誤認
Ⅰ
ニルが着替えを終えて更衣室を出ると、ちょうどロニーが出勤してきたところだった。癖毛の金髪をキャップにしまい、パステルグリーンのパーカーに白っぽいジーンズを履いた姿は、ティーンエイジャーにも見える。彼はキャップと私物をロッカーに押し込んでいた。
「おはよう」
「はよ。始末書終わったの? 昨日までじゃなかったっけ」
「この間のドルトムントの件も含めて、昨日提出した」
ブレーメンまで事情聴取と容疑者の家宅捜索を終え、帰り際にドルトムントで指名手配犯たちを確保した日から約一週間。山のように溜まった提出書類を他の業務の合間で片付け、始末書に着手できたのは昨日の夕方のことである。時間が足りなかったので、雛形を複製して該当箇所に加筆修正を行って提出した。手抜きと気づかれないことを祈るしかない。
日次の捜査報告も事件の経過報告も、それこそ始末書も、多くは車や電車での移動記録や携帯端末の使用履歴・捜査資料から書き起こせば終わる。だが、それらの記録を抽出して一つのファイルにまとめる作業が非常に煩雑で面倒なのだ。一つのアプリケーションで一元管理してほしいと思うが、どのアプリケーションも開発元が違うので難しい。
ニルも着てきた私服を畳んでロッカーに仕舞う。そして、取り出したタブレット端末を起動させた。通知が複数入っており、詳細を表示しては、重要ではない項目はスワイプして通知を消す。
「ロニーの方は? 昨日も立て籠もり事件の人質と会いに行っていたみたいだけれど」
第三機動隊のスケジュールを確認すると、ロニーは頻繁に被害者のアンドロイドと顔を合わせているらしかった。
ロニーが活動服を引っ張り出すと、押し込んだはずのキャップが飛び出す。拾い上げて渡してやると、浮かない顔のまま、指を引っ掛けて回し始めた。ロニーは考え込むと作業が止まりがちだ。
「クリスティーナさんね。――うーん、事件の聴取は最初のうちに終わったんだけど。やっぱり被害に遭ったトラウマなのかな、最近様子が変なんだよね」
「どのあたりが?」
「ボクと喋ってても、急に黙り込んだり、ぼうっとしていたり。心ここにあらずって言うのかな。急に不機嫌になったりもするし、あんまり眠れてないみたいだし。そういう状態なのもあって入院が長引いてるみたい」
アンドロイドの不眠は、充電効率が極端に落ちるので人間以上に注意を要する症状である。電子機器を充電しながら使用するとバッテリーに負荷がかかるのと同じである。完全な充電ができず、機体の寿命も短くなる。
「事件の聴取が終わっているのなら、手を引いたらいいのでは。警察関係者が顔を出していたら、休めないでしょう」
「そのつもり。心配ではあるけど、今度カウンセリングの案内をしたら、ボクの仕事はおしまいかな」
ロニーは荷物を仕舞うと、更衣室に向かっていく。ニルが出てきた更衣室の隣が男性更衣室である。女性更衣室と同じ造りなら、その中で更に人間とアンドロイドで区切られているはずだ。
彼が更衣室へ消えたのを見届けると、ニルはタブレット端末に目を落とす。
メールやスケジュールの通知のほかに、捜査報告書が第三機動隊宛てに共有されていた。送信者はドルトムントを管轄する警察署からだ。内容は、取り調べの進捗報告である。すでに第三機動隊の手は離れた案件だが、ニルは念のためにと報告書にざっと目を通す。
クリフ――これも偽名だが、本名は黙秘している――の証言によると、ドルトムントで起きた二件の強盗殺人事件は、バーで偶然知り合った男のアンドロイドから楽に金を稼ぐ手段を提案されたことが発端であった。男は知人のアンドロイドが後ろめたい手段で金銭を得ていることを知り、警察に突き出さない代わりに金銭を要求――つまり恐喝することを画策していた。その共犯者として選ばれたのがクリフである。金に困っていたクリフは、分け前を半分貰う条件で男に協力した。男は「アンドレ・スミス」と名乗っていたが、おそらく偽名であり、クリフも男の素性を知らなかった。
三月の一件目の事件も、五月の二件目の事件も、実行犯はアンドレの方だった。クリフは逃走車の確保や、当日の移動、潜伏先の提供などを任されていた。自分たちがこれから行うことは犯罪である。クリフも当然ながらその認識はあった。そのため、車は都度盗み、潜伏先にはクリフの住むアパートを使った。アパートは今年の六月に解約されている。
もし監視カメラの情報や今回の逮捕がなければ、警察は単独犯としてクリフを指名手配していただろう。アンドレが罪を擦り付けようとしていた可能性が高い。
クリフは、少なくとも一件目の事件の被害者とアンドレは顔見知りでないかと証言した。クリフの仕事は当日の逃走車の確保と移動であったため、車から降りることはなかったが、一件目の被害者とは激しい口論になっていたように見えた。脅すために必要だと言われて貸したナイフを突きつけ、アンドレは瞼を開き興奮した様子で何事かを喚くと、被害者の胸にナイフを突き刺した。クリフが絶句しているうちに、アンドレは車に戻ってきた。奪い取った金品と循環液に塗れたナイフを手にし、達成感に満ち溢れているアンドレを見て、クリフは逃亡と出頭を考えた。だが、突き出された現金を目にし、犯罪となる覚悟を決めた。すでに知人や、金融から金を借りていることもあり、送迎だけで大金にありつけることは非常に魅力的であった。アンドレは「これは自分の物だ」と言い、貴重品などを自分の取り分とした。
二件目でも、アンドレが何事かを言い、抵抗しようとした被害者をナイフで刺し、金品を奪った。財布や時計は現場に残してしまったが、携帯端末を盗めたため、不正アクセスを行い、電子マネーや仮想通過を窃取した。端末のロックは、まだ息のある被害者を使い、生体認証――アンドロイドが使える生体認証が何なのか、クリフは知らないが――を使って解除した。クリフはロックが解除された端末を操作するだけで良かった。
二人が国外逃亡を決めたのは、二件目の事件を起こしてすぐのことである。二人の姿が監視カメラに記録され、静止画を引き伸ばした画像が指名手配書としてドルトムントに出回ったのである。クリフはすぐにドルトムントから、否、ドイツからの逃亡を考えた。アンドレは渋ったが、クリフが彼を急かして国外逃亡の計画を練った。計画と言っても杜撰なもので、出入国審査のない国に逃げ、そのまま不法に滞在するだけの、捻りのないものである。
そして、クリフはいくつかの書類を金に物を言わせて偽造し、アンドレの方は髭を付け足して変装し、人間の兄弟という体でドルトムント空港からドイツを発とうとした。結果は、知っての通りである。
以上が、クリフから得られた証言である。
警察は、金銭トラブルを抱えたアンドレが起こした、怨恨の殺人であると見て、捜査を進めている。最近になって、一件目と二件目の被害者は、インターネット上で数回ほどやり取りがあったことが判明したのだ。
逮捕時に気を失っていたアンドレは、翌日には意識を取り戻した。だが、供述は曖昧で言葉を濁すことが多く、取り調べは難航しているらしい。特に、昨日の取り調べでは、完全に沈黙し言葉を発することすらなかったという。とはいえ、本人を逮捕できたのだから、真相が明らかになるのは時間の問題だろう。
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