Ⅹ
緊急車両用に改造された全自動運転車は、公道を走行する他の車両を追跡することが可能だ。原理としてはGPSもしくは監視カメラ映像によるナンバーの自動検出を利用する。GPSは主に仲間の車両の位置の特定や、行方不明者の捜索で活躍する。二百年以上前に開発された技術だが、携帯端末やヘッドフォンなど、通信機器であれば何にでも搭載できるため今でも重宝されている。ただし、どの端末を追跡するのかがわからなければ使用できない。
そして、もう一つの追跡方法が、監視カメラ映像から車両のナンバーを読み取り、位置情報を割り出す方法である。車両ナンバーの特定技術は昔から有料駐車場で入出庫の管理に利用されていたが、近年は道路上の監視カメラにも搭載され、カメラに記録されたナンバーは、常に警察や警備会社が使うネットワークに送信されている。これにより、車がどこを走行しているのか、大体の位置をリアルタイムで情報を得ることができるのだ。
全自動運転車は、アウトバーンを降りて一般道を走行していた。ドルトムント空港を通過し、エムシャータール通りから市街へと入っていく。
未だ車両の位置の特定には至っていない。車載端末の画面には白いサークルが表示され、サークル上を薄い青の丸いオブジェクトが走っている。トンネルや地下駐車場であっても、ここまで検索に時間がかかることはない。嫌な予感がする。
案の定、画面にはエラーが表示された。当該ナンバーの車両は、直近一時間で公道に設置された監視カメラに映らなかったか、私有地に停車しているか、この車両の追跡可能な位置にいなかったということになる。搭載された追跡機能は直線三〇〇キロの位置までを追跡可能な位置と判断する。
現在時刻は八時二八分。車で逃走した時刻は八時一〇分頃。アウトバーンに向かったのなら既にドルトムントにはいないだろう。しかし、アウトバーンには定点カメラがあり、警察のネットワークにも常時接続されている。大規模停電でもない限り、どこにいても検索で引っかかるはずである。念のため携帯端末の方でネットワーク障害や停電の情報を調べるが、特に目立った障害はない。
「どういうこと……?」
全自動運転車はナンバーの検索を終了し、主要道路を宛てもなく走り続けている。画面には目的地の候補として、直近で設定した目的地と、周辺の商業施設が表示されていた。このまま選択しなければ適当な位置で路肩に停車するだろう。手動運転をするには、カードリーダーにライセンスを差し込まなければならない。
「車両、見つかりませんね」
ミヒャエルが外の様子を見ながら呟いた。彼はアウトバーンを降りたときからきょろきょろと外を観察していた。センター分けの長い前髪が、彼の頬の傍で揺れている。
「どんな車なんですか?」
「ドイツ製のクロスカントリーで色は黒。――これよ」
データを転送するのも煩わしいので携帯端末に表示させたデータを見せる。ミヒャエルの目が画面に固定される。
有名なドイツ車のクロスカントリーである。全自動運転も可能な種類で、形も色も一般的だが、少々値が張る。指名手配犯たちの経歴は不明だが、手配写真の通りの若者であれば、とても手が出せるような値段ではない。盗難車の可能性は考慮すべきだろう。
「なるほど。見つけやすそうですね」
資料を上から下まで眺め終わると、すぐに視線を市街地に向けた。精巧な灰褐色の瞳は忙しなく往来を追いかける。まさか、目視で見つけるつもりだろうか。
携帯端末を再び確認すると、追加の情報が転送されてきた。ナンバー照会の結果、所有者と連絡が付き、逃走車両は一昨日から盗難届が出されていた盗難車だと判明した。
「逃走している車はドルトムントで盗まれたもの。だとしたら、もう乗り捨てて、徒歩で逃走しているか、新たに車を盗んだか。それなら検索で出て来ないのも頷ける」
「顔がばれているのに、車で逃げないというのも考えにくいですよね。でも、警察はドルトムント内を警戒しているはず。新たな盗難が発生したら、すぐに場所が知られてしまうのでは?」
遂に車が路肩に停車した。急減速した車に、背後からクラクションが鳴らされる。完全に停車した全自動運転車の横を数台の車が通り過ぎる。白と紺と灰。どれも逃走車ではなかった。
サイドウィンドウから往来を眺め、ニルは唇を噛んだ。こうしている間にも犯人たちは警察の包囲網から遠ざかっているかもしれない。
新たな連絡が入った。他の警察車両も、指令室も、ニルたち同様に該当ナンバーの車を捕捉できなかったらしい。
