、剣道も面しか練習していなくて、それ以外は上達しなかった。

 柔らかい鼻柱を潰すのは心地よかった。続いて硬い額の骨を打った時に響く手の痺れは、私が待ち焦がれていた感触以上のものだった。

「YES!」

 私は快哉を叫んだ。棍棒から滴り落ちる血液は革のグリップとよく馴染んだ。殴れば殴るほど、棍棒は私の手に吸いついた。

 他の頭蓋骨も順々に砕いた。私を見る頭蓋骨たちは、得体の知れないものを見る目つきだった。やっぱり私の欲望は誰にも受け入れられないのだ。

 それでもいい。そのために店長の二の舞を演じたのだから。私は悪いことをされたんだ。それだったら、頭蓋骨を砕くくらい許されてもいいんじゃないか。

 そんな考えも棍棒を振り下ろすとどうでもよくなった。何よりも大事なのは、思いっきり頭蓋骨をぐちゃぐちゃにすることなんだ。

 私はエレベーターに乗り、次の階を押す。深呼吸を何度かした。荒くなった呼吸を整え、肩を回す。乾いた唇を舐めると、鉄の味がした。

 今のところ砕いた頭蓋骨は九つ。勉強と頭蓋骨を砕くのは一緒だ。やればやるほど達成感が増す。

「大台のせちゃうか……」

 エレベーターが開く。私は高揚感とまだ見ぬ自分の可能性を胸に秘めながら、棍棒のグリップを握りしめた。

【了】

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