宮廷魔術師、スルタンより難題を賜る

@AiueOkaki_VT

宮廷魔術師、スルタンより難題を賜る

「あり得ざるもの……嵐の如き茫漠さよ」


 身震いする宮廷魔術師は祈るように呪詛を吐く。よもやスルタンによって久遠の安寧を約されたアララビット王国に滅亡的災厄が訪れようとは、誰に取っても根耳に水の話だった。恐慌に陥った民どもは我先にと出奔を企てるも、それを冷たきスルタンが許す筈もなく、見せしめとして幾人の脱走犯が赤き薔薇として大地へ咲き誇った。何処にも逃げ場はない。彼らアララビットの民は、災厄に吞まれるか、スルタンのお気に召す「芸術」に彩られるか――。

 破滅しかない閉塞感に血が凍る思いをしながら、宮廷魔術師は恐る恐る大窓から外を眺める。本来ならば地平線まで続く果てしなき砂漠が見える筈だった。しかし目前に広がるのは白き象皮の如く皺が刻まれた硬い「何か」。その一面の壁としてそそり立つ物体から、ミシミシと軋む音がしたことで宮廷魔術師は悲鳴を上げながら蹲る。

「倒れるでない」

 切実な声色だった。

「此方に倒れるでない」

 滅亡的災厄――アララビット王国の隣で一夜にして成長した「世界樹のヤシ」は、何も答えることなくユラユラと風に靡いていた。




 この星がまだ幼き頃、原初の巨人と竜の時代において、生きとし生けるものは天へ届く体躯を有していたと謳われる。それは植物たりとて例外ではなく、例えば当時の赤腐花ラフレシアは一つの大陸として南海に座していた。

 所謂「世界樹」とは大地に眠る古代の種が、一足遅れて発芽したものを指す。この幻想と狂気が跋扈する世においても、それは類稀な存在だ。人類生存圏から遠く離れた土地に現れ、存在を認知されたとしても、少数部族から畏怖と敬意を以て崇められるに留まる。

 だが数学とは面白いもので、運命の女神が嘲笑と共に奇跡的確率を齎すこともある。このように「世界樹のヤシ」が何の理由も必然もなくアララビット王国の目と鼻の先に現れてしまったのも、不運としか言いようがない。

『もしこの大木がへし折れてアララビット王国を直撃したら?』

『そうでなくとも倒れた衝撃で大地は波打つように引き裂かれるのでは?』

 宮廷魔術師を「杞憂の腰巾着」と揶揄する民草も、流石に今回ばかりは彼と同じ心境で死を覚悟する。かと言えスルタンの意に背き、国を脱することも叶わない。出口のないジレンマに彼らは嘆くことしかできなかった。

 そんな折、宮廷魔術師がスルタンより「世界樹の排除」を命じられたと、民草は耳にする。まるで掌を返すように、常日頃から見下していた相手へ、彼らは藁にも縋る思いで祈請する。


「ああ、我らが宮廷魔術師、聡明なる英雄よ!」

「スルタンの威光を背負いて、呪わしきものを焼き尽くし給え!」


「無理に決まっておろう」とは口が裂けても言えなかった。

 スルタンからの指令、民草からの賛美、それらは身の丈に合わぬ期待に相違ない。しかし肝の小さな宮廷魔術師は、引き攣った笑みで機械人形が如く頷きをするのみ。

先程の恐怖体験――スルタンより難題を賜りし招致が、幾度となく脳裡を反響するが故。


「朕の所望は分かるな宮廷魔術師よ」

「そう萎縮するな、我が忠実なる臣下よ。博雅のそなたらしくもない」

「かの世界樹を取り除くなど、そなたにとって児戯に等しく」

「ならばこそ三日で伐ってみせよ」

「庶務であるからと、怠惰に無精をしてみるがよい」

「さすれば、そなたは青き薔薇として大地に咲き誇るであろう」


 死すらも凌駕する極刑宣言。その場に宮廷魔術師は卒倒し、気付けば自らの研究室へ運ばれていた。そして日も落ちようとする現在に至る。

「どうすればいいのだ私は」

 ともあれ端緒を探すべく資料に当たる。ふと気付けば机には見覚えのない砂時計が置かれていた。白砂は市販品よりも、ゆっくり、ゆっくりと下部へ積もっていく。この調子ならば、全ての砂が落ちるまで数日……「三日」は掛かることだろう。

