Ⅱ
薄手のトップスの上に防刃のシャツを重ね、更にその上に防弾ジャケットと携帯工具などの小道具が収納できる防刃仕様の外套を羽織る。ボトムスも防刃仕様のレギンスと暗器も仕舞い込める収納性の高いパンツを重ね、ベルトに警棒や拳銃を装備。最後にブーツを履いてグローブをすれば、機動隊員としての準備は完了した。
黒を基調として、暗い青と黄のラインが引かれた、人機総合警備部専用の活動服。部屋に備え付けられた姿見で全身を確認し、ニルは更衣室を後にした。
執務室に戻ると、ロニーもマキジローも自席に着いており、エリカはホワイトボード型の大型モニタ端末にミーティングの議題を書き出していた。室内には、他に執務室の奥で仕事をしている州警察からの出向者が数人いるくらいで、残りは巡回か長期で他州へ応援に行っている。元々第三機動隊の人員は少ないが、現在、分駐所にいる第三機動隊は隊長のエリカ、ロニー、マキジロー、ニルの四人だけである。
ニルが自席――ロニーの隣だ――に着くと、ホワイトボード端末の前で待機していたエリカが口を開いた。
「まずは、新メンバーの紹介から行きましょうか」
「ボク、新メンバーとか初耳なんだけど。マキジロー、知ってた?」
「先週から予備隊員として配属されてるらしいのは聞いてたけど。顔を合わせたことはないかな」
ロニーの問いにマキジローは肩を竦める。エリカ以外、新人のことは知らなかったらしい。
「じゃ、入ってきて!」
エリカのよく通る声が、部屋の出入り口にかかる。いつもはぴたりと閉じられている古ぼけた木製の扉は、今は開放されていた。入室の許可を得て、一人の長身が現れる。
全体として骨ばっていて痩せたシルエット。柔らかな赤毛は、エリカのそれよりも深い色だった。背中で揺れる一本の三つ編みのおかげで女性のようにも見えたが、捲られたホワイトシャツから伸びる節の目立つ手と、淡いグレーのサマーニットに覆われた胸板の厚さに、すぐに男性だと知れた。彼はエリカの横に並ぶと、姿勢を正し、ニルたちと対面する。
紹介したくて堪らなかったのだろう。手をひらひらさせ、男性を立てる。エリカの声は弾んでいた。
「先週から第三機動隊予備隊員として仲間になった、ミヒャエルよ。ささ、自己紹介をどうぞ!」
男性は半歩前に出た。灰褐色の瞳が一人一人を捉え、最後にニルと目が合う。あまりに精巧な瞳の輝きに、ニルは唇を柔く噛んだ。対して、彼の方は、柔和な笑みをより一層深めたように見える。
美しく弧を描く唇が開かれる。その第一声にハッとした。
「はじめまして。ミヒャエルといいます。普段はデュイスブルク人機大学で機体・情報技術を専攻しています。せっかく築き上げた人とアンドロイドの関係性が悪化していく昨今、何かできることはないかと思い、教授の紹介でサイバー攻撃への対応や、セキュリティシステムのお手伝いをしていたところ、人機総合警備部の方に声をかけていただきました」
間違いなく、先週、ニルの暴走を止めたのはこの声だった。
「先週の立て籠もり事件……」
口から零れた呟きを拾ったのはエリカだった。
「あら、気づいていたのね。先週は書類記入とかオリエンテーションが主だったんだけど、丁度私と同行していてね。立て籠もり犯はアンドロイドだし、車内に待機させてたんだけど、勝手に忍び込んじゃって。まあ、そのおかげでニルが無事だってことはわかったんだけど」
エリカの顔が愛らしくも厳しいものになる。
「上司の命令はちゃんと聞かないとダメよ?」
「申し訳ありません。現場に潜入したのが一人だけと伺って、居ても立ってもいられず」
この様子だと、あの制止の声はミヒャエルの独断のようだ。ニルが咄嗟にしようとした行為も、きっと知られていない。もし知られていれば、始末書どころではなかっただろう。薄れてきていた罪悪感や後ろめたさが蘇る。
「――現場に突入されていた方ですよね。お名前をお伺いしても?」
すぐ近くであの声が降ってくる。近づいてきたことで、彼の顔がはっきり見えた。精巧なアンドロイドの顔だ。
丁寧で物腰柔らかな話し方や、声の印象に違わず、柔和な顔つきをしていた。それでいて、鼻筋や額、顎の線はしっかりとしている。ニルの返答を待つ唇が、待ちきれずに小さく開かれては、そっと閉じられる。それにどうしてか親しみを感じた。
「ニル。ニル・エイケン」
答えれば、灰褐色に閉じ込められた瞳孔が動く。メカニズムが人間と同じでも、デジタルな、機械的な動きだと思った。
「ニル! 素敵なお名前ですね! 改めて、よろしくお願いします。実地での捜査経験はありませんが、アンドロイド機体学や最新の情報技術については、お力になれると思います」
華やいだ表情と、差し出された手を一瞥する。儀礼的に握手をすれば、優しく握り返された。硬い感触は当然人間のそれではない。
ニルとの握手を皮切りに、自己紹介が始まった。
「ボクはロニー・ゴルド、よろしく! あ、こっちはマキジローね」
「ジロウ・マキだってば。 ……
「はい、よろしくお願いします」
「ねえ、ねえ、
ロニーはどうやらミヒャエルを気に入ったらしかった。見るからにはしゃいでいる様子で、気安く話しかけている。
「十一年になります」
「えーっ! ボクより年上じゃん! 全然見えないんだけど!」
