現場――ナイラン・シュトラセ22は、騒然としていた。青い警察車両と赤と白の救急車が犇めき、人はその間を縫うようにして動いていた。

 全自動運転車は、緊急車両の最後尾に付ける形で停車し、運転席の扉が開く。

 ニルが車を降りると、近くで待機姿勢をとっていた警察官が咎めるような視線を送ってくる。しかし、すぐに何かに気づいて、敬礼した。

 ニルのウェーブのかかったミディアムショートが、青い警光灯を反射する。平凡なアッシュブラウンは、夜の闇では黒髪と変わらなかった。頬にかかるウェーブの髪を邪魔そうに耳にかける。仕草は女性らしいが、髪に触れた右手の指先は警光灯を反射して輝いていた。

 プロテクターと防弾ジャケットで着膨れてはいるが、細い首と小さい顔は確かにうら若い女性のもの。冷えた海色の瞳と活動服の胸元に縫われたバッジが、彼女が警察組織に連なる者であることを指し示していた。そして、右袖から伸びるメタリックな指先と、彼女が動くたびに鳴る微かな駆動音。明らかな機械の音だ。

 敬礼を解いた警察官は、彼女の手足を見て怪訝そうな顔をした。

「申し訳ない。アンドロイドは――」

 ニルは冷めた声で遮った。

「すべてのアンドロイドに通達します。警備、機動隊に所属するアンドロイドは直ちに現場から退避。救急隊員は防護服を着用の上、車両内で待機。周辺の情報端末・電子機器とは、接触を避けるか、直ちに電源を落としてください」

「は」

 呆気にとられる警察官を一瞥する。警察官の右頬には、アンドロイドであることが一目でわかる青い三つの黒子。旧式だ。まだ人と機械の線引きがされていた頃の、アンドロイドの証。

 ニルは不躾な視線を黙殺し、投光器が照射されている現場の方へ足を向けた。

 現場となったオフィスは、投光器の白い光を受けてくっきりと浮かび上がっている。外壁の淡い石材は白く飛び、ガラス窓は光を通して室内を照らす。しかし、どの階の照明も消灯しており、完全な無人のようにも見える。立て籠もり犯も、人質の姿も見当たらない。

 渋滞する人込みを掻き分け――合間、アンドロイドには退避命令を出し――人込みの最前列へ移動する。機動隊が何十人と待機するその中央で、建物を睨みつけながら腕を組む、背広の男を見つけた。彼が現場指揮を執っているに違いなかった。

連邦刑事庁BKA直轄、人機総合警備部第三機動隊です。現場の状況を報告願います」

 背広の男はニルの機械の手足に、一瞬眉が上がるが、オフィスの上階に向き直り、状況を淡々と報告する。

 午後七時四八分、このゼヒェハイツM・ビルディング16の八階にある、ファイクオーグ社の緊急通報装置が作動し、不審者が侵入したとの通報を管内の通信指令室が受信。

 通報内容は、見知らぬ男が銃を持ち、社内に侵入しているというもの。そのすぐ後に、通報者は男に発見され、以後、通報装置の破損によって通報者との通信が途絶える。通報者は、社内で戸締りを確認していた職員であったことが、後にすでに退勤していた社員の協力によって確認される。

 緊急通報時の音声データには、犯人と思われる男の声が数秒記録されており、声紋解析の結果、ノイエ・メンスハイトの実行犯の一人としてマークしていたアンドロイドであることが判明。警察は、ファイクオーグ社が警備・監視システムの保守を行う企業であることから、対象はデータの改ざんもしくは警備・監視データの窃盗が目的ではないかと推測した。

 午後八時、ファイクオーグ社から緊急通報を受けた親会社は、遠隔操作によって同社とのネットワークを切断。その後、警察もオフィス管理会社に問い合わせ、午後八時二五分までには、オフィス内のネットワークおよび無線通信機器のロックが完了。それまでの間に、グループ会社のネットワークと、同社保有の警備・監視システムへ、計一八回の不正アクセスを検知した。

