Ⅴ
到着予想時刻をきっちりと守り、全自動運転車はブレーメンに入った。何度も修繕を重ねた、中世から続く古い街並みが二人を出迎えた。
警察署の駐車場に車を停める。駆け寄ってきた守衛に端末の画面に映る駐車許可証を見せれば、すぐに引き下がった。
活動服のフードを深く被り、薄い青のサングラスをかける。本当はカラーコンタクトレンズを付けたいところだが、随分と昔に渡されたそれはロッカーの奥に仕舞い込んだまま使用期限が来てしまっていた。
「ニルは太陽が苦手なんですね」
「違う。……書類を提出して、昼を摂ってから捜査を始める。聞き込みは任せるわ」
「え、僕がやってしまってもいいんでしょうか」
「聞くだけなら誰でもいい。被疑者が本当にそこに勤務していたか、居住していたか。直近の様子や、印象、人となりを聞ければそれでいい。相手に好きなように話させるだけでも十分。録音するから、相手が嘘をついていても後で精査できる」
「でも、入ってきたばかりの僕よりも、ニルの方が適切な捜査ができるのでは」
「私は苦手。だから任せる」
まるで雑用を押し付けているみたいだ。フード越しにミヒャエルの顔色を窺うと、ぱちくりと瞼を瞬かせ、目が合うと破顔した。
「わかりました。お役に立てるよう、精いっぱい頑張りますね!」
「……頼んだわ」
踵を返し警察署を目指すニルの背後で、「はい!」と元気な声がした。素直すぎると思った。それとも、そういう振りなのだろうか。相手の言動にいちいち裏がないか考えてしまうのは、職業病である。
しかし、これでニルが表に出ずとも捜査が進められる。自分は影でいい。
ヨナスがニルを捉えたときの表情を思い出す。明らかにいち警察官を前にした顔ではなかった。何かを見つけたときの表情だった。
警察署から紙面化された捜査許可証を貰い、車を置いて街に繰り出す。ブレーメンは狭い道が多く、車が通行できない場所も多数ある。路面電車やバスはあるものの、ここからは足が頼りだ。
道中で見つけた喫茶店で軽食を摂り――アンドロイドも飲食は可能だ――目的地を目指す。
ヨナス・E・シュタイナーが勤務していたのは複合商業施設の中にある家電量販店である。配布された経歴書には、教育期間が終了してからずっと同じ店で勤務していたことが書かれている。先月にノイエ・メンスハイトのメンバーとしてマークされるまでの彼の経歴は、あまりに素っ気ない、極々普通のアンドロイドのものだった。
機体はエッセンの工場で
後見人を引き受けた人間は、七十八歳の高齢男性で、孫のような存在が欲しいという理由でアンドロイドの後見人を希望していた。アンドロイド後見人制度を個人で希望する場合に、一番多い理由の一つだ。一時的にでも、家族のような存在が欲しい。そういう理由で後見人を希望する人は多い。
そして、ヨナスは半年の教育期間もブレーメンで過ごし、後見人の家の近くで就職を果たした。後見人の男性は昨年肺癌で亡くなったが、ヨナスは以降も同じ場所で就労し、現在に至る。
生まれ育った場所で暮らす。人間でも、アンドロイドでも、何の変哲もない経歴だ。それが何故、ノイエ・メンスハイトなどという組織のメンバーだという話になるのか。
一方通行の車道の脇を歩き、目的地である複合商業施設に辿り着いた。複雑な意匠で覆われた薄茶のモダンな建物が、ニルたちを出迎えた。近代美術館然とした建物の中へと、客がどんどんと吸い込まれていく。平日の昼下がりだというのに盛況だ。
家電量販店は施設の一階にあった。最初に話した通り、ミヒャエルに船頭させ、担当者を呼び出す。通されたのは薄暗いバックオフィスだった。監視カメラがないのを見て、ニルはフードを取る。サングラスは外さなかった。
聴取に参加するのは、店長と同期社員だという女性だ。
「わたしは、ここの店長をしております。ペーター・クラインと申します。こちらは、ヨナスと同期だったクララです。本当に、うちの社員が……なんてことを」
店長のペーターは色の抜けた茶髪の頭を手で撫でまわしている。落ち着きなく話す唇は、乾燥して皮が剥けていた。生身の人間だ。
店長を心配そうに見ているのは、ヨナスと同期だったというクララだ。ブロンドの長髪はオイルでぴっちりと纏められ、後ろでシニヨンになっている。グロスを塗った唇も、チークを乗せた頬も、滑らかできれいだ。どちらか迷って、余計な皺のない滑らかすぎる指先を見て、アンドロイドだとわかった。
「事前にお伺いしていた話ですと、ヨナスさんはずっとブレーメンで暮らしていて、勤務態度も非常に良好だったということですが……」
ミヒャエルが遠慮がちに切り出す。
「ええ、そうです。気配りのできる良い子で、『自分は丈夫な体が取り柄なんで』って、よく重い荷物とかも運んでくれました」
E・シュタイナー社の機体は頑丈で激しい運動にも耐えられる強い機体として有名だ。機体製造事業としては後発の企業で、人気も高い。製造会社を姓として名乗りづらい昨今でも、シュタイナー姓はよく耳にする。胸を張れる出自ということだ。
「それだけじゃありません。お客さんにも、社員にも、分け隔てなく接してくれます」