 それが意味することに気付いた宮廷魔術師は眩暈と共に気絶し、ついぞ一日目は何も為すことなく終わろうとしていた。




 結論から述べるなら、三日目の終わりに至るまで、世界樹を排する全ての試みは失敗した。

 一つ。上級錬金学の視点から創造する「除草剤」。世界樹の根は全ての化学物質を栄養素として吸収した。

 二つ。偉大なる北の三賢者が導きし術式「次元転移法」。鏡のように反射した魔術は三賢者を遠い宇宙へと消し飛ばした。

 三つ。アララビット王国が有し禁忌の至宝「願いのランプ」。呼び出された魔神は宮廷魔術師の願望を読み取ると絶望し、ランプに引き篭もり二度と姿を見せなかった。

 徒に時間と資源が浪費され、精魂尽き果てた宮廷魔術師は、最期の時を我が家で過ごすことに決めた。とはいえ、間もなく自分がスルタンに処される運命にあることは、愛する家族に伝えられなかった。帰宅後、心配そうに宮廷魔術師の母が語り掛ける。

「我が子、心優しきもの。唇の渇きが、疲れを表しておる」

「お前の帰りは本当に久しく。父も、母も、嬉しく思います」

「寛ぎなさい。此処がお前の居るべき場所」

 宮廷魔術師にとってその優しさは嬉しかったが、同時に心苦しくもあり、せっかく用意された手料理の一つも口を付けられなかった。

「お前は胃の細い子だったね。どれ、内臓に『強靭』の術式を掛けてやろう」

「無理はしないで欲しいが、やはり森羅万象、食べるものを食べなければ、力すら入らない」

「さて、術式が効いてきただろう、たんとお食べ」

 その言葉を耳にした宮廷魔術師は、何か引っかかりを覚える。「母は途轍もなく重要な『真理』を口にしたように思う」と冷静に反芻すると同時に、スルタンの兵どもが宮廷魔術師を捕らえに押しかけてきた――




 玉座前に引っ立てられた宮廷魔術師へ、スルタンは静かに語り掛ける。

「言い残すことはあるか」

 死の宣告に対し、意外なことに宮廷魔術師は冷静に職務を全うする。

「遅ればせながらスルタンよ。世界樹へどう対処すべきか、その解が分かり申した」

 スルタンは「ほう」と頷き、次の言葉を促す。

「我らは世界樹の排除に頭を悩ませ、幾つもの失敗を経験しました」

「しかし、その試行錯誤で得られた情報はあったのです」

「魔神を発狂させる存在価、秘術すらも跳ね返す堅牢さ、あらゆる化学物質を栄養として取り入れる柔軟さ」

「――我らが為すべきは『世界樹の排除』ではなく『世界樹の維持』にあるのでは?」

「この古代の樹を、アララビット王国の新たなる防壁として利用し、そして偉大なるスルタンの象徴として機能させましょう」

「我ら人類が為せる全力を以てすら『世界樹』が倒れ落つことはあり得ぬのですから、むしろこれは他国への牽制として役立つのです」

「ならばこそ、これより我らが為すべきことは、これまで不要と切り捨てた物質を世界樹に捧げ、かの存在に不足した栄養を補給させることにあります」

「『森羅万象、食べるものを食べなければ、力すら入らない』のですから」

 宮廷魔術師らしくもない、明瞭に紡がれた言葉だった。スルタンは満足そうに恩赦を与え、その提案を採用した。




 歴史は巡り、スルタンが何代も変わり、宮廷魔術師が何代も変わり、王国そのものも変わろうとも、結局のところ世界樹は倒壊することなく其処に在り続けた。

 宮廷魔術師の推測は正しかったと、何人もの歴史学者が肯定している。今も定期的に豊富な栄養が注ぎ込まれる形で、世界樹の存在は維持されている。

 かの宮廷魔術師は寿命を迎えるまで、ほぼ平和な人生を最後まで歩み続けたと、幾多もの文章に記されている。

 何故「ほぼ」の表現を用いたかと言えば――成熟した「世界樹のヤシ」が「巨大果実」を実らせ、あわや落下の危機に陥ったとき、宮廷魔術師はスルタンより「二度目の難題」を賜ったからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宮廷魔術師、スルタンより難題を賜る @AiueOkaki_VT

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