 対象の機体が無線通信搭載の新機体の可能性を考えると、本来はオフィスのブレーカーを落とし停電させることが望ましいものの、オフィスへの侵入経路はエントランスにある自動ドアと、電子錠の非常口、そのほかは開閉不可のガラス窓であり、加えて駆け付けた機動隊員がアンドロイドであったため、オフィス内への侵入は断念。周辺オフィスへ、無線通信機器の電源との切断を要請しただけに留めた。

 午後九時前には、オフィスの他の階にいた職員や周辺住人の避難が完了。

 午後十時二分現在まで、対象に動きはなく、呼びかけにも応じず沈黙。人質の安否も、対象が所持しているとみられる銃の詳細も不明のため、膠着状態のまま一時間が経過している。

「たとえ人間の機動隊を突入させても、人質の安全が確保できない。しかも、オフィス内はまだ電気が通っている。新機体のアンドロイドだった場合は、オフィス内のネットワークには接続できてしまう」

「自動ドアや監視カメラが犯人の手中にある可能性を考慮すると、通常の機動隊がここから八階の現場へ向かうのは、リスクが高すぎる、と」

「ああ」

 現場指揮の男が憎々し気に顔を歪めた。ニルは、十二階建ての八階にある、件のオフィスを見上げた。室内にはやはり人影はなく、非常灯だけが弱く光っている。通りに響くのは、有線の拡声器による呼びかけの声だけだ。

 ニルは規制線に触れ、隣の男に問う。

「犯人の名前は」

「ブレーメンで住民登録されている、ヨナス・E・シュタイナー。機体はE・シュタイナー社SE-66型だが、機体改造リ・サイボーグされていたらスペックはその限りじゃない……って」

「情報提供、感謝します。あとは我々が対応します。すぐに本機動隊隊長のエリカ・ロマニティカが到着しますので、引き継ぎは彼女に」

 躊躇なく規制線のテープを鷲掴む姿に、男は狼狽えた。

 テープをしわくちゃに握りしめるのは、金属製の機械の右手。胸元のバッジには小さく「H人間」と刻まれていたから、恐らくは義手だろう。未だ幼さの残る二十歳前後の女性とは思えない、現場慣れしたふてぶてしい態度と仰々しい装備。優秀なアンドロイド警察官でも、こうはいかないだろう。

 ニルは規制線を潜り抜け、数瞬で正面玄関に辿り着いた。跳躍するような走行は静かなものであった。たとえ音がしても、拡声器と遠く唸るサイレンに、ほとんどかき消されていただろう。

 正面玄関は全面ガラス張りになっており、上部の人感センサーは赤く点灯している。開く気配はない。緊急通報装置が作動しているために、入場規制がされているのだ。管理室で解除操作をしない限り開かない。

 自動ドアを通り過ぎ、側面に回り込む。四隅を確認するが、特に感知器のようなものは見当たらない。オフィスの造り自体は古いらしかった。

 ニルは右袖を捲り、武骨な機械の腕を露出させる。

 指先から手首の関節までは、緻密な部品を隙間なく詰め込み、金属故の強靭さと繊細な動作とを併せ持つ美しい鉄色の手。だが、前腕は折り畳み式の簡易防護具シールドや短剣を収納した物騒なものである。その所為で、手首までは華奢な女性のそれだが、前腕から先は熊や大猩々ゴリラのような逞しさだ。

 多機能義手の安全ロックを外し、左手で道具を切り替える。出てきたのは小さな電動式チェーンソー。応援に来た機動隊が後ろで慌てるので、振り返って装着済みのゴーグルを見せつけてやれば、機動隊は大人しく引き下がる。活動服には大抵の小道具が仕舞い込まれている。

 音が大きくならないように、何度も刃を止めては動かしを繰り返す。屈めば通れる程度の大きさでガラスを繰り抜いた頃には、現着から十分が経過していた。

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