ホワイトボードには、機動隊への連絡事項の他、進行中の案件がいくつか書き出されている。最下部には、デュッセルドルフの立て籠もり事件もある。

 人機総合警備部の機動隊は、連邦警察の部隊とは性質が大きく異なる。連邦警察や州警察の機動隊が、一般に災害や反乱時の対応を求められるのに対し、人機総合警備部の機動隊は国内の人とアンドロイド間で発生する大規模事故や重大事件、テロ行為の対応が主となる。かつてはアンドロイド対応に特化した予備人員として配置されているに過ぎなかったものの、ノイエ・メンスハイトの登場により、三部隊にまで増設されたのが、人機総合警備部の機動隊である。

 第一機動隊は、ノイスヘルツ・トゥルム炎上事件以降、ノイエ・メンスハイトによって占領されているノイスヘルツ・トゥルム周辺の警備とテロ集団への対応。第二機動隊は、炎上事件以降急激に増加した、国内のアンドロイドにかかわる過激派団体、反社会的勢力の暴動やテロ行為の対応。

 そして、ニルが所属する第三機動隊は、ノイエ・メンスハイトおよびアンドロイドにかかわる過激派団体、反社会的勢力が起こす小規模事件の即応と、初動捜査。初動捜査といっても、捜査期間が何ヶ月にもおよぶことも少なくないため、単なる事件捜査と相違ない。人機総合警備部の組織犯罪対策課や他課の抱えている案件数が増加の一途を辿っていることもあり、少しでも過激派団体、反社会的勢力の関係者と疑われれば、まずは第三機動隊が捜査を行う。そして、民間人の事件と判明すれば州警察に任せるという、結果的に振るいの役割を担わされているのが現状だ。

 タブレット端末を片手にエリカが案件を読み上げていく。自分の端末で配布された案件データを見れば、先週まで第三機動隊持ちだった案件の幾つかが消え、幾つか新しい案件が増えている。他課への引継ぎが終わったのだろう。

「ゾルタウで頻発していた大規模ネットワーク障害は、直近で基地局の改修・増設工事が行われていたことが原因ということで、こっちは民間の回線事業者が対応。念のため、州警察が来週視察に行くそうよ」

「ノルトライン=ヴェストファーレン州議会議員襲撃事件の被疑者は、アンドロイドということはわかったけど、足取りは掴めず。ただ共犯がいる可能性もあるから、こちらは引き続き捜査を継続。場合によっては第二に引き継ぎ」

「デュッセルドルフ駅で発生した暴動事件は、いったん打ち切りね。扇動者たちには逃げられてしまったし。こちらも第二と、あと警備第二課に引き継ぎかな」

「州内のアンドロイドの失踪が先月より二十件以上増加。巡回の時は注意するように」

「そして、先週の立て籠もり事件だけど」

 エリカの指先がホワイトボードをなぞり、文字が移動する。一番上に案件名が掲げられ、エリカは端末からペンに持ち替える。事件の要点が書きだされ、関連した人物の画像データが表示されていく。

 現場はナイラン・シュトラセ22のゼヒェハイツM・ビルディング16の八階。警備・監視システムの保守を行う企業、ファイクオーグ社デュッセルドルフ分室のオフィス内にて発生。犯人のヨナス・E・シュタイナーは、オフィスに侵入後、社員のクリスティーナ・アーベルがまだオフィス内に残っていることに気づき、電子拳銃を彼女の足に向けて発砲。その後、クリスティーナを人質に、ヨナスはオフィス内に立て籠もる。

 人質のクリスティーナの証言によると、何らかのデータを窃取することが目的である旨の発言をしていた。しかし、社内に残されていたデータは、侵入者に気づいたクリスティーナが、会社が策定した対策マニュアルに則って、完全に初期化。ファイクオーグ社の親会社であるアルフォンス・グループは、緊急通報を受け、グループネットワークへのアクセスができないよう、一時的にファイクオーグ社からのネットワークをすべて切断。ヨナスはオフィス自体のネットワーク回線が切断されるまで、グループネットワークおよび分室が管理しているシステムへの不正アクセスを試みていた。

