ジィィィン! と、拳銃とは思えない鈍い音が鼓膜を震わせる。

 人質の悲鳴が上がる。だが、ニルは右半身をわずかに逸らしただけだ。実弾であれば左頬を抉られ致命傷だが、聴覚に気味の悪い発砲音が反響する以外に、損害はない。

 ニルは一気に対象との距離を詰める。左手の掌底が電子拳銃を握る右手を掠めるが、対象はすぐに手を引っ込めた。

「――ッ⁉ お前、人間かッ⁉」

 聞き飽きた言葉だ。もう一歩、間合いを詰めた。踏みしめた右足が重い駆動音をさせて加速を図る。再度、払うように繰り出した左の手刀は、同じく相手の左腕に受け流される。

 対象が動揺し体勢を崩したのは初動のみだった。打ち出した拳も、繰り出した蹴りも、寸でのところで躱されるか、硬質の腕に受け流された。生身の手足が受け流されるたびに鈍く熱を持つ。

 何度目かの掌底を躱された後、対象が不意に電子拳銃を突き出した。銃の狙いを予測して急いで身を捩る。再び不快な音が耳朶に響く。バランスを崩してオフィスデスクに体が当たる。右腕が机上のモニタをなぎ倒した。

 好機と見た対象が迫る。ニルは手を支柱に倒立し、机上を回ってデスクの列を一列超える。左肩が再び悲鳴を上げた。対象も机を乗り上げ、再び銃口が迫る。

 発砲音がする直前に転がってそれを避ける。音の隙間で、対象が薄く笑うのが聞こえた気がした。

 ニルは立ち上がり、やはり左腕を構えた。相手は机上からこちらを狙う。相手が口角を上げる。視線は、おそらくニルの右側にある。

 右側義肢を庇っていることに気づかれている。

 電子拳銃は人体には無害である。しかしそれは体内に電子機器を埋め込まれていない健常者の場合に限る。ペースメーカーはもちろん、ニルのような筋電義肢を装着している人間には実弾同様に凶器だ。

 対アンドロイドを前提とした機動隊員であるからして、義肢にはもちろん電子兵器対策プロテクターが施されている。しかし、激しい立ち回りを要求される義肢に内蔵されているのは最低限の電波対策のみである。

 ニルは対象の右手を、引き金に掛けられた人差し指を睨みつけたまま、小さく口を開いた。

「ノイエ・メンスハイトのメンバーであるというのは、本当?」

 対象は怪訝な顔をする。

「ヨナス・E・シュタイナー。すでにメンバーとしてマークされ、州警察の尾行もあったと考えられる。ここに侵入できたのは、何か仲間の手引きがあってのこと?」

「だから、連中がフラフラしてたっつうわけか」

 対象は言外に認め、顔を歪める。

「だが、人間程度の間抜けな尾行じゃ、犯罪一つ防げない。諦めておれら機械の下につきな。人間」

 声の揺らぎ、腕のわずかな動き、指先。ぐっと腰を落とす。

 ジィィィン! と放たれた電波は、滑らかな床面に落ちた。音と同時に、ニルの義足が対象の足場となっているデスクを蹴りつける。蹴りつけたところが、ぐにゃりと容易く湾曲し、強い衝撃は隣接したデスクへと伝播した。揺れて倒れるモニタと共に、対象の体勢も崩れる。慌ててデスクから退き背を向けるのが見えた。一気に距離を詰める。

 ここから逃走するには、エレベーターホールに続く通用口か、ニルが侵入した非常階段の出入口しかない。対象の向かう先には、非常電源に切り替わり、ぼんやりと照明が灯る、エレベーターホール。

 跳躍して対象の正面に躍り出る。当然、銃口はニルの右側を向いた。身を屈め、足払いをかける。再び、空振りの発砲音。

 遂に膝をついた対象の肩を抑えつけ、電子拳銃を持つ右手を捻り、拘束する。

「電子兵器使用による現行犯で、拘束します」

 対象の右手に力が籠る。ニルが義手に力を籠めると、尚も引き金に指をかけようとする手が軋む音がした。

 力が入らなくなった右手が、ついに電子拳銃を取り落とす。同時に、対象は俄かに暴れ始めた。

「――ゔ、ゔぁあああ……ッ」

「っ!」

 背中に衝撃。対象の膝蹴りが背を打つ。生身の左腕も、義手の右腕も、力が抜ける。

 対象はすかさず覆いかぶさるニルを投げ飛ばそうと襟を掴んだ。引きはがそうとする力に、咄嗟に相手の被服を掴む。

 取っ組み合って転がった先で、対象の顔が見えた。薄暗い視界に淡い光が射す。

 三度、四度と優劣が入れ替わる。その末に、首を掴もうと伸ばされた対象の左手首を、ニルの義手が確実に捕らえた。捕らえた勢いのまま、腕を引いた。

 ギ、と対象の肩が嫌な音を立てた。同時に呻き声が上がる。その隙に対象を床に抑え込む。

 苦痛に歪む表情は、人間と何も変わらない。ただ、注視すれば分厚い高品質樹脂の不自然な皺の波を感じた。

 動く気配に、自然と義手に力が入る。

 義手の指は細く、そして握力は人間の成人男性の倍以上を誇る。戦闘を想定された合成素材の強度は、当然一般のアンドロイドの皮膚や骨よりも強い。

 義手の指が対象の皮膚に食い込んでいくのを意識の端で認識する。同時に、軋む音が大きくなった。

 対象の黒い目と、ニルの青い目が合う。

 明らかに対象の顔色が変わった。まるで酸素を求めるように口を動かし、唇から音が零れ落ちる。

「お、まえ…………っ、は――」

 ブツリ、と千切れた音と共に、右手が自由になる。握り締めていたものは背後に飛んでいく。放り投げてしまったものの先から、飛沫が上がる。

「アアアアアアァ――――――ッ!」

 先とは比べ物にならない対象の絶叫。のたうち回る頭部を左手で押さえつける。

 空になった義手の指先が、対象を捉えた。

 狙いを定め、そして――

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