Ⅳ
再び定位置に止められた全自動運転車に戻り、州警察に提出する書類や、装備を載せる。書類は基本電子でやり取りするが、重要書類は証拠を残すために紙面化しなくてはならない。
「置いていかないでくださいよ、ニル」
後部座席に荷物を置いたところで、ミヒャエルが追い付いた。手で右側の座席を示す。
「
「わ、かっこいい車ですね! ニルのものですか?」
特に珍しくもない銀の全自動運転車に、ミヒャエルがわかりやすくはしゃいだ。
「機動隊のよ」
「しかもこれ、手動運転対応じゃないですか。運転できるんですか」
「部で一律で購入しているものだから、運転できなくても問題ない。全自動運転のライセンスだけで十分」
全自動運転車を扱うことができるライセンスは、交通法規と各種スイッチやボタンの使い方を覚えるだけで取得できる。その代わり、目的地を設定し、すべての操作を全自動運転車に任せた移動しか許可されない。ちなみに、警察車両であるこの車には、取締りのためにナンバーを設定して追跡できるアプリケーションが付いているが、ニルはこの車を通勤と移動以外に使ったことはない。
かつて主流だった手動運転は、オートマチックですら自動車ライセンス全体の四割程度の取得率である。クラッチ操作が必要なマニュアル車のライセンスに至っては、そもそも車が競技用や興行用の流通しかなく、趣味で取得するものという位置づけになっている。
「そういうあなたは、ライセンスを持っているの」
「実は、持ってます。手動運転って、かっこいいじゃないですか」
「……そう」
子供のような返答に呆れ、シートに体を預けた。アンドロイドは製造されたときから十二、三歳かそれ以上の知能と知識を有し、機体も成人のものを与えられる。半年の教育期間が終われば、社会に出るか、彼のように大学に進学することになる。いわゆる子供時代などは存在しない。
二人がシートベルトを締めると、予め携帯端末から転送しておいた目的地が車載端末に表示される。到着までの所要時間は、三時間四五分。想定より長い移動時間だ。どうやら道が混んでいるらしい。
全自動運転車は安全を確認するとゆっくりと発進した。ハンドルがひとりでに動き始め、右折する。
西方は薄い青空が広がっていた。その先に、ぽつんと白い高層の建造物が聳える。
小さい賽の目状の窓が点在する以外は石膏のような白色で、中が無人であるせいか、朽ちた煙突のようにも見えた。
ハンドルが切られ、見えたのは一瞬だが、無意識に視線が移ろう。
「――旧ノイスヘルツ本社、ですね」
ぽつりと、ミヒャエルが零す。すでに車窓から消えた石膏の塔を追うように、深い赤毛の頭が動き、尻尾のような三つ編みが揺れた。
後にノイスヘルツ・グループとして躍進するノイスヘルツ社の本社は、元々ノイスにあった。世界的な大企業となってからは、ハンブルクにあるノイスヘルツ・トゥルムが会社のトレードマークとしてメインで使用されていたものの、ノイスヘルツ本社も炎上事件が起こったその日まで通常通り機能していた。
第三機動隊の分駐所がノイスに置かれている理由の一つに、この本社の存在がある。
ノイスヘルツ・トゥルム炎上事件の後、州警察がすぐにノイスヘルツ本社を家宅捜索した。理由は炎上事件の手掛かりを探すためだ。つまり、犯人のジュリアが告発した、ノイスヘルツ社のアンドロイド研究に違法性があったのかどうかの捜査。
成果は得られなかった。ほとんどの資料が電子データであり、会社のサーバーがハッキングされた際に、何故か削除されていたのだ。告発を行った当事者たちが、証拠となり得るデータを削除したことで、告発自体がノイエ・メンスハイトの演出だという見方が強くなった。
ノイスヘルツ・グループ会長の妻、ジュリアの告発と凶行。ノイスヘルツ社のアンドロイドによる人間との敵対。
「ニルは、何が悪かったと思いますか」
全自動運転車は脇見も考え事も自由だ。ぼうっと流れる景色を眺めていると、横から声がかかる。
様子を伺うと、ミヒャエルもすいすいと進む車の行き先を見つめていた。
「非人道的な手段を用い、ロボットと人工知能を研究し続けたと言われるノイスヘルツ社。けれども、その原因と言われているアーデルハルト・フォン・ヘルツ会長は、十年以上経った今でも行方不明のまま。今はノイエ・メンスハイトと呼ばれる、ノイスヘルツ社製のアンドロイドを中心としたアンドロイド至上主義者たちが、人間社会からの独立のために活動し、人間の生活を脅かしている。一つの見解として、非人道的な研究の内容にはアンドロイドへの人権侵害も含まれており、ノイエ・メンスハイトは被害者たちによる人間への復讐というものがあります」
「非人道的な研究自体がアンドロイドたちによる介入の結果であり、ノイスヘルツ社はアンドロイドに征服された、という線もある」
「アンドロイドが悪い、ということでしょうか」
ミヒャエルがこちらを見た。怒っているのかと思ったが、顔も声も、少し悲しそうに見えるだけで、落ち着いている。ロニーであれば憤慨しているだろうに。アンドロイドといっても性格は人間と同じように千差万別だ。
静かに見据えてくる灰褐色に、淡々と返す。人間の業か、アンドロイドの罪か。何度も議題に上がる責任の所在について、見解は変わらない。
「ノイスヘルツ・トゥルム内の捜査中に、建物内のシステムのハッキングとアンドロイドによる妨害を受けた。その後、現場は占領されて詳しい捜査はできていない。真相は、誰にもわからない」
確かなのは、ノイエ・メンスハイトが反社会的勢力として、法と秩序を踏みにじり活動しているということだ。彼らの仲間には既に人間も多くいる。
腕を組めば、機械仕掛けの右手の感触が体に伝わる。義手で膨れた活動服は、布越しでも機械の無機質さがわかる。
ニルが前方に向き直ると、彼も座りなおす。既に車は狭い街道を抜け、アウトバーンに入っていた。普段は速いと感じるアウトバーンの速度が遅く感じる。
動力の唸るような音を背景に、二人の静かな呼吸だけが車内に落ちている。
沈黙を破ったのは、果たしてミヒャエルの方だった。
「ヘルツ会長だけじゃなくて、二人のお子さんも行方不明なんですよね。彼らは一体、どこへ消えたんでしょう。それとも、あの火事で、もう――」
「わからないわ」
瞼をきつく閉じた。陽光は木々に遮られ、瞼を通り抜けてちらちらと明滅する。風に煽られた炎のようだ。
「わからないから、私たちはノイエ・メンスハイトを解体し、ノイスヘルツ・トゥルムを奪還しなければならない。彼らが頑なに侵入を拒み、時に人の命まで奪い、護ろうとする、彼らの根城を」
居心地の悪さに、ニルはカーステレオのスイッチを入れた。午前のニュースが、何の感慨も湧かない淡々とした声で読み上げられている。人か機械かは、今は気にならなかった。
ミヒャエルは、あの優しい声で「そうですね」と曖昧に同意するだけだった。
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