十一年ともなれば、アンドロイドでは相当年上だ。十五年を越えると、アンドロイドの間では、人間でいうところの五十、六十代のような扱いを受ける。人と機械の埋められない感性である。ミヒャエルも、人間の目には二十歳前後の青年にしか映らない。
すう、と、嫌な気配が背を這う。不快な緊張感は、容疑者らを前にしたときに似ている。
「よく言われます。といっても、しばらくは田舎暮らしで、大した勉強も仕事もしていなかったんですけどね」
雑談に応じる様は、ロニーの童顔も相まって、学生同士が交流しているようにしか見えない。マキジローもエリカも、それを温かい目で見守っている。ニルにはそれが信じられなかった。
十一年前。ノイスヘルツ・トゥルム炎上事件が発生し、ノイエ・メンスハイトが組織された年。人の手で造られた彼らが、人を征服せんと宣言した年。
虫が這うようなそれに抗えず、ニルは口を挟んだ。
「姓は?」
ミヒャエルが目を瞬かせる。きょとんとした表情ですら、ニルの中では警報が鳴り響いていた。
「新生機は初回の住民登録で、後見人か、機体を製造した会社のどちらかの姓を仮に登録する。独立して姓を新たに設定したり、婚姻関係を結んで変更されたりすることはあっても、削除はされない」
ロニーがあからさまに顔を顰めてみせた。
「ニル、知らないの? 最近は別に名乗らなくてもいいんだよ。製造社名だったりすると、差別されたりトラブルの元だし」
「それは一般人同士が交流する場合の話でしょう。予備隊員とはいえ警察組織に配属されている。――やましいことがないのであれば、公表できるはず」
不躾であるのは承知の上だ。海色の視線が、真っ直ぐに彼を突き刺す。警戒を促す心の動きの狭間で、じくじくと胸が痛んだ。
「それは、僕の過誤ですね。すみません」
ミヒャエルは眉を顰めることもなく謝罪した。入室した時と同じように、姿勢を正し、再び自己紹介をする。表情は先よりも硬かった。
「姓は、ノイスヘルツ。ミヒャエル・ノイスヘルツと申します。僕の機体はノイスヘルツ社製」
息を呑む。執務室の浮ついていた空気にもわずかに緊張が走る。
「ロニーの言ったように、名乗るだけで眉を顰められることもある出自であるとは理解しています。とはいえ、あなた方にこの事実を隠そうとしたことは、不義理で不誠実な行動でした。申し訳ありません」
淀みのない語り口が鼓膜を通り過ぎていく。耳元にまで迫る自分の鼓動が煩わしかった。今にも掴みかかりそうになる衝動を抑え、逸るままに詰め寄った。
「型番は」
「ちょっと」
エリカの制止が入るが、お構いなしだ。
「答えて」
強張った笑みのまま、ミヒャエルは目を閉じる。応える声は落ち着いていた。
「――二一九五年に改定された新個人情報保護法には、アンドロイドの個人情報として、製造社名と型番が含まれるようになり、公的書類の提出などを除き、公表する必要はありません。また、型番についても、機体表面に記載がない限りは、精密検査を行わなければアンドロイド本人も確認できない。製造者名は家族構成、型番は血液型やDNAといったところだと認識しています」
「黙秘するということ?」
ミヒャエルは首を振った。
「型番は、検査をしたことがないのでわからないんです。ですが、僕の機体は事件後にフォーマットを受けている機体だと聞いています。ノイスヘルツ・トゥルム炎上事件の後、ノイスヘルツ社製の新生機は大量に廃棄された。廃棄を免れた機体も、長らく世に出ることは叶わなかった。どうやら僕はその中の一機だったようです」
住民登録を得るアンドロイドは、当時年間五〇〇〇人を越えていた。人口一億弱のドイツでは、非常に多い人数であり、その分だけ新たな機体が製造されていた。それらの半分近くが、ノイスヘルツ社のアンドロイドだ。ノイスヘルツ・トゥルム炎上事件以降、斜陽となった同社のアンドロイドの境遇は推して知るべし。とはいえ、機体がノイスヘルツ社製のそれであっても、宿るアンドロイドの心に罪はない。アンドロイドが人間の所有物であった五十、百年前ならいざ知らず、今はただの一個人である。というのが、政府の見解だった。
「ねえ、もういいじゃん。ミヒャエルは事件とは無関係な上に、ボクらの仲間として一緒に働いてくれるんだから」
出自を語り、寂し気に微笑むミヒャエルの前に、ロニーが立ちはだかる。彼の金髪の上から、ミヒャエルの深い赤毛の頭が見えた。
「それとも何、疑ってるわけ? アンドロイドってだけで犯罪者予備軍みたいな扱いしないでよね」
「――別に」
ロニーの言う通りだと、理性ではわかっていた。未だ収まることのない衝動を、目を閉じ、きつく口を噤むことで耐える。
「僕は構いません。これから信用いただけるよう、精いっぱい努力しますから。よろしくお願いします」
「そう、そうよね。とりあえず、紹介も終わったことだし。会議を始めましょうか」
渦中のミヒャエル本人と、エリカの機転で、ようやく執務室の緊張が解れる。
会議が始まるまで、ニルの海色の瞳はミヒャエルを捉え、そして離さなかった。監視をするように、確かめるように。
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