最後にペーターとクララの連絡先を聞き、聴取は終了した。二人は店先まで見送ってくれた。

「あの」

 別れ際、ペーターがミヒャエルを呼び止めた。

「連絡くれた警察の人にも聞いたことなんですが。やっぱり捕まったのは、うちのヨナスなんですか。どうしても、そうとは思えなくて」

 頭を撫でまわし、落ち着きがない。分厚い瞼の奥で、薄い色の瞳が縋るようにこちらを見ていた。

「声のデータが一致したって言いますけど、E・シュタイナーの男だったら、みんな似たような声になりませんか。ヨナスって名前も珍しくもないし。同姓同名の他人なんじゃないですか。彼は、ニュースを見て、『人とかアンドロイドとか、そんなことで争いたくない』って言って」

「最初に写真もお見せしました。彼はヨナス・E・シュタイナーだと、あなた方に確認は取ったはずです」

 ニルは、ここに来て初めて口を開いた。ペーターもクララも虚を突かれたような顔をしている。

「でも、似たような顔の奴だって、きっと……」

機体改造リ・サイボーグされていないのなら――」

 説明しようとして、自分の着ている活動服に付いている「H人間」のバッジが目に入る。この説明をすれば人間のペーターは納得するかもしれないが、後ろのクララは憤慨するだろう。やはり、事情聴取は苦手だ。心情を慮るよりも事務的な話だけをしている方が簡単だ。

「ペーターさん」

 ミヒャエルがニルとペーターの間に入る。

「人違いであってほしい、というお気持ちはよくわかります。

 でも、僕たちアンドロイドの顔や体格は、今は人と同じく十人十色。まったく同じ姿形で生まれることはありません。声も同様です。もちろん、人に比べれば、少し似ているくらいの人はたくさんいるかもしれませんけど、見間違うほどではないです。

 もう僕らは工業製品ではなく、あなた人間と同じ、一人ひとり違う心と体を持っているのですから。

 彼がどうしてこんなことをしなければならなかったのか、その切欠は何なのか。それは僕らが責任を持って捜査します。だから、あなた方は、信じていてください。あなた方と過ごした、ヨナスさんのことを」

 諭す声はまるで子供を寝かしつけるときのように優しかった。傾きかけた日差しが、ミヒャエルの暗い赤毛を照らす。枝毛の一本もない、ぴっちりした三つ編みだけが、彼を構成するものの無機質さを物語っていた。

 ニルは右手で活動服のフードを被る。義手は、触覚こそ生身の人間と遜色ない精度だが、温度感覚は鈍い。太陽の熱は届かない。彼の皮膚は、太陽を知っているだろうか。

 これでは、どちらが機械かわからない。

 二人を励ますミヒャエルを見て、自嘲した。


 端末を確認すると、隊長からホテルの予約番号が送られてきていた。

 時刻は午後三時を過ぎている。まだ家宅捜索が残っている。捜査が終わったら今日はこちらに泊まることになるだろう。宿のことまでは頭が回ってなかった。エリカはそれを見越していたのだろう。他の業務もあるだろうに、視野が広い。

 ニルと並んで歩いていたミヒャエルは、太陽の光に眩しそうに目を細めている。ひと仕事終えた清々しい表情に、声をかける。

「事情聴取、上手だった」

「そうでした?」

「人に合わせて、言葉を選び、信頼を得る。信頼が得られなければ、証言を得られないこともあるから、円滑なコミュニケーションと必要なことを聞き出す能力が求められる。人でもアンドロイドでも、苦戦する人はいる。初めてにしては、優秀すぎるくらいだった」

「そんなに褒めていただけるなんて。嬉しいです。長生きするものですね」

「長生き……そういえば、十一年って言っていたわね」

 人間が社会に出て問題なく暮らしていくには、遅くとも二十年はかかる。アンドロイドは早いと一年もしないうちに社会に出るのだから、その成長速度は凄まじい。人間の仕事が奪われると騒いでいたのは百年も前のことだが、完全な労働力の代替を果たそうとしていた当時なら、この成長速度は確かに人を脅かしただろう。現代では、もはや人そのものになっている訳だが。

「大学に入る前は、具体的には何を? それに、どうして今更大学に入ろうと思ったの」

「大学に入る前は、アルバイトをしたり、各地を転々として観光してみたり、ですかね。大学は、何かを専門的にちゃんと学んだことはないなって思ったので、興味本位で。最初は大変でしたよ、学費とか」

「後見人は?」

「僕はノイスヘルツ社製なので、政府の管理下で教育期間を過ごしました」

 帰ったら彼の経歴書を確認しなければと思っていたのだが、それが本当なら人機総合警備部に入るのは難しくないだろう。アンドロイド本人に犯罪歴がないのに警察機関に配属できない理由の一つは後見人の経歴にある。後見人が政府なら、試験を一つパスしたようなものだ。彼の話が本当なら、だが。

 ニルの内心には気づかず、ミヒャエルは懐かしそうに当時を語った。

「転々としてたのは、それも関係してるんですかね。生まれ製造元のこともあったので、当時の都会はなんだか肩身が狭くて。教育期間が終わったらすぐにハンブルクを出て地方に住みました。あ、僕、ハンブルク生まれ製造なんです、いちおう」

 ひらひらと手を振って、ミヒャエルは誤魔化すように笑う。探りを入れたのは自分の方だというのに、ニルの方が後ろめたくなった。周りがニルのような人ばかりでは、肩身が狭かっただろう。教育期間の間も監視されて、社会に出たら出たで偏見を向けられ、居心地が悪かったに違いない。

「ノイスヘルツを、恨んでいる?」

 ミヒャエルがニルの方を向く。一拍の間を置いて、彼は答えた。表情は沈んでいたが、声は穏やかだった。

「恨んではないです。どちらかと言うと、悲しい、ですかね」

「悲しい?」

「だって、何もなければ、僕たちは、もっと平和に暮らしていたでしょう。何も、複雑なことを考えることもなく。ごく、普通に」

 ニルの足が止まる。急な制止に、義足が軋む音がする。脳裏に、赤い色がちらついた。

 ノイエ・メンスハイトが存在しなければ、ノイスヘルツ・トゥルム炎上事件がなければ、事件の切欠がなければ――平和に暮らしていけたのだろうか。

「ニルは、恨んでいるんですか?」

 顔を上げると、目の前にミヒャエルが立っていた。寂しそうで、不安げな表情。

 灰褐色の瞳と視線が合わさる前に、彼の横を通り過ぎた。陽に照らされたそれは燃えているようにも見えて、気味が悪い。

「――当然」

 喉の奥が痛む。黙っていれば良かった。まだ仕事が残っている。ニルは歩く速度を上げた。

「ヨナスの自宅に向かう。大家は、ヨナスの家の近くに住んでる」

「了解しました。頑張りましょう、ニル!」

 うきうきした様子で付いてくる。複雑な思いはするが、それを鬱陶しいとは思わなかった。

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