 ネットワークへのアクセスを断念したヨナスは、初期化された社内データの復旧を試みる。しかし、人機総合警備部第三機動隊が到着し、単独潜入したニル・エイケンにより、電子拳銃の不法所持・不法使用により現行犯逮捕された。ヨナスは確保の際に、左腕切断の大怪我を負ったものの、命に別状はなく、現在は警察病院に入院している。

「意識は一昨日戻ったけど、雑談には応じても、取り調べには黙秘を続けているわ」

「そもそも、ヨナスはブレーメンに住んでるんでしょ? なんでデュッセルドルフの、しかも、ここのオフィスに? 何のデータが欲しかったの?」

 ロニーの疑問は尤もだ。配布された書類データに目を落とす。公的機関のデータベースに登録されている、ヨナスの情報が記載されていた。

 ヨナスは、ブレーメンで住民登録されているE・シュタイナー社製のアンドロイドで、製造年としは三年。住所も勤務先もブレーメンにある。製造場所生まれこそエッセンにある工場であるものの、転居の記録はない。ブレーメンからデュッセルドルフまで、車でも電車でも三時間以上かかる距離だ。日常的に通える距離とは言い難い。

「ノイエ・メンスハイトのメンバーとしてマークされていたと聞いた。それが関係している?」

「あー、うん。たぶん、そうなんだけど……」

 ニルの言葉に、エリカは歯切れ悪そうに答える。その反応に、この一件が第三機動隊に回されている理由がわかった気がした。

「もしかして、またガセネタだったとか? そういうの多いよね、最近」

「順当に行けば、第二機動隊か、ノイエ・メンスハイトの件なら第一機動隊や組織犯罪対策課の案件だもんね」

 ロニーとマキジローの言う通り、犯人がノイエ・メンスハイトか、各種過激派団体に所属し、彼らの目的のために行動していたのなら、第三機動隊の出る幕はない。組織犯罪を摘発するための捜査が行われるべきだ。

 だが、実際は空振りで終わることも多いのが現状だ。特に今年に入ってからというもの、不審な動きを見せたと思ったら、動機も関連性も、交友関係に不審な点もない人物だった、ということが増えている。州警察でも、人機総合警備部でもそのような調子なので、上層からは捜査範囲のむやみな拡大と捜査能力の低下を指摘されてしまうくらいだ。

 結果、州警察からも、他の機動隊からも押し付けられるように、第三機動隊の仕事は増加していく一方なのである。

 しかし、エリカは首を振る。

「虚偽情報ではないはずよ。彼は先月、アンドロイド至上主義者たちが根城にしているバーにいるのを、別件で張ってた捜査員が目撃しているし、先々週のデュッセルドルフ駅の暴動事件にもいたことが、監視カメラの映像から判明している」

「え」と、思わず声が漏れた。暴動事件の対応をしたのはニルたち第三機動隊員である。ニルの左肩の負傷も、この事件のものだ。

「ただ、どれも直近の話。それまではブレーメンから出た形跡もない。勤務先に問い合わせても、勤勉で人間にも友好的だったという話しか出てこなかった」

「でもそれって、メンバーと言うには、情報が薄くない?」

 ロニーはうんざりした様子で言った。エリカもこれには頷いた。

「そうなのよね。昨日、家宅捜索の許可が出て、鍵も受け取れる手筈になっているから、自宅から何か見つかれば、白か黒かはっきりすると思うんだけど」

「そういえば監視カメラの映像は? 足取りから何かわかるんじゃない?」

「それは無理だね」

「なんで? マキジロー」

「デュッセルドルフの、あの地域周辺の監視カメラシステムはファイクオーグ社の、デュッセルドルフ分室の管轄だ」

 ロニーも意味が分かって、子供のようにわかりやすく嫌な顔をした。

「でもでも、バックアップがクラウドに残ってる可能性だって……」

 エリカが首を振った。

「ないわ。システムから社内へのバックアップは五分毎に行われるけど、グループ会社のネットワークにバックアップされるのは午前零時。つまり、あの事件の日一日分の監視カメラの映像は残っていないわ。ファイクオーグ社以外の監視カメラのデータが手に入れば追えるとは思うけど……」

