2. alte Wunde

Fragment Ⅰ

 わたしにはきょうだいがいた。優しくて頭が良くて、かわいいおとうとだった。

 わたしの両親は大きな会社を持っていて、何不自由ない裕福な暮らしをしていた。

 高層の建物の上階に住み、食事は家政婦かロボットが作ったものを与えられていた。学校の勉強は苦手だったけれど、家庭教師のアンドロイドが丁寧に教えてくれたし、頭の良いおとうとと一緒に勉強をしたこともあった。

 おとうとは生まれつき体が弱く、外に出ることはなかなかできなかった。けれども、その分を補うようにたくさんの知識を持っていた。おうとうとはわたしが知らないことでも知っていて、わたしがわからないと言うと、にこにこした顔で、得意げに教えてくれた。だから、わたしは家に帰ったらまずおとうとの部屋に向かい、わたしが帰ってくるのを見るなり花がほころぶように笑うおとうとの顔を眺めた。そして、学校は楽しかった? と問いかける、蜂蜜の飴のように優しく柔らかなおとうとの声を聴いていた。

 わたしの世界の真ん中には、いつもおとうとがいた。

 両親はいつも仕事で忙しく、家にいることは少なかった。会社は自宅と同じ建物の中にあるらしいのに、父の顔を見たのは年に数回くらいだった。母とは週に四回は顔を合わせ、一緒に夕食を摂っていたけれど、どうしてか母はおとうとを疎ましく思い遠ざけていたから、わたしとも距離ができていた。

 母はおとうとの部屋に足を踏み入れることはなく、食事や必要なものは家政婦を使って届けるようにしていた。どうしてか理由を尋ねても、おとうとの話はいいからと、切り上げられていた。おとうとの方も、何かに遠慮して、母にかわいがってもらえないことを受け入れていた。そのかなしそうな顔を見るたびにわたしは胸が詰まる思いだった。

 だから余計におとうとを大事にしなくてはならないと感じていた。


 ――だというのに。


 最も強く印象に残っているのは、真っ赤に燃える世界だった。


 そして、その炎の記憶の隙間で、いつも幾つかの記憶が花火のように弾けていく。

 無表情でわたしの手を引く母の姿。

 火に包まれて藻掻く人と、溶けていくアンドロイド。

 独りで苦しそうな顔を浮かべるおとうと。


『いいよ、行って。――は、逃げなくちゃ。だって』


 声が震えていたことは覚えている。瞳が潤んでいたのも覚えている。だというのに、あの言葉の先だけが、焼き切れたように無くなっている。


 次に目を覚ましたときには独りだった。わたしはすぐに察した。


 大好きだったのに。大事にしなくてはならなかったのに。わたしは。


 あの子を、置いてきてしまったのだ。

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