そうして滅んだ春があった
一野 蕾
【花参り】
旅人は、おや、と思った。
春ばかりの気候の星があると、いつだか耳にした噂に心を引かれた。列車や飛行機を乗り継ぎ、道なき場所は宙を泳いでようやく近くまでやって来たのだが、立ち寄った露店で不可思議な貼り紙を見た。
「常春の星は
旅人は顎に──といっても頭に潜水用のヘルメットを被っているので、そのつもりで──手を触れ、しばし考え込んだ。文字が手書きなのもあって悪戯の一種とも考えられた。
「いや、ほんとのことだよ」
露店へ引き返し尋ねてみれば、店員のあっけらかんとした返事。
「そう……」
「でも。お花見がしたいなら、今でもできるよ。芝生のロビーがある。そこへ行ってごらん」
茶色の羽毛に包まれた
旅人は疑問符を浮かべながらも、その通りにすることにした。
ヘリウムで浮かぶ風船のように、小惑星と紐で繋がれ浮遊するサービスエリア。その一端に設けられたロビーには、人工芝が敷かれている。青々しさが少々わざとらしい気もしたが、天蓋と壁面のガラスいっぱいに広がる宇宙の深闇と釣り合いを取るには丁度良いようだ。
多少の賑わいを見せるそこの、最後列にそっと腰を落ち着ける。なだらかな斜面の一番上で、旅人はガラスの向こうを眺め──確かに、と笑った。
「花見には十分、かも知れないな」
うっとりとした黒色にぽつり、潜水服の中で転がした感嘆は、隣の花見客に届いたらしく。肝の座った旅人と、容姿と裏腹に気さくな彼が隣り合うのは間もなくのことだった。
「スバラシくキレイだろ、あれは」
そう笑って話す彼の両目は、恐らく宝石であった。
彼の体は岩と石と砂で構成されており、肌はまさしく岩肌で、ゴツゴツとしていた。瞳にあたる部分に嵌め込まれたライム・グリーンの水飴のような煌めきは、彼にとって既知の景色に負けず劣らずの美しさであった。
旅人は美しいものが好きである。
なのでやっぱり、風光明媚と噂の春の星をこの目で見てみたかったなと思うのだった。
「春の星に行ったことはあるか?」
「あの姿になる前の? ないよ。そのつもりで来たのが今日だったんだ」
「それはそれは! 申し訳ないことしたな。お詫びに、ボクが知っている春の星のハナシをしてやろう」
「行ったことがあるのかい?」
「ああ。オチタことがある」
「落ちた?」
石の隙間の空洞を細め、にこりと笑う彼は、いたく上機嫌であった。
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