 人員的にも端末の稼働率的にも不可能だろう。たとえ都市のすべての監視カメラのデータを収集しても、自動で解析ができる端末はすでに他の案件で使用しているし、目視での解析など、一生分の労働時間をかけても終わらない。世界中でやり取りされる電子データの総量は、二百年前の数億倍以上と言われている。累積した数えきれないデータの解析は、自動化しても処理しきれないのだ。

「解析だけなら、僕がしましょうか。皆さん、お忙しいでしょうし」

 ニルの前に座るミヒャエルが口を挟んだ。まだ机がないために、オフィスチェアに座って、膝に置いた捜査資料を広げている。

「いや、個人が所有しているカメラだけでもどれだけあると思ってるの。集めるのも大変なのに」

「でも、それで足取りがわかれば、捜査が進展するんですよね」

 エリカが手を鳴らして話を止める。

「まあまあ。その辺は今から伝えるから。分担、発表するわね」

 彼女の指先が、ホワイトボードを素早くなぞり、字で埋め尽くされたボードが更新される。そこに再びペン先を向けた。

「まず、ロニーは人質にされていたクリスティーナさんとの面談と、事情聴取。必要ならカウンセリングの案内もしてあげて。もし時間が空いたら、監視カメラの映像収集に回って。集めるだけでいい、中身は見なくていいから。とにかく数よ、数」

「うわ、言った傍からってやつ。ま、しょうがないか」

「マキジローは、引き続き押収した電子拳銃の解析と流通ルートの特定をお願い。あ、でも、ちゃんと就業時間中にね。今日は一時間早く上がっていいから」

「はい……すみません」

「そして、ニルと、ミヒャエル。あなたたちはチームで動いてもらうわ」

 一緒に呼ばれたことに、図らずもミヒャエルと目が合ってしまう。灰褐色の、やはり精巧な輝き。認識して、すぐに目を逸らした。

「ブレーメンで、ヨナス・E・シュタイナーについての聞き込み。それと、家宅捜索をお願いするわ」

 片道三〇〇キロの長距離捜査である。

 ドイツ全国とは言わずとも、第三機動隊の通常の捜査範囲には分駐所が置かれているノルトライン=ヴェストファーレン州からノイエ・メンスハイトの本拠があるハンブルク州までが含まれている。その上で必要があれば全国や海外にまで出張しなければならない。

 とはいえ、ここまで長距離の捜査の機会はそう多くない。捜査の多くがインターネットを通じての情報開示請求で済むからだ。これにはさすがのニルも眉を顰めた。

「……家宅捜索それは鑑識の仕事では」

「本当はそうなんだけどね。もしかしたら、共犯者が潜んでいるかもしれないし」

「そんな場所に、配属されたばかりの彼を向かわせるのですか」

「良い経験になると思うけど。それに、ちゃんとニルが護るでしょう?」

 有無を言わさない眼差しに、この采配の意味を知る。

 視線を逸らせば、すぐ傍に青年の姿。面倒な捜査に同行するよう言われているにもかかわらず、どこか楽しげな様子のアンドロイド。

 監視、ではない。反対だ。エリカは、疑うくらいなら、自分で晴らせと言いたいのだろう。もしくは、胃の腑に苦く溜まっていく、この膿のような忌避感を掃えとでも言うのか。荒療治にも程がある。

 ノイスヘルツ社のアンドロイド。それだけで虫唾が走る。

 ミヒャエルが振り向いてニルに笑いかけた。

「お役に立てるよう、精いっぱい任務に当たりますね」

 甘いテノールと、緊張の解れた微笑。自分の中の何かが揺れる。

「……了解しました。今から向かっても?」

「もちろん。あと――」

 許可と共に退室しようとエリカの横をすり抜けたとき、彼女の腕がニルを引き留めた。

 真剣な声で囁かれる。

 ニルは深く頷いて、執務室を後にした。

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