クララも口を開く。その目は真剣そのもので、ヨナスが慕われていたのがよくわかった。
「私が、柄の悪いお客さんに絡まれたときも、率先して対応しに来てくれて。最近は、アンドロイドっていうだけで人間を騙そうとしているんじゃないか、ぼったくられるんじゃないかって、言われて。ただの販売員がそんなことするはずないのに」
「そういうときは、ヨナスさんはどう対処されていたんですか」
「『ぼくらはただの店員なので、人かそうでないかで対応は変えません』って。マニュアル通りの対応ですけど、端末で他店の値段とか見せて、論理的に、丁寧に説明してご理解いただいて。みたいな。わたしは、詰められると怖くってしどろもどろになっちゃうので、助かってました」
ミヒャエルが勤務態度や遅刻欠勤の状況、休暇の取り方から雑談の内容まで聞き込みをしても、特に不審な点は見当たらなかった。ヨナスが生真面目で人当りの良いアンドロイドだったことがわかっただけだ。
「最近のご様子はいかがですか?」
ペーターもクララも首を捻った。記憶を辿っているようだが、思い当たることはないらしい。
やはり手掛かりはなしか。ニルが諦めかけたとき、ペーターが「あ」と声を上げる。
「あれはヨナスだった……のかな」
「あれ、というと?」
「いや、先月ね、ここで事務作業をやってたんですけど、廊下で怒鳴り声がして。誰だろうって廊下に顔を出したんです。でも、角を曲がる男の影が見えたくらいで、誰かわからなくてね。うちじゃ、まあ叱るくらいならあるけど、怒鳴るようなことってないから、配送業者あたりが電話でもしていたのかなって。だけど、今思い出すと、もしヨナスが怒鳴ったりしたら、あんな声になるのかなと。本当に、それだけなんですが」
「なんて言っていたか、覚えていますか?」
「いやあ、あんまり。なんか、文句を言った風ではあるんですが」
「それ、私が出勤してた日ですか?」
「そうそう。珍しく水曜に入ってた日」
横で聞いていたクララが思案顔になる。
「何か、知っているんですか」
「その、怒鳴っていた人が誰かはわからないけれど、その日のヨナスさん体調が悪そうだったんです」
「体調が悪いことは誰にでもあるんじゃないでしょうか」
ちらりと横に座るミヒャエルを見やる。アンドロイドの体調不良というのがニルにはわからないが、彼もクララもそこに違和感を持っていない。アンドロイド同士なのだから当然だろうが、今日の聴取は彼に任せて正解だったようだ。
「私もそう思って、気にしていなかったんですけど。今思うと、なんだか様子が変だったなって」
クララの公休日は通常、水曜日と日曜日だ。しかし、新製品の入荷や在庫整理の関係で水曜日に出勤していた。
夕方、在庫整理の区切りが良くなりバックオフィスに戻った際、ヨナスが廊下をふらふらとした足取りで歩いているのを目撃した。まるで酒に酔った人間のような、不規則で今にも倒れそうな様子だったという。とはいえ、アンドロイドは飲食ができてもアルコールで酔うことはない。あるとすれば疲労や劣化による不調の類である。
暑くなってきて、人か機械かに拘らず体調を崩しやすい季節である。倒れたら大変だと、クララは彼に声をかけた。
『ヨナスさん、どうかされましたか?』
声をかけられたヨナスはびくりと背中を震わせクララの方へ振り向いた。「あぁ?」と苛立たし気な声は珍しかったが、いきなり後ろから声をかけて驚かせてしまったからだろう。振り向いたヨナスの顔は険しく、眉間に皺を寄せていた。やはり体調が悪いのだと思った。
『ふらふらしていて、体調が悪そうに見えます。あとは書類を纏めるだけですから、ヨナスさんは帰って休んでください』
クララの話を聞いていたのかいないのか、頭を押さえていたヨナスはうんうんと呻き、それからやっとクララを見た。
『あぁ……体調……そぉ、だな。悪い、かもしれない。ぉれ店長に帰るって、ぃ言ってくる……』
『是非そうしてください。タクシーを呼びましょうか?』
口元に手を当てて、気持ちが悪そうにしているからそう提案したが、ヨナスは手を振って断った。しかし、瞑目したまま、歩き出す様子もない。角を曲がれば店長がいる事務所だ。
『ヨナスさん? 大丈夫ですか』
『――ん? ああ、大丈夫。少し、休んで様子を見る』
『無理はなさらないでくださいね』
『ああ、ありがとう』
目を開いたヨナスは、少しすっきりした顔をしていた。ようやく歩き始めた彼の足取りはまだふらついていたが、今にも倒れそうだった先の様子に比べればしっかりしている。ヨナスは丈夫なのが取り柄だといつも言っていたから、体調が悪いとは言いにくいのかもしれない。
あとで店長に相談しよう。そう思っていたのだが、そのあとに会ったヨナスは健康そのものだった。不思議に思ったものの、元気になったのであれば良かった。クララはその日の出来事を他愛ない日常のワンシーンだと思い、脳の奥底に沈めてしまっていた。
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