「潜伏先が近くにあるのなら、そこに隠れた可能性はある、か……いや」
だとしても、乗り捨てられた車両は見つかるはずである。ニルは低く呻いた。
対して、ミヒャエルはのんびりした様子だった。噂話や世間話をする学生のような、間延びした口調で言う。
「ん~。僕は、まだ車で逃げていると思いますけど」
「どうしてそう言い切れるの?」
「自分の姿をカメラに記録されないためですよ。監視カメラに犯行が記録されてしまったということは、顔も体格も、歩き方も、すべて警察に知られているわけです。――ほら、あそこにも、あっちにも」
目の前に彼の腕が横切り、細く白い指先がサイドウィンドウの先を指し示す。道路標識の横、信号機の上部、あるいは通りに面した建物の壁面。球体であったり、小さいボックス型であったり、形状は様々だが、カメラが無数に設置されているのがわかる。
テノールボイスが低く、深くなる。
「監視カメラがたくさん。とても避けては通れませんよね? あとで調べられたら、潜伏先も見つかってしまう。そうしたら、もう逃げ場はありません」
こんなに設置されているのか。気にも留めていなかったが、こうして見ると一挙一動が見張られているように思えてくる。ニルは思わずフードを被り直した。犯人も、同じようにカメラを警戒しているわけだ。
「それに。話を聞いた感じだと、彼らは国外に向かう予定だったんですよね。それって、逃亡のためじゃありませんか?」
「国外逃亡を計画していたのなら、根城はすでに引き払った後かもしれないってことね」
「その通りです! さすがニル!」
「――近い、近いから!」
既に髪が頬にかかるほどの距離にいたのだが、興奮したらしいミヒャエルはそのまま抱き着いてきた。咄嗟に右腕に力が入ったが、理性で抑える。左腕で肩を押しのけると、すぐに彼は引っ込んだ。香水も何もつけていないらしく、人工毛髪の油のにおいがする。人間ならしないにおいだ。
「ふふ、すみません」
ミヒャエルは頬を掻いて笑っていた。
じゃれついてくる大型犬みたいだ。物腰は柔らかく口調も丁寧だが、急にこんな風に子供っぽい仕草をする。存外、こちらが素なのかもしれない。
ニルは気を取り直して続けた。
「じゃあ。あなたは今も盗難車でドルトムント内を走行していると考えているわけね」
「はい」
「でも、検索には引っかからなかった。あなたの言うように、道路には大量の監視カメラが設置されていて、警察のネットワークはその多くを確認することができる」
ニルの返答に、ミヒャエルの瞳に力が入ったように見えた。
先の子供っぽさがスイッチを切り替えたように鳴りを潜め、アンドロイドらしい美しく整えられた無機質さが目立つ。昨日、彼がノイスヘルツ社製のアンドロイドだと聞いたときと同じ、虫が這うような心地がした。彼の顔貌は、無表情になると途端に人間味を失って見える。
「警察が導入しているナンバー検索システムは、車両の前後に取り付けられたナンバープレートをカメラの映像を解析することでナンバーを識別し、他の監視カメラの映像と繋ぎ合わせることで、走行している位置を割り出すものです」
「その通りよ」
「ですが、車種を特定しているわけでもなければ、色の判別まで行っているわけではない」
車種や色の判別ができるような、高性能なシステムもあるにはある。だが、普及率は低く、大都市か主要なアウトバーン、もしくはノイスヘルツ・トゥルム炎上事件で警戒されているハンブルクにしか設置されていないのだ。
ニルの中で、ぽつりとある考えが浮かぶ。おそらく、ミヒャエルが考えているものと同じだ。
「だから、物陰に隠れて監視カメラがナンバーを認識できなければ、位置を割り出すことはできない」
「いいえ、たとえ幾つかの監視カメラでナンバーが認識に失敗したとしても、精度が落ちるだけで大体の車両の位置は特定できる、はず――」
脳裏に膨らんだ仮説に、声が力を失った。ニルの視線が車内を彷徨う。
「もしも、市街地すべての監視カメラから車両ナンバーを隠しおおせることができたなら。ナンバー検索システムは、車両の位置を検出することができない。ですよね?」
小首を傾げてミヒャエルが問いかけてくる。
微笑が付与された最後の表情だけは、人間味のある青年の顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます