追跡
Ⅰ
人機総合警備部第三機動隊が配置されている分駐所は、ノイスのオーバー通りに本社を置く、ペンハーン社が所有するビルのワンフロアに存在している。ペンハーン社は筋電義肢や、装具の他、電動車椅子などを開発する企業であり、ニルの義肢もペンハーン社製である。
通りには数百年続く路面電車が走り、幾つかの建物は無機質な鋼の要塞に作り替わっているものの、その街並みは、人工知能やロボットが生まれる以前、一〇〇〇年代の空気を未だに残している。
駐車場の定位置に全自動運転車が停まり、ドアのロックが外れる。外に出ると、昇り続ける太陽の日差しが薄い皮膚を焼く。ニルは陽を避けるように手を翳す。義手を照り返した白い光が、網膜を刺し貫いた。夏は嫌いだ。年々上昇する気温は、仕事柄厚手の活動服を身に纏うことが多い機動隊員を苦しめる。まだ七月に入ったばかりだというのに、予報では三〇度を超える都市もあるらしい。休暇明けなのもあって、フードが付いた活動服は、まだアタッシュケースの中だ。
ちりり、と頬が焼ける感覚に顔を顰めながら、ニルは手荷物を手早くまとめてビルに入る。先日のような事案対応はあったものの、一週間ぶりの出勤である。
三階にある分駐所に入ると、すでに人の姿があった。コーヒーの香りが漂っている。
手前の席では、金髪の青年がコーヒーカップを片手にネットニュースを流し、奥では黒髪を束ねた男性が、困ったような顔でキーボードを叩いていた。時計を確認するとまだ始業前だ。金髪の彼はともかくとして、奥の彼はどうやらもう仕事に入っているらしい。隊長に怒られそうだな、と思った。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。ニル」
応えがあったのは、奥の男性だけだった。金髪の方はカップを乱暴に置いて、声を荒げた。
「ねえ、いい加減にしてよね。これで一体何度目なわけ?」
繊細な睫毛に縁どられた碧眼は、仇を前にしたかのようにニルを睨みつけていた。
丸く華奢な頬の輪郭、甘い顔貌。しかし、彼もまた機動隊員である。――アンドロイドの。
「これだよ、これ!」
活動服の厚い裾から、細木のような白い指がモニタを指差す。
ニュース配信サイトで、先日のデュッセルドルフの立て籠もり事件が取り上げられていた。犯人がノイエ・メンスハイトのメンバーの可能性があること、人質のアンドロイドが無事であったことを淡々と述べていく。
『犯人は、突入した人間の機動隊員により確保されましたが、確保の際、左手を切断する大怪我を負わせたことで、波紋が広がっています。今回の犯人には、まだ射殺命令も下りていませんでした。過剰な対応だったのではないかと警察関係者の間でも疑問が上がっています。これを受けて機動隊が所属する
進捗バーが右端へ辿り着き、動画が終わる。ニルは金髪の同僚を見返した。
「これが何か? ロニー」
「問題大有りだよ、ほら」
ロニーはモニタの前で指をスワイプさせ、次の動画を流してみせた。
事件の概要は先と同じ内容だが、後半は街頭インタビューやニュースサイトに投稿された意見を取り上げている。
内容は、アンドロイド差別を糾弾するものと、差別を助長するものに二分していた。故意に怪我をさせたのではないかという疑念から、人間はアンドロイドの命を何とも思っていないという煽動へ。そして反対に、アンドロイドは人間を滅ぼすつもりだから、破壊すべきだという発言まで。特に前者はアンドロイドからだけではなく、人間からも挙げられていた。
ロニーが動画を閉じ、腕を組んでニルを見上げる。
「先月もただの強盗犯相手にオーバーホールの大怪我を負わせるし、ハッカー相手に取り調べをしただけなのに相手を骨折させるし」
「先月の一件は複数犯で銃火器の所持も認められた。取り調べについては、犯人が逃走しようと暴れたからであって。どちらも間違った対応ではないわ」
「全部結果論だよね。っていうか、一般の刑事事件は州警察の領分な訳だし。強盗の件も、うちは情報提供だけで済むはずじゃなかった?」
「その件は過激派団体との繋がりのある前科者を発見したからと、応援要請が入ったから協力した。ロニーも派遣されたでしょう」
「突入許可の前に飛び出してったでしょ。ボク知ってるんだから」
「つまり……何が言いたいの」
ロニーがこちらを睨みつけたまま立ち上がる。弾かれるように立ち上がるから、オフィスチェアが滑ってデスクにぶつかった。
「
知らず、アタッシュケースの取っ手を握りなおす。
「そんなつもりは」
「あるでしょ、大体――」
「ストップ! ストップ!」
ロニーの非難はフロアの奥からの声で遮られた。立ち上がって、二人の間に割って入る。グレーベージュのシックなスーツを草臥れさせた、黒髪の男性。
「ロニー、流石に言い過ぎだよ」
「ボクは同僚として指摘してるだけだよ。マキジローは黙ってて」
「
一つに結った黒髪がぼさぼさになるのも構わず、彼は頭を掻いた。マキジローは彼の渾名である。配属時、緊張しすぎて捲し立てるように自己紹介をしてしまったのが切欠だ。
「副本部長は正当だって言ってるし、相手は電子拳銃を所持していた。自決されて犯行動機が解明できなかった可能性もある。生きて確保できたのは、ニルのおかげなんだよ」
「それは、そうかもしれないけどさ」
諭されて、ロニーのトーンが下がる。ニルも肩の力を抜いた。
「それに。彼女は彼女で始末書いっぱいあるって、隊長が言っていたからね。今回は、それで帳消しってことで」
「初耳なんだけど」
マキジローを見返すと、肩を竦めて苦笑される。
「たぶんこれから説明があると思うよ。ほら」
マキジローの焦げ茶の瞳がニルの後方を示す。溌剌とした深いアルトの声がした。
「おはよう~! みんな~!」
反射で姿勢を正し、ぎこちなく振り返る。多忙なはずなのに丁寧に施されたアイメイクと、波打って流れる赤毛、髪色に合わせて選ばれた口紅。鮮やかな唇は弧を描いているけれど、ニルにはその裏に隠された怒りが手に取るようにわかった。
「おはよう、ございます」
「おはよう、ニル。元気になった?」
第三機動隊隊長、エリカ・ロマニティカは、笑顔を崩さない。
「元気になってもらわないと困るわ。お仕事の合間にしっかり反省してもらわないといけないわけだし」
明るくも芯のある硬い声音に、ニルの肩が跳ねる。
「申し訳ありませんでした。先日の……」
「本当にね! とはいえ、人員的に一人で向かわせるしかなかった背景もあるし、今回は仕方ないわ」
「出た、エリカ隊長のニル贔屓」
ロニーが不貞腐れたように言う。
「あら? 贔屓じゃないわよ。現場では冷静沈着、聞き込みでは子どもから大人まで素直に応じてくれるロニーの華麗な捜査手腕だって、私は気に入っているのよ?」
「え? あ、ありがとうございます」
「もちろん、マキジローの勤勉さもね」
「ですから、
突然の賛辞に照れるロニーと、配属されてから何度目かわからない返答をするマキジロー。どちらも微妙に皮肉を言われている気がしないでもないが、エリカは無意識だろう。
エリカの笑顔の裏に隠された怒りが鎮まったのを感じる。彼女とは長い付き合いだ。気分の変化はすぐにわかる。
エリカはニルの肩を軽く叩いて更衣室へと促す。
「ニル、始末書の話は後にしましょう。着替えてきなさい。今日は新メンバーも紹介しないとだし」
「――新メンバー?」
こちらも初耳